第359話:霧の庭園の鍼灸往診、酸の雨を「水神の浄化鍼」で一斉洗浄せよ
霧の庭園は、今や「酸の地獄」と化していました。双毒のサリアが放つ猛毒の血は、触れるものすべてを腐食させ、美しい薬草たちを無惨に溶かしていきます。
しかし、枢先生だけは、その酸の雨の中でも、汚れ一つない白衣を翻して立っていました。
「(……。おやおや。……。サリアさん。……。……。そんなに毒を振り撒いて、……肝臓が悲鳴を上げているのが聞こえませんか? ……。……。血を毒に変えるというのは、……自らの命を削る『自傷行為』に過ぎません。……。……。ミナ、……ガストン。……。……。傘を差す必要はありませんよ。……。……。私が今、……この空気そのものを、……最高級の『洗浄液』に変えてあげますから)」
枢先生が銀鍼を上空へと投げ上げると、翡翠色の光が霧を巻き込み、巨大な渦を形成します。
10時、朝の往診。霧の庭園の鍼灸往診。
聖鍼師・枢。毒の雨を、慈愛の霧で鍼灸的に中和します。
庭園の中央。
サリアの全身から噴き出す紫色の血煙が、霧と混ざり合い、致死性の酸性雨となって降り注ぐ。
彼女はシオンから与えられた「造血剤」により、体内の全血液を猛毒の酸へと変換されていた。彼女が一歩踏み出すたびに、大理石の床は泡を立てて溶け、周囲の酸素は奪われていく。
「(……。くふふ、……。……。枢。……。……。私の血は、……あなたの銀鍼さえも溶かすわ。……。……。近寄ることもできずに、……ドロドロに溶けて、……庭園の肥料になりなさい!)」
サリアが腕を振ると、数リットルの酸の塊が、大蛇のようにのたうちながら枢へと襲いかかった。
カサンドラが大盾を構えようとするが、枢はその肩を優しく制した。
「(……。カサンドラ。……。……。鋼鉄の盾では、……彼女の『悲しみ』は防げません。……。……。ガストン。……。……。庭園にある噴水の魔導バルブを、……最大出力で開放しなさい。……。……。水、……気、……そして風。……。……。これら全てを使い、……彼女の全身を『内側』から洗ってあげます)」
ガストンが必死にレバーを引くと、庭園の四方に配置された噴水から、清らかな水が天高く噴き上がった。
枢は、その水柱に向かって、指の間に挟んだ五本の銀鍼を同時に放った。
――ヒュ、ヒュ、ヒュ、ヒュ、ヒュンッ!!
五本の銀鍼が、噴水の水滴一つ一つに枢の「浄化の気」を転写していく。
次の瞬間、庭園を覆っていた深い霧が、翡翠色に輝く「治療用の蒸気」へと劇的に変化した。
「(……。おやおや。……。サリアさん。……。……。深呼吸をしてごらんなさい。……。……。肺から吸収されたこの蒸気が、……あなたの汚れた血液を、……分子レベルで『透析』してくれますよ)」
「(……。な、……。……に!? ……。……。身体が、……軽くなる……? ……。……。私の毒が、……消えていく……!?)」
サリアが放った酸の蛇は、翡翠の霧に触れた瞬間に、無害な水へと還り、地面を濡らすだけの雨となった。
枢は、霧の中を音もなく進み、サリアの背後へと回り込んだ。
「(……。仕上げですよ。……。……。毒を造りすぎたその臓器、……少しだけ、……休ませてあげましょう)」
枢の銀鍼が、サリアの脇腹にある急所――**『期門』と、背中の『肝兪』を、挟み込むように貫いた。
一刺し。
肝臓の異常な解毒・造毒機能を一時的に停止させ、経絡の熱を強制的に排出した。
二刺し。
全身の水分代謝を司る『三焦』**の気を整え、体内に残留した酸の成分を、汗とともに体外へ一気に押し出した。
「(……。あ、……。……。ああああああ……!!)」
サリアの全身の毛穴から、どす黒い汗が噴き出し、霧の中に溶けていく。
その後には、透き通るような白い肌と、穏やかな鼓動を取り戻した一人の女性が立っていた。
「(……。おやおや。……。随分と、……綺麗な顔色に戻りましたね。……。……。シオンの薬は、……あなたから『涙』さえも奪っていたようです。……。……。今なら、……ちゃんとした涙が流せますよ)」
枢が銀鍼を引くと、サリアはその場に崩れ落ちた。
しかしそれは絶望の崩壊ではなく、長年の毒の束縛から解放された、心からの安堵であった。彼女の頬を、毒ではない、温かい涙が伝う。
「(……。バ、…….……。バカナッ!? 致死性の酸性雨という名の『広域感染』を、……庭園そのものを透析装置に変えることで、……一瞬で無害化してしまったというのか!! コレガ、……完全復活した枢の、……環境そのものを鍼灸台にする『大気往診』だというのか!!)」
ガストンは、自身の魔導端末が示す「大気浄化率:100%」という数値を見つめ、ただただ呆然と立ち尽くした。
「(……。ミナ。……。……。これが、……本物の鍼灸です。……。……。悪いものを壊すのではなく、……悪いものが存在できない環境を、……その場に作り出す。……。……。さて、……。……。患者さんが一人、……正気に戻りました。……。……。次へ行きましょうか)」
枢はサリアにそっとハンカチを渡し、霧のさらに深淵へと視線を向けた。
そこには、シオンが大切に育てていたという、伝説の毒草「死の睡蓮」が、巨大な蕾を膨らませて待ち構えていた。
その蕾の上には、シオンの第三の守護者、音を操る盲目の狂戦士「静寂のラグナ」が、弦の張られた医療用のメスを構えて座っていた。
「(……。ふふ、……。……。枢、……相変わらず、……『水』の使い方が上手いね。……。……。だが、……次の相手は、……君の出す『音』を、……全て死の旋律に変えて跳ね返すよ。……。……。声を出せば、……その瞬間に君の喉は、……内側から爆発する)」
シオンの挑発が、霧の奥から反響して聞こえる。
「(……。おやおや。……。静かにしていろ、……ですか。……。……。ちょうどいい。……。……。私は、……患者の呼吸音を聞くのが好きですからね。……。……。ミナ、……。……。あなたの歌声と、……私の鍼……。……。どちらが、……美しい調べを奏でるか、……競い合ってみましょうか)」
第359話。
聖鍼師・枢。
彼は霧そのものを薬へと変え、毒の女を外科的に……いえ、鍼灸的に洗浄した。
しかし、シオンの庭園の奥には、あらゆる「音」を凶器に変える、静寂の死神が待ち受けている。
聖鍼師一行。
霧の庭園での往診は、声さえも許されない「無音の執刀」へと突入していく。
本日、5月2日(土)10:00、酸の雨を翡翠の霧で洗い流す「大気往診」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回、体内の毒を強制的に汗として排出し、酸に侵された血液を浄化するために枢先生が意識した術式を解説します。
まず、肝臓の異常な働きを抑制し、毒素の生成を根源から断つための起点とした**『期門』。肋骨の下にあるこの要穴に対し、枢先生は自身の浄化の気を送り込むことで、サリアの肉体を「自傷モード」から「回復モード」へと外科的……いえ、鍼灸的に切り替えました。
そして、全身の水分代謝を一気に加速させ、毒素を霧と共鳴させて体外へ引き出すためのアンカーとした『三焦兪』。背中のこのポイントを刺激することで、枢先生はサリアの身体を一つの「生体フィルター」へと外科的に……経絡的に作り変えることに成功したのです。
最後に、失われた正常な血液の流れを取り戻し、精神的なパニックを鎮めるための最終回路とした『血海』。この往診を経て、枢先生は毒の化身と恐れられた女性を、ただの「涙を流せる繊細な患者」へと完治させました。
次回の第360話は、本日【12:00】**に更新予定です。
音を立てれば即死という、静寂のラグナとの対決。枢は、一切の物音を立てずに移動する「無音の歩法」と、ミナの歌声を「超音波のメス」として利用する連携を見せます。
「(……。おやおや。……。静かすぎて、……寝入ってしまいそうですね。……。……。あなたのその不快な耳鳴り、……私が一鍼で、……外科的に消去してあげましょう)」
12時、昼の往診。霧の庭園の鍼灸往診。
聖鍼師・枢。無音の戦場で、いかにして「音の死神」を完治させるのか。どうぞお見逃しなく。




