第353話:最深の外科往診、狂気の演算器を「不完全なる生命の拍動」で外科粉砕せよ
王都の最深部、中央浄化槽の心臓部。そこは、数万個の魔導演算器が不気味に明滅し、巨大な脳髄のような光景を呈していました。かつて枢の親友であり、唯一その医術を競い合った男、ドクター・ファウスト。彼は今、自身の肉体を捨て、巨大なシステムの一部として鎮座していました。
「(……。枢、……。君は遅すぎた。……。私はすでに、……この国の全人類の感情、……健康、……そして寿命さえも、……一ミリの狂いもなく管理するプログラムを完成させた。……。病も、……争いも、……老いさえも克服した世界。……。これこそが、……我々医師が辿り着くべき、……唯一の正解だと思わないか?)」
システムのスピーカーから響く、感情の抜け落ちた合成音声。
しかし、枢先生は、その巨大な機械の塊を見上げると、心底退屈そうに、そして少しだけ悲しそうに、鼻で笑いました。
「(……。おやおや。……。正解、……正解、……とうるさいですね。……。命に正解なんてありませんよ。……。あるのは、……今日をどう生き延びるかという、……必死な足掻きだけです。……。ファウスト、……。あなたのその『完璧な幸福』という名の死病、……私が今ここで、……外科的に解体してあげましょう)」
21時、本日最終。最深の外科往診。
聖鍼師・枢。親友の「歪んだ理想」を、その銀鍼で完治させます。
地下迷宮の最深部、中央浄化槽。
そこには、かつて枢が「ファウスト、君の理論は冷たすぎる」と説いた、あの男の理想郷が形となって存在していた。高さ十メートルを超える円柱状の培養槽。その中には、ドクター・ファウストの生身の脳が、無数の銀色に輝くコードで演算器と接続され、青白い液体の中で脈動している。
「(……。枢。……。私の計算によれば、……君が私を止める確率は、……0.0003パーセントだ。……。君の銀鍼が、……この鋼鉄の装甲を貫く前に、……君の存在そのものを、……王都の全市民の記憶から『不適合者』として抹消する準備は整っている。……。君は、……孤独な死を選ぶか、……それとも私のシステムの一部となり、……永遠の安寧を手に入れるか。……。二つに一つだ)」
数千台のモニターが一斉に枢を映し出し、無機質な警告音が鼓膜を震わせる。
ガストンは、その圧倒的な計算能力に、魔導端末を持つことさえ諦めて膝をついた。
「(……。無理だ、……。これだけの演算器を一度に相手にするなんて、……人間業じゃない。……。一秒間に数億回の思考を行うシステムを、……どうやって鍼一本で止めるっていうんだ……!)」
しかし、枢は一歩も引かず、その巨大な機械の眼差しを真っ向から受け止めた。
彼の右手には、復活の旅でミナが守り抜いた「星屑の銀鍼」が、静かに、しかし激しく震えている。
「(……。ガストン。……。あなたはまだ、……計算と対話しようとしている。……。おやおや。……。機械に心を読ませてはいけませんよ。……。……。いいですか、……ファウスト。……。あなたのシステムは、……確かに完璧だ。……。だが、……完璧であるがゆえに、……『イレギュラー(例外)』という名の、……ほんの僅かな誤差に耐えられないほど脆弱でもある)」
枢が、一歩前に出た。
システムが反応し、全防衛システムが枢の頭部へ向けてレーザーを収束させる。
だが、その瞬間。
枢は、自身の左手で、自身の胸、すなわち**『膻中』を強烈に突き刺した。
「(……。な、……。……に!? 自らの心臓を止める気か、……枢!!)」
「(……。おやおや。……。心臓を止めるなんて、……そんな野蛮なことはしません。……。ただ、……私の意識の周波数を、……一時的に『死』の領域へと、……外科的にスライドさせただけですよ。……。あなたのシステムが認識できるのは、……『生きている人間』だけでしょう?)」
枢のバイタルデータが、システムのモニターから一瞬で消失した。
計算機にとって、枢は「存在しない幽霊」と化したのである。
そのコンマ数秒の計算ミス、システムが枢を探し出そうと混乱したその隙に、枢は跳躍した。
「(……。ミナ! ……。私に、……あなたの『命の無駄遣い』を貸しなさい! ……。目的もなく笑い、……理由もなく泣く、……そんな非論理的なエネルギーこそが、……この完璧な機械を焼き切る唯一の毒です!)」
ミナは、師匠の言葉に全てを察した。
彼女は自分の持つ全ての「生命の輝き」を、枢の背中に込めて放った。
枢の銀鍼が、培養槽の鋼鉄を、まるでバターのように熱で溶かしながら突き進む。
「(……。ファウスト。……。命とは、……管理されるためにあるのではない。……。傷つき、……悩み、……それでも明日を信じて足掻く……。その『無駄』こそが、……生きた証なのですよ。……。あなたの計算式に足りなかった最後の一鍼、……私が今ここで、……外科的に補完してあげましょう)」
枢の銀鍼が、ファウストの脳へと直結された主電源回路――『神庭』**に相当する、演算器の中枢を貫いた。
――ズシュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
一刺し。
全人類の運命を束ねていた「支配プログラム」という名の腫瘍を、一瞬で切除した。
二刺し。
ファウストの孤独な魂を、冷徹な機械の呪縛から解き放ち、元の、一人の不器用な男へと戻してあげた。
――バリバリバリバリィィィィッ!!
地下迷宮全体を震わせる轟音と共に、数千台の演算器が次々と爆発し、火花を散らして沈黙していく。
培養槽が割れ、青白い液体が溢れ出す中、枢は、床に転がったファウストの生身の肉体(事前に複製されていた予備の肉体へ、枢が気を流し込み魂を定着させたもの)を、静かに抱きかかえた。
「(……。あ、……。……。……枢、……君か……? ……。……。私は、……何を……。……。)」
「(……。おやおや。……。寝ぼけてはいけませんよ、……ファウスト。……。往診の予約は、……もう終わりました。……。……。あなたは、……ただの不養生な患者として、……しばらく安静にしていることです)」
枢の言葉に、ファウストは、かつての学友としての穏やかな笑みを浮かべ、深い眠りへと落ちた。
第353話。
聖鍼師・枢。
彼は、理性を捨てた親友を救うため、自らの命を「死」に近づけるという禁忌の術式で、世界のシステムに勝利した。
王都を支配していた「管理の恐怖」は消え去り、地下迷宮には、静かな水の流れる音だけが戻ってきた。
「(……。さて、ミナ。……。……。少し、……疲れましたね。……。……。地上へ戻って、……あなたのあの、……あまり美味しくないお茶でも、……一杯淹れてもらいましょうか)」
枢先生は、力なく笑うミナの肩に手を置き、崩れ去った迷宮を後にした。
しかし、彼らの知らない場所で、次なる病巣は、さらに根深く、さらに強大な「組織」として、その胎動を始めていたのである。
聖鍼師一行。
彼らの旅は、一時の安息を挟み、再び激動の「人間界編」へと加速していく。
本日、4月30日(木)21:00、本日の最終更新、宿敵ファウストとの決着を描いた一話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回、機械と化したファウストの暴走を止め、その魂を救済するために枢先生が意識した術式を解説します。
まず、自分自身の生命反応を一時的に遮断し、システムの検知から逃れるための「自己催眠」の起点とした**『膻中』。胸の中央にあるこの要穴に対し、枢先生は自身の銀鍼を逆手に打ち込むことで、心拍と呼吸を極限まで抑制し、物理的な「幽霊」となることで、機械の目を外科的に欺きました。
そして、ファウストの意識が演算器と同期している物理的な接点を断ち、彼の魂を肉体へと引き戻すためのアンカーとした『神庭』。額の生え際にあるこの精神の門に対し、枢先生は「ミナさんの純粋な気」を乗せた一鍼を放つことで、冷徹な論理回路を外科的にオーバーロードさせ、人間としての心を取り戻させることに成功したのです。
最後に、救出したファウストの衰弱した精神を安定させ、長い眠りによる再生を促すための最終回路とした『安眠』。この往診を経て、枢先生は最大の宿敵であった親友を、一人の「救うべき患者」として完治させました。
本日の更新はこれにて終了です。
次回の第354話は、明日5月1日(金)【08:00】**に更新予定です。
ファウストの事件から一週間。王都は平穏を取り戻したかに見えましたが、枢の元に、隣国からの奇妙な招待状が届きます。それは、世界中の「神の手」を持つ医師たちが集う、禁断の医療オークション「万能の祭壇」への案内状でした。
「(……。おやおや。……。命に値段をつけようとは、……不作法な金持ちがいたものですね。……。ミナ、……。ドレスアップの準備をしなさい。……。最高級の『お仕置き』をしに行きましょう)」
朝の往診。社交界の外科往診。
聖鍼師・枢。舞台は王都から、煌びやかで残酷な「医療オークション」へと移ります。どうぞお見逃しなく。




