第335話:地脈の外科往診、暴走する大地の怒りを「師弟の共鳴一鍼」で鎮静せよ
老龍アステリオスの終焉を看取り、静寂に包まれた霊峰を下る枢とミナ。
しかし、神の腕を失った枢の肉体は、想像以上に深く蝕まれていました。龍を救うために自身の全生命力をミナに預けた代償は、彼の細い経絡を焼き切り、立っていることさえ困難なほどの虚脱感として襲いかかります。
さらに、龍の消滅は世界のエネルギーバランスを大きく変容させました。かつて龍が抑え込んでいた「大地の熱」が暴走し始め、麓の村を溶岩の海へと沈めようとしています。
神であった頃なら、一鍼で地脈を鎮められたでしょう。しかし今の枢は、一人の少女に縋らねば歩けぬ老人。
知恵はあるが力がない。指先はあるが目がない。
この絶望的な欠損を抱えた二人が、自然の猛威という名の「巨大な患者」をどう診るのか。
「おやおや。神様をやめるというのは、これほどまでに世界が重く、冷たく感じられるものなのですね。ですがミナ、案ずることはありません。龍が遺した光は、まだ私たちの掌の中にありますよ」
21時、本日最終。地脈の外科往診。
聖鍼師、ついに人間としての限界を超えた執刀に挑みます。
霊峰の麓では、大地が断末魔のような呻きを上げていた。
老龍アステリオスの消滅によって、数千年にわたって抑え込まれていた地下のマグマが、一気に噴出口を求めて逆流を始めたのである。岩肌からは真っ赤な溶岩が溢れ出し、夜の闇を不気味に照らし出しながら、平和な里へと這い寄っていた。
枢はミナの肩に激しく咳き込みながら、地面に這いつくばるようにして地脈の拍動を感じ取っていた。かつて翡翠の光で宇宙を診ていた彼の視界は、今や老いと疲弊で煤けている。しかし、泥にまみれたその掌からは、誰よりも深く、苦しむ大地の悲鳴が伝わってきた。
「ミナ。聞こえますか。この足の下で、行き場を失った大地の気が、行き場を求めて暴れ回っています。これは龍の死という名の副作用。私が、その死を選ばせた以上、この後始末をつけるのは、執刀医である私の義務です」
枢の声は風に掻き消されそうなほど弱々しいが、その芯には、決して折れることのない医療家としての矜持が宿っていた。
視力を失ったミナは、師を抱き抱えながら、熱を帯び始めた足元の感触に神経を研ぎ澄ませた。彼女には、地表の岩を突き破ろうとするマグマの熱源が、まるで巨大な膿瘍のように赤黒く脈打っているのが「見えて」いた。
「師匠。熱いです。この地面そのものが、高熱に侵された患者のように、助けを求めて叫んでいます。でも、私の力だけでは、この熱を冷ますことはできません。どうすれば、この怒りを鎮められるのですか」
ミナの震える指先を、枢は自身の冷たくなった掌で包み込んだ。
「一人で診る必要はありません。今の私たちは、二人で一人の治療家です。私の経験をあなたの指先に貸しましょう。そして、あなたの若き命を、私の代わりに地脈へと通じさせるのです。狙うのは、あの岩壁の根元。地脈の熱が集中する最大の経穴、湧泉の噴出口です」
枢はミナの背後に立ち、彼女の両腕を支えた。
自身の残り少ない生命の気を、ミナの経絡へと流し込む。それは神の力ではなく、一人の人間が、自分より大切な者のために命を削り出す究極の譲渡であった。
ミナは一本の、極太の銀鍼を構えた。
龍が遺した光の残滓をその鍼に纏わせ、彼女は枢の指示通り、煮え繰り返る大地の「病根」へと突き立てた。
――ズゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
一刺し。
噴き出そうとしていたマグマが、鍼を通じて送り込まれた枢の「鎮静の気」によって、一瞬にして冷え固まっていく。
二刺し。
ミナの清らかな生命力が地脈の奥深くへと浸透し、暴走していた熱を、生命を育むための温かな恵みへと書き換えていく。
地鳴りが止み、立ち昇っていた黒煙が、静かな夜露へと変わった。
枢は、ミナの胸の中で崩れ落ちるように膝をついた。その顔からは血の気が失われ、唇は紫に震えている。自身の寿命を前借りしてまで行った、地脈の外科手術。それは、神の腕を持っていた頃の彼には決して成し得なかった、泥臭くも神聖な執刀であった。
「バ、バカナッ!? 神ノ腕ナキ老イボレト、目ナキ小娘ガ、大自然ノ怒リヲ外科的ニ鎮メタトイウノカ!! コレガ、第四章ノ常識ヲ葬リ去ッタ先ニアル、聖鍼師・枢ノ、真ノ実力ダトイウノカ!!」
夜空から降る灰を浴びながら、枢は満足げに目を閉じた。
「お疲れ様、ミナ。……。おやおや。……。大地も、……やっと、……寝付いてくれたようですね。……。少し、……疲れました。……。今夜は、……ここで、……休みましょうか……」
第335話。
人間・枢。彼は、自身の不自由さを完全に受け入れたことで、かつては力でねじ伏せていた自然の猛威を、共鳴という形で完治させた。
夜明け前の霊峰の麓に、本当の静寂が訪れる。
神の腕を失い、寿命を削りながらも、一人の少女と共に世界を診続ける老人の背中は、どんな神話の英雄よりも大きく、そして美しかった。
物語は、この限界を超えた往診を経て、第五章の真の幕開けとなる王都再訪編へと、静かに、しかし力強く加速していくのである。
本日、4月26日(日)21:00、本日最後の更新を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第335話。
強引なキャラクターの登場を排し、枢先生が人間として「龍の死が招いた自然の崩壊」という名の巨大な患者に立ち向かう、物語の整合性を重視した真実のエピソードを執筆いたしました。
個人の病ではなく、自然という名の巨大なシステムを治療する。この経験が、後の王都再訪において、組織という巨大な病を診るための重要な糧となります。
今回、地脈の暴走を鎮め、里を溶岩から救うために枢先生とミナさんが意識した術式を解説します。
まず、大地の底から逆流するマグマの圧力を一点に集約させ、外科的な減圧を行うための起点とした**『湧泉』。足の裏にあるこの経穴の地脈版に対し、ミナさんは枢先生の鎮静の気を銀鍼で打ち込むことで、大地の興奮を瞬時に冷却しました。
そして、不安定になった地表の気の流れを固定し、崩落を防ぐためのアンカーとした『足三里』。このツボを通じて、ミナさんは自身の瑞々しい生命力を大地へと流し込み、荒れ果てた土壌に再び生命の秩序を取り戻すことに成功したのです。
最後に、往診を終えた枢先生自身の限界に達した心肺機能を護り、明日への息吹を繋ぎ止めるための最終回路とした『内関』。この往診を経て、枢先生は「自然と対話する」という、神の頃には気づけなかった新しい医術の境地へと到達しました。
次回の第336話は、明日月曜日【08:00】**に更新予定です。
地脈を鎮め、里を救った二人の元に、王都からの早馬が届きます。そこには、かつての教え子たちが枢の不在を逆手に取り、医療を特権階級だけのものに歪めているという醜い現状が記されていました。
「おやおや。私の遺した火が、随分と煤けてしまったようですね。さあ、ミナ。私たちの『教育』という名の往診を、始めに行きましょうか」
朝の往診。再会の外科往診。
聖鍼師、ついに王都の腐敗を診ます。どうぞお見逃しなく。
※予約の日付を間違っていましたので、慌てて投稿しました。
できるだけミスは無くすようにしますので、今後ともよろしくお願いいたします。




