82.魔法使いと天候制御装置(5/5)
ぴちゃん、と音がして私は我に返る。
「そういえばこの音、どこから……?」
目の前の水槽から漏れ出している様子はない。
シロウ様と一緒に水槽の周りをぐるりと回り込んだところで、ぴしゃ、と足下から水音がした。
水たまり――じゃない。
赤黒いこれは、血?
「シヅさん、上を見て」
シロウ様の視線は、水槽の上部に注がれていた。
天井に伸びるたくさんの細い管のうち、一本が切れて頭を垂れていた。
ちょうど一滴が落ちてくる。
ぴちゃん、と探していた音が鳴り、血だまりに波紋が広がった。
「あそこと繋がっていたみたいだね」
シロウ様が指を差したところにも、切れた細い管があった。
「あの、この血は、あの『部品』の……?」
「うん、そこにいる純血の魔法使いの血だよ」
「これが、動力源?」
「そう、これが動力源」
シロウ様は事も無げに、私の言葉を肯定した。
ああ、本当に、比喩でもなんでもなくて、純血の魔法使いの血液が動力源なんだ……。
シロウ様に肯定されて気分が悪くなるなんて、初めてのことかもしれない。
「シヅさん、大丈夫? 外で休んでいてもいいんだよ」
「……いえ、大丈夫です」
ここで退くわけにはいかない。
まだシロウ様に食らいついていきたいのだ。
「あれを繋ぎ直せば、天候制御装置は元通りに稼働するんでしょうか」
「それは分からないけど、やってみるね。……と、その前に。シヅさん、何か気付いたことはある?」
「切り口が鋭い、です」
即答した。
見た瞬間からおかしいと思っていたのだ。
刃物か切断魔法で切られたような、真っ直ぐな切り口だった。
少なくとも、経年劣化ではあり得ない。
「ここに誰かが侵入して切断したってことですよね?」
「うん、そういうことになるね」
シロウ様は私の回答に満足そうに頷いた。
私はさらに考え込む。
ここに入るには、壁に魔力を流さないといけない。
しかも、ツバキ先輩が倒れてしまう程度に大量の魔力を、だ。
二人以上で手を組んで侵入した?
……それだけなら、たまたま侵入できただけかもしれない、と思えた。
でも、侵入者が手を出したのは、動力炉そのものではなく、血を送り込む管のほうだったのだ。
破壊するにしても、狙いが的確すぎる。
きっと、予め動力炉の仕組みを知っていたんだ。
「……シロウ様。以前、『ユヅキが行方をくらませた』って言ってましたよね?」
「うん、そうだね」
「ユヅキは自力で脱出したんですか? それとも、誰かが外に出したんですか?」
「誰か?」
「はい。例えば……『魔狩り』とか」
――ユヅキに対して、ずっと疑問に思っていることがあった。
どうして『魔狩り』なんかと組んでいたんだろう、と。
純血の魔法使いなら、逃げるにせよ、静かに暮らすにせよ、復讐するにせよ、人間なんかと群れる必要はない。
でも、ユヅキは『魔狩り』に与していた。
ユヅキを解放した『魔狩り』に恩義を感じてか、見返りとして要求されたか、その方が復讐しやすいと思ったからか……そんなところだろう。
「……実は、魔物制御装置の動力炉からユヅキが抜け出した手口は、まだ特定できていないんだ」
「そう、だったんですか」
「うん。私が帰ったときには、ユヅキ以外の魔力の痕跡が残っていなくてね」
シロウ様はそう言うと、急に目つきが鋭くなった。
「ただシヅさんの言う通り、状況から見て『魔狩り』が手を貸したんだろうと思ってる。魔力の痕跡を消すのが特別上手い魔法使いが、ね」
その口ぶりは、まるで心当たりがあるかのよう。
『魔狩り』にそんな魔法使いがいる?
もしシロウ様でさえ尻尾を掴めない相手だとしたら、とても厄介そうだ。
「シヅさんは天候制御装置の故障も『魔狩り』の仕業だと思ったのかな?」
「はい。あ、でも……」
「どうしたの?」
私は水槽を見上げた。
「ユヅキが抜け出したのも、天候制御装置の故障も『魔狩り』の仕業だとしたら、どうして|天候制御装置の魔法使い《この人》は解放しなかったんでしょう?」
ユヅキは魔物制御装置から解放され、『魔狩り』に与している。
でも、天候制御装置の『部品』は捕らわれたまま。
もしも『魔狩り』が戦力の増強を考えるなら、この純血の魔法使いだって仲間に加えるだろうに。
「確かに、それは気になるけど……。今はとにかくユヅキを見つけ出すことを優先かな。どうやってユヅキが抜け出したのか、協力者がいたのかは、本人に聞けばいいだけだから」
「確かに、そうですね」
私が頷くと、シロウ様が微笑んだ。
「よし、それじゃあ、これは修理しておかないとね」
シロウ様の魔力が切れた管と管を引き寄せた。
切り口がぴったりと合わさると、魔力をテープのようなものに変えて切り口をぐるぐると覆っていく。
応急処置みたいだけれど、もう血は落ちてこない。
今まで零れていた純血の魔法使いの血液が、上へ上へと押し上げられていくのを感じる。
壁の青白い光が一段と輝きを増した。
動力源を得て、天候制御装置の機能が回復したのかもしれない。
やっぱり、シロウ様が魔力を操る技術は、すごい。
この濃い魔力が充満している状況で魔法を使ったら、私だったら暴発させてしまう。
「さて」
シロウ様がまた一つ魔法を使うと、床に広がっていた血だまりが宙に浮き、真っ赤な血の玉ができた。
すごい魔力の量。
たったあれだけの大きさしかないのに、私よりずっと魔力が多い。
恐ろしいのに、とても惹かれる。
「それ、どうするんですか?」
じっと見ていると、シロウ様が私に近づけてきた。
「純血の魔法使いの血は魔力量が多すぎるから、悪用されないように適切に処分するんだよ。それに、これだけ魔力が濃ければきっとこの中には――」
シロウ様が動力炉を見ながら、何か話を続けている。
けれど私は、真っ赤な血の玉から目が離せない。
キラリキラリと瞬いて、きれい。
まるで――食べなさい、と言われているかのよう。
よくよく見ると、サクランボみたい。
なんだか、美味しそう……。
「シヅさん!?」
シロウ様の声で我に返る。
が、遅かった。
私は純血の魔法使いの血をごくんと飲み下した。
じわあっと鉄錆の匂いが鼻を抜ける。
私、何でこんなことやっちゃったんだろう!?
「シヅさん、身体は大丈夫!?」
「え? は、はい、だいじょう――」
視界ががくんと揺れる。
あ、倒れる。
何度か経験していて知っている。
すぐに力が入らなくなる。
膝が折れ、瞼がゆっくり閉じて、真っ暗になる。
遅れて床に倒れ込む衝撃が――こなかった。
代わりに、ふわりと何かが私を包み込む。
ドクンドクンと鼓動が聞こえる。
シロウ様が抱き留めてくれた。
「シヅさん? シヅさん!」
シロウ様が慌ててる。
珍しい。
大丈夫です、と言いたい。
でも、もう、唇も動かない。
「あーあ……」
そんなシロウ様の呆れた声を最後に、私の朱雀領での社会科見学は幕を閉じた。
私は魔法士官学校で意識を取り戻すまで、ぐっすりと眠ることになる。
……同じ塔の中で、もう一つの騒動が起きているとも知らずに。
次話投稿は 2026/10/8 21:00 です。




