78.魔法使いと天候制御装置(1/5)
その日、太陽が地平線から顔を出したころ、私たちは幌馬車に乗り込んだ。
延期になるかもと言われていた『天候制御装置』の社会科見学が、予定通り実施されることになったのだ。
ただ残念なことに、魔法士官学校の馬車に破損が見つかり、社会科見学に行く生徒は一年魔法特科と工学科の三、四年生だけになった。
私たちが向かうのは夏炎州朱雀領。
夏炎州は砂漠があったり、山肌が露出した険しい岩山があったり、『黒の森』が近くて魔物が多かったりと、他州と比較すると人間が住むにはなかなか厳しい土地だ。
けれど、朱雀領は首都に近いこともあって、夏炎州の中では比較的穏やかで過ごしやすいところだと習った。
天候制御装置の不調が疑われることや、魔物の活動が激化していること、少人数での社会科見学になってしまったこと……異例の事態ばかりで心配も大きい。
けれど同時に、初めて踏み入れる土地への期待でいっぱいでもある。
朱雀領内に入ったころ、私は無性に気になって、幌馬車から外を覗いてみた。
短草が満遍なく大地を覆っている。
遠くで馬や羊が草を食む姿が見える。
そしてそのずっと向こうに、空に向かって伸びる影が浮かんでいる。
まるで巨大な槍が、地上から天を貫こうとしているみたい。
「あれが、天候制御装置……!」
つい声が出た。
あまりに大きかったんだもの!
「おっきーい」「でっか……」
ハクト君とトウマ君も思わずといった様子で同時に呟く。
「意外と近かったわね」とマリカが言った。
けれど、それは天候制御装置があまりに大きくて距離感が分からなくなっていただけだった。
そこからさらに一刻ほど幌馬車に揺られてようやく、私たちは朱雀城の城門に到着した。
朱雀城の城壁は、これまでに見たどの城壁よりもずっと高い。
その城内に、さらに比較にならないほどの高さを持つ天候制御装置が立派に聳えている。
馬車を降り、天候制御装置を見上げて呆けていると、突如、怒号が響いた。
「到着が遅い! せっかく天候制御装置の見学を許可してやっているのに、何様のつもりだ!」
その声のしたほうを見ると……背が低く小太りで、ちょび髭は立派なのに頭髪は心許ないおじさんが、顔を真っ赤にしてミチル先生とタクミ先生に喚いていた。
「お出迎えいただきありがとうございます、朱雀伯。お待たせしてしまい申し訳ございません」
ミチル先生はそう言って、タクミ先生と一緒に恭しく頭を下げた。
一応申し訳なさそうにするミチル先生と違って、タクミ先生は無表情だ。
この人間が、朱雀領の伯爵様かあ……。
「魔法使い風情が、私の時間を無駄にして! 謝ればそれで済むと思っているのか!」
私たちはそっと目を逸らす。
そういうふうにミチル先生とタクミ先生から言われていたのだ。
――「見るに堪えないから覚悟しておけよ」
――「腹が立ったら、目を逸らして、聴覚も遮断しておけ」
……でもまさか、朱雀伯がここまで性根の醜い人間だなんて、想像をはるかに超えていた。
気分が悪い。
そもそも、到着予定時刻よりまだ早いのだから、怒られる義理なんてない。
朱雀伯が勝手に待っていたのだ。
恐らく、難癖を付けるためだけに。
正直、文句を言ってやりたかったけれど、「面倒になるから、お前たちは絶対に入り込んでくるなよ」とこれも予めミチル先生に釘を刺されていたので、私たちは見ないふりをしていた。
「大体、これだけとはどういうことだ! 四台の馬車で来ると聞いていたのに、なぜ二台なのだ」
「早馬でお伝えした通り、馬車に破損が見つかりまして」
「そんなことなど知るか! せっかく私が朱雀城を開放してやるというのに、私の厚意を無下にしおって!」
なんて押しつけがましい。
馬車の破損が大事故に繋がるかもしれないのに、生徒の無事より自分の面子を取るなんて。
その上、そんなことで他人を怒鳴りつけるなんて、理解できない。
……いや、理解できるわけない。
きっと朱雀伯は、とにかく魔法使いを叱りつけさえできれば、理由なんてどうでもいいのだ。
そう分かっていても、こう理不尽に怒鳴り散らされると気が滅入ってくる。
『まったく、今年もか』
『毎年ミチル先生も大変だなあ』
『とっとと終わらねぇかなぁ』
通信魔法が聞こえた。
朱雀伯の様子に変化はない。
きっと人間には聞こえないよう調整されているんだ。
『おい、ツバキ。朱雀伯、侯爵権限で何とかならないのかよ』
『毎年申し送りはしているよ。ただ、夏炎州のことなので難しいようで……』
『あ、ごめん。申し送りしてたんだ……』
『侯爵家でもどうしようもないこともあるもんなんだなあ』
工学科の先輩たちの会話が通信魔法に乗って飛び交う。
ツバキ先輩まで。
先輩方、すごい胆力だなあ……。
いや、私たちが沈んでいるから、わざと明るく会話してくださっているんだろう。
気を遣わせてしまって申し訳ないけれど、息の詰まるようなどんよりとした空気が紛れるのは有難かった。
その空気が、不意に一変した。
「朱雀伯、お話し中のところ恐れ入ります」
そう言って、一人の魔法使いがミチル先生を庇うように割り込んだのだ。
シロウ様だった。
そう、今日の社会科見学はシロウ様も同行していた。
むしろ『黒烏』が同行しているから、今日の社会科見学が敢行できたのだ。
今日のシロウ様は至って普通。
夏炎侯爵家の家紋が入った紅色の外套に身を包み、先日のような化粧もしていない。
それなのに、その美しい笑顔だけで周囲を圧倒した。
今まで威勢の良かった朱雀伯もたじろいだ。
けれど、相手が魔法使いと見ると、再び声を張り上げた。
「なんだお前は! 私の話を遮るとはなんと無礼な!」
「夏炎侯爵家八男のシロウでございます。お目にかかるのは、貴殿の叙爵式以来ですね」
あくまで貴族然と対応するシロウ様に対し、朱雀伯は『夏炎』と聞いて目を白黒させていた。
なんとなく、朱雀伯が考えていることが読み取れる。
夏炎侯爵家への礼は尽くさなければならない。
でも、シロウ様自身に爵位はなく、しかも魔法使いだ。
敬うべきか、蔑むべきか。
朱雀伯は迷いに迷って……結果、偉そうな態度は崩さず、しかし語気を弱めて言った。
「……うむ。それで何用だ? なぜ我が朱雀に?」
「皇帝陛下より、視察の先遣を仰せつかりました。こちら、勅書でございますが――」
シロウ様が取り出した勅書を、あろうことか朱雀伯は荒々しく奪い取り、乱雑に開く。
内容を読み進めるにつれ、朱雀伯の表情は曇り、最後は苦虫を噛み潰したような渋い顔を上げた。
「……確かに」
「皇帝陛下は、広大な草原にそびえる美しい朱雀城を心待ちにされているようでした。ご期待に背かぬようお願いしますね」
「……うむ」
歯切れの悪い返事。
人に対して礼儀がどうこう言っていた人間が、勅使に対して頭も下げないなんて。
私やマリカはその無作法にムッとした。
ミチル先生やタクミ先生が呆れた視線を送る中、ツバキ先輩は暗く冷たい眼差しで朱雀伯を見ていた。
でもシロウ様は一切気に留めていないようで、美しい笑顔を湛えたまま言った。
「では、私は朱雀城周辺の安全確認を行います。まずは朱雀城の城下町から」
「ま、待ちなさい! 魔法使いが勝手に行動するな!」
歩き出したシロウ様の後ろ姿に朱雀伯は叫んだ。
けれど、シロウ様はそんなのどこ吹く風といった感じで足を止めない。
朱雀伯はシロウ様を追いかけようとして、思い出したかのように振り返った。
「遅れた罰として、装置の外壁を綺麗にしておけ! いいな、皇帝陛下がいらっしゃるのだ、少しの汚れも見逃すんじゃないぞ!」
朱雀伯は小走りでシロウ様を追って行ってしまった。
シロウ様、きっと私たちから朱雀伯を遠ざけてくれたんだろうな。
次話投稿は 2026/9/20 21:00 です。




