77.魔法使いと首都豪雨(2/2)
眠りにつくまで降り続けた雨は、翌朝には止んでいた。
水たまりを避けながら登校するさなか、心地の良い風が吹き抜け、ふと空を見上げる。
空が高い。
昨日のどんよりした雨雲を見たあとだから、余計に。
「なんだか、秋っぽい空になってきたわね」と私の隣で空を見上げるマリカが言った。
確かに、ちょっとずつ秋めいてきた。
暦のうえではまだ夏だけれど、ここ最近の朝晩は随分と過ごしやすくなってきた。
昼間は暑いけれど、むしむしとした不快な暑さは鳴りを潜めた感じがする。
朝の会では、ミチル先生が深刻な顔をして言った。
「昨日の雨はひどかったな。何もなかったか?」
みんな、様子を窺いながらも首を横に振る。
基本的に雨天日は室内で静かに過ごすことになっているので、私以外のみんなは外出せず、特に被害もなかったらしい。
「実は、昨日の雨は皇宮にまで降ってな。幸い、どこも災害にはならなかったんだが、この異常気象には『首都豪雨』って名前をつけて調査することになった」
被害が小さかったことには安堵しつつ、でも、なんとなく不安は拭えなかった。
ああいうひどい雨は、白陰領にいたころは何度も経験した。
けれど首都は『天候制御装置』に守られている。
特に皇宮は雨が降らないようにできている。
もしかして、騰蛇城の魔物制御装置と同じように、天候制御装置も誰かに壊されたんじゃ……。
今はもう何事もなかったかのように澄み渡る空を見ても、気持ちは晴れない。
「場合によっては、今週の社会科見学は延期か、最悪中止になるかもしれない」
「えー」
ミチル先生の言葉に、ハクト君が唇を尖らせる。
なんせ、今週行くはずだったのは天候制御装置なのだ。
私が勘付くくらいだから、きっとミチル先生やもっと偉い方々は、天候制御装置の不調だと睨んでいるはず。
それなら、私が不安に思っていても仕方がない。
きっと、すごい方々がなんとかしてくれる。
それを信じて待つしかない。
私も天候制御装置に興味があるから、早くなんとかなって、見学に行けるといいな。
それに、天気が保証されていないのって、ちょっと不便だもの!
……上京する前はそれが当たり前だったのに、私もすっかり都会色に染まってしまったな、とおかしく思った。
※ ※ ※
次の日も当然のように晴れた。
地面もすっかり乾いて、いつも通りの景色だ。
ただ、昼休みの食堂では、いつもより空気が浮ついていた。
「今、魔法士官学校に『黒烏』が集まっている」
そんな噂が囁かれているのだ。
普段『黒烏』は自分のことを『黒烏』だと喧伝しない。
その上、任務をひっそりと遂行する傾向があるのでその姿にお目にかかることは難しい。
校長先生も『黒烏』の一員だけれど、校内ではあくまで『校長』であって、『黒烏』として働くお姿は見たことがない。
一目見てみたい! という気持ちは分かる。
そうして私たちが昼食を食べ始めようとしたとき――
「『黒烏』の方が出てきたらしいぞ!」
その声が響き渡ると、みんな、我も我もと駆け出して行ってしまって、私たちはがらんとした食堂に取り残された。
「『黒烏』……」
トウマ君はそう呟いて、みんなが駆けていったほうをじっと見つめていた。
明らかに興味津々な表情をしている。
「トウマ君、気になる?」
「ああ、まあ。でも、飯が冷めるしな」
「そんなの魔法で温め直せばいいじゃない。せっかくだし、行ってみましょうよ」
そう言うマリカが一番そわそわしていて、笑い声が漏れそうになった。
「じゃあ行こっか」
私たちは立ち上がった。
……ハクト君を除いて。
「ハクト君は? 行かないの?」
私が尋ねると、ハクト君は白けた顔をした。
「んー……。僕はいいかな。お腹すいちゃったんだもん」
「そう? それじゃあハクトは、先に食べてて頂戴」
「一人で食べるの寂しいから、早く戻ってきてよねー」
「うん、分かった」「はいはい」「悪ぃな、ハクト」
私とマリカとトウマ君は思い思いに返事をしてから、三人で食堂を後にした。
小走りに正門へ向かうと、そこにはすでに人だかりができていた。
花道のように伸びた人の列の、比較的すいているところから顔を覗かせる。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
正門に止まる馬車と、正面玄関から一直線に伸びる紅い絨毯。
馬車は誰が見ても分かるほどに煌びやかで豪奢な造りだ。
漆を塗った艶やかな胴、金の車輪に、窓から覗くカーテンだって華やかな光沢を放っていて、なんといっても四頭立て。
車体には魔法士官学校の校章が大きく掲げられているものの、私たちが社会科見学に行ったときに乗った幌馬車とはまるで違う。
間違いなく、来賓用の――それも相当偉い人向けの馬車だ。
「すげぇな……」
「うちの学校、こんな立派な馬車もあったんだね」
「ほんと、どんなお偉方を乗せるのかしら」
三人で圧倒されていると、正面玄関の扉が開け放たれる。
生徒の視線を一身に集めながら、真っ白な外套に全身を包み、背筋をしゃんと伸ばした魔法使いが、絨毯の上を歩く。
おおっ、という感嘆の声と、きゃあっ、という黄色い歓声が同時に上がる。
私は……息が止まってしまった。
シロウ様だ。
でもそれは、魔力の気配で予め分かっていた。
それなのに、目を見張ってしまった。
まさか、こんなにも粧し込んでいるなんて!
顔はもちろん、首筋や鎖骨、手指までもが白粉で真珠のように上品な輝きを放っている。
目尻や唇、両手の爪には朱が入り、なんだか色っぽい。
そこにさらに、生まれ持っての漆黒の艶やかなお髪に、金色の虹彩。
貴公子? 美丈夫? 麗人?
とにかく、形容できないほど美しい男性がそこにいる。
女子生徒だけじゃなく、男子生徒まで、その雰囲気に呑まれて魅了されてしまっている。
でも私には――なんだかお疲れのように見えた。
……それもそうか。
天候制御装置の異常で至急呼び出され、今しがた身支度を終え、これから皇宮に向かう……といったところだろう。
あれほどの格好をしているということは、謁見が控えているはず。
丸一日かけて馬車でやって来たのか、転移魔法を使い倒してやって来たのかは分からないけれど、どちらにしても大変だっただろうな。
その上、こんな装束に身を包んでいたら、息が詰まりそう。
しかもシロウ様が呼ばれたということは、騰蛇城の魔物制御装置の故障と何らかの関係があると思われているのかも……。
疲労困憊で虚ろな金色の目が、一瞬、私を捉えた。
刹那、ほんの少しだけ表情が緩む。
ただそれだけで、私は嬉しくなった。
でも、私は表情を押し殺し、まるで知らない人とたまたま目が合っちゃったような、ぎこちない会釈をした。
……こんなにも魔法士官学校の生徒がいる前で、私とシロウ様に接点があると思われないほうがいいから。
シロウ様も同じように思ったみたいで、もう私とは視線を合わさず、私の前を過ぎ去っていった。
私はずっとその背中から目が離せなかった。
馬車が走り去るまで見送って、それでもなんだか熱に浮かされたような気分で食堂へ戻った。
次話投稿は 2026/9/19 21:00 です。




