72.魔法使いと社会科見学(3/4)
どっと全身から汗が噴き出す。
当然、縁談が来ていたことすら知らなかった。
だって父が勝手に断ったんだもの。
でも、これは断って当然。
生徒と教師という間柄でそういうのは、倫理的に絶対ナシ!
「ねぇあなた、子爵家の長女を名乗っているけど、養子なんですってね?」
「は、はい、仰る通りです」
「よかったわねえ」
明らかに棘がある言い方だった。
私が内心もやもやとしているうちに、青龍伯爵夫人は続ける。
「おこぼれで貴族になれて十分幸せでしょう? これ以上は欲張らないほうが身のためよ」
「……何を仰っているのか分かりません」
「あらまあ。そんな頭で侯爵令息の婚約者が務まるのかしら?」
ああ、なるほど。
青龍伯爵夫人は、私とツバキ先輩との婚約が不満なんだ。
私が頭を下げたまま黙っていると、青龍伯爵夫人はさらに続ける。
「ああ、いじわるを言っているわけではないの。あなたのためを思って言っているのよ? 侯爵家と子爵家だなんて、家格が釣り合わないもの。……あなた、社交界でなんて言われているか知っていて? 魔法使い風情が身の程知らずねえ、ですって」
いかにも心配しているような口ぶりから、愉悦が滲み出ている。
青龍伯爵夫人はきっと、私が怯えて動けなくなっているのだと思っているんだろう。
もちろん、そんなことはない。
相手にするのも面倒だから、やり過ごしているだけ。
社交界がどうと言われても、正直、ピンとこない。
そもそも、外野がどう言おうと、私とツバキ先輩は『偽装婚約』しているだけ。
何を言われようと、ムキになる気は起きない。
「ねえ、『侯爵家との縁談なんて分不相応だった』って断ってしまいなさいな」
嬉々とした声だった。
……まあ、これが言いたかったんだろうな。
「婚約破棄なんて体面が悪くなるでしょうけど、でも大丈夫、キズのついたあなたには息子をあてがってあげるし、侯爵令息はうちがもらってあげる。魔法使いとはいえ侯爵令息なら役に立つでしょうし――」
「お断りします」
私はきっぱりとそう言い切った。
私自身が見下されるのは仕方がない。
魔法使いだし、下級貴族だもの。
でも、ツバキ先輩のことを物のように扱われるのは、さすがに腹が立つ。
私は顔を上げ、背筋を伸ばす。
おのずと、青龍伯爵夫人を見下ろす形になった。
「私のためのご助言、ありがとうございます。でも、ご心配には及びません。すべて承知のうえで、私は好きで侯爵令息と『偽装婚約』しているんですから」
にっこりと、でも嫌味たっぷり、言い返せたと思う。
その証拠に、青龍伯爵夫人は目を吊り上げ、真っ赤な唇は品無く歪んでいる。
「下賎の生まれのくせに生意気な……!」
「その言葉、そっくりお返ししましょうか」
唐突な声に振り返ると――
「タクミ先生……?」
なんでここにいるんだろう?
今日は他のクラスを引率するんじゃなかったっけ?
険しい顔をしたタクミ先生が近付いてきて――ハッと我に返る。
青龍伯爵夫人と睨み合うこの状況、どう考えてもまずい。
伯爵家と揉めたと分かったら、きっと怒られる!
……と思ったら、タクミ先生は私を庇うように青龍伯爵夫人の前に立ち塞がった。
「さすが下賎の生まれは品がない。愛妾に甘んじておけばよかったものを」
「お前……!」
青龍伯爵夫人の顔は見えない。
けれど、声が怒りで震えているのは分かる。
どんな形相なのかは明らかだ。
それでもタクミ先生はピンと背を伸ばしたまま、微動だにしない。
そのうち青龍伯爵夫人は、近付いてくる足音に気が付いて、ギリ、と歯軋り一つを残し、退散していった。
タクミ先生はその後も、青龍伯爵夫人の姿が見えなくなるまでずっと、私を背に隠して守ってくださった。
「もう大丈夫だ」
そう言ってタクミ先生は振り向いた。
まるで何事もなかったかのように平然としていた。
「助けていただきありがとうございます」
「礼は要らない。人間の話を真に受けないように」
無表情のまま、鋭い声でタクミ先生は言った。
けれど、タクミ先生なりに気遣ってくださっていることは分かる。
「シヅ、ここにいたのか。……って、あれ、タクミ?」
近付いてきていた足音はミチル先生のものだった。
どうしてここに、と言いたげに不思議そうな顔をしたミチル先生に、タクミ先生は眉を顰め、ミチル先生へと詰め寄る。
「生徒から目を離すな。夫人に詰められていたぞ」
「……母から?」
ミチル先生の顔が険しくなる。
さっきのやりとりをミチル先生が知ったら悲しむと思い、私は誤魔化そうとした。
「あの、大したことではなくて――」
「縁談がどうのと言っていた」
「は? 縁談?」
そう言ったあとミチル先生はハッとして、途端に顔色を悪くした。
「……そうか、すまなかった」
それを見たタクミ先生は何かを察し、軽蔑の眼差しでミチル先生を睨む。
「ミチル、君、まさか……」
「いやいやいや、俺じゃない! 母が勝手に、シヅに縁談を申し入れてたらしくて……、俺だって白陰子爵に凄まれて初めて知ったんだ!」
ミチル先生は必死の形相で弁明していた。
これはたぶん、嘘ではなさそう。
「あの、私は特に気にしてはいませんので……」
「本当にすまない……」
ミチル先生の大きな身体が小さくしぼむ。
それを見ても、タクミ先生はまだミチル先生へ疑いの眼差しを向けている。
そんなミチル先生のことが本当に気の毒に思えて、私は話題を逸らそうと目いっぱい明るい声で言った。
「タクミ先生が助けてくれたんです! すごくかっこよかったんですから! ピシャッと一言で撃退したんですよ! タクミ先生、貴族事情にお詳しいんですね!」
「当然だろう、僕は青龍伯爵の息子なのだから」
「……え?」
タクミ先生、冗談を言ってる?
……いや、そんな顔じゃない。
「でも、さっきの、青龍伯爵夫人は人間じゃ……」
「あれは後妻。僕は前妻の子だ」
タクミ先生が青龍伯爵の息子ってことは、青龍伯爵令息?
それ、さっきも同じ立場の方がいらっしゃったような?
「俺とタクミは兄弟なんだ」
「えっ」
ミチル先生の言葉に、私は固まった。
この筋肉隆々で大らかなミチル先生と、細身で神経質なタクミ先生が、兄弟?
……似てない。
何度も二人を見比べ、なんとか共通点を見つけようとした。
どちらも黒い髪をしている。
……魔法使いは大体みんなそうだ。
どちらも青い目をしている。
けれど、抜けるような空色のミチル先生と、深い水底を覗いたような群青色のタクミ先生では、まったく印象が異なる。
視線を左右させるうち、ミチル先生は笑いを堪えて肩が震え出し、タクミ先生は眉間の皺を深めていく。
……似てない。
「えっと、ミチル先生がお父様似で、タクミ先生はお母様似……とか?」
私の言葉に、遂にミチル先生が吹き出した。
「あっはははっ! 兄弟といっても、俺は養子なんだよ」
「もう! 最初にそう言ってください! 道理で似てないと思った!」
「悪い悪い」とミチル先生はちっとも悪いとは思っていない謝罪をした。
「生徒を揶揄って遊ぶな」とタクミ先生は呆れたように釘を刺す。
ミチル先生の軽口がいつも以上に軽いし、タクミ先生の声音がいつもより少し柔らかい気がする。
血はつながっていなくても、本当に兄弟なんだな。
そう思ったそのとき、二人が同時に前髪を掻き上げる。
緩慢な動き、前髪を流す角度、さらに最後に「はあ」と同時にため息をついた。
似てる……!
それはもう、まるで仕込まれたかのように息ぴったりで、今度は私が噴き出してしまった。
次話投稿は 2026/9/4 21:00 です。




