70.魔法使いと社会科見学(1/4)
紅国には『遺物』と呼ばれるモノがある。
『建国の賢者』が造った、大規模な魔装置の総称だ。
雨天日を制御する天候制御装置や、騰蛇城にある魔物制御装置もその一つ。
社会科見学ではその遺物をいくつか見学することになっている。
今日は春花州青龍領にある遺物『製薬工場』を目指して、一年生と、工学科の生徒が朝から幌馬車に揺られていた。
この馬車には魔法特科のほかに、普通科や建築科の同級生がいて、車内は賑やか。
みんな、この社会科見学のために遺物の知識を詰め込む授業が続いたので、外に出られて生き生きしている。
「なんだか遠足みたいだな」とトウマ君が呟く。
浮かれた雰囲気に戸惑っているみたい。
それを聞いてマリカが笑う。
「あら、いいじゃない。私も楽しみよ。遺物なんて普通は入れないもの」
すかさず私も言った。
「うん、私も楽しみ! 初めて行くところってワクワクする!」
「僕も! 美味しいものあるといいなー!」と、ハクト君は相変わらずだ。
そうして太陽が真上に来たころ、私たちは無事、青龍領までやってきた。
馬車は城下町を抜け、製薬工場の敷地で止まった。
私たちは馬車を降りて、うーんと伸びをして深呼吸をした。
ふわり、青々とした不思議な香りが鼻を抜けていく。
初めて嗅いだ香りだけれど、イヤじゃない。
知らない土地に来た実感が湧いて、胸が高鳴った。
「よし、それじゃあまずは腹ごしらえを――」
「ミチル、おかえりなさい」
ミチル先生の声を遮ったのは、甘やかな女性の声だった。
声のしたほうへと振り返ると、緑色のドレスで着飾った人間が立っていた。
人間らしい、亜麻色の髪に萌黄色の目という明るい色合い。
目元やほうれい線に年齢は出ているけれど、ばっちりと化粧をしていて、特に紅の乗った唇が目を引く。
その女性に向かって、ミチル先生は丁寧にお辞儀をした。
「どうも、お母様。お元気そうでなによりです」
私たちは顔を見合わせた。
「お母様って言ったわよね?」
「言った!」
「お母様は筋肉質じゃないんだねー」
マリカと私とハクト君でこそこそと話していると、ミチル先生が聞こえているぞと言いたげにこちらを見て、すぐに女性に向き直る。
「……珍しいですね、お母様が遺物に来るなんて」
「あなたの生徒さんたちの顔を見てみたくて」
そう言ってミチル先生のお母様が私たちに近寄ってくる。
「ミチルの生徒さんたち、初めまして。青龍伯爵夫人、と言えば通じるでしょうか」
女性の言葉に、みんな、呆気にとられた。
青龍伯爵夫人?
この方が?
ミチル先生のお母様が!?
我に返り、みんな一斉に頭を下げた。
「し、失礼いたしました! 黒陽子爵家長女マリカと申します!」
「白陰子爵家長女シヅと申します!」
「白虎伯爵家のトウマです」
「平民のハクトでーす」
挨拶をしながら、心の中は混乱真っ只中だ。
この方が青龍伯爵夫人で、且つ、ミチル先生のお母様ということは――つまり、ミチル先生は青龍伯爵家のご令息ということ。
ミチル先生、貴族だったの!?
しかも伯爵令息!?
「まあまあ。面を上げて、楽にしてくださいませ」
その言葉で頭を上げ――気付いた。
青龍伯爵夫人の目が冷たい。
まるで値踏みされているような視線に、背中にじわりと嫌な汗が浮き出てくる。
「どうぞごゆっくり見ていってくださいまし」
青龍伯爵夫人は微笑を張り付けてそう言うと去っていった。
その姿が見えなくなった途端、一斉にみんなの視線がミチル先生に集まる。
気まずそうなミチル先生に、トウマ君が言った。
「ミチル先生、伯爵令息だったんすね……」
「いやあ、はは……。驚かせてすまない……」
大柄なはずのミチル先生が、今はひとまわり小さく見えた。
※ ※ ※
手早く昼食を済ませた私は、周囲の散歩を始めた。
この遺物――製薬工場は周囲を高い石塀で仕切られている。
その向こうにそびえる青龍城は暖かな色合いなのに、遺物の石塀や建物はずんぐりと重い鼠色。
でももの悲しさを感じないのは、薬草畑が彩り豊かなお陰だ。
たくさんの青草や中低木が茂り、なかには見慣れない花や実をつけているものもある。
きっとそれぞれ薬効が違うんだろう。
「シヅさん、こんにちは」
背後からかけられた声に私は振り向く。
「こんにちは、ツバキ先輩」
いずれ顔を合わせるだろうと思っていたから、ご挨拶できてよかった。
初めての土地でも、ツバキ先輩の穏やかな笑顔を見ると安心してしまう。
「シヅさんは、青龍は初めてでいらっしゃいますか?」
「はい! こんなに広い薬草畑も初めて見ました。いい香りがして落ち着きますし、のどかでいいところですね」
私はそのままツバキ先輩と一緒に薬草畑に沿って歩き出す。
ツバキ先輩は視察のため何度もこの製薬工場を訪れているそうだ。
「この辺りの薬草が、製薬工場で薬になるんですよね?」
私が尋ねると、ツバキ先輩は頷いた。
「ええ、その通りです」
「製薬の知識がなくても作れるって習いましたけど……」
「ええ。魔法使いであれば、基本的には誰でも作ることができます」
ツバキ先輩は奥に並ぶ大きな建物を示しながら言った。
「まずは薬草をあちらのサイロに入れ、隣にある動力棟で魔法使いが魔力を注ぎます。あとは魔装置が製薬を行い、手前の倉庫に送られます」
「確か……一定間隔で、一定量ずつ、魔力を注ぐんですよね?」
「はい、よくご存じですね」
「……それはそれで大変ですよねえ」
誰でもできるのかもしれないけれど……、簡単だとは思えない。
魔力を供給し続けるには、魔力はもちろん、忍耐力や集中力も不可欠だ。
工場は、魔力量がやや少ない魔法使いが交代制で稼働させている、と先日習った。
あんまり魔力量が多すぎても工場勤務に向かない、とも。
要は適材適所。
魔力量の多寡に関わらず、どんな魔法使いだって、紅国を支える大切な仲間であることに違いはないのだ。
ツバキ先輩の説明を受け、ふと思ったことを口にした。
「……製薬工場に何度も来られているのなら、今日は退屈なんじゃないですか?」
「とんでもない! 何度来ても新しい発見がありますし、何度見ても『建国の賢者』様の発想には驚かされます。それに、今日は建物の中まで入れることになっていまして! いつでも見学できるわけではないので、本当に楽しみです!」
ツバキ先輩が目を輝かせていて、なんだか私まで嬉しくなってくる。
そんなときだ。
「ツバキさまー!」
可愛らしい声が響き渡った。
次話投稿は 2026/8/29 21:00 です。




