66.魔法使いと離郷(1/1)
約束の時間ちょうど、春花侯爵家の家紋が入った馬車が家の前に止まった。
中からツバキ先輩が降りてきて――目を瞬かせた。
「こ、こんにちは、ツバキ先輩」
「こんにちは、シヅさん。お元気そうでなによりです」
私が声をかけると、ツバキ先輩はぎこちなく微笑み、気まずそうに言った。
「ええっと……。前回、白陰領にお伺いした際には、この区画は雑草が茂っておりましたが、耕したのですね?」
「あ、えっと、いつの間にか、植えられてました……」
「……では、あちらの風車。先日は迷彩魔法で隠されておりましたか?」
「いえ、いつの間にか建っていました……」
「あの、誠に失礼ながら、屋根はこのようなお色味でしたか……?」
「いえ、以前は赤茶の、何の変哲もない屋根瓦でした……」
……ツバキ先輩が驚くのも無理はない。
騰蛇から私が帰って来たときにはすでに、荒れ地が耕され、風車が建ち、極めつけに、白陰子爵邸の屋根瓦が一段ごとに色を変え、虹色になっていた。
ツバキ先輩はこの一連の変化に思い当たる節があったようで、深く深く、膝に額が付くんじゃないかと思うほど、頭を下げた。
「レイさんが、ご迷惑をお掛けいたしました……」
顔を上げたツバキ先輩は、本当に申し訳なさそうに眉尻をぺしゃんと下げていた。
「謝られることなんてないです! レイさん、たくさん魔物を退治してくださって助かりました! 本当です!
ちょうど手つかずの土地をどうしようか悩んでいたところでしたし、風車は地下水を汲み上げてくれるようになって、みんな喜んでます!
それから……、えーっと、ほら、こんな何もない辺鄙なところですから、ちょっとくらい派手なほうが気分が明るくなりますよ! ね!」
ツバキ先輩が気にするのは仕方ないとはいえ、私たちにとっては実利も大きく、誰かを責める領民なんていない。
……虹色の屋根はセンスがないなあと思うけれど。
「あ! そうだ! 実はツバキ先輩にお渡ししたいものがありまして!」
強引に話題を変える。
私は外套の内ポケットから深緑色の化粧箱を取り出し、蓋を開けてから、ツバキ先輩に両手で差し出した。
ツバキ先輩のしょげた顔が一転、驚いた表情に変わった。
「まあ! 素敵な耳飾りですね。護石でしょうか?」
「はい! これはその……結納返し、です」
そう、結納返し。
そういう体裁で渡すように、とシロウ様に指示された物だ。
私とシロウ様の『偽装婚約』が公にならないために。
――「シヅさんだけがピアスなんか付けていたら、周りがいろいろ詮索するだろう? そんなことされて、ピアスの出所が私だとバレたら大変だ。だから、シヅさんからツバキ君に結納返しとしてお揃いの物を贈ったことにしよう」
そういう事情で結納返しを贈ることに、私はちょっと抵抗があった。
でも、誰かから「そのピアスは何?」と聞かれたらうまく誤魔化せる自信がないので、シロウ様の意見に従うしかなかった。
面倒なことに巻き込んで本当にごめんなさい、ツバキ先輩……。
私が心の中で謝罪しているとき、ツバキ先輩は化粧箱ごと持ち上げ、ピアスをまじまじと見つめていた。
そこでふと気付く。
……よく考えたら、侯爵令息には似つかわしくない物なんじゃないだろうか。
もっと立派なものをお持ちだろうし、身に付けるのを拒否されたらどうしよう……。
「とても……、とても嬉しいです。ありがとうございます」
予想に反して、ツバキ先輩はいつも以上に深い笑みを浮かべ、心なしか、声が弾んでいる。
けれど、私はやっぱり心配になって、つい謝ってしまった。
「すみません、大した物をご用意できず……」
「そんな! こんなに状態の良い護石、とても貴重ですよ。素晴らしいです。それに……」
そう言いかけて、ツバキ先輩がハッと手で口を覆う。
「それに?」
私が思わず問いかけると、ツバキ先輩はしばらく逡巡してから、恥ずかしそうに言った。
「……実は当家の方針として、みだりに物品を授受することは控えていまして」
「そうだったんですか!? すみません、私、事情を知らなくて! ご迷惑でしたか!?」
「いえ! シヅさんと私は『偽装婚約』していますから、受け取っても問題はありません」
穏やかな笑顔が、さらに綻ぶ。
「贈り物をいただくというのは、こんなにも心が温まるものなのですね」
「そんな、大袈裟ですよ……」
「大袈裟なんてとんでもない。ありがとうございます。大事にしますね」
ツバキ先輩が喜びの言葉を重ねていくたびに、罪悪感が募って、胸がぎゅうっと苦しくなる。
「……私も、ツバキ先輩に喜んでいただけて、とっても嬉しいです!」
私は必死でにっこりと笑った。
幼子みたいに目を輝かせているツバキ先輩に、「結納返しとして贈れ」とシロウ様に指示されたから渡した、だなんて、絶対に知られちゃいけない……!
嘘に嘘を重ねて、本当に、本当にごめんなさい!
心の中で何度も土下座しているあいだにも、ツバキ先輩は護石のピアスを愛おしげに見つめていた。
※ ※ ※
太陽が天辺に差し掛かり、いよいよ出発の時間が近付いてきた。
最初にやってきたのはレイさんだ。
のんきにあくびなんてしながら。
「もう少しこののどかな田舎でゆっくりしたかったのですがねえ」
「とっとと帰ってくださいな」と母。
「魔法石だけになったら来ていいぞ」と父。
レイさんは飄々と笑って流し、御者台へ乗り込んだ。
次にやって来たのは、マリカとマリカのご両親。
さらにヒョウガ君までお見送りに来てくれた。
「シヅ姉さま、マリカ姉さま、お気をつけて」
「ヒョウガ君こそ、身体に気を付けて」
「今度首都に来たときは連絡しなさい。食事くらい連れて行ってあげるわ」
「はい!」とヒョウガ君は眩しい笑顔を向けてくれた。
最後に私とマリカは、それぞれの両親に向き合う。
「何かあれば、手紙を寄越すんだぞ」と言う父は明らかにしょげている。
「身体には気を付けなさいね」と言う母も、ちょっぴり名残惜しそう。
「はい!」
私が返事をすると、父と母が、私をぎゅっと抱き締めてくれた。
私も、もう少しくらい父や母と一緒に過ごしたかったな、と思う。
でもそれ以上に、もっと強くなって早くお役に立ちたい、という気持ちが強い。
だから私は、抱擁から解放されると、両親へ真っ直ぐに笑顔を向けた。
「お父様、お母様、行ってきます」
「行ってらっしゃい」と父母の声が重なる。
私が振り返ると、背後で待つツバキ先輩と目が合った。
「よろしいのですか?」
「はい!」
力強く返事をして、ツバキ先輩の手を取る。
久しぶりの優雅で柔らかなエスコート。
ツバキ先輩との『偽装婚約』が再開するんだなあ、と何とも言えない気持ちになる。
最後に、ツバキ先輩が深く礼をしてから御者台に上がり、間もなく馬車が動き出した。
私とマリカは馬車の中から、みんなが見えなくなるまで手を振り続けた。
しばらくして、馬車が一定のリズムを刻むようになったころ、ふと重みを感じて耳たぶに触れると、マリカがハッとして言った。
「このピアスって、もしかして……結納返し?」
さすがマリカ。
ツバキ先輩とご挨拶したときに気付いたのだろう。
「うん! お揃いになるまで黙ってようと思って」
「憎いことしてくれるじゃない……!」
マリカは悔しそうにしながらも笑っていた。
親友とその婚約者が仲睦まじい、というのは幸せなことだって、私も思う。
……まあ、『偽装婚約』だけれど。
しかもシロウ様とツバキ先輩との『多重偽装婚約』だけれど!
さらにこの夏休みで、またマリカへの秘密が増えてしまった。
ご隠居様のこと、ユヅキのこと、私の魔力量が増えて魔力が見えるようになったこと……。
護石を作れるようになったことだって、秘密だし。
――マリカに隠し事をすることに、後ろめたさはある。
全部話せるのはいつになるだろう?
何十年、いや、百年以上かかるかもしれない。
けれど、私たちは魔法使い。
時間はいくらでも待っててくれる。
それに、もし全てが露見してしまっても、マリカは許してくれる気がする。
じっとマリカを見つめていると、マリカがからかうように笑った。
「なあに、シヅ?」
「新学期もよろしくね、マリカ」
「私こそ、これからもずっとよろしくね、シヅ」
笑顔を交わし合った私たちは、背もたれに身体を預け、それぞれ窓の外の風景を眺めた。
もう一度ピアスに触れる。
秘密を共有しているのが他でもないシロウ様だというのは、ちょっと嬉しいなと思う不謹慎な自分もいる。
早くシロウ様の力になれるように、頑張らないと!
青い青い空の下、馬車は私たちを魔法士官学校へ運んでゆく。
次話投稿は 2026/8/17 21:00 です。




