65.魔法使いの特訓(1/1)
冬雪城から帰ってきたあと、私は白陰領内を見回っていた。
眷属が居着いていないか、実際に歩いて見て回ることにしたのだ。
でも、眷属どころか魔物すら、ちっとも気配がない。
「おや、シヅ嬢。ごきげんよう」
声をかけてくださったのはレイさんだった。
「こんにちは、レイさん! 今日も見回りありがとうございます!」
「なんのなんの、この程度ならいつまでも見回りしたいくらいですよ」
レイさんはホクホク顔だ。
明日にはツバキ先輩が迎えに来るから、最後の書き入れ時とばかりに、たんまりと魔法石を得たんだろう。
もしかしたら、眷属もレイさんに狩られてしまったのかも……。
「ところでシヅ嬢、つかぬことを伺っても?」
「はい、何でしょう?」
レイさんの飄々とした雰囲気に流されて、私は軽い気持ちで返事をした。
「随分と魔力の雰囲気が変わりましたね?」
ドキリとした。レイさんの視線から冷ややかなものを感じる。
何と答えたらいいだろう?
ご隠居様のことは内緒だとシロウ様には言われている。
うまく誤魔化さないといけないのに、思考がまとまらない。
まるでレイさんに心臓を掴まれているみたい。
「おっと、別に詮索したいわけではないです。責めてるわけでもね。ただ、懐かしいなぁと思ったわけです」
「懐かしい、ですか?」
「ええ。貴女のお父上の雰囲気に似ていたので」
私はまたも心臓が高鳴った。
「実父――カヅをご存知なんですか?」
「もちろん。たくさん助けていただきました」
そう言ったレイさんの顔は優しくて、昔を懐かしむよう。
お父さんもレイさんの教え子だったのかな。
「実父はどんな人だったんでしょうか?」
「とてもお強くて、お優しくて、誰からも尊敬される、そんなお方でしたよ」
レイさんの言葉が真摯に響く。
実の娘の手前、実父のことを良く言ってくださっている――なんて、そんな穿った見方は必要ないと思えるほど。
そしてレイさんの表情は、どこか痛々しい。
「あの、レイさん」
「何でしょう?」
レイさんが私を真っ直ぐに捉える。
どうしよう。
咄嗟に名前を呼んでしまった。
慰める言葉の一つも思いつかないのに。
……仕方ない。
私はちらりと頭をよぎったことをそのまま口にした。
「私に訓練をつけていただけませんか?」
レイさんは目をしばたたかせた。
「訓練を? 貴女に、わたくしめが?」
「養父や養母から、レイさんが昔教鞭を取っていたと聞いています。私、強くなりたいんです。お願いします!」
私は頭を下げた。
レイさんはさっき、お父さんが強かったと言った。
私もお父さんに近付きたい!
はあ、と小さなため息が聞こえてきた。
十中八九、面倒臭いと思われているんだろう。
ダメで元々、仕方ないかな……。
「まあ、いいでしょう。今は気分もいいですしね」
顔を上げると、レイさんはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます!」
「でも、お互い、魔法石は使わないことにしましょう」
せっかくここまで集めたのにもったいないので、という言葉が聞こえてきそうで、私は思わず笑ってしまった。
レイさんは五、六歩の距離を取ると、私に向かって言った。
「では、まずはどれほどのものか見てあげましょう。さあ、打ち込んできてごらんなさい」
「はい!」
私は身構えた。
そして、魔力の入った器をゆっくりと傾けるようにして、血管に溶け込ませていく。
瞬間、大量の魔力が、素早く、身体の隅々にまで行き渡るのを感じる。
やっぱり、ピアスをしていても、今までとは大違いだ。
ギュッと足に魔力を集め、踏み込み、一息に距離を詰める。
――懐に潜り込んで、レイさんを殴る。
そんなイメージを頭に浮かべ、間合いに入る直前、目の前に何かが現れた。
レイさんの指。
「わっ――!」
形よく整ったレイさんの爪が、私の睫毛に触れる。
――目潰し!?
私は思わず瞼を閉じ、足を止め――
「がっ……!」
鳩尾に衝撃が走る。
レイさんのピカピカの靴が、私の腹にめり込んでいた。
意識が落ちなかったのは、体内の魔力が反射的に鳩尾を守ってくれたからだ。
レイさんが足を引く。
次を予感した瞬間、ぬっ、と影が伸び、顔を上げる。
レイさんは両手を組んで振り上げ、私の脳天に振り落とそうとしていた。
――レイさんが纏う魔力の密度が違う。
これを喰らったら無事では済まないかも。
そう冷静に分析できたのは、レイさんとは別のものが視界に映っていたからだ。
それは――レイさんに殴りかかろうと飛んできた鬼気迫る養父母。
レイさんはその存在に気付いている。
背後を一瞥することなく。
養父母もきっと、それを承知の上で仕掛けている。
レイさんは振り上げた手をほどき、しゃがむと同時に、私に足払いを仕掛けた。
地面にぶつかる!
思わず目を閉じたそのとき、全身が浮遊感と木蓮の香りに包まれた。
「シヅ、大丈夫?」
目を開けると、私は母の腕の中にいた。
「お母様!」
お礼を紡ぎ出す前に、ドカンと大きな音がして私は振り返った。
「クソッ……!」
土煙の中から忌々しげな呟きが聞こえる。
さあっと風が流れて見えたのは、抉れた地面の真ん中に仰向けに倒れた父だった。
「お父様!?」
煙を割ってレイさんも姿を現し、父を見下ろした。
大層面白いものを眺めるような目つきで。
「いやぁ、親バカが極まってますなぁ」
父は素早く起き上がり、レイさんを睨みつける。
「こんの……、子ども相手に本気出すバカがどこにいる!」
青筋を立てている父を見て、まずい、と思い咄嗟に叫ぶ。
「お父様、違うんです! 私がレイさんにお願いしたんです!」
「そうそう、お嬢様の仰せの通りに行動したまでですよ、クレハ君」
「そんなことは分かっている!」
どうやら父も母も、私とレイさんの会話を遠くから魔法で聞いていたらしい。
だから私が負けそうになって駆けつけてくれたんだ。
「加減を知らんのは相変わらずだな」
父の言葉に、レイさんはきょとんとした。
「加減してますよ?」
「頭蓋骨が割れるのを加減とは言わん!」
「即死じゃないんですから治せばいいじゃないですか」
「他人事だと思って……」と母が呟く。
見上げると、母もレイさんを睨めつけていた。
父も母も、鳳と対峙していたときのような凄みがあるのに、レイさんはまったく怖くないらしく、不気味なほどニコニコしていた。
「あなた方が同じ年頃のときは、これくらい普通でしたけどねぇ」
「時代が違うだろうが、この化石ジジイ!」
父の怒鳴り声を聞きながら、私はまだレイさんから手解きを受けるほどの力もないのだという事実を噛み締めていた。
次話投稿は 2026/8/13 21:00 です。




