63.魔法使いとお別れ(2/2)
幌馬車が白陰子爵邸に近付くと、シロウ様が転移魔法を使った。
パッと視界が変わり、馴染みのあるものから目に飛び込んでくる。
見覚えのある来客セット、『強さこそ正義』と力強く書かれた家訓、そして、執務デスクにかけた父の背中。
――ここは父の執務室。
父は私たちに気付かず、何やら書類とにらめっこしている。
「こんにちはー! 子爵!」
シロウ様が元気に声をかけると、父の肩が跳ね上がった。
「馬鹿者! 気配を消すな!」
悪戯が成功して、シロウ様はカラカラと笑い声を上げた。
……シロウ様って本当に、父をからかうのが好きなんだなあ。
「お父様、ただいま戻りました」
「ああ、おかえり、シヅ」
父は私の頭を撫でる。
無骨なのに優しい、大好きな手だ。
「シヅ、耳のそれは……」
「はい! シロウ様からいただきました」
「思っていたより『黒の森』の魔力に当てられたようで。シヅさんの魔力を安定化させるために、護石のピアスをしてもらいました」
「そうか」と言って私を見る父の顔が暗い。
鳳に攫われなければ、なんて考えて、自責の念に駆られているんだろうな。
「お父様、気にしないでくださいね。私、お洒落ができて嬉しいですから!」
私の言葉に、父は目を細めた。
「そうかそうか。よく似合っている」
父が緩みきった表情で頷いていると、シロウ様が父へ書類を一枚差し出した。
「魔法石はいつも通り、保管庫に入れております」
「分かった。いつもすまんな」と言いながら、父がその書類に署名する。
「いえ。では、私はこれで」
シロウ様が受け取ろうとした書類を、父がサッと引き上げた。
キツネにつままれたような顔をしたシロウ様を見て、父がニヤリと笑う。
「待て。一服くらいしていけ」
父がそう言うと、戸棚から茶器と茶菓子が浮かび上がり、来客テーブルを目指す。
「あんまり離れていると不審がられるんですけど」
シロウ様はそうぼやきつつ、来客用のソファに掛けた。
転移魔法でさっさと帰ることだってできるのに、そうしないんだから、イヤではないんだと思う。
シロウ様に手招きされたので、私もその隣に座った。
父は急須に手早く茶葉を入れ、魔法で生み出した熱湯を注ぎ、蓋をする。
小腹がすいていた私は茶菓子のボーロに手を伸ばし、お茶を待たずに一口かじる。
柔らかい食感と優しい甘さに、つい一個丸々食べてしまった。
「魔物制御装置は直ったのか?」
「いえ。直すには至っていません」
「おまえにしては随分と手こずっているようだな?」
父が意地悪く笑う。
……さっき驚かされた仕返しのつもりだろう。
大人げない。
でもシロウ様は平然と受け流している。
「ええ、少々珍しい部品が必要なものですから」
「それは、シヅを襲っていたあのときのガキが関係しているのか?」
シロウ様が目を丸くした。
私もハッとする。
そうか、父はユヅキを見たことはあるんだった。
それにしたって、父はユヅキに関して何も知らないはずなのに、どうして分かったんだろう?
「子爵って、ここぞというときは鋭いですよねえ」
「誉め言葉として受け取っておく」
父は得意そうに笑みを浮かべながら、茶杯にお茶を注いでいく。
香ばしい香りで胸の中まで満たされる。
シロウ様はお茶をちびりと一口飲んでから言った。
「結論から言うと、その通りです。あの魔法使い――ユヅキという名なのですが、奴が魔物制御装置の鍵、とでも言いましょうか」
「なるほど。大方、そいつの『魔物を操る』特性でも利用している、といったところか」
「ええ、そんなところです。勘が冴えて助かります」
父はユヅキ自身が部品である、ということまでは知らないみたいだ。
でも、もう勘付いているかもしれない。
あえて口には出さないだけで。
「ということは、魔物たちが凶暴化しているのは、そいつがあちこちほっつき歩くせい、といったところか?」
「確証はありませんが、私も同様に見ています。ユヅキが魔物に影響を与えている可能性はあるでしょう」
ユヅキの特性は『眷属の顕現と使役』。
操ることができるのは眷属だけ。
ユヅキが魔物を直接操ることができなくても、ユヅキの眷属が魔物の縄張りを荒らせば殺気立つ。
それが魔物の激化に少なからず影響している。
シロウ様はそう考えているんだろう。
「俺は何をすればいい?」
「子爵は、いつも通り魔物に対処していただければ結構です」
「ユヅキを見つけたら?」
「そのときは即、お報せください」
「俺が捕らえても構わんのだろう?」
父が不敵にニヤリと笑うけれど――
「子爵には無理でしょう」
シロウ様がにこやかにそう言い放つ。
チッ、と父の舌打ちが響いた。
父が反論しないということは、本当に、父ではユヅキには敵わないんだろう。
もちろん、私も。
悶々としていると、シロウ様が茶杯を置いた。
「では、私はこれにて。まだ残務処理が残っていまして」
「身体に気を付けろよ」
さっきの書類が今度こそシロウ様の手に渡る。
これでまたしばらく、シロウ様に会えなくなってしまうんだ。
……すごく名残惜しい。
「シヅさん」
シロウ様に名前を呼ばれ顔を上げると、私だけを映した金色の目で、優しく微笑まれる。
「大丈夫。また会えるから、ね?」
――いつもそうだった。
幼い頃から、白陰領に顔を出したシロウ様は、帰り際、必ず私にそう言うのだ。
「……はい!」
私はめいっぱいの笑顔を返す。
シロウ様を心配させないように。
シロウ様はほんの少し寂しそうな笑みを浮かべると、立ち上がり、来客テーブルから二、三歩離れ、振り返る。
「また、よろしくね」
シロウ様の魔力が膨れ上がる。
大きくて複雑な魔法陣が仄かに光を帯びると、瞬時にシロウ様の姿が消えた。
しん、と静まり返る。音も、魔力も。
本当にもう、いないんだ。
頭の中で何度もシロウ様の言葉が繰り返される。
シロウ様は最後、『またよろしくね』と言った。
私に向けて、言ってくれた。
きっとまたシロウ様のお役に立てる機会はやってくる。
そのときまでに強くならないと!
次話投稿は 2026/8/6 21:00 です。




