59.魔法使いと鎮静化(2/3)
次なる検証のためシロウ様に連れてこられたのは、騰蛇城の外。
防衛線を越え、『黒の森』にほど近い場所に潜んでいた。
日が天辺に昇る頃、カンカンカンとけたたましく警報が鳴った。
魔物の襲来だ。
襲ってきたのは魔狼の群れで、数は二十くらい。
一心不乱に騰蛇城を目指す。
その勢いは風を切るように速く、すれ違いざま、ヒュッ、と鋭い音が耳をかすめる。
力強い脚力に土煙が舞い上がり、全身が包まれた。
「けほっ」と思わず咳き込んでしまったけれど、土煙が収まる頃には、魔狼たちはもう騰蛇の重装歩兵と向き合っていた。
「全然気付かれませんでしたね……」
「普通の魔物なら襲ってきたんだろうけどね」
シロウ様が隠密魔法をかけていたとはいえ、見た目と魔力以外はそれほど抑えていないから、匂いだとか音だとか、普通の魔物には見破られるらしい。
それなのに、あの魔狼たちは――ユヅキの眷属たちは、私たちに目もくれなかった。
「たぶん、眷属たちは『騰蛇城を攻撃する』のが至上命令だから、行く手を阻まなければ攻撃対象にならないんじゃないかな」
「なるほど……」
そう考えるとしっくりくる。
眷属たちは命令だけ遂行できればそれでいいのだろう。
やがて眷属たちは重装歩兵とぶつかった。
その戦闘を真っ直ぐに見据え、シロウ様が言った。
「さて、シヅさん。見えるね?」
「はい、見えます」
遠くからは分からなかったのだけれど、ここからなら見える。
眷属たちの首根っこを囲む、魔法陣が。
まるで首輪のよう。
蜘蛛の巣みたいに繊細な紋様は、なんだか不気味に思える。
「シヅさん、やれそう?」
「はい、できます」
私はそう言って、一番近くにいた魔狼めがけて魔力を飛ばした。
狙いはもちろん、首輪の魔法陣。
ユヅキの魔法陣を、私の特性で反転させる。
反転して、そのあとどうなるのかは分からない。
ただ少なくとも、騰蛇城への攻撃は止むはず。
仄かに光を帯びる首輪に私の魔力が触れた。
首輪が翳り、再び光が灯る。
その瞬間、その魔狼の動きがピタリと止まった。
――成功した?
そう思った直後、耳をつんざくような遠吠えが上がる。
おかしい。
あの魔狼だけ、殺気で満ちているような。
そんなことなど知らない重装歩兵の一人が、その魔狼に勢いよく槍を突き出した。
が、軽々と跳び上がって躱される。
すかさず他の槍兵が援護に入り魔狼を突き刺そうとするけれど、それもひらりと躱される。
躱すというより、毛並みに含まれる魔力のせいで、槍の穂先が受け流されているように見える。
空中でくるりと翻った魔狼の牙が、妖しく光った。
ゾッとした。
まるで、嘲笑っているみたい。
魔狼は前足で突き出された槍を踏み、その勢いで一気に槍兵に迫る。
太く鋭い牙の生え揃った口を大きく開け、槍兵の喉に――!
刹那、鋭い魔力が脇を通り抜けていく。
シロウ様の魔力だ。
瞬時に張られた結界に魔狼がぶつかった。
体勢を崩し、地面に落ちる。
すかさず槍兵が集まって、蹴り、踏みつけ、槍を突き下ろす。
何度目かの突きがずぶりと魔狼の腹を貫通すると、いくつもの槍に貫かれていく。
魔狼はしばらくもがいていたけれど、やがて動かなくなった。
「危なかった」
シロウ様が呟いた。
私も胸をなで下ろした。
シロウ様が結界を張らなかったら、確実に一人は死んでいたはずだ。
「魔狼の動きが全然違いました……」
「むしろあれが普通の動きだよ。ユヅキの魔物は弱いと思っていたけど『騰蛇城を攻撃する』命令だったから、人に対する殺意が薄かったんだね」
もしもユヅキの命令が『生命を奪うこと』だったら、魔物たちはもっと凶暴だったかもしれない。
そう考えただけでゾッとする。
「シヅさんの特性で『騰蛇城以外を攻撃する』命令になったのかな……。軽率だった。怖い思いをさせてしまってごめん」
「いえ! シロウ様が謝ることではないです!」
悪いのは私。
深く考えずに反転させてしまった。
私の特性なんだから、もっと私自身が予測を立ててやるべきだったのに。
その反省を胸に、私たちは『黒の森』へと入った。
人の少ないところで検証をしたかったからだ。
『黒の森』に踏み込んでまもなく、眷属たちを発見した。
眷属たちは、魔狼や魔鳥、魔鹿といった、本来であれば共存することのない様々な種類で群れを成していた。
そしてこの眷属たちも、私たちに襲いかかってくる様子はない。
群れの真横を通り過ぎても、素知らぬ顔をしていたり、じゃれ合っていたり、ちっとも警戒されない。
不意にシロウ様の足が止まる。
「ね、シヅさん。あの木の上」
シロウ様が指を差す方向に、一体だけ魔豹がいた。
太い木の枝の上で目を閉じ、身体を休めている。
真下で魔狼の子どもたちがじゃれ合っているのに、気にも留めていない。
「やってみます」
「うん、お願い」
そっと首輪に魔力を流すと、弾かれたように魔豹が身を起こす。
ぶるぶるっと身体を震わせ、ゆっくり辺りを見回してから、しなやかに木から飛び降りた。
「キャン」「キャッ」
まだ幼い魔狼の、キンと甲高い鳴き声。
周りの魔狼は一瞥もくれなかった。
子どもがじゃれて甲高い声を上げるのは、きっと眷属も同じなんだろう。
のどかな雰囲気だった。
……ここまでは。
「ギャッ」
喉を圧迫された悲鳴が響く。
眷属たちが一斉に振り向いた先に、魔豹がいた。
一心不乱に地面を鼻で掻いている?
……違う。
魔狼の子どもたちを、貪っている。
周囲の眷属たちは、それをじっと眺めていた。
子どもを殺されたのに、魔狼たちは怒りもしない。
怯えるでもない。
他人事のように佇んでいたかと思うと、子どもの魔力が霧散した瞬間、またゆったりとした時間が流れ始めた。
そして魔豹は、次々に眷属たちを仕留めていった。
「ああ、なるほど。同士討ちか。これはいいね」
眷属の悲鳴も、シロウ様の感心したような呟きも、私はどこか他人事のような心地で聞いていた。
眷属たちは、ほとんど無抵抗に近い。
『騰蛇城を攻撃する』ことだけが目標だから、自分の命を守ることさえしない。
耳を塞ぎたくなるような断末魔。
森を染める血飛沫。
色水をぶちまけたみたいにめちゃくちゃで、作り物みたいな風景。
……いや。
この惨状は、私が作り出したのだ。
目をそらしてはいけない。
一つ、また一つと生命が消えるたび、罪悪感が胸に張り付き、息が苦しい――。
「シヅさん」
その固い声にハッとする。
――シロウ様はこの惨状をどう思っているんだろう。
顔を上げられないでいると、私の顔を冷たいハンカチが撫でた。
気付かないうちにひどく汗をかいていたみたい。
「陛下が仰っていたのは、こういうことだったんだね」
ハンカチが離れ、ちらりと見上げると――優しい金色の眼差しがじっと私を見つめていた。
「ありがとう、シヅさん。お陰で突破口が開けそうだ。本当に、ありがとう」
言葉も表情も、まるで木漏れ日のよう。
心が温かくなるのを感じる。
――嬉しい。
やっと、やっとお役に立てた。
胸のつっかえが消えていく。
シロウ様の力になれたという事実を、すべてが祝福してくれている気さえしてくる。
葉擦れは拍手で、断末魔は歓声、血飛沫は花吹雪だ。
「どういたしまして、シロウ様」
私は笑顔で返事をした。
シロウ様も、にっこりと微笑み返してくれた。
周囲の眷属を仕留め終わった魔豹は、私たちに牙を剥いてきた。
けれど、シロウ様が隠していた魔力を露わにするや否や、尻尾を巻いて『黒の森』の奥へと逃げて行った。
逃げた先で、他の眷属たちを大いに仕留めてくれるだろう。
私たちはもう少し『黒の森』の中を見て回り、遭遇した他の魔豹や魔熊に魔力を流してから、騰蛇城へと帰路に着いた。
次話投稿は 2026/7/22 21:00 です。




