57.魔法使いと魔物制御装置(4/4)
ご隠居様の奥様――楽園の王妃様を、殺した?
私は咄嗟に立ち上がって頭を下げる。
「申し訳ありません、軽率でした。そんな罪人に可哀想だなんて……」
さっきの疑問が、どれほど深くご隠居様を傷つけただろう?
想像するだけで、心臓が潰れるように苦しい。
好奇心で踏み込んでいい領域ではなかった。
「構わない。もう随分昔の話だ。頭を上げなさい」
その声に私が頭を上げると、ご隠居様は薄らと微笑んだ。
「おまえの気持ちも理解できる。当時の私も、まさか装置に組み込まれようとは思わなかった」
「そういう罰ではないんですか?」
ご隠居様がゆるゆると首を横に振った。
「あれはおまえたちの言う『建国の賢者』がやったこと。降伏した我々には、如何なる権利もなかった」
ご隠居様は茶杯の水面を見つめ続けた。
まるで、当時の出来事がそこに浮かんでいるかのように。
――紅国は五人の人間と『賢者』と呼ばれる魔法使いが中心になって『悪しき魔法使い』を打ち倒したのが始まりだ。
その裏に、一体何があったんだろう?
でも今は、その疑問を問える雰囲気ではない。
しばしの沈黙のあと、ご隠居様は深いため息を吐いた。
「……過ぎたことは仕方ない。だがユヅキは、相も変わらず罪を重ねている。『部品』に戻すことに異議はない」
そう言って、ご隠居様が茶杯を呷る。
私もお茶を飲んでみた。
爽やかな香りが、暗い気持ちを少しだけ和らげてくれる。
辛い過去を聞いただけの私が、暗い顔をして立ち止まっている訳にはいかない。
「話を戻そう。おまえの役目は、魔物ではなく、眷属を鎮静化させることだ」
「はい! 頑張ります!」
と言ったものの……結局何をすれば鎮静化できるんだろう?
「少し、助言してやろう」
ご隠居様は静かに茶杯を置いた。
「あまり難しく考える必要はない。騰蛇城を攻撃するよう命じているのであれば、その命令を書き換えればいい」
「命令を、書き換える? ……どうやって?」
ご隠居様の漆黒の眼差しがこちらを射て、ふと緩んだ。
「それは、おまえたち自身で辿り着きなさい」
ご隠居様は私を――いや、私と、私の背後のすべてに語りかけた。
振り返ると、立ち並ぶ本棚で、本たちが出番を待ち構えている、ような気がした。
* * *
それから私は、蔵書庫の本を読み漁った。
――『騰蛇城を攻撃するよう命じているのであれば、その命令を書き換えればいい』。
ご隠居様のその言葉を頼りに、魔法の本を見つけては目を通した。
一応、魔物に命令する魔法は見つけた。
でも、『こっちにおいで』とか『ここで止まれ』とか簡単なものばかり。
そして、命令を書き換える魔法なんて見つからない。
そもそも、魔物に命令する魔法が眷属にそのまま通用するの?
仮にできたとして、眷属すべてに魔法をかけるって難しいのでは?
考えれば考えるほど、難しく思えてくる。
それでもページをめくる手は止めなかった。
もう結構時間が経った。
魔力時計は夕刻を指している。
シロウ様がいつ起きてもおかしくない。
手がかりだけでもつかまないと。
テーブルで頭を抱え「はあ」と小さくため息をついてしまう。
「少し休憩しなさい」
ご隠居様が私の茶杯に、新しいお茶を注いでくださった。
「難航しているな」
「はい……」
たぶん、昔の魔法使いたちは、他人や魔物を使役しようとは思わなかったのだと思う。
だって、私は強い魔法使いになりたいけれど、それで誰かを意のままに操ろうなんて、考えたことなかったから。
――『意のままに操る魔法』?
ハッとした。
使われたじゃないか。
そして、それを使った人物は、いま目の前にいる。
「ご隠居様が使った、言葉で言うことを聞かせるあの魔法! あれは何なんですか?」
「あれは、元は尋問をするための魔法だ」
「尋問?」
私が首をかしげると、ご隠居様がニヤリと笑った。
『おまえが見てきた中で、一番美しい者は誰か、答えなさい』
そう、この魔法だ。
こう言われると途端に、答えなきゃ、と使命感が湧く。
「……ご隠居様です……」
「よろしい」
ご隠居様が満足げに頷いた。
命令に従っただけで心が満たされるのに、私の答えでご隠居様の機嫌が取れたと思うと、多幸感が胸に溢れる。
桃をかじったとき、口の中にじゅわーっと果汁が広がっていくのに似ている。
……やっぱりこの魔法には逆らえない。
「この魔法、私にも使えますか?」
「これは特性だから、シヅが使うのは難しい」
「……じゃあ、この魔法をご隠居様が使って、魔物の鎮静化を手伝ってくださる、というのは?」
「手伝って、私に何の得がある」
ご隠居様は呆れたようにそう言って、茶杯に口をつけた。
「ですよねえ」
きっと協力はしてくれないだろうなあ、と思っていたから落胆はない。
私もお茶を飲んだ。
清涼感が心地いい……のに、なんだか頭の奥が重たい。
さすがに長時間、集中しすぎたかな。
「今日はここまでにするか」
「いいえ! まだやります!」
もっと頑張らないと!
だって、夏季休暇に入ってこのかた、ちっとも役に立てていない。
戦力になれず、助けられる始末。
今だって、調べ物一つ満足にできていない。
今のままの私では、何にもできないんだ。
私はギュッと唇を噛んだ。
「もう一つ、助言してやろう」
ご隠居様はそう言って、私の目をじっと見つめてきた。
あんまり真っ直ぐな眼差しに、つい緊張してしまう。
「此度の件、私は、おまえに期待している」
私は目を瞬かせた。
期待?
ご隠居様が、私に?
「でも……」
俯いて、そんな言葉しか出せなかった。
「もっと元気に返事をしなさい。子どもは元気であることが一番だ」
子ども?
……子ども!? 私が!?
「わ、私、もう子どもじゃないです!」
「子どもは皆、そう言う」
「立派に成人してますから!」
私がムッとすると、ご隠居様はくつくつと笑った。
それが悔しくて、私はそっぽを向く。
「大人びたい気持ちは理解できるが、辛いときはこのあいだのように、きちんと泣きなさい」
……このあいだのように、泣く?
それってもしかして、鳳に連れ去られた日、『黒の森』から帰るときのこと!?
「な、なんで知ってるんですか!?」
「『黒の森』で起こったことは、すべて把握している」
「空の上でも!?」
「把握している」
まさか、あれを見られていたなんて……!
火がついたみたいに頬が赤くなる。
「子どもでいられるうちは、うんと子どもでいなさい」
「もう成人してますってば!!」
今度はご隠居様はからからと笑った。
その眼差しは父や母や兄や――シロウ様が、私に向けるものと同じ、慈愛で溢れていた。
次話投稿は 2026/7/15 21:00 です。




