56.魔法使いと魔物制御装置(3/4)
ご隠居様はお屋敷の奥にある扉を開けた。
真っ暗なその部屋に、ご隠居様が照明魔法を灯すと――足下に下りの階段があった。
「気を付けてついてきなさい」
灯りは一つ、その外側は闇に覆われ、私たちの足音が染み入っていく。
気が遠くなるくらい階段を下り続け、辿り着いたのは、見るからに厳重な大きな鉄製の扉だった。
ギイ、という音がして、扉の隙間から向こうの空気が流れてくる。
鼻をかすめた独特の香り。
馴染み深く、どこか懐かしさを覚えるこれは、本の香り。
「蔵書庫へようこそ」
ご隠居様の言葉でパッと明かりがつき、私は目を見開いた。
蔵書庫と聞いていたけれど、想像以上だ。
壁という壁が本棚になっていて、遠い天井まで続いている。
どれほどの本があるのだろう、圧巻と言うしかない。
でも、すぐに気持ちが落ち着いたのは、本の香りのおかげだと思う。
『黒の森』でも紅国でも変わらないものがあるということが、こんなに心強いなんて。
蔵書庫は地下にあるのにジメジメしていなくて、むしろ湿気が少なく涼しいくらい。
本が傷まないよう、魔法で室温や湿度を調整しているようだ。
それに蔵書庫も、蔵書庫に続く長い階段にも、埃一つなかった。
大切な場所に、私は通されたのだ。
「お、お邪魔します……」
「そう畏まることはない。こちらに来なさい」
ご隠居様は蔵書庫の最奥に移動した。
奥まったそこに本棚はなく、陽だまりのような明るい照明に、テーブルと椅子が置かれていた。
読書スペースなのだろう。
ご隠居様が椅子に腰掛けて言った。
「まずは、少し話をしよう」
どこからか急須と茶杯が現れ、とくとくと茶杯にお茶が注がれる。
さっきの苦いお茶とは違い、爽やかな香りがする。
優雅にお茶を飲み始めたご隠居様を前に、私は戸惑った。
お断りするのは大変失礼に当たるのだけれど……こんなにも本があるのだから、早く調べ物を始めないと、シロウ様が起きてしまう。
立ったままご隠居様を見つめる私に、ご隠居様がニヤリと笑う。
「私に聞きたいことがあるのではないか?」
私は観念して、ご隠居様の向かいの椅子に腰を下ろした。
お茶を飲んでみると、さっぱりとしていて、頭も冴えてくるような気がする。
「ご隠居様は、純血の魔法使いなんですよね?」
「そうだ」
ご隠居様は頷いた。
「楽園の王様だったんですか?」
「……楽園?」
今度は、ご隠居様は首をかしげた。
「この本に書いてあったんです」
私は外套から一冊の本を取り出した。
朝焼けの色をした表紙の小さな本。
侍女さんにお願いして借りていたのだ。
ご隠居様は目を見開いた。
「その本は?」
「騰蛇城にあったんです。魔法の本に紛れていたみたいで」
「その本を、読んでもいいだろうか?」
「もちろんです!」
私は本を手渡した。
ご隠居様がそっと表紙を撫でると、表紙の煌めきが増した気がした。
「極僅かに魔力を感じられる。この本自身が出会いを選ぶのだろう」
……私には全然、魔力の気配が分からなかった。
この本は、ご隠居様に会いたかったのかな。
それとも楽園に行きたかったのかな。
どちらにせよ、私が本の願いを叶えることができたのなら、よかった。
ご隠居様も、優しい顔をして本の表紙をしげしげと眺めている。
きっといい出会いだったのだと思う。
ご隠居様がゆっくり読書できるようにと、私は静かに立ち上がり、膨大な本たちに向き直る。
私はこれから、魔物制御装置に関する本と出会わないといけないのだ!
そう思っていたのに――
「ここに魔物制御装置の書物はない」
ご隠居様に打ち砕かれる。
「さっき見つかってないって……!」
「ないのだから、見つかるわけがない」
ご隠居様は悪びれもせずそう言った。
私はがっくりとうなだれ、しおしおと椅子に掛け直す。
せっかく来たのに、無駄足だったなんて!
そんな私をからかうように、ご隠居様のくつくつとした笑い声が聞こえた。
「心配するな。すべてではないが、魔物制御装置の仕様も現状も把握している」
「そうなんですか!?」
ご隠居様は頷くと、朝焼け色の本をテーブルに置き、言葉を続けた。
「魔物制御装置は、ユヅキの特性を利用していた」
「ユヅキの特性? それって……」
「『眷属の顕現と使役』。簡単に言えば、魔物を生み出し、生み出した魔物を操る力を持っている」
——誘拐未遂事件を思い出す。
確かに、ユヅキが指を鳴らすと魔物が現れていた。
あれはどこかから転移させていたのではなく、生み出していたんだ。
「魔物制御装置は、眷属に『魔物を襲え』と命じていた。そうして魔物たちを『黒の森』に押し留め、あたかも魔物を制御しているかのように見せていたのだ」
なるほど。
眷属の動きは、まるで牧羊犬のよう。
『黒の森』にいるすべての魔物を制御しているわけではなかったんだ。
「——と、ここまではおそらくシロウも理解している」
「……そうですか」
分かっていないのは私だけ。
実力も、魔物制御装置に携わった時間も全然違うのだから仕方がない。
とはいえ、やっぱり悔しい。
でも、それも『ここまで』。
ここからは、シロウ様でも把握していない情報を知れる。
私はご隠居様をじっと見据えた。
「シロウが言っていただろう、『魔物制御装置は停止している』と」
「つまり、眷属たちが消え去ったから、魔物たちの歯止めが利かない状態……ということですか?」
私の推測に、ご隠居様はかぶりを振る。
「残念ながら、違う」
ご隠居様は忌々しげに言った。
「ユヅキが眷属への命令を書き換えた。——『騰蛇城を破壊せよ』と」
ゾッと背筋が寒くなる。
どうしてそんなことを?
いや——きっと、ユヅキの目的は復讐だ。
自由を奪い、利用し続けた『建国の賢者』、ひいてはその恩恵を受けるこの紅国に。
手始めに、自分を閉じ込めていた騰蛇城を破壊するように命じていたとしても、不思議ではない。
そこで再び、あの疑問が浮上する。
「どうしてユヅキは、魔物制御装置に組み込まれたんですか? ……その、可哀想だなって思って」
一度誘拐されそうになった私ですら、ユヅキの境遇には同情してしまう。
魔法使いだったら誰でもそうだろう。
拘禁されて血を抜かれ、装置の動力源になるなんて。
でもご隠居様からは、ことユヅキに対しては、一切の同情も憐憫も感じない。
私とご隠居様が一緒に過ごした時間は短い。
けれど、ご隠居様は私のことを何度も気遣ってくださった。
そんな方が、魔法使いを装置に組み込むだなんて恐ろしいこと、憤りを感じてもおかしくはないのに。
「もしかして、ユヅキは昔、何か罪を犯したんですか?」
ユヅキは『魔狩り』に与していた。
抵抗する術のない私たちに魔物を仕向けた。
お父様たちに容赦なく魔法を放とうとした。
たとえ世の中を恨んでいても、他人を踏みにじるには胆力がいる。
だから、ユヅキは元から素行の悪い魔法使いだったんじゃないか。
罰として、『部品』となっているんじゃないか。
そうでもなければ、こんな仕打ち、釣り合いが取れない。
ご隠居様は表情を変えず、ゆっくりと口を開く。
「私の妻を害した」
淡々と静かな声だった。
次話投稿は 2026/7/10 21:00 です。




