53.魔法使いの帰還(2/2)
唐突にシロウ様が防音魔法を解除した。
次の瞬間、コンコン、とノックが響く。
「どうぞ」とシロウ様が言うと、父と母が困った顔をして入ってきた。
只事ではなさそうな雰囲気を感じ背筋を伸ばすと、母が口を開いた。
「シヅ、急で悪いんだけど、すぐに白陰に戻ることになったの」
「ええっ!?」
なんでこんな急に!?
シロウ様の代打という役目を終えたとはいえ、まだまだ騰蛇に来襲する魔物は多いのだから、お手伝いしたほうがよさそうなのに。
父が眉根を寄せて言った。
「白陰から緊急の通信があってな」
声音も真剣そのもの。
まさか白陰に魔物の大群が現れた、とか?
思わずごくりと固唾を飲む。
「皆、『レイさんがしんどい』と」
「はい?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「レイさんは性根がひん曲がって救いようがないから、無理もないわ」
母はもはや悪口以外の何物でもないことを言い出した。
「むしろ一般人がよく六日も持ちましたねえ」
シロウ様までそんなことを言う始末。
「作物がダメになっていないといいのだが……」
「変なモノ作ってないといいんだけど」
「白陰の皆さんに無理な訓練を強いた挙句、指導代を巻き上げてそうですねえ」
父も母もシロウ様も、好き勝手なことを言う。
一体これまでレイさんからどんな目に遭わされてきたんだろう?
はあ、と深いため息をついたあと、父が私に向き直った。
「そういうわけで、荷物の積み入れが終わり次第、出発する。シヅも準備を頼む」
……残念だな。
もう少し、シロウ様と一緒にいたかったのに。
そう思って返事が遅れた、そのときだ。
「いえ、シヅさんは置いていってください」
シロウ様の言葉に、「ほう?」と父が怪訝に首を傾げる。
「『黒の森』の魔力に当てられて、まだ体内の魔力が安定していません。今はあまり負荷をかけるべきではないかと」
「それは分かるが、帰りはどうする? シヅ一人で行動させるわけにはいかんだろう。危険すぎる」
「その点はご安心ください。私が責任を持ってお送りします」
父は顎髭を撫で、やがて撫で終わると、私へ視線を移す。
「シヅはそれでいいか?」
「えっと……、まだ本調子ではないので、もしよろしければ、もう少し騰蛇にいたい、です」
……ちょっと本当で、ちょっと嘘だ。
本調子ではない自覚は全然ない。
もう少しだけ騰蛇にいたいのは、本当だ。
「分かった。シヅがそう言うなら尊重しよう」
「ありがとうございます、お父様」
嘘をついてごめんなさい、と心の中で父に謝りつつ――嬉しいと思ってしまった。
シロウ様ともう少し一緒にいられる、と。
そのとき突然、カンカンカン、とけたたましく警報が鳴り響く。
魔物襲来の合図だ。
「くそ、こんなときに……」
急ぎ前線に向かおうとする父を、シロウ様が手で制した。
「私が対応しますので、子爵は帰り支度をどうぞ」
「だが……」
言い募ろうとする父を無視して、シロウ様が私を見た。
「シヅさんも一緒に行く?」
「いいんですか!?」
「見てるだけなら、ね。じゃあ、急ごうか」
シロウ様はそう言うと素早く魔法陣を描き、私は魔力の渦に飲み込まれた。
瞬き一つのあいだに視界が変わる。
天井も壁も無骨な岩肌に変わり、大きな窓の外に青空と『黒の森』が広がる。
ここは、騰蛇城の執務室だ。
父も母もおらず、シロウ様と二人きり。
見上げると、シロウ様が、私を気遣わしげに見つめていた。
「転移に巻き込んだけど、気分は悪くない?」
「はい、大丈夫です」
「それならよかった」
シロウ様は微笑むと、ふいと窓のほうへ視線を移した。
「さて、片付けないとね」
シロウ様は窓のそばに寄り、外を見下ろした。
私もすぐに後を追って窓の外に広がる『黒の森』を見渡す。
「あれ……?」
騰蛇城と『黒の森』のあいだにある原っぱに、二十弱の黒いもやが湧き上がっている。
よく目を凝らして見てみると――草陰に何かが潜んでいる。
きっと魔物だ。
それじゃあこのもやはもしかして、魔物から染み出した魔力?
しなやかな動きで草陰から飛び出してきたのは――
「魔豹……!」
珍しい。
魔豹は群れを作らないはずなのに、こんなにたくさんいるなんて。
「私が留守にしていたから探りにきたのかも」
「魔物ってそんなことまで分かるんですか!?」
「『黒の森』の魔物は特別だから」
シロウ様が素早く魔法陣を描き上げた。
通信魔法だった。
『総員、その場で待機』
地上で防衛の準備をしていた重装歩兵が、ぴたりと動きを止めた。
前線が待機する、ということは――
「シロウ様が魔豹を討伐するんですか!?」
「うん、そうだよ」
シロウ様の首肯に胸が躍った。
どう戦うんだろう?
しっかり見て、何か一つでも技術を盗むんだ!
シロウ様は窓に手を添え、じっと外を見下ろした。
「ちゃんと私がここにいるって、分からせないとねえ」
シロウ様の口元が仄かに緩み――、びゅうっと烈風のような魔力が放たれる。
瞬間、全身がビリビリと痺れ、心臓が、魔臓が、悲鳴を上げた。
首を絞められたみたいに息が苦しい。
――すごい魔力量。
暗雲となって原っぱに立ち込める魔力に、魔豹たちは一目散に『黒の森』へ引き返そうとした。
でも、間に合わなかった。
暗雲は次々に魔法陣へと姿を変え、魔法の発動と同時に強い光とけたたましい音が響き渡る。
まるで雷だ。
撃ち抜かれた魔豹はその場に崩れ落ち、黒いもやが霧散する。
……死んだのだ。
カーンカーン、と魔物との戦闘が終わったことを告げる鐘の音が響き渡る。
「はい、おしまい」
シロウ様は私に一つ微笑みかけると、すぐに通信魔法で兵士たちに指示を出し始めた。
その横顔は、美しくて麗しい——私がよく知るいつものシロウ様だった。
——想像の域を超えていた。
魔力の制御は難しい。
魔力量が大量であればあるほど。
遠ければ遠いほど。
数が多ければ多いほど。
でもシロウ様は、一瞬で大量の魔力を放出し。
弓も届かないような遠くまで魔力を伸ばし。
二十近くの魔法陣を同時に描いた。
……涼しい顔をして。
「今ので魔物たちが大人しくなるといいんだけど、きっとそうもいかないんだろうな」
ひとりごち、窓の外を眺めるシロウ様の横顔を見ながら、私は現実に向き合っていた。
私は、シロウ様の足元にも及ばない。
あわよくばシロウ様の技術を盗もうだなんて、なんて烏滸がましいことを考えていたんだろう。
格の違いを、痛いほどに突き付けられてしまった。
「ねえ、シヅさん」
「は、はい!」
名前を呼ばれ、肩が震えた。
シロウ様が怖いわけではない。
私なんかがシロウ様の隣にいてもいいのかという疑念と、それがシロウ様の口から語られるのではという恐怖。
鼓動で胸が張り裂けそうになりながら、私はシロウ様の言葉を待った。
シロウ様は目を細め、膝をつく。
「シヅさんの体調を口実に残ってもらったのに、こんなことを頼むのは虫のいい話だと思うんだけど……」
シロウ様は顔を上げ、金色の眼差しが真っ直ぐに私を捉えた。
「……助けてほしいんだ」
その言葉に、私は胸が一段と高鳴った。
――「それじゃあ、いずれ、助けてほしい」
『偽装婚約』の結納返しとして提示された言葉。
再び耳にして、込み上げるものがあった。
今の私に、シロウ様の力になれることなんてあるの?
そんな真っ当な疑問すらはじけ飛んでしまう。
「はい、もちろんです!」
「ありがとう、シヅさん」
頑張ろう、頑張らなければ!
そうでないと、いつまで経ってもシロウ様のお役になんて立てないんだから!
次話投稿は 2026/7/6 21:00 です。




