52.魔法使いの帰還(1/2)
私が目覚めたとき、最初に視界に映ったのは、母の顔だった。
いつもの凛とした表情はどこへやら、仄かな明かりに照らされて瞳が揺らめく。
「お母様……!」
「シヅ……!」
私が起き上がるより早く、母は私を抱き締めた。
温かくて、力強くて、胸いっぱいに満ちる木蓮の香り。
ああ、本当に母がいる。
夢じゃないんだ!
「ごめんなさい、守れなくてごめんなさい!」
嗚咽を漏らす母につられ、気付けば私も涙があふれていた。
「私こそ、心配かけてごめんなさい。逃げられなくてごめんなさい。お母様の力になれなくてごめんなさい……っ」
二人で抱き合ってわんわんと泣いた。
泣いて泣いて、ぎゅっと私の肩を掴む母の手に、私はハッとした。
「お母様、怪我は!?」
母の手を見ると――どこにも火傷の跡なんて残っていなかった。
手だけじゃない、腕も脚も顔も、傷一つない。
全身が炎に包まれたうえ、騰蛇城の屋上から落下したのに。
「あのくらい、私は大丈夫よ。魔法使いだもの」
母は得意げに笑った。
母曰く、痛覚遮断の魔法と、全身に強固な耐火魔法をかけていたらしい。
「よかった……」
ホッと息をつく。
私のせいで母の身体に傷が残ってしまったら、きっと私は立ち直れなかったと思う。
一安心したそのとき、バン! と乱暴に部屋の扉が開かれた。
「シヅ!」
父だった。
「ちょっと、ノックしなさいよね!」
母に怒られて、父は慌てて扉を閉め、ノックしてから入った。
「シヅ!」
……ちょっと締まらないところが、父らしい。
「お父様、おはようございます」
父はしゃがみ込んで、私の手を取った。
「痛いところはないか? 体調は問題ないのか?」
父も目を潤ませていた。
せっかくの威厳のある顔が台無しだ。
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけして、すみません」
「ごめんな、助けられなくてごめんなあ……」
「私はこの通り、平気ですから」
父を慰め、現状を確認する。
父と母が言うには、私は丸一日寝ていたらしい。
今日は騰蛇城に来て五日目の深夜、もうすぐ日が変わる頃合いだという。
「そういえば」と母が視線を移す。
「シロウ君から差し入れをもらったの。少し食べてからまた寝なさいな」
母はそう言うと、魔力を手の形に変え、小机に置かれていたブドウをお皿ごと持ってきた。
「さあ、召し上がれ」
一粒千切って食べてみると、瑞々しくて甘くて、とっても美味しい!
「あーん」と、父と母に一つずつブドウを差し出した。
父も母も嬉しそうに「あーん」と口を開けて食べてくれた。
そうしてブドウを平らげたあと、私はまた横になった。
まどろむ視界に、父と母が安堵の笑みを浮かべているのが見えた。
よかった。
私のせいで父と母が気に病むようなことにならなくて。
そう思いながら、私はまた深い眠りについた。
* * *
次に目を覚ましたのは、騰蛇城に来て六日目の朝。
心も体も軽く、抜けるような青空が気持ちいい。
母に手伝ってもらいながら私が身支度を整えていると、外からノックが鳴った。
なんとなく、シロウ様かな? と思った。
「夫人、シロウです。シヅさんの朝食を持ってきました」
「入ってどうぞ」
シロウ様が朝食が乗ったお盆を抱えて入ってきた。
「おはよう、シヅさん。体調はどう?」
「おはようございます、シロウ様。もうすっかり元気です!」
まだボサボサの髪を手櫛で整えながら私がそう言うと、シロウ様の金色の眼差しが和らいだのを感じた。
「夫人、代わります」
「そう? じゃあ、頼むわね」
母はそう言うと部屋を出ていった。
母は結局、一日半ものあいだ、私のことを見守ってくれていたのだ。
朝食をとって、ゆっくり休んでくれたらいいな。
私はシロウ様が持ってきてくれたお粥をさらさらと流し込み、果物をパクパク食べた。
そんな私を見て、シロウ様はより安心したようで、表情を緩ませていた。
食後にはシロウ様が温かいお茶を淹れてくれて、私はふうふうと息を吹きかけながらちびちびと飲んだ。
薬湯のような独特な匂いと味が身体を整えてくれている、気がする。
さらにシロウ様は、私の髪を梳いてくれた。
父にも母にもシロウ様にも甘えられて幸せだなあ、なんて思うのは不謹慎かな。
「少し話をしてもいいかな?」
「はい!」
シロウ様は手を動かしながら、私の知らない魔法陣を描く。
魔法が発動すると、この部屋の壁や床、天井に魔力がぴったりと張り付いた。
「防音魔法だよ。これで私たちの会話は、外に漏れなくなる」
私は姿勢を正した。
防音魔法を使うなんて、一体どんな大事な話が始まるんだろう?
「これを見てくれる?」
そう言うとシロウ様は髪を梳く手を止め、ドングリくらいの大きさの魔法石を一つ取り出した。
そして魔法石から魔力を取り出して、けれども魔法陣を描くわけでもなく、ゆらりゆらり、右に左に振り回す。
まるで猫をあやすときのような動きに、私の視線も右に左に奪われる。
やがてシロウ様はその魔力を魔法石に戻して、にっこりと笑った。
「シヅさん、気付いてる? 魔力が見えるようになったでしょう?」
「え?」
そう言われて、初めて自覚した。
確かに、魔力が見えている。
今まで魔力は、目には見えないけれど確かにそこにあるものという認識だった。
例えるなら冷気のような、肌で感じるもの。
一体、いつから?
……そういえば、母がブドウを取ってくれたときには、すでに魔力が見えていた。
「個人差があるんだけど、魔力量が増えると魔力を視認できる人もいるんだよ」
私の魔力量が増えた?
私は両の手のひらを見つめてみた。
……何の変化も感じ取れない。
とても喜ばしいことなのに、ちょっと怖い。
こんな急激な変化を、他人に指摘されてやっと自覚するなんて。
「どうしてこんな急に……」
鳳に襲われて、死に直面したから?
……いや、命の危機に瀕して魔力が跳ね上がることはあっても、それは一時的なもののはず。
「陛下に血を飲まれただろう? だからだよ」
その呼び名が出て、どきりとした。
ご隠居様に血を飲まれると、魔力量が増える?
そんなこと、思いつきさえしなかった。
「もしかして、もっと飲まれていたら、私、もっと強くなれてたってことですか!?」
「……うん?」
なんて惜しいことをしたんだろう……!
それを知っていたら、もっと血を飲ませていたのに。
だいたいご隠居様も、もっと太い血管を狙ってくれたらよかったのに!
「じゃあもう一回飲ませたら、私の魔力、もっと強くなります?」
「……シヅさん……?」
「う、嘘です、冗談です! 忘れてください!」
さすがにシロウ様の冷たい視線には耐えられなくて、私は言葉を取り消した。
次話投稿は 2026/7/3 21:00 です。




