51.魔法使いと黒の森(3/3)
「シヅさん!!」
「シロウ様!?」
シロウ様が駆けてきて、私の前で膝をつく。
髪が乱れ、痛々しい黄金色の眼差しで私を見上げた。
「どうしてここに……」
「シヅさんが鳳に連れ去られたって連絡があって、飛んできたんだよ」
連絡してくれたのは、きっと父だ。
よかった、無事だったんだ。
「みんな無事ですか!? 母は……!」
「大丈夫、みんな無事だよ」
シロウ様は百合の家紋が描かれた外套を脱ぎ、男性に借りた外套の上から私に掛けてくれた。
シロウ様の甘い匂いがして、一瞬で緊張がほどける。
シロウ様の外套を着こみ、男性の外套をするりと脱ぐと、シロウ様がきれいに畳んでくれた。
「怖かったね。怪我はない?」
「あ、あの、えっと……」
返答に詰まって、私はさっきまで傷を負っていた手首を、もう片方の手で撫でた。
さっきそこの男性から手首をざっくり斬られて、舐められて、でも、もうきれいに治ってしまっていて、なんて説明すればいいやら……。
まごつく私を見て、シロウ様はハッとして男性を睨みつけた。
「陛下、まさか……」
「ああ、血をいただいた」
「なんてことを……!」
シロウ様が男性に詰め寄りそうになって、私は慌てて腕をつかんで止めた。
「シロウ様、私は平気です!」
「でもシヅさん――」
「本当に大丈夫ですから! それより、この方は……」
シロウ様はさっき『陛下』と言った。
そう呼ばれる身分の方が、なぜ『黒の森』にいるのか。
シロウ様は明らかにバツの悪そうな顔をした。
「……シヅさんはもう、紅国の興りについては勉強したよね?」
「は、はい」
――紅国は五人の人間と『賢者』と呼ばれる魔法使いが中心になって『悪しき魔法使い』を打ち倒したのが始まりだ。
私が教科書の一節を諳んじると、男性の唇が弧を描いた。
「私がその『悪しき魔法使い』だ」
不敵な笑みには妙な迫力があって、私はたじろいだ。
魔物の巣窟『黒の森』に住み、親切を装って屋敷に誘い込み、生き血を啜る――。
なるほど、まさに『悪しき魔法使い』だ。
――本当に?
あんなに強力な魔法が使えるのなら、あの場で血を啜って捨て置けばいい。
それなのに、外套を掛け、明るいお屋敷に連れ帰り、お茶も出して……途方に暮れる私を気遣ってくれたのも事実。
それに何より――
「シヅさんを怖がらせないでください」
シロウ様がぴしゃりと意見を言うのは、この男性を信頼しているから。
そんな人がただ悪い人であるとは思えない。
「簡単に言うと……昔あった魔法使いの国の王様、ってところかな」
「王様!?」
男性はつまらなそうにため息をついた。
「元、な。私は敗れた。今はこの通り、隠居の身だ」
伏せた眼差しから、これ以上踏み入ってはいけないような雰囲気を感じる。
何か並々ならぬ事情があるんだろう。
シロウ様がこっそりと囁く。
「ここに魔法使いがいることは内緒にしてくれる?」
「はい、分かりました」
「ありがとう。いずれ事情を話せるといいんだけど」
シロウ様は困ったように笑った。
やっぱり、シロウ様にとって私は、まだまだ未熟者だと思われているんだろう。
早く強くなって、事情を話してもらえたらいいな。
「それじゃあ、帰ろうか、シヅさん」
「はい、シロウ様」
私はシロウ様の先導で外へと出た。
何も見えない夜闇にシロウ様が照明魔法を灯すと、庭先に大きな絨毯が広がっていた。
来たときにはなかったはず、と思っているとその絨毯の真ん中に、シロウ様が腰を下ろした。
「おいで、シヅさん」と言ってとんとんと絨毯を叩いた。
言われるがままそこに座ると、絨毯がふわりと浮き上がる。
ふわふわのお布団に座っているような柔らかい座り心地に、ちょっと楽しい気分になって「わあっ」と声を上げる。
「気を付けて帰りなさい。きちんと休むように」
男性がわざわざ見送りに来ていた。
血を飲まれるなんて悍ましい体験はしたけれど、『黒の森』で途方に暮れていたところを助けていただいたのは事実。
「あ、あの……」
お礼を言おうとして、ふと、この男性の名前を知らないことに気が付く。
でも、相手が王様なら私からお名前を聞くのは失礼だし、聞いたところで名前で呼ぶのも失礼だ。
戸惑う私を見て、男性はふっと頬を緩めた。
「好きに呼びなさい」
「好きに?」
「私はあまり自分の名が好きではないから」
困った。
名付けなんてやったことがないし、自信がない。
嫌な思いをさせるのも怖いし、どうしよう。
「ご、ご隠居様……?」
戸惑いつつそう呼んでみると、ご隠居様はフッと微笑んで頷いた。
ご隠居様って呼んで、いいみたい。
「ありがとうございました、ご隠居様」
「礼はいらない。すでにもらったのだから」
ご隠居様は艶めかしい微笑みを浮かべ、形の良い唇を自分の指でなぞりながらそう言った。
……なんとなく目を逸らしてしまう。
「陛下、近いうちに伺います」
「ああ。『部品』の件、報告を待っている」
シロウ様は一礼ののち、絨毯の高度を上げ、木々の背丈を越したところで、勢いよく前進した。
最後にちらりと振り返ったとき、ご隠居様は静かに私たちを見つめていた。
空高く舞い上がった絨毯の上で、私は辺りを見回した。
ずっと遠くのほうに、横一列に並ぶ灯りが見えて、あれが騰蛇城なんだなと分かった。
そして後ろにはずっと暗闇が続いていて、その果ては見えなかった。
鳳に連れ去られてここまで来たけれど、『黒の森』の深部どころか中ほどにも至っていないのだと知って、気が遠くなる。
「さて、子爵たちが心配しているから、少しスピードを出すよ。落ちないように固定していい?」
「はい!」
私が頷くと、シロウ様は身に着けていた腰布を私の腰に巻き付けて固定し、シロウ様の半身が私に覆い被さるようにして背中を支えてくれた。
……シロウ様も元は魔法士官だ。
見かけの美しさに見蕩れがちだけれど、全身なかなか筋肉質なのだ。
触れる肩も腕も胸も腿も、頼りがいがあって安心する。
「シヅさん」
私が振り返ると、シロウ様がにっこりと微笑んだ。
黄金色の眼差しはとろけるように甘い。
「よく頑張ったね」
まるで慈しむようにそう言われて、気付けば、私はボロボロと涙をこぼした。
今まで堪えていた涙が、一気に噴き出てきたのだ。
だって、鳳に連れ去られて、餌にされそうになって、『黒の森』で一人になって、すごくかっこいい男性に血を吸われるなんてことが、この半刻のあいだに起こったのだもの。
今くらい泣いたっていいじゃない!
「助げに来てくだざって、ありがとうございまず、シロウ様あぁー!」
私がうえーんと幼子みたいに泣き声を上げると、シロウ様は頷いて、ただ黙って私が落ち着くまで見守ってくれた。
ひとしきり泣いたあと、落ち着いた頃合いを見て、シロウ様が優しく言った。
「無事でよかった。……と言いたいところだけど、単純な疲労と、魔法を使いすぎた反動と、緊張の緩みと、あと、あの方に血を取られた影響で、シヅさんはこのあとしばらくは動けないと思う」
さほど驚きはなかった。
もう自分の身体がふわふわと浮かび上がるようで、今までは空を飛んでいるせいかと思っていたけれど、疲労だと言われると妙にしっくりきたのだ。
自覚すると同時に、身体から力が抜けていく。
「……眠っても、いいですか?」
「いいよ。横になってごらん。ちゃんと子爵の元まで連れて行くから」
私は身体を丸めて横になる。
すると、一気に瞼が重くなり、目を開けていられなくなった。
意識も急激に遠のいていく。
「おやすみなさい」
優しく降る声に、私もそう返したかったけれど、たぶん応えられないまま、私は深い眠りに落ちた。
次話投稿は 2026/6/27 21:00 です。




