49.魔法使いと黒の森(1/3)
鳳はものすごいスピードで騰蛇城から遠ざかっていく。
真下に流れるのは『黒の森』の木々。
段々と葉が深い色になっていく。
黄緑色から、深緑、紺、紫黒――。
騰蛇城から見たままの色彩がすぐそこにある。
もっと奥に行けば、葉の色は真っ黒なんだろうか?
恐怖の中に芽生えた一抹の好奇心が、正気を失わせてくれない。
みんな無事だろうか?
母は助かっているんだろうか?
私はどこに連れて行かれるんだろう?
死の気配がすぐそばにある。
抵抗すべき?
いや、抵抗すればここで死ぬ。
でも、抵抗しなくても、やっぱり死ぬ気がする。
結局私は、抵抗なんかしなかった。
いや、できなかった。
鳳の足にがっちりと固められて身動きが取れず、硬化魔法を使ったまま鳳に攻撃できるほど魔法を使いこなせていない。
私はなんて弱いんだろう。
授業でも魔力解析でも、たくさんのことを教えてもらったのに。
そうして、鳳に連れてこられたのは、大樹の横穴だった。
鳳がすんなり入ってしまうほど大きな大きな横穴に、私はポイッと投げ出された。
敷きつめられた枯れ葉と硬化魔法のお陰で痛みはなかった。
きっとここは鳳の巣だ。
鳳は巣の奥に呼び掛けるように、ピロロピロロと鳴いた。
すると奥のほうから、ピヨ、と高い鳴き声が聞こえた。
雛だ。
ぽっちゃり真ん丸としたふわふわの雛が、短い足でてちてちと歩いてくる。
「わ、可愛い! ……あれ?」
雛が近付いてきて分かったのだけれど……、大きい!
私の身長と雛の体長、あまり変わらない気がする……。
しかも、嘴だけは太くて立派なものが備わっている。
嫌な予感がして身体を硬化させた次の瞬間、その立派な嘴で容赦なく私をつつき始めた。
がつんがつん、とつつかれるたび、身体の芯にじんじんと響いて、私は逃げるように後退る。
が、そっちには親鳳がいて、足爪で雛のほうへと弾かれた。
これってもしかして、私で狩りの練習してる?
雛につつかれるたび、私は後退っては、親鳳の嘴や足で雛の元にポイッと戻される。
硬化魔法を強めにかけているから痛くはない。
けれど、鳳の巨体と鋭い嘴が眼前にあると、いつか私を貫くんじゃないか、という嫌な想像をしてしまう。
それに、親鳳がその気になれば、たぶん、私の硬化魔法ごと噛み砕くのは容易い。
親鳳が痺れを切らしたそのときが、私の最期だ。
なんとかここから逃げないと!
そう考えていた正にその時。
走って近付いてきた雛が目測を誤って、私に強くぶつかった。
予想だにしていなかった体当たりに、私は身体が浮いて、弾むようにして親鳳のほうに転がっていく。
親鳳の足がまた私を弾こうとして――すり抜けた。
親鳳も、目測を誤ったらしい。
親鳳の足元を抜けても、まだまだ転がる。
衝撃が強かったせいで全然体勢を立て直せない。
私はそのまま、巣から転がり出た。
最後に見た鳳の親子は、「やっちゃった」と聞こえてきそうな顔で私を見ていた。
「助かった……」
本当に、本当に幸運だった。
生い茂る枝葉にぶつかり、蔦に引っ掛かりながら少しずつ落下の勢いを殺し、途中で手頃な枝を掴むことができて、そこからは幹を伝って、なんとか地上に降りて来られた。
ただ……、鳳親子に弄ばれたうえ、落下したときに枝に服が引っかかって、外套はおろか、シャツやズボンもボロボロになってしまった。
隠すべきところも隠せていない。
情けない格好をちょっとでも隠すため、大樹の根元の窪みにぴったりと収まるように、小さく三角座りをして息を潜めた。
……これからどうしよう。
ここは『黒の森』。
すでに日は落ちて、魔物たちの活動時間になってしまった。
何も見えない闇のなか、激化した魔物たちがどこにいるとも知れない。
……私、助からないんじゃないかな……?
いやいや、弱気になったらダメ。
助かる助かる、絶対助かる!
そのためにどうすればいいか考えないと!
とりあえず、朝を待とう。
太陽が出れば方角も分かる。
魔物の活動だって減る。
もしかしたら自力で帰れるかもしれない!
そうと決まれば、朝まで持ちこたえる方法を考える。
私一人で、『黒の森』で、おおよそ半日、生き抜く方法……。
「運……?」
絶望を感じ、思わずそう呟いた。
だって、鳳に見つかったらまず勝ち目はないし、逃げる方法だって思いつかない。
鳳だけじゃない、他の魔物だってそうだ。
一体ならともかく、群れ相手なんて絶対無理だ。
おなかもすいてきた。
これだけ木々が生い茂っているのだから、探せば食べられそうな実があるだろう。
けれど、ここは『黒の森』。
魔法使いに効く毒を持つ植物があるかもしれない。
飲み水は魔法でなんとかなるけれど、騰蛇城までの距離を考えると、魔法石は節約したい。
大事なところで魔法が使えなかったらおしまいだ。
こうして考え込んでいるあいだにも、鳳が降りて来ないか、他の魔物に見つからないか……不安で不安で堪らない。
私は膝を抱え込み、現実から顔を背けるように深く俯いた。
そのとき、小さな音がした。
まただ。
一定のリズムで草を踏む音がする。
……足音だ。
魔物かもしれない。
思わず顔を上げた。
すると、視界がさっきより明るいことに気付く。
足音が近付くたび、視界が少しずつ明るくなっていく。
照明魔法だ。
おかしい。
魔物の多くは人間より鼻が利くから、灯りは必要ないはずなのに。
足音と灯りは更にこちらに近付いて来る。
まるでここに私がいると分かっているかのよう。
固唾を飲んで、さらに身を縮こめた。
茂みから出てきたのは……人だった。
魔法使い。
照明魔法が濃い影を作って顔は見えない。
背格好からたぶん男性だ。
唯一、総髪にした長い髪が、艶めいているのはよく分かった。
私はしばらく、男性をまじまじと見つめていた。
だって、信じられない。
普通に考えれば、こんなところに人がいるわけない。
人に化けている魔狸なんじゃないか、魔狐が幻覚を見せているんじゃないか、と思った。
「可哀想に。怖かっただろう」
「え? あ、えっと……」
静寂の森に溶け込むような低い声。
私を心配する言葉はどこか温かくもあって、縋りたくなるような包容力すら感じた。
でも、すぐに現実に引き戻される。
ここは『黒の森』。
魔法使いがいるわけない。
やっぱり幻か、都合のいい夢なんじゃないだろうか。
返事をしたらいけない気がする。
けれど、もし、魔物が私を餌にしようとしているのなら、もっと身近な人に化けて言葉巧みに誘うことだってできるはず。
こんな見知らぬ人に化けるなんて効率が悪い。
だったら、やっぱりこの魔法使いは私を助けてくれようとしている?
もう、どうしたらいいか分からなくなって、堪らず目を伏せる。
すると今度は、ボロボロになった服が目に入り、情けなさと恥ずかしさで膝を身体に引き寄せた。
男性がゆっくりとこちらに近付いてくる。
「これを着なさい」
顔を上げると、男性が自身の足首まである長い外套を脱いで、私に差し出してくれていた。
「……ありがとうございます」
私は立ち上がり、借り物の外套を羽織った。
今まで嗅いだことのない、濃厚で芳しい香りがする。
ふと、裾が地面についてしまったことに気付いて、慌てて外套をたくし上げた。
「そんなことは気にしなくていい」と男性はくつくつと笑う。
ああ、この人は、ちゃんと『人』だ。
魔物なら私の気遣いに気付くはずがない。
「疲れているだろう。近くに屋敷がある。少し休んでいきなさい」
「お屋敷が、あるんですか? ここに?」
「ああ」と短く肯定して男性は歩き出す。
お屋敷?
この男性は、ここに住んでいるの?
『黒の森』に?
……信じられない。
やっぱり、嘘をついてるんじゃない?
今からでも、一人でなんとかするべきなんじゃない?
「安心なさい。取って食ったりはしないから」
私を揶揄うように、男性はそう言った。
……もう今さら、私一人でなんとかする気力なんて残っていない。
私は男性についていくことにした。
次話投稿は 2026/6/24 21:00 です。




