46.魔法使いと騰蛇(4/4)
騰蛇に来て三日目、私は朝から憂鬱だった。
今日も処置室での仕事がある。
それに不満はない。
ただ、昨日と違って、今日は魔臓から魔法石を取り出す仕事をしなければならない。
私に魔臓の処理がこなせるかどうか、不安だ。
いつもなら誰かに助言を求めるのだけれど……、今朝はとてもそんな雰囲気じゃない。
「おい、シロウ」
「なんです、子爵」
「……なんだ昨夜の魔物の数は」
「言ったじゃないですか、一昨日は少ないほうだって」
相当ひどい状況だったらしい。
そしてもう一つ、みんながピリピリしている理由も分かっている。
この朝食を終えたら、シロウ様は旅立ってしまうのだ。
「いやあ、子爵がいたら百人力だなあ。なんて言ったって、私より強いんですから」
「あー、シロウ、それは――」
「いい報告を期待してますね」
……いくら父や母がいるとはいえ、私も不安になる。
朝食に出されたおやきをかじる。
……味がしない。
もそもそとした舌触りが残り、お茶でごくんと流し込んだときだ。
「ただいま戻りましたー」
ノックと共に、気の抜けた声がした。
……この高い声、聞き覚えがあるような?
「どうぞ」というシロウ様の声と共に、食堂の扉が勢いよく開け放たれた。
予感は的中した。
ふわふわとした黒い髪も、くりくりとした灰色の丸目も、今日もとても可愛い。
「ハクト君……!?」
私を見て、ハクト君も目を丸くした。
「あれ? シヅちゃん? なんでこんなところにいるの?」
「私は魔物討伐のお手伝いに来たんだよ」
「へー、大変だね」
私に尋ねておいて、ハクト君はさして興味なさそうだった。
間違いなく私の知るハクト君だ。
そしてなんの断りもなく私の隣の席に座り、そうするのが当たり前みたいに、朝ごはんのおやきに手を伸ばす。
「ハクト君はどうしてここに?」
「どうしてって、ここが僕の実家だもん」
私は首を捻った。
「でもここ、シロウ様の……」
「そのシロウサマが僕の後見人だもん。だから実質、僕の実家」
「ええ!?」
そんな偶然ある!?
というか、ただの後見人の家を実家と言い張るなんて、さすがハクト君は神経図太いなあ……。
私が固まっているあいだにハクト君は、白陰のみんなと打ち解けて談笑している。
さすがの人懐っこさ。
みんなの緊張も少し緩んで、私はまた、おやきをかじる。
今度は、野菜のシャキシャキとした歯ごたえを感じた。
* * *
シロウ様が旅立つ前の、最後の時間。
父や母がシロウ様から最後の引継ぎを受ける場に、私も同席していた。
設備や物資に対する不安はない。
ただ、やっぱり魔物の激化と、『魔物制御装置』の故障がどう影響するか、楽観視はできない。
父は明らかに苛立っていて、シロウ様に突っかかっていた。
「いつ頃帰ってくる予定でいるんだ?」
「会議自体は夕方には終わるので、早ければ日付が変わる前に帰ってこられると思います」
「今回は欠席したらどうだ?」
「そうもいかないんですよねえ」
「大体、家族会議など、毎月毎月やる必要があるのか」
「私に言われましても……」
シロウ様は父をいなしながら、人員の調整を行っていた。
シロウ様がいないあいだ、前線に多く人員を割くようにしていた。
けれど、そうすると見張りの人員がカツカツらしい。
そこで、私は迷わず手を挙げた。
「はい! 私、見張りのお手伝いをしたいです!」
父と母が目を丸くして顔を見合わせる。
助け船を出してくれたのはシロウ様だ。
「いいんじゃないですか? あくまで手伝いってことで、監視台ではなく、屋上なら足場も悪くないですし、いい勉強になるかと」
その言葉に、父と母も頷いてくれた。
「ただし、日が落ちたら居館に戻るんだぞ」
「少しでも危険を感じたら城の中に入るのよ」
「はい! お父様、お母様、ありがとうございます!」
そうして忙しく引継ぎを終え、ついにシロウ様の出発の時間がやってきた。
馬車までお見送りしようとしてシロウ様から止められる。
どうやらシロウ様は遠くの馬車まで転移して、そこから本家に行くらしい。
少しでも時間を節約できるように、だそうだ。
居館の執務室で身支度を終えたシロウ様が、最後に外套を羽織る。
深紅のつややかな布地に、百合を模した金色の刺繍。
その背中はどこからどう見ても、夏炎侯爵家の人だ。
……少しだけ、シロウ様が遠く感じる。
「シヅさん」と言ってシロウ様が振り返った。
「見張り、よろしくね」
シロウ様はいつものように優しく微笑んだ。
たったそれだけで、嘘みたいにやる気がみなぎってくる!
「はい! もちろんです! シロウ様、お気をつけて」
「ありがとう、シヅさん。行ってくるね」
シロウ様は父に視線を移す。
「万一の際は信号を。奥の手がありますから」
「……ああ。気を付けて行ってこい」
シロウ様がにっこりと笑うと、途端に魔力が渦巻く。
私が一つ瞬きをするあいだに、シロウ様の姿は消えていた。
* * *
見張りを担当するまでの時間、私は処置室で魔臓の処理をしていた。
魔法石を傷つけないように魔臓を裂き、魔法石を一つ残らず回収して洗浄係に回す。
言葉にすれば簡単なのに、魔臓のどこに魔法石があるのか、本当にすべての魔法石を取り出したのか、一つ一つの確認に時間がかかって、バケツの中がちっとも減らない。
ほかの人たちはどんどんバケツの中を空にして、次のバケツを持ってくる人もいるのに。
私が一人焦っていると、向かいに誰かが腰を下ろした。
顔を上げると――
「ハクト君!」
「手伝えって言われちゃって。一緒にいい?」
「うん!」
ハクト君は私のバケツから一つ魔臓を掴み上げる。
魔臓を捌きながら、ずっと喋り倒していた。
「シロウサマったら、帰ってきたばかりの僕を扱き使ってさあ。魔臓の処置のほかにも、書類整理とか、魔力観測とか、お使いとか……。帰ってくるのに四日もかかったんだから、ちょっとくらい労わってほしいよ。
シロウサマは本家の集まりに行くんでしょ? きっと美味しいもの食べてくるんだろうなー。いいなー」
……そんなふうにシロウ様の愚痴を吐きつつも、ハクト君は丁寧かつ慣れた手つきで魔法石を取り出していく。
ひとしきり愚痴を言い終えてすっきりしたのか、ハクト君はさらに処理のスピードを上げ、次に私が顔を上げたときにはバケツを空にしていた。
「慣れてるんだね?」と思わず聞いた。
「まあね」とハクト君は得意げだ。
そんなハクト君が、ふと気まぐれのように私の手元を見て、ぎょっとしていた。
「……シヅちゃんって、魔臓の処理、初心者?」
「うん。……よいしょ、っと!」
魔臓を割くために、両の親指を無理やりねじ込んだ。
びちゃっと血肉が飛んで、周りを汚す。
「うわ……」と呟いたハクト君の顔が、あーあ、みたいな表情になっている。
「もー、誰か教えてあげればいいのに。……あ、違うな。シロウサマめ、僕が教えろってことか。しょうがないなー」
ハクト君がため息一つついたあと、私の手を取り、魔臓から私の指を引き抜いた。
べちゃっと落ちた魔臓を拾い上げ、私の目の前に突き出してくる。
「気持ち悪いかもしれないけど、ちゃんと魔臓の構造を理解しないとダメだよ。
ほら、魔臓に入るほうの弁があるでしょ。で、こっちが出るほうの弁。出るほうの弁は指入らないでしょ。今みたいに無理矢理入れちゃダメだよ」
「ご、ごめん……」
私は言われた通りに手を動かし、魔臓を割く。
すると、ハクト君はまた説明を始めた。
「魔法石が生成される場所は……、これ、この太い血管をなぞるといいよ。大体ここにあるから」
ハクト君はそう言って、実演しながら教えてくれた。
さっきは面倒臭そうな顔をしていたのに、今のハクト君はにこやかで、不思議と声音も優しい気がする。
「じゃあ、ほら、最初から一緒にやってみようよ」
「うん!」
そうしてハクト君の指導の通り、しっかりと魔臓を観察してから手を動かす。
すると、今までの苦労はなんだったんだろう? というくらい、すんなりと魔法石を取り出すことに成功した。
「ね、できるでしょ?」とハクト君がちょっと得意げに言った。
達成感と、私にもできたという安堵で、ふっと肩の力が抜ける。
いつの間にか、必要以上に気を張ってしまっていたことに気付いた。
「ありがとう、ハクト君」
私の言葉に、ハクト君はきょとんとしていた。
けれど、悪い気はしなかったみたい。
「どういたしまして」
いつもの、花の綻ぶような可愛い笑顔が返ってきた。
こんなに丁寧に教えてもらったんだから、今までの手際の悪さを挽回しないと!
次話投稿は 2026/6/13 21:00 です。




