45.魔法使いと騰蛇(3/4)
魔物の群れの周りだけ、まるで空気が淀んでいるかのよう。
その得体の知れなさに私は息を呑む。
でも、怖がっている場合じゃない。
魔物討伐を見学できるチャンスなんだから!
手のひらをぎゅっと握り締め、無理矢理震えを止める。
シロウ様が窓越しに前線を指差して言った。
「シヅさん、重装歩兵が見える?」
「はい!」
頭は兜で、身体は鎧で覆われた人たちが、片手に槍を、片手に巨大な盾を持ち、騰蛇城の前に壁を作った。
「シヅさん、下を見てごらん」
シロウ様が指を差したほうへ視線を落とすと、騰蛇城のバルコニーのような部分にも多くの兵士が並んでいた。
「あれは弓兵ですか?」
「その通り。それから、ここからは見えないけど、この真下には魔法兵も配備されている」
大きく揺れ動く原っぱに視線を戻す。
だんだんと揺れが大きくなり、ちらりちらりと紫色の体毛が見え始めた。
と、思ったのも束の間、あっという間に若草色を紫色が塗り潰していく。
「魔狼、三十くらいかな」と呟くシロウ様の口調には、どこか余裕があった。
でも私は、その勢いに気圧されて息を呑む。
ひと塊になった魔狼の群れは、まるで土砂のよう。
あんな勢いで突っ込まれたら、いくら武装していても吹っ飛ばされてしまいそう。
そう思った瞬間、弓兵が一斉に矢を放った。
矢は見事に土砂の上に降り注ぎ、所々から赤い飛沫が上がる。
そこでやっと、あれは生き物なんだ、という実感が沸いた。
勢いが弱まった魔狼たちを、重装歩兵が数人一組となって魔狼一体を取り囲み、確実に突き殺していった。
魔狼は徐々に数を減らしていく。
この調子ならもう覆ることはないだろう。
「今回は魔法兵の出番はなかったですね」
私がそう言うと、シロウ様はにやりと笑った。
「そうでもないよ」
シロウ様が指差した先に、空を悠然と泳ぐ一匹の魔鷲が見えた。
次の瞬間、何かが魔鷲を貫く。
この気配は、魔力だ。
私の足元よりずっと深く、魔法兵のいる場所から放たれた。
よく見ると、魔鷲の胸にぽっかり穴が開いている。
魔法兵が狙撃したんだ。
魔鷲はしばらく風に流されていたけれど、やがてふらつき、墜落していった。
「あの魔鷲は偵察かな」
「偵察?」
「そう、地上の魔物と連携しているんだ」
「魔物って、そんなことができるんですか!?」
「うん。『黒の森』の魔物くらいだけどね」
そんな会話をしているうちに、最後の魔狼が串刺しにされ、完全に動かなくなった。
抜けるような青空には一点の曇りもなく、草木は風に揺れるだけ。
カーンカーン、と鐘が鳴る。
掃討完了の鐘だ。
わあっと歓声が沸き上がる。
重装歩兵のみんなが肩を組み、弓兵がハイタッチしているのが見える。
魔法兵の姿はここから見えないけれど、きっと喜び合っているんだろう。
人間も魔法使いも関係なく笑顔になった光景が眩しい。
こういうの、なんだかいいなって思った。
「少しは参考になったかな?」
「はい! 解説いただきありがとうございました」
「どういたしまして」
シロウ様に解説していただけて、本当によかった。
魔物との戦闘一つとっても、まだまだ私の知らないことだらけ。
強くなるためにも、もっと現場を知らないと!
「さて、魔物も片付いたし、そろそろ仕事の話をしようか」
私はハッと我に返る。
そういえば仕事の話を聞きに来たんだった。
すっかり忘れていた。
「シヅさん、これをどうぞ」
手渡されたのは、真っ黒で平べったいひし形の『護石』だ。
「これ、入館証ですか!?」
騰蛇城には入館証がないと入れない仕組みになっている。
さらに、入館証ごとに出入りできる場所を細かく設定している。
一般人が迷い込んだり、未熟な兵士が危険な場所に立ち入ることを防ぐためだ。
「うん。……ただ、仕事場と地上階の出入り口、あとは屋上くらいだけど」
「屋上に出ていいんですか!?」
幼いとき、屋上に行きたいと何度訴えてもダメだと一蹴されたのに。
「うん、子爵がいいって。シヅさんも大きくなったからね」
「ありがとうございます、シロウ様!」
入館証を首から下げ、服の上から秘密の宝物みたいに撫でた。
嬉しい!
これでみんなの魔物討伐が見学できる!
「さて、それじゃあ仕事場に案内するね」
「はい! お願いします!」
そうして私はシロウ様の背を追って、騰蛇城を下へ下へと進んで行った。
* * *
対魔物戦の最前線である騰蛇城で、私に託された仕事は――魔法石の洗浄だった。
……まあ、そうかなって思っていた。
私はまだ戦力にならないのだから、裏方仕事くらいしか回ってこない。
みんなと一緒に戦いたかったなあ……。
いやいや、これも大事なお仕事だもの。
頑張ろう!
私は騰蛇城の最下層にある『処置室』の扉を開けた。
ひんやりとした空気が身を包む。
一歩踏み出し、中を見て――固まった。
山のように積み上がっていたのは、魔狼の死体。
処置室は討伐された魔物が安置される部屋だ。
シロウ様に言われた通り、嗅覚を遮断していてよかった。
妙な静けさのなか、苦悶の表情を残した魔狼たちの姿を見て、死の気配を肌で感じて、それだけで鳥肌が立ってしまっている。
「シヅさん、大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫です!」
……委縮している場合じゃない。
私は私のやるべきことをやらないと。
シロウ様が処置室を出たあと、私は早速、洗浄係として作業を開始した。
魔物の解体係から魔臓を受け取り、魔法石を取り出して、きれいに洗う。
その中でも、私は魔法石をきれいに洗う作業を任された。
……さすがに魔臓を触るのはまだ抵抗があるから、簡単な作業で良かったなと安堵した。
途中、何度も終わりかけたところで魔物の来襲があり、なかなか休む間もなかった。
処置室には、腐敗を抑えるための冷却魔法がかかっている。
けれど私は、汗をダラダラかきながら、でもそれを拭う間も惜しいくらいに、必死で手を動かした。
ここの作業が滞れば死体が傷み、貴重な食糧が無駄になる。
適当に洗って魔法石が割れてはいけないし、付着物のせいで魔法石の純度が落ちることだってある。
魔物討伐のような派手な仕事ではないけれど、ここにいるみんなが騰蛇を、ひいては紅国を支えている。
私もその一員でありたいと思った。
「シヅ」
唐突に真上から名前を呼ばれ、肩が跳ねた。
「お父様! どうしてここに?」
「迎えに来た。もうすぐ夕飯だぞ」
「もうそんな時間……!? ありがとうございます」
残っていたものはほかの人にお任せして、私は父と一緒に騰蛇城を上へ上へと上っていった。
地上階に辿り着き、父がふと、『黒の森』のほうを振り返った。
「なにか、考え事ですか?」
父は考え事をするとき、顎鬚を触る癖がある。
処置室から地上階に来るまで、父は何度も顎鬚を撫でていた。
「どうも妙な気配がする」
「妙な気配? 魔熊とか魔豹ですか?」
私がそう尋ねると、父は被りを振った。
「いや、これは『黒の森』にのみ生息する魔物だろうな」
「『黒の森』にのみ生息する魔物……?」
小さいころ読み聞かせてもらったお伽話を思い出す。
『黒の森』には、龍と呼ばれる大きな蛇みたいな動物とか、鳳という巨大な鳥とか、特別な魔力を持つ白い虎とか、一万年も生きていて山のように肥大化した亀とか、そういった魔物が存在するといわれている。
でも所詮はお伽話。
そんなものは実在しないと思っていた。
――それがまさか、存在する?
「シロウなら訳もなく倒せるだろう。だが俺は……、倒せるが、犠牲者も出るだろう。そうなる前に情報収集と事前準備を――」
「お父様」
私は父の言葉にある引っ掛かりを覚え、思わず父の言葉を遮った。
今聞くべきではないと分かっているけれど、でも、聞かずにはいられない、決定的な矛盾だった。
「シロウ様って、お父様と同じくらい強いんじゃなかったんですか?」
「あ」と言って、父が硬直した。
そういえばそう言ったんだった、みたいな顔をしていた。
「シロウ様のほうが、お強いんですよね?」
「……まあ、場合によっては、そうなるときもある」
本っ当に、負けん気が強いんだから……。
実はもう、気付いていた。
父よりシロウ様のほうが魔力がうんと高いこと。
次話投稿は 2026/6/12 21:00 です。




