37.魔法使いと帰省(3/4)
期せず魔物に遭遇したものの、ツバキ先輩は冷静に魔力を練り始めていた。
私も少しくらいはお手伝いしないと!
逸る気持ちを抑えながら、私はまず、対魔物戦の座学でミチル先生が言っていたことを思い出す。
――『最初にやるべきことは、魔物の正確な数を把握することだ』
そのために必要なのは……探知魔法!
私は服の上から魔法石に触れ、探知魔法を発動した。
前方、魔物の背後まで探知範囲を広げる。
手元のレーダーに映ったのは、八個の点だ。
八体の魔物がいることを表している。
一定の距離を保って、近付いては来ない。
魔物たちも私たちの出方を警戒しているのだ。
魔物に鋭い視線を向けていたツバキ先輩が、ちらりと私を見た。
これまで何度も見てきた温かな眼差しだった。
「シヅさん、魔物の探知は周囲に行ってください。後方に潜んでいる場合もありますから」
「あっ……、すみません……」
「焦らなくても大丈夫です。今回は前方にしかいませんから」
ツバキ先輩はもう、魔物の配置を完全に把握していたらしい。
一手遅れを感じながら、私は前方への探知を、周辺の探知に切り替えた。
確かに、側方や後方には魔物はいなかった。
私が探知を終えるや否や、ツバキ先輩が前方に手を突き出し、同時に魔法が発動した。
ゴオッと豪風が渦巻き、凍えるような冷気が魔物に襲い掛かる。
四体の魔物はその場から素早く跳び退いて躱し、その場から動かなかった四体の魔物に直撃する。
いや、動かなかったのではない。
動けなかった。
ツバキ先輩が先手を打ち、魔物の足元が土の中に埋まっていたから。
レーダーから四体の魔物が消えた。
――絶命したのだ。
私はまた授業の内容を思い出していた。
――『基本、魔物は自分たちの不利を悟ると逃げる。首領がやられるとか、群れの半分がやられるとかな』
今の一撃で群れの数は半減した。
それに、ツバキ先輩は身体の大きい魔物から仕留めていた。
どれかが首領だったはず。
けれど、残念ながら魔物たちは撤退しなかった。
私たちに牙を剥いて、今にもこちらに跳びかかってきそう。
「……逃げませんでしたか」
そう小さく呟き、ツバキ先輩がまた手を前に突き出そうとして、――ピタリと止まる。
魔物も、私も、動けなくなっていた。
拘束されたわけではない。
ただ、突如この場に強大な魔力が満ちた。
それはまるで見えない糸が張り巡らされているかのようで、動けば身が裂けるんじゃないかと思うほど鋭い。
この魔力は私たちに向けられたものじゃない。
魔物たちを威嚇し、牽制するための魔力だ。
そう分かっていても、身体が動かない。
魔法使いの本能が、動いてはいけない、と警鐘を鳴らしている。
でも、魔物たちは違った。
牽制は魔物たちの感情を逆撫でしてしまったようだ。
魔物たちが低く唸り、一斉にこちらへ跳びかかってきた。
こういうとき、まずは身の安全を守るように、とミチル先生に言われていた。
だから私は身体を硬化させて――……。
いやダメだ、魔馬たちもツバキ先輩も守らないと!
まごつくうちに、ツバキ先輩が薄く広く周囲に結界を張ってくれた。
けれどその結界は、まるでシャボン玉みたいな薄い膜だった。
魔物たちがぶつかったら衝撃で割れてしまう!
私は咄嗟に前に出た。
せめてツバキ先輩は守らないと!
魔物の鼻先が結界に触れそうになって――パン! と弾けるような音がして、暗転した。
いや、確かに弾けた。
魔物の身体が急激に膨らみ、私たちを睨む目玉が窮屈そうに瞼からこぼれたのを最後に、あの破裂音がして、視界は真っ暗になった。
結界が汚れてしまったのだ。
何で真っ黒になってしまったかは考えるまでもなかった。
レーダーから魔物を示す点がすべて消えていた。
「お怪我はないですか?」
小さな声で背後のツバキ先輩が言った。
「はい、私は大丈夫です。ありがとうございます」
ツバキ先輩は安堵のため息を一つ零して、それから、魔法で作った薄い結界を丁寧に持ち上げる。
外側にこびりついたものが零れないように、そっと包み込み、馬車の外へと下ろした。
頭上の照明魔法が下りてきて、私の身辺をくっきりと照らし出す。
怪我もなければ、汚れの一つもない。
お礼を言おうとして顔を上げ――ギョッとした。
「ツバキ先輩、大丈夫ですか? お顔が真っ青です」
いつもの健康的な頬と唇が真っ青になって、額には脂汗がびっしりと浮かんでいる。
「大丈夫です」とツバキ先輩は言うものの、言葉は震えていて力無く、明らかに体調が悪そうなのだ。
そういえば、ツバキ先輩は血が苦手だと仰っていた。
まさか、魔物の血もダメ?
そう考えていたそのとき、下から声がした。
「大丈夫ですか? 坊ちゃん」
レイさんだった。
いつから外にいたんだろう?
さっき――レイさんが強大な魔力を放ったときには、まだ客車のなかにいたのに。
「坊ちゃん、気分を悪くされたでしょう? 私めが御者を代わりますので、坊ちゃんはお休みください」
「……では、お言葉に甘えて」
すぐに私は助手席から降り、ツバキ先輩に手を差し伸べる。
少しの逡巡のあと、ツバキ先輩は私の手を取ってくださった。
ツバキ先輩の手は小刻みに震え、すごく冷たくて、まるでツバキ先輩の手じゃないみたい。
咄嗟に借りた外套を脱ぎ、魔法でツバキ先輩の肩にふわりと掛ける。
「外套、ありがとうございました」
寒くて震えているわけではないと分かっていても、それくらいしか私にできることがなかった。
「……いえ、お気遣いいただき、ありがとうございます」
そう言って、ツバキ先輩はぎこちなく微笑んでくださった。
なんとなく気まずそうなのは、まさか自分が見送られる側になるとは思ってなかったからだろう。
客車に乗ったツバキ先輩を安心させるように私は微笑んだ。
「おやすみなさい、ツバキ先輩」
「ええ、おやすみなさい、シヅさん」
客車の扉を閉め、足早で私の乗る馬車へと向かう。
その勢いのまま靴を放り脱ぎ、布団に潜り込んだ。
すごかったなあ……!
魔物との交戦を間近に見られるなんて!
しかも、魔物を半分倒したのはツバキ先輩だ。
ツバキ先輩の魔力は、私とそう変わらない。
だから、私の魔力でも充分に魔物と渡り合えるんだと分かって嬉しくなる。
ああ、でも、今日は全然お役に立てなかった。
自分で自分に失望するくらい、全然頭が回らなかった。
もっともっと勉強して、実践を積まないとなあ……。
しばらくすると興奮の糸が切れ、馬車の心地良い揺れも相まって、私はいつの間にか深い眠りについていた。
次話投稿は 2026/5/17 21:00 です。




