34.魔法使いとお披露目会(4/4)
そうして食事会が始まったものの……、祝福する空気は吹き飛んでしまった。
兄のせいだ。
愕然としていて、視線はどこか空虚を見つめ、食事の手が震えている。
……マリカに申し訳が立たない。
せっかくこの場を設けてくれたのに。
ツバキ先輩にも申し訳ない。
外堀を埋められて参加したくもない食事会に同席してくださったのに、こんな空気になってしまって。
「この辺りではあまり使われないハーブですね」
静かに食事をしていたツバキ先輩が、唐突に声を上げた。
それは気付きの一言で、快にも不快にもどちらにも取れる。
どう受け取ればいいか分からずドキリとした。
「あ……、お、お口に合いませんでしたでしょうか……!?」
マリカの声が震えている。
粗相をしてしまったのではと。
「とんでもない! とても美味しいです。夏場にこのすっきりとした香味はいいですね。食が進みます」
ツバキ先輩は微笑んだ。
いつもの温かい笑顔で。
それから、ツバキ先輩は平然と美しい所作で食事をしながら、生け花の話や、兄とマリカの衣装の話、出てきた料理にまつわる話を挟む。
「象徴色で出迎えていただき、嬉しく思いました」
「この紋柄は冬雪州で永遠の誓いを意味するのでしょう、素敵です」
「わざわざ春花州の酒蔵から取り寄せていただいたのですね」
ツバキ先輩の発言は、主催者側の意を汲むものばかり。
申し訳なさそうにしていたマリカが段々と活き活きとしてきた。
そんなマリカを見ていると、兄は機嫌を悪くしたことが馬鹿らしくなってきたみたいで、こほん、と小さく咳払いをして沈黙を破った。
「ええっと……、春花侯爵令息――」
「アスカ様」
ツバキ先輩が、ぴしゃりと兄の言葉を遮る。
さすがに諫言の一つでも出るだろうか、と思っていたら、ツバキ先輩はいつものように穏やかに目を細める。
「失礼、お名前で呼ばせていただきました。私のこともどうぞ名前で。それから、私のほうが若輩者ですから、話しやすいようになさってください」
叱責を覚悟していた兄はぽかんと口を開けていた。
厳しい言葉を覚悟していたんだろう。
「えっと、じゃあ、ツバキ……君?」
おずおずと兄がツバキ先輩の名前を呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「無礼を働き、申し訳なかった」
私とマリカが目を見張る。
兄が謝った!? 父や母にはどんなに叱られても謝らないのに!
「とんでもないことでございます。アスカ様の不安も尤もです。せっかくの機会ですから、本日は少しでもアスカ様の不安を払拭できればと思います」
「じゃあ……、シヅとは、どんな経緯で婚約したんだい?」
いきなり確信を突くんだ……。
私は隣でハラハラしていた。
馴れ初めを聞かれるとは思っていたけれど、兄の訝し気な眼差しに、ツバキ先輩は委縮しないだろうか、と。
そんな私の心配は杞憂に終わった。
「私も貴族ですので、縁談を申し入れた際には、特別な思い入れがあったわけではありません。ですが、シヅさんは素直で真面目で、そこがとても奥ゆかしくて。私は末子なのですが、妹のように可愛らしく思います」
ツバキ先輩ってすごいなあ、って思った。
よくもまあ、出会って間もない『偽装婚約』しただけの相手のことを、こんなにも良いように言えるなあ……。
突然兄が頭を抱え込む。
「どうしたんです、お兄様?」
「非の打ち所がない……!」
兄は何かしらケチをつけてやろうと思っていたのだろう。
でも、欠点らしい欠点がないことをやっと悟ったらしい。
当然だ。
むしろ兄の狭量さが際立っただけだ。
兄は唇を噛み締めていた。
悔しさ半分、こんなできた男が我が妹の婚約者なら喜ばしいという気持ちが半分、といった複雑な面持ちだった。
しかし兄はとうとう観念したのか、立ち上がり、テーブルに額を擦り付けるかのように深々と頭を下げて、絞り出すように言った。
「妹を、よろしくお願いします……!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、アスカ様」
ツバキ先輩と兄が握手を交わすのを、私は生暖かい目で見つめていた。
『偽装婚約』なのになあ、と思いながら。
* * *
兄がツバキ先輩のことを認めてからは、とてもいい雰囲気で食事ができたと思う。
ツバキ先輩と揃いの衣装になっていることは、マリカに存分にからかわれ、兄には泣かれた。
「シヅってば、いっつも地味目な恰好ばっかり選ぶから、こんな華々しいシヅを見られて嬉しい」とか言っていた。
食事会が終わったあと、私とツバキ先輩は、春花侯爵の魔法特区邸に戻って来ていた。
食事会の格好のまま魔法士官学校に戻ったら、女子寮のお姉様方にからかわれてしまうもの。
普段着に着替え終わると来賓室に案内され、ふかふかのソファに掛ける。
ツバキ先輩がお茶を注ぐと、カランと氷が鳴る音とともに、柑橘の香りが広がった。
「シヅさん、本日はありがとうございました。楽しい時間を過ごすことができました」
ツバキ先輩はそう言ってにこにこと微笑む。
本当に、何事もなかったかのように。
それが心苦しくなって、私は立ち上がって頭を下げた。
「兄の失礼な言動、本当に申し訳ありませんでした」
ツバキ先輩は配慮が行き届いた人だ。
そんなツバキ先輩に、兄が噛みついてしまった。私の配慮不足で。
兄が『偽装婚約』のことを知らなかったのは計算外だったのだけれど……、マリカの婚約者は兄だろうと予測していたのだから、最初からツバキ先輩の参加を断るか、私が場を取り持たなければならなかったのに。
「シヅさん、顔を上げてください」
その言葉で頭を上げると、ツバキ先輩はいつものように穏やかに微笑んでいた。
「シヅさんに謝られるようなことは、何もありません」
「で、でも……!」
「アスカ様は何も知らなかったのですから、仕方ありません」
ソファに座るよう手で促され、私は渋々ソファに掛け直す。
ツバキ先輩が茶杯を手にしたので、私も倣って茶杯のお茶を飲んだ。
柑橘の香りに包まれても、まだ心のざわつきが消えない。
「むしろ、シヅさんには感謝しています」
「感謝……?」
「シヅさんと『偽装婚約』しなければ、私は、ハーブの味も、お相伴に与かる名誉も、誰かを着飾る喜びも、知ることができなかったでしょうから」
ツバキ先輩は『結婚する気はない』。
となれば当然、婚約者なんてできない。
ツバキ先輩にとって今日という日は、本来なら有り得ない一日だったのだ。
それを、有意義だと感じてくださったんだ。
「ありがとうございます、ツバキ先輩」
ホッとしたと同時に嬉しかった。
私にとっても、特別な一日だったから。
マリカと兄の幸せそうな晴れ姿を見られたこと。
そして、二人を安心させることができたこと。
ツバキ先輩じゃなかったら、きっとこうはいかなかった。
私は本当に恵まれているなあ。
「……でも、本当にイヤなときはイヤって教えてくださいね?」
「ありがとうございます、シヅさん」
甘えてばかりもいられない。
『偽装婚約』の日々がツバキ先輩にとって有意義であり続けるように、私ももっとツバキ先輩の婚約者らしく振る舞えるようにならないと。
窓の外に、金色の雲が浮かんでいた。
すっかり夏の夕空だ。
この空の色は、首都でも白陰領でも変わらない。
……まあ、それ以外は随分違うのだけれど。
白陰領のこと、ツバキ先輩にちょっとでも気に入ってもらえるといいな。
そう思いながら、私はまた茶杯を傾けた。
次話投稿は 2026/5/6 21:00 です。




