30.魔法使いと兄(2/2)
私たちがお店を出たときには、不審者はいなくなっていた。
訝しみつつも、これ幸いと早足で馬車駅を目指した。
ところが焦るあまり、道角で出合い頭にぶつかってしまった。
相手は人間だった。
ふらふらと覚束ない足取りの五人組。
真昼間だというのに、揃いも揃ってひどくお酒臭い。
「痛ってて」「なんでこんなとこに魔法使いがいるんだ」「汚ぇな」
「すみません」とだけ言って、その場を去ろうとした。
「おい待て!」
人間の一人が私に手を伸ばし――「痛って!」と悲鳴を上げる。
振り返ると、トウマ君が人間の手を掴んでひねり上げ、突き飛ばしていた。
尻もちをついた人間は顔を真っ赤にして声を荒げる。
「魔法使いのくせに人間様に盾突くってのかぁ!?」
別の人間たちも口々に言う。
「真昼間からでかい顔して歩きやがって」「商業区に魔法使いに売るもんなんてねえよ」「いや、売りに来たのかもしれないだろ」「あははそりゃ可哀想に!」「俺たちが買ってやろうかぁ?」
ゲラゲラと笑う人間たちのことが、正直腹立たしい。
でも我慢だ。
マリカが私の背をさすってくれている。
ハクト君は面倒くさそうな顔をしているけれど、私を人間から庇うようにあいだに入ってくれた。
私は細く長くため息をついて、気持ちを落ち着かせる。
本当に、しょうもない人間たち。
こんなの、相手にするだけ無駄だ。
さっさと立ち去ろう。
そう思ったのに、トウマ君が人間に詰め寄った。
「は?」
トウマ君の目が苛烈に光り、人間たちを睨みつける。
こんなに怒ってるトウマ君、初めて見た。
今にも掴みかかりそう!
そのとき、あることを思い出し、胸に手を当てた。
服越しに魔法石の魔力を取り出し、その魔力で魔法陣を描かず、風船のようにふくらませて――破裂させた。
魔力がものすごい勢いで同心円状に広がっていく。
――これは、魔法使いの救難信号。
「万が一のときは迷わず使うんだぞ」とミチル先生が教えてくれたのだ。
人間は魔力を感知できない。
目の前の人間たちも、よもや救難信号を送られているとは思っていない。
「魔法使いのくせに生意気な目ぇしやがって!」
人間が声を荒げ、トウマ君に拳を振り上げたその瞬間、濃密な魔力を感じて身が竦む。
「お前たち、何をしている」
上空から迫る声に視線を上げた。
日の光が眩しくて見辛いけれど、魔法使いだ。
燦々と輝く太陽を背に、流星のように落ちてくる。
とん、と華麗に着地した魔法使いの外套には、鷹の目を模した紋章がある。――魔法警備隊だ。
気付けば、人間たちの両手が、糸で引っ張られたかのようにピンと天に伸び、さっきまでの威勢はどこへやら、顔が青ざめている。
「殴りかかろうとしてたね? まったく、こんな昼間っから飲んだくれちゃって……」
警備隊の魔法使いが人間たちに向かって片手を翳すと、人間たちはガクンと膝から崩れ落ち、石畳の上に転がった。
胸は上下しているから、眠っているだけみたい。
いや、そんなことはもうどうでもいい。
イヤな予感がした。
私が身を引くより早く、警備隊員がこちらへ振り返った。
「シヅ! マリカさん!」
「お兄様……!」「アスカさん!」
外套のフードを取り、露わになったその顔は……兄だった。
父譲りの紺の虹彩と、母譲りの濡れ羽色の髪。
その静かな色合いに、誰もが目を奪われる美しい顔立ち。
何より、明るく朗らかな内面が溢れ出て、兄は星空のようにきらきらしい空気を放っている。
兄がぎゅうっと抱きついてくる。
暑苦しい。
離れようと必死にもがくけれど、兄も軍人、力ではまだ叶わない。
「え? シヅちゃんのお兄ちゃん?」
「はい! シヅの兄のアスカです! いつも妹がお世話になってます!」
「もう! そういうのいいですから!」
私は兄の腕から何とか抜け出し、距離を取る。
私が自分のことでいっぱいいっぱいになっているとき、ハクト君が気まずそうな顔をしていることに気付いたのは、マリカだ。
「ハクト、どうしたの?」
「えーっと……、ごめん。さっきの不審者、シヅちゃんのお兄ちゃん……」
「えっ」
私もマリカもトウマ君も、声をそろえて驚き、一斉に兄を見た。
「お兄様、お店の外から、私たちのこと見てました?」
「うん! シヅが学校のお友達と仲良くしてるの見て、嬉しくなっちゃって!」
「もう! 不審者かと思って怖かったんですよ!」
「あはは、ごめんごめん!」
もう、恥ずかしいやら情けないやら、穴があったら入りたい……。
「さっきの救難信号は、シヅがやったんだよね? ちゃんと助けを求められて、とっても偉いよ、シヅ」
そう言って、兄が私の頭を撫でる。
父のように大きな手で、母のようにしなやかに。
兄は、急に兄らしくなる。
血のつながりのない私を、優しく肯定してくれる。
こうなると、私もただの妹になってしまう。
「ありがとうございます……」
兄も、格好良かった。
颯爽と助けに現れて、あっという間に魔法で人間を無力化して。
やっぱり兄も強い魔法使いなのだ。
「ってことは……シヅの魔力を全身に浴びたんだ、こいつら。いいなあ……」
石畳に転がっている人間たちを、じとっと兄が睨みつける。
その様子を見て、みんな引いていた。
……やっぱり格好良くない。
兄なんて、全然格好良くない!
* * *
私たちは魔法警備隊の詰め所に寄って酔っ払いを引き渡した。
その後、兄の警護で魔法士官学校に戻ってきた。
「いらぬ心労をおかけしたのだから、お見送りしてきなさい!」と兄が隊長さんに言いつけられたのだ。
校門の前で、みんなには先に戻ってもらった。
私はずっと、兄に聞きたいことがあったのだ。
「なんでお兄様が首都にいるんです? 騰蛇にいたんじゃ……?」
「ああ、防衛任務ね。クビになった」
「はあ!? クビ!?」
痛むこめかみを抑えながら低い声で兄を問い詰める。
「騰蛇で何をやらかしたんです?」
「いやいや、何もやらかしてはいないよ」
「それ! 知らないうちにやらかしているんですよ!」
騰蛇――夏炎州騰蛇領には『黒の森』と呼ばれる魔物の巣窟と、『黒の森』からの魔物の侵入を防ぐための巨大な城塞『騰蛇城』がある。
ここが魔物戦線の最前線であり要所なのだ。
兄が騰蛇城で防衛任務に就いたのを誇らしく思っていたのに、クビ。
一体どんなミスを犯したんだろう?
例えば魔物を仕留め損ねたり、砦に穴をあけたり、誰かに怪我をさせたり、まさか盗み食いとか……?
気が気でない。
そのくせ、兄は「へへっ」と照れ笑いしている。
本当に信じられない!
別に、私が心配しているのは兄のためではない。
「だって、シロウ様が理由なくクビにするわけないじゃないですか!」
騰蛇城の主は、シロウ様だ。
私の本当の『偽装婚約』相手のシロウ様なのだ!
兄のやらかしでシロウ様と白陰家の関係性にヒビが入ってしまったら……!
「ごめんごめん、クビは嘘! シロウさんの指示で配置転換があって、それで首都に来たんだよ。で、任期まで少し余裕があって、警備隊も今は人手不足だっていうんで繋ぎでやってるんだ」
「配置転換……?」
なるほど、それなら安心……なわけない!
今は魔物の激化の真っ只中。
魔物戦線の最前線である騰蛇城は人手を欲しているはず。
そんな状況で『黒の森』から遠く離れた首都に配置されるって……。
「やっぱりお兄様、シロウ様になにか粗相をしたんじゃないんですか? 謝りましょう? 私も一緒に謝りますから、ね?」
「もうちょっとお兄ちゃんを信用してくれないかな!?」
何一つ信用できず、私は兄を適当にあしらって女子寮に戻った。
首都にいるあいだ、もう兄と顔を合わせることがありませんように、と願いながら。
次話投稿は 2026/5/1 21:00 です。




