南西の丘、雷と死神が駆けた日
第三軍の再編作業が佳境に入ったころ。
兵の装備も訓練も整わず、補給線も心許ない。中央からの支援もまだ届いておらず、各所に残った部隊を回収してどうにか形にしようと奔走していた。
その日も、セレン、ゼイル、ガロットの三人は、西方の凍てつく峠を越えて、散在していた小部隊を回収する任務に出ていた。回収予定の兵は二十。だが、ふたを開けてみれば、丘の陰から現れた兵たちは四十、五十、六十と倍以上に膨れ上がっていた。
「……多すぎるな」
セレンが僅かに眉を寄せた。
「まあ、逃げのびてくれたんなら良かったじゃねえか。心ある兵が多かったってことだろ」
ガロットは笑って言ったが、ゼイルは視線を周囲に巡らせていた。
「……おかしい。移動が遅すぎる。これ、囲まれるぞ」
その予感は正しかった。
次の瞬間、尾根を越えて現れた黒い影。東に二百、西に三百。散り散りになった第三軍の兵たちと合流した直後の脆い布陣を見計らったように、敵軍は包囲陣を完成させていた。
その場にいたのは、指揮官三名と、再編中の小部隊。
今、逃げなければ、皆殺しだ。
すぐさまセレンは周囲を見渡し、冷徹な視線で全体の戦況を飲み込んだ。
「……あの丘の陣に特攻をかける。ゼイルと私で敵中を突く。十五分稼ぐ。その間に兵を撤退させろ。ガロット、後衛の指揮を」
その言葉に、ガロットは目を見開いた。
南西の丘は、これまで落ちたことがない難攻不落の砦だ。
あちらも将軍格を置いている、西の国が拠点としている地の一つ。
二人でなんとかなるような代物ではない。
「なに言ってやがる、セレン。ふたりで突っ込むって、死ぬ気かよ」
「この作戦を任せられる者が他にいない。ゼイル、来い」
そう言って、振り返りもせずに馬にまたがった。
説明をしている時間すら惜しい。いつ全滅してもおかしくないのだ。
ゼイルは肩を竦めながら笑った。
「……仕方ないな。俺も付き合うよ、指揮官殿」
誰も止められなかった。
ふたりはただ、その馬を丘へ向けて走らせる。
敵陣は、戦場の南西。丘の上に立つ旗印の下にあった。
通常の兵士であれば、弓隊に射抜かれて近づくことすらできない場所だ。
敵陣の前で、うなずきあう。
「ガロットは軍をうまくひいてくれたようだ。あとは――我々の仕事だ」
言葉はなくゼイルがうなずき返す。
「大規模魔法を連発する――死ぬなよ」
正気じゃない作戦だ。今回ばかりは…運の尽きかもな。そんな思いがゼイルによぎる。
だが、生き残るためにはやることがあるだけだ。
闇に紛れるように黒く塗られたゼイルの剣がひらめく。
雷の音が、戦場に轟いた。
「《雷槍・穿空》」
先行していたゼイルの剣から、稲妻が奔る。
青く閃光を引いたその一撃は、前衛の盾兵ごと敵陣を打ち抜き、瞬時に隊列を崩壊させた。
だが敵は多い。崩れた一角を補うように、すぐさま魔法障壁と槍兵が迫る。
そこに──セレンの声が落ちた。
「《終息の刃・断界》」
黒と金の魔法陣が、セレンの足元に浮かび上がる。
一瞬の静寂ののち、空気そのものが凍りつくような冷気に包まれた。
広範囲の即死魔法。詠唱時間を限界まで短縮した構成は、並の術士では再現できない。
敵前線が、その一撃でごっそり消滅する。
生き残った者たちは、恐怖に足を止めた。
「……やっぱイカれてるわ。お前、即死魔法なんて、さらっと使うんじゃねえよ」
ゼイルはあきれたように呟いた。
魔法による敵兵の一掃――それも、局所殲滅ではない。範囲即死魔法だ。
精密制御のうえに術者の膨大な魔力、何より冷静な判断があってこそできる一撃。
「見た目から氷が得意と思われがちだが、実は広域火炎や即死魔法のほうが得意なんだ。……ただ、戦場で下手に使うと味方を巻き込むからな」
さらりと口にするセレンに、ゼイルは思わず眉をひそめた。
「……おいおい、味方って今言ったよな。今の“俺”の立ち位置、どこ?」
「ん?お前、生きてるじゃないか。問題ないだろう」
純粋に首を傾げるその様子に、ゼイルは目を見開いたあと、絶句した。
「……いやいやいや、俺、なんかこう、ギリギリで死ななかったからセーフ、みたいな扱い……?」
「お前は信頼してる。ぎりぎりは読んでいた」
にこりともせず、当然のように言い切るセレン。
ゼイルは頭を抱えながら「割に合わねえ……」とぼやいた。
奥から次々と兵が湧き出してくる。
敵襲だという声があがり、数えきれないほどの兵が目の前に集まってきていた。
そりゃそうだ。本陣だ。
「やれるか?」
「もちろん」
交わすのは短い言葉だけ。
背中を預ける信頼と、確かな技術と、戦場の読み。
すべてが合わさって、ふたりはふたたび動く。
ゼイルが突撃し、セレンが魔法を操り、敵の布陣を切り裂いていく。
セレンの作戦は、十五分の間、敵中枢を撹乱し続け、指揮を奪うことだった。
彼女自身も、その十五分ののち、撤退に移るつもりだった。
……だが、その想定は思わぬ方向に狂った。
「おい、セレン。旗、落ちたぞ」
ゼイルの声。
振り返ったセレンの視界の先、丘の頂――敵将がいたと思しき場所に、血とともに地に転がる首と、切られた黒旗。
「……まさか、お前、大将首を取ったのか」
「ああ、目の前にいたから。戦功って言ってたしな。もらっておいた」
「…………」
計画は、ここで急転した。
敵軍の混乱は撹乱では済まなかった。
中枢を失ったことで、敵軍は完全なパニックに陥り、各部の連携が崩壊した。
もはや、“殲滅”の好機だった。
セレンは冷静に、魔術伝令鳥を飛ばす。
「ガロット、状況変更。包囲網を逆に囲い、撃破に移行。捕縛優先だが、抵抗激しければ排除も可。第三軍、逆転攻勢に移る」
彼女の脳内では、すでに戦力配置図が塗り替えられていた。
“時間稼ぎの特攻”から“中枢切断による一斉崩壊”へ。
わずか十五分足らずの戦局変更。
「さすがに、驚いたな……」
セレンが静かに言うと、ゼイルが剣を肩に担いで笑った。
「驚かせたつもりだけどな」
そういったあと、ゼイルが眉間にしわを寄せた。
「おい、これ、報酬は出るんだよな?命張ったんだから」
「勿論だ。……大きいぞ、お前の功績は」
「じゃあ、期待してる」
彼はそう言って、ふたたび剣を抜いた。
敵兵が逃げ出す。
魔法障壁も破られ、近くにいた兵もまとめて連れてきたガロットの指揮で味方部隊の突入が始まる。
この戦いで、南西の丘は制圧された。
以後、西方で「雷と死神が制した丘」として長く語られる。
そしてこの日を境に、セレンはゼイルを“戦場の主力”として策の中核に組み込むようになる。
“命を懸けて約束を果たす男”。
“指揮官が振り返らなくてもついてくる剣”。
それが、ゼイルという男だった。
そしてセレンは、彼が取ってきた将首の重さを胸に刻みながら、彼の命を二度と計算の“コマ”として扱わないと、密かに決めていた。
どれだけ計算しても、絶対にその通りにならない。
このどうにもならない想定外をどう扱ってよいものか。
それがこの戦いの、もうひとつの始まりだった。




