氷の令嬢の婚約 ―傀儡劇の幕間―
王都にそびえる王宮の大広間。
夜、月が雲間にのぞくころ、貴族たちを迎える披露の宴が始まった。
白銀のドレスに身を包み、無表情ながらも非の打ちどころのない所作で客人を迎えるセレン・カリス・レオント。
隣には、漆黒の礼服に身を包んだゼイル・エステン――新たなる“貴族世界”への異物が立っていた。
「……彼女が選んだのが、あの男とはな」
「平民出身とはいえ、戦功は確かだ。だが――」
「それにしたって、国の未来を担う姫君の伴侶としては……」
ざわつく空気。しかしそれは、セレンの予想通り。
むしろ、望んだ通りだった。
舞踏会の只中、セレンは玉座の背後に控える王と目を合わせ、ひとつ頷いた。
王の目が穏やかに細められる。それは「この劇の脚本に異論はない」という同意だった。
やがてセレンは、中央の壇上に上がった。貴族たちが静まり返る。
そのなかで、貴族用に育てられた柔らかな声音と柔らかな笑顔で告げた。
「──本日は、わたくしどもの婚約発表にお集まりいただき、ありがとうございます。この度、王命を賜り、こちらの…第三軍団長ゼイル・エステンとの婚約を報告させていただきます」
視線がいっせいに王へと向けられる。王は微笑みながら立ち上がり、大きく手を広げる。
「我は、ここにレオント公爵セレン・カリスと新たに第三軍団長となるゼイル・エステンの婚約と婚姻を認めるものである。これは我ら王家と、この度誕生した英雄が結びつくめでたき縁となる。みな、祝福せよ」
王の言葉に叩頭した貴族たちは壇上で寄り添うセレンとゼイル、それを寿ぐ王を見ながらひそやかにささやく。
「ということは……」「国王陛下が後ろ盾に……」「いや、軍事と王統の融合では……?」「では、セレン嬢はすでに公爵に…」「では、セレン…否、レオント公爵は王位には就かれないということか」「平民が夫では…」「では王位は…」
ざわめく中、老侯爵がひとり眉をひそめる。
「……ふむ。セレン様とあの男の間に生まれる子が、将来的に王位継承権を持つ……?」
すでに政略的構図は、盤面の八割が固められていた。
ゼイル・エステンは第三軍団長に内定。
セレン・レオントは王国軍元帥に内定。
二人の子は、王の養子として、次代の王位を継ぐ可能性を得ている。
「我らは……盤の上の駒として、これに賛辞を贈るしかあるまいな」
「それが一番安全な道ということだ。賢くあれ、というやつだ」
「いずれにしても王は当世の英雄を手中に収めたということだ。…軍事も政治もしばらくはうごくまい」
そしてまた、老獪な貴族の重鎮たちはささやきあう。
「我が家の息子も候補だったのだ。まさか、平民に持っていかれるとはな」
「セレン殿下は、王の姪。そして、軍部に多大な影響を持つ。そこに、“下から上がってきた”者が並ぶ意味を考えねばなるまい。これは、一つの布陣だ」
「……布陣、か」
ある老侯爵が言う。
「おそらく王も、意図しているのだ。旧来の貴族社会だけでは、この国の未来は保てぬと。ならば我らは、速やかに対応するべきだ。──否、迎合ではない。“取り込む”べきだ。ゼイル・エステンを」
「違う。“彼を利用する”のだ。彼がセレン殿下の唯一の弱点となるならば……軍の心臓を握れる鍵になる」
「……ふむ。ならば次の軍需委員会で、彼を推薦してみよう。恩義を売るのは悪くない」
そこここで王命やセレンの意図をどう解釈し、ゼイルをどう扱うかが検討され、その先鋒として貴族の妻や娘たちが寿ぎに派遣されてくる。
いずれも、その目は鋭く、笑顔と扇の裏にいくつもの毒と針を隠している。
まさにそれが、セレンの狙いだった。
祝辞と賛辞が飛び交い始めた会場の片隅。
ゼイルとともに一息ついたセレンは、杯を傾けるふりをしながら小さく呟いた。
「──さて、“コマを動かしている”つもりの者たちに、傀儡を演じていただきましょう。
この宴こそ、私の勝利の第一幕。全て、私が欲しかったものですもの」
隣でゼイルが首をかしげる。
「……今、なんか言ったか?」
セレンはただ、金の瞳を細めた。
「いいえ。……あなたが、隣にいれば、それでいいのです」
ゼイルは驚いたように目を見開いたが、次第にその瞳に、優しい笑みが灯った。
「……なら、ずっといるさ。お前が望む限り」
セレンは、たった一つ、静かに息を吐いた。
──これでいい。
これで、やっと彼を“自分の手の中”に置いたのだ。
誰にも渡さない。どの貴族にも、どの国家にも。
ゼイルは、私の夫。私のもの。
その現実を、国中に知らしめるための、完璧な“披露の宴”だった。




