王座の傍ら、あなたを選んだ
披露宴がすべて終わった数日後の、王宮の私室。
王とセレンは、昼下がりの柔らかな光の中で向き合っていた。
「……で、まったく。おまえはどうしてこう、私を驚かせることしかしないのか」
紅茶を啜る王の顔は、呆れと笑いと――少しの寂しさに満ちていた。
セレンは膝の上に両手を重ねたまま、背筋をぴんと伸ばして座っている。
少女の頃と変わらぬ所作。しかし、今やこの国の未来を左右する存在となった姪は、その瞳に一切の揺れを見せなかった。
「お言葉ですが、伯父上。私は“ならなかった”だけです。“なれなかった”わけではありません」
「……ああ、まったくだ。おまえにその気があれば、即位の儀はとうの昔に終わっていた」
かつて、セレンは王の弟の娘として生まれた。
正妃の子であり、王家の血筋として最も純粋な継承者。
そして王には、息子がいなかった。
そのため、政敵たちは一時期、彼女を“玉座の備え”として推し進めようとした。
王もまた、ある程度はそれを受け入れていた。
知性、魔力、政治的バランス。どれを取っても、彼女は次の君主にふさわしい人材だった。
しかし――彼女は違った。
「私には王の器はありません。指揮官として人を導くことはできますが、国を統べるには心が足りない。
……それに、私は自分の手で“奪う”ことが好きなのです。国を“守る”ためには、少々相性が悪い」
さらりと放たれたその言葉に、王は肩を揺らして笑った。
「相変わらずだな、おまえは。正論を“事務報告”みたいな声で言うんじゃない」
「習慣です」
「……それで、ゼイルか」
王の目が少し鋭くなる。
話の核心はそこにあると、セレンもわかっていた。
「はい。私は、あの男と結婚することにしました」
「おまえが“結婚”などという言葉を使う日が来るとは思わなかったが……それ以上に驚いたのは、“あの男”の方だな」
王の声には、明らかな皮肉が混ざっていた。
「貴族でもなく、王家とも遠い男。……本当に、いいのか?」
「はい。あの人がそばにいてくれるなら、それだけで構いません」
即答だった。
王はしばらく黙ったあと、また一つ笑った。
「――そこまで惚れたか」
「はい。誰にも渡すつもりはございません」
それはまるで、戦場での勝利宣言のような一言だった。
「たとえ伯父上でも、です」
言葉を続けたとたん、王は噴き出した。
「はははっ! 何を言うかと思えば!」
その笑い声は王宮中に響きそうなほど豪快だった。
ふだん冷静なセレンも、思わず目をぱちくりさせる。
「いや、すまんすまん……わかってる。おまえが“自分のもの”にしたものを他人に渡す気がないのは、昔から知っている。
玩具でも、書物でも、戦術でも、そして……人でも、な」
「所有という意味で言ったのではありません」
「だが、“奪う”のは好きなのだろう? 愛もまた、そうして手に入れたのか」
「……結果としては、そうなりました」
セレンは目を伏せながら、わずかに唇をゆるめた。
「彼のような男は、稀有です。誰よりまっすぐで、誰より熱い。……私にはないものを持っている。だから、一緒にいれば、世界が面白くなると思ったのです」
「……ふむ」
王はしばし目を閉じて、静かに考え込んだ。
やがて目を開いたとき、その顔にはもう先ほどの冗談はなかった。
「だが――おまえの子は、王家に入ってもらう」
「……承知しています」
その答えに、わずかに王の目が細まる。
「本当に、構わないのか? “玉座から逃れるために結婚した”のに、その子が再び王位に近づく。矛盾しているようにも思えるが」
「構いません。私が王になるより、よほど良い。
そして、王家が絶えることを防ぐのなら――それは、あの人の血を残すことにもつながります」
王の目が少し揺れた。
「それは……自分の血を王家に残すことが目的ではなく、ゼイルの血を王家に混ぜることが目的だと?」
「はい。……どうせ子どもは、政治に巻き込まれる運命。ならば、せめて彼のような人の“まっすぐさ”を持っていれば、きっと国のためになる」
「……どこまでも、計算された愛だな」
「ですが、愛には変わりありません」
ぴしゃりと言い切る姪に、王は再び笑った。
「まったく……人の心が見えないと評されたおまえが、そんな顔をするようになるとはな。……ゼイルの勝ちだな」
「まだ、完全には勝っていません。……私がもっと甘えられるようになったら、ということで」
「おいおい。今でもだいぶ“甘やかされている”ように見えるが?」
茶化されて、セレンはほんの少しだけ頬を赤く染めた。
「……それでは、失礼します」
そう言って立ち上がり、深く礼をしてセレンが部屋を出ていくと――
王は、静かに天井を仰いだ。
「……あの子が、自分の人生を“選んだ”のは、初めてじゃないか」
長い沈黙のあと、王は呟いた。
「本当に、いい男だったんだな。あのゼイルという男は」
静かに、それでいて誇らしげな声音だった。




