峡谷の砦跡 ― 無名の少女将、現地に降り立つ
壊れかけた砦。
粗末な柵と土嚢。風に舞う灰と、染みついた鉄の匂い。
セレン・カリス・レオントは、数人の随行兵を伴ってそこに現れた。
銀髪に軍装の少女が、険しい眼差しを砦を一望する高所から投げ下ろす。
周囲にいた兵たちは一瞬ぎょっとしたような顔をするが、次の瞬間には慌ただしく整列をはじめる。
その中から、革鎧に薄汚れた軍服、肩章もなければ階級もわからぬ若い男が歩み寄ってきた。
「……あんたが、新しく来た上の人ってやつか?」
「そうだ。ここで指揮を執る。セレン・カリス・レオントだ」
男は眉をひそめた。
後ろから、同じく煤けた顔の大男が歩いてくる。
「セレン……?」
「聞いたことねぇな」
「ああ、俺もだ」
「王都のやつか?」
「見た目は……えらく若ぇな。え、まさか子供?」
セレンはその場で表情一つ変えず、返す。
「年齢は関係ない。王命でこの地を預かる者だ。
君たちの部隊は、現地で唯一“まとまっている”部隊と聞いている。協力を仰ぐ」
男は口元をかすかにゆがめる。
だがその顔は敵意ではなく、ただ、呆れと戸惑いと、戦場の現実を知る者の苦笑だ。
「……ま、上ってんなら仕方ねえか」
そう言って、彼は手を差し出した。
「ゼイル。軍曹……だったが、今はそんなもん残ってねえ。あんたが上ってんなら、あんたの命令に従う」
「ガロットだ。同じく、軍曹だった。まあ……今はゼイルのツッコミ役だな」
セレンは短く手を取ったあと、まっすぐ言い切る。
「では君たちを核に、戦線を再構築する。
君たちは部隊を保ち、ここを守った。それに報いる責任が、私にはある」
ゼイルとガロットは顔を見合わせた。
「……変わったお嬢様だな」
「頭は切れそうだ。あと、やけに目が冷たい」
「おまえも人のこと言えねえだろ」
「まあな」
二人はそれきり何も言わず、背を向けて砦に戻っていく。
だが、そこにあった空気は、決して敵意でも不信でもなかった。
ただの兵士として、戦地の仲間として。
“上が来たなら、とりあえず従って様子を見る”――それが、彼らの自然な在り方だった。
そしてセレンもまた、必要以上に権威を振りかざすことはしなかった。
それが、この出会いのほんの始まり。
名も知られず、信頼もまだない。
だがこの日から、ひとつの軍が立ち上がる。
崩壊しかけた戦線の中、奇跡のような“核”が、静かに芽吹いた。




