第七話 晩餐会
彼は玄関で倒れた。
全てが限界だった。
体力も精神も。そして思考も。
荒れ狂い、高波と渦潮、さらに激しい嵐が巻き起こる彼の頭の中。
嵐がいつ起きたのかは分からない。とにかく今は今を無事に切り抜けることを最優先にしなければならない。
しかし悩む彼に嵐は待ってなどくれなかった。
津波のような殴打が扉に叩きつけられ、扉を叩き壊すかのような勢いで荒々しすぎるノックが部屋中に轟く。
彼は考えるのを止めた。
即座に扉のチェーンもかけ、土足のまま部屋に上がり込み、ベランダのある寝室に向かった。覚醒したときからベランダの窓が何故か開け放たれていた。そのベランダの窓に備え付けられた雨戸を閉め、ガラス戸も閉める。
次いで雨戸の閉じられた寝室のタンスを漁る。明かりはガラス戸からの月明かりだけ。
タンスの一番下の段には狩猟に使う道具をしまっていた。その引き出しの中からベルトとナイフ、剣鉈などの刃物を取り出し、さらに開けたタンスの引き出しを彼はそのまま抜き出した。
車と一緒にキーホルダーを奪われてしまったが、予備の鍵をタンスの底に隠していた。
鍵は無事に見つかった。彼はタンスの底の奥に隠された鍵を持ち出し、今度はベッドに向かう。そのベッドの下に手を入れると、中からアタッシュケースに似た箱を取り出した。
それは耐火金庫。彼はタンスの奥底から取り出した予備の鍵の中から適合する鍵を選び出し、耐火金庫の鍵穴に鍵を差し込み解錠する。
開かれた耐火金庫。中には貯金通帳、パスポート、銃の所持許可証などの貴重品が収められていた。
そして一つだけ、他とは種類がまるで違う物が入っていた。
木製の筒状の物体。先台だ。
彼は金庫の中からそれを拾い上げるように手にすると、立ち上がる。
彼はまずベッドの上の、上下二連散弾銃の実包を取り出した。開閉レバーを操作し、機関部を開放してから弾を手で二発抜き取る。先台が付いていないので、銃身が機関部と外れないように慎重に取り扱いながら。
弾を二発抜き出した彼は、弾を二発ともポケットにしまう。
薬室を確認し、脱砲を再確認してから銃身を持ち上げて機関部を閉鎖させる。
そして長い銃身のトラップ銃に先台をはめ込む。バチンと音を立てながら銃身の底に押し込むと先台は銃と合体した。
再び開閉レバーを操作して機関部を開放する。銃身が折れ、再び薬室が開放される。完全に機関部を開ききってから閉じ直すと、その手応えに撃発機構が無事に働いていることが彼には理解できた。
彼はもう一度銃身を折って薬室を開放すると、引き出しの中から模擬弾を二発取り出して二発装填した。
そして彼は誰もいない壁に向かって銃を構える。
肩幅と同じくらいに広げた足。
半身にならないように、体の正面で捉えるように銃を構える。
胸に近い肩に銃床を押し付けて頬を密着。
楽に正した猫背の姿勢。
銃口は構えたまま腰で操る。
幾度も練習している動作が自然にできている。
彼はそのことを確認すると引き金を絞った。
部屋にこだます、カチンという撃鉄の金属音。
作動している。銃は恐らく壊されていない。しかし本当に撃てるのかは実包を発砲してみないと分からない。
彼はそう考えてから、銃床を床で叩いてから二発目の撃鉄を操り、二発分の模擬弾を撃ちきった。
二発分の撃鉄を操作し終えると銃をベッドに乗せ、クローゼットへと移動した。
クローゼットの中のガンロッカーには銃は収められていない。
しかしその中には負い紐とナイロン製のガンカバーが数種類入っていた。
彼はその中の一つ、クッションの付いたナイロン製のショットガンカバーを取り出してベッド上の上下二連散弾銃をカバーの中にしまった。
銃の確認が完了とともに次の作業に取り掛かる。
タンスの中から取り出したナイフ類。
趣味と実用性で揃えた中から、彼は使えそうな得物をいくつか選び出し始めた。
皮剥に使うスキナーナイフなどの刃渡りの短いものは選ばなかった。自衛には使えない。
なので刃渡りが20cm前後、もしくはそれを超えるものだけを選び出す。
彼が選んだのは剣鉈、ボウイナイフにアウトドアナイフ。
それらをベルトに取り付け、自身の腰に巻き付けた。
最後とばかりに、彼は部屋の隅まで移動してそこに転がしていた一本の鉄の塊を拾った。
鉄パイプだ。
握りとなるグリップには滑り止めとして丈夫なシリコンテープが幾重にも巻かれている。
彼はこれを罠にかかったイノシシの頭をぶっ叩くのに使っていた。
銃を確保し、各種の得物を揃えると彼はベッドに座った。
今もなお玄関の扉はあの襲撃者たちに襲われている。
とどまることのない暴力。
とても冗談には感じられない。
彼は扉を警戒しながら部屋の中を歩き、飲み物と食べ物をかき集め、ギラギラとした目のまま栄養の補給を開始した。
あれから何時間経っただろうか。
いつからか嵐は収まり静けさが戻った。
それとともに彼の緊張の糸が引きちぎれ、意識を失ったように眠ってしまった。
眠りから覚め、寒さとともに起きたときは夢だったのかとも思ったが、自分が武装していることと、自室で裸足にサンダルを履いたままであることが現実に引き戻す材料となった。
失いかけた闘争本能が甦り、彼の中で抵抗と反撃の狼煙が上がった。
万全の状態を作らなければならない。
停電した部屋は暗かったが、彼は勝手知ったる我が家の中から懐中電灯を探し出し、寒い室内を温めるために愛用している石油ストーブを点火した。
電気を使わない石油ストーブは暖かく、淡い明かりも灯してくれた。
部屋を暖めながら台所でヤカンに水を入れ、水の入ったヤカンを石油ストーブの上に乗せる。
お湯が沸くまでは少し時間がかかるだろが、休憩するのでちょうどいいと彼は考えた。
お湯が沸くまでの間、彼は集めたポカリを飲み、缶詰や携帯保存食を食べた。
栄養ドリンクも飲み、お湯の準備ができたら食べようとカップ麺の蓋も開けておく。
お湯が沸くまでの間、彼は起きた事態を考え始めた。
映画やゲームのようだが、間違いなく人がゾンビのようになっていた。
どれくらいの規模なのか分からないが、少なくとも予兆のような体調不良者の話はずっと続き社会問題と化していた。それは自分にも訪れた。それは彼ら、彼女たちにも。
その証拠らしいものがクソを漏らした汚れ。それが寝ている間に漏らしたものなか、トイレに行くだけの知能を失ってしまったのから分からないが、ゾンビ化の基準にはなる。
ただ、まだ本当にそうと決まったわけではない。だから本当に殺すというわけにはいかない。
まだ、恐ろしくリアルで、不謹慎で、無礼で許し難い、人の迷惑もかえりみない迷惑千万な手間と金と時間のかかった幾万人ものフォロワーを抱えたユーチューバー主催のドッキリカメラだという可能性だってある。
「……ねーだろうな。そんなこと……」
そんなことのためにわざわざ刑事事件になるようなトラブルを引き起こすなど考えられない。
何かが起きたのだ。
自分の理解できない何かが。
それを突き止め、警察に銃を盗まれたことを相談して今後のことを考えなければならない。
彼を悩ませることは数多くあったが、今は無事に生きていることとカップ麺を食べることだけを考えた。
余計なことは諦める。それが彼の主義だった。
しばらく経ち、そろそろお湯が沸く頃にさしかかったその時だった。
彼には何かが聞こえたような気がした。それが何かは分からなかったが、何かが聞こえた。
彼は鉄パイプを手にしてダイニングキッチンに移動した。窓の外を確認し、物音などが聞こえないことを確認してから静かに窓を開け、外の様子を注意深くうかがう。
リビングの窓から見える風景は、出入り口が面した車道側。
自室の外には襲撃者はおろか誰一人いない。
彼は窓を開けたまましばらく耳をこらした。夜風と虫の音以外になにも聞こえない状態がしばらく続くと、寝室に戻ってカップ麺に湯を注ぎ、割り箸とカップ麺を持って、また窓の前に座る。
彼はそのまま窓の外に意識を向けたままカップ麺が出来上がるのを待った。
もう間もなく出来上がるだろうというその時にそれが聞こえた。
かすかな破裂音の響き。
紛れもない銃声だ。
距離はあるだろうが、聞こえる範囲なら遠くはない。
彼はカップ麺と割り箸をリビングのテーブルに置いた。
この地域には同じ猟友会の仲間が数人いる。であれば知り合いかもしれない。
もしも違うならばそれ以外の誰か。
警察だとは考えにくい。なにしろパトカーのサイレン音がしない。
だったら決まってる。俺の銃を盗んだクソ野郎だ。
警察がしょっ引く前に俺がお前の頭をかち割ってやる。
彼は寝室に向かう。タンスの中から靴下などの衣類を取り出し、着ている衣類を全て着替えた。
動きやすく、汗をかいても暑くない暖かな服装。その上からナイフを取り付けたベルトを巻く。
バックパックを探すと見当たらなかった。探して見つからないものは諦め、クローゼットの中からメッセンジャーバッグを取り出すと肩からたすき掛けにかけ、その中に耳栓と懐中電灯とポカリとタオルを入れる。
そして上下二連のトラップ銃を背中に背負い、頭にはヘッドライトをつけた帽子をかぶり、最後に鉄パイプを手にして彼は出かけた。
外に誰もいないことは確認していたので、ためらうこと無く鍵を開けて扉を開けた。
雲がかかった月の光は夜の闇を照らすには不十分で、恐ろしい夜をさらに戦慄させるものに変えてしまう。
変異した襲撃者が闊歩する夜ならばなおさらだ。
彼も同じだった。けれども彼はそれ以上のものに支配されていた。
怒りだ。人の不幸を付け狙い、他人の持ち物を奪う輩など許せなかった。
天誅。
ただその一言で片付けることができると彼は意気込み、犯人探しという名の狩りを開始した。
彼は郊外の中でも山に近く、住宅街や商店から離れた立地のアパートに住んでいた。
車があれば気にならないが、徒歩だと最寄りのコンビニやドラッグストアに行くのにも都会に比べれば少々の時間はかかる。
坂を下り、民家の家々に目を配りながら歩いていると、どこからか物音が聞こえた。
彼は音のありかを探るために足の忍ばせて近づき、一軒の民家の庭に行き着く。
その家は自宅の隣に畑を所有し、作った野菜を自宅の前に置いた無人販売所で売っている家。
彼も何度もここで人参や白菜などの野菜を購入したことがある。商品を並べ、お金の受け渡しと挨拶も交わした初老の女性とも顔見知りで、たまにサービスだってしてくれた。
その初老の女性の家の裏手から、うめき声が折り重なるように聞こえた。
踏みならされた地面の上を音を立てないように慎重に歩く。
ヘッドライトはつけていない。
こちらの存在を気取られていないと確信し、その家の裏に回って覗き込んだ。
誰かが、いや集団で庭の地面に這いつくばっている。
その様子をジッと観察し続けると、這いつくばっている集団はえづき、呻きながら、時にはむせるようなそぶりもしながら這いつくばって何かを食べているようだった。
とてつもなく嫌な予感がした。
見てはいけないもの。
禁忌を犯す行為。
あってはならないこと。
見なかったと立ち去るべきかもしれなかったが、これを確認しなければ自分の中で確信を持つことができず、今後の行動に戸惑いを生み出してしまうかも知れない。
何かあっても逃げればいい。
彼はそう考えて頭にかぶった帽子に取り付けたヘッドライトのスイッチを入れた。
まばゆいLEDのフラッシュライト。それが灯ったと同時に彼は庭へと飛び出し、行われている行為を直視した。
それは食事の風景だった。
十人に満たない人々が薄汚い格好で裸足のまま庭を踏み荒らし、汚れた足のまま縁側から家の中に押し入っている。
庭の縁側に面した和室と、庭の物干し台の近くにそれぞれ数人のグループが固まりになって這いつくばり、ムシャムシャと犬食いで肉の塊に顔を埋めていた。
ライトの光に気がついた彼らは顔を上げる。
その顔は肉の塊に顔を埋めていたものだから顔中が血と肉でこれ以上無いほどまでに汚れていた。
貪るように食べられていた肉には足や頭が見えた。もうすでに散々食い散らかされているのでどこの誰なのかは検討もつかない。
しかし判別など関係なかった。ここに集まった人々が食べていたのは、この家の住人であることに間違いなど無い。
人が人を食っていた。
その事実は誰が見ても明らかだった。もちろん彼にとっても。
鉄パイプを握った手がプルプルと小刻み震えた。
彼と対峙した集団は新たな餌の登場に気がつくと立ち上がり、自分たちをまぶしいほど照らし出すライトに向かって歩き出した。
和室に上がりこんでいた連中も血と泥で汚れた畳の上を歩いて庭に向かい、その中にはライトに向かって早歩きで動き出す者もいた。
それら全てを照らし出すライトは一向に動かない。
彼の一番近くにいた襲撃者の一人が真っ先に目的の場所まで到達する。
目的は餌。生物は食べるために相手を攻撃する。
襲撃者は差し出した両手で餌の両肩を掴もうとした。すると餌の肩が動き、手にしていたものを振り上げた。
直後に振り上げた物を振り下ろし、真っ逆さまに鉄の塊が襲撃者の頭頂部に直撃し、肉と骨と中身が弾けて砕ける。
鉄パイプで頭をかち割られた襲撃者は倒れて地面を舐める。鉄パイプには血と毛髪が付着していた。
「おめーらとんでもねーことしやがったな」
彼の側にツッコミ担当の相方でもいれば、彼のしたことはどうなのだというセリフでも言うのかもしれないが、そんな奴はこの場にはいないしいる必要性もない。
彼は血糊のついた鉄パイプを振りかぶり、フルスイングで一人、また一人と近づく襲撃者の顔面、側頭部などを強打してなぎ倒し始める。
相手の動きは早くない。何も考えていない様子で歩き、中には小走りで近寄ってくるので鉄パイプを構えて振りかぶり、待ち構えてぶっ叩くだけで三人くらいは楽に倒せた。
変化は四人目に差し掛かったときだった。
狙いが外れて鉄パイプが相手の左肩に当たったのだ。相手はよろめいたが怯むこと無く襲いかかってきた。
彼は掴まれないように後ろに下がり、鉄パイプをもう一度振って腕、鼻先と鉄の塊を何度か叩きつける。けれども相手は打たれた衝撃に臆することはなかった。腕が折れても、歯が砕け散っても向かってくる。
彼は狙いを変え、足を狙って低く振りかぶって鉄パイプを力強く片手で振った。相手の右足に鉄パイプ当たると膝を砕いた。相手は片膝の支えを失ったことで倒れてしまう。しかし、それでもなお彼を狙い、這ってくる。
それは後ろにも続いていた。つい先程、頭を叩き割ってノックダウンさせた相手が起き上がり、または這いつくばったままこちらを狙いすましてにじり寄ってきた。
一人や二人ならなんとかなるだろうが、十人近い相手は不可能だ。
彼はそのことを理解すると即座に真後ろを向き、脱兎のごとく駆け出した。
体力が完全回復していないその身では走るのはしんどいものではあったが、背に腹は変えられない。後ろを振り返ること無く見慣れた闇夜の住宅地をヘッドライトで照らしながら走り続けた。
そんなさなかだ。
_パァァァァァン……
聞こえた。
彼は立ち止まり、音の出どころを探る。
反響しているので分かりにくいが、方向は感じ取れた。
音の聞こえた方向へ走り、道路に沿って進む。すると別の襲撃者たちが道路に現れた。鬼ごっこの要領で彼は走り抜け、避けて迫りくる狂気を掻い潜った。
_ダアァァァン!!
また聞こえた。近い。
道路の先だと彼は確信し、その先にあるものが何なのかを思い出す。
外食チェーン店、ガソリンスタンドと、その裏の住宅地。そしてよく行く大型ドラッグストア。
抜き去った襲撃者たちを置いてけぼりにしたまま彼は予想地点へと向かった。




