松本市民会館
松本市民会館は、松本駅と県の森のほぼ中間、大通りの南側にあった。
現在は松本市民芸術館に建て替わって、護国神社近くの松本文化会館とともに中信の文化醸成に貢献しているのだろう。
昭和55年度の信州大学の入学式は松本市民会館で行われた。
入学が決まったとき、これからは必要になるからと早々に買ってもらった最初のスーツを初めて着て、初めてネクタイを締めて、合皮の靴を履いて、バスに乗って出かけた。大阪の季節感覚で、コートまでは準備していなかった。ものすごく寒かったが、スーツの上に羽織るものはなかった。4月上旬は、松本では雪が降ることもある気候だった。
市民会館前には噴水のある広場になっていて、花壇もあるゆったりとしたつくりだった。大阪にはフェスティバルホールやサンケイホール、各種劇場や映画館など多くの会館があったが、どこもビル群の狭間にあったので、会場前に広場があるというだけで開放感があった。
市民会館前の広場にはサークル勧誘の学生がわらわらいて、これまでに経験した学校の式典にはない高揚感があった。心なしか、これから始まる学生生活を期待させる雰囲気を醸し出してくれた。
入学式自体は、その内容はまったく覚えていない。しかし、受付が終わると勝手に入場して、勝手に着席して、途中で退場しても咎められず、「なんと自由な!」と感嘆したことは記憶に残っている。そして、この感覚がその後の学生生活の在り様に影響を与えたのはまちがいない。
今でこそ2つの文化施設を持つ松本市だが、当時松本市民会館は中信随一の文化拠点といっても過言ではなかった。大学の入学式や松本市の成人式など多くの人が集まるイベントはもちろんのこと、著名なアーティストのコンサートのほとんどは松本市民会館で行われるのが常だった。
長野市に県民文化会館ができたとき、松本市は非常に苦々しい思いをしたのだろうと推測する。
“長野vs松本”の構図は、長野県と筑摩県の統合時から続いていたらしく、県政の中心は長野市でも、文化・芸術・スポーツ・観光の中心は松本市というイメージが強かった。しかし、長野オリンピック誘致による都市整備と、長野新幹線の開通による東京からのアクセスの向上によって長野市は存在感を高め、比して松本市の位置づけはランクダウンしてしまった感が否めない。
長野新幹線開通前は、長野へは「あさま」だけだったのに対し、松本へは「あずさ」と「しなの」があった。空路は利用したことはないが、松本-大阪間はYS-11が毎日飛んでいたので、大都市圏との結びつきは松本の方が密接だったようにみえた。
松本市民会館でコンサートを観賞したアーティストは、甲斐バンド、尾崎亜美、浜田省吾、高石ともやとザ・ナターシャ―セブン、高中正義、スターダストレビュー、山下久美子。タイミングが悪かったり、チケットが買えずに観られなかったコンサートも多かったから、ほんとに多くのアーチストが松本に来ていた。
コンサートに関わるアルバイトもした。南こうせつ、田原俊彦、庄野真代、その他。そのうち、トシちゃん以外は会館の外の駐車場の誘導担当で、トシちゃんは舞台の直下で、ステージに背を向けて前に押し寄せようとする観客(ファンの女の子たち)ににらみを利かせる係だった。ドラキュラに扮したトシちゃんが蹴とばした棺桶のふたが、同じく警備をしていた友人の後頭部にぶつかったのは笑い話だ。
当時は、アルバム(LPレコード)1枚とコンサートのチケットが同じくらいの値段だった。下宿にはラジカセすらなかったので、レコードを買うことはなかったが。




