景気をつけよう
前室で椅子に座る笑空。そこから2席空けて楼瑠が座る。
笑空はなにやらスマホをいじっている。楼瑠は腕を組んで、うつむいていた。
お互い口も聞かず、目も合わせない。
その様子をドアの外からチラッと見た栞子と兎咲は、お互いに顔を見合わせて小声で相談する。
「ちょっと、どうする?これ…」
「先輩が間に入ってとりもつしかないぴょん…」
「えー!無理だって!あの空気、入っていけないでしょ!?」
「わっちはもっと無理ぴょん」
「…そうだ。先生は!?」
2人は辺りを見回すが、犬飼の姿はない。
「んもー!こんな時にどこ行ってんだよ!」
「ひょっとして、喫煙所ぴょん?」
「よし!呼びに行こう!」
2人は最寄りの喫煙所を目指し、走った。
当の犬飼はというと、客席に降り、応援に来ていた父兄達に挨拶中であった。
会場の関係者席には、出場校の応援団や父兄たちが観戦していたのだ。生徒による応援団を労った後、部員たちの父兄がいる席へ移動し、言葉を交わす。
「あ、これはこれは楼瑠のお父様。今日は応援ありがとうございます!」
「先生、いつもウチの子がご迷惑をおかけしています」
「いやいや、どんでもない!皆、出来が良くて、私なんて教えることがなくて困ってるんですよ!」
「あはは。またまたご冗談を」
事実をありのままに言っただけなのだが、楼瑠の父親は謙遜と受け取ったようだ。
「ウチの子も、いつも先生のこと言ってるんですよ」
「ああ、これはお母様もいらしてたんですね。いやいや、一体何を言われているのやら。どうせ悪口でしょう?」
「とんでもない、いつも褒めてるんですよ」
普段はぐうたらな犬飼だったが、父兄との日常会話をこなす程度の一般常識はさすがにあるらしかった。
「ところで、あの子達、何かもめてたようですが、行かなくても大丈夫なのですか?」
「あー、なに。あの子達はあれでいつも通りなんですよ。大丈夫です!」
犬飼は自信満々という風に胸を拳で叩いた。
「さすが、生徒を信頼されておられるのですな」
「いやいや。もう本当、私なんてお飾りですから!」
などと、犬飼が点数稼ぎをしている間にも、栞子と兎咲は彼を探し回っていた。
「先生!犬飼先生!」
「どこぴょん!?」
「あっち行ってみよう!」
「ハイぴょん」
廊下をあちらこちらへと走り回る。
そんな2人がろくに見もせずに通り過ぎた場所は、非常出口につながる階段だった。普段は使われることはないため、照明も落とされている。
それが、今の華湖にとっては丁度よかった。
階段に腰掛け、膝に顔をうずめている。
(次、決勝なのに…どうしよう。またあそこに行ったら手が震えちゃう…)
そんなことを考え、塞ぎ込んでいる。目には涙をためていた。
「華湖、こんなところにいた」
「里美…!」
ハッと顔を上げると、いつのまにか隣に里美が立っていた。
里美は華湖のすぐ座りながら言った。
「何してんの?」
「ん、うん。なんか控室に居づらくて」
「そっか。それにしても、さっきはどうしたの?ずいぶん動きが悪かったけど」
「うん。ごめん。人が多すぎて…手が震えちゃって…」
「ふーん」
突如、静かな階段に『パシィ!』と大きな音が響いた。
と同時に、華湖の背中に焼けるような痛みが走る。
「いったぁぁぁ!何すんの!?」
華湖は、里美に思いっきり背中を叩かれた痛みで、思わず仰け反って言った。
里美は謝るどころか、腕を組んで仁王立ちになった。
「アンタ、いい加減にしなさいよ!」
「な、なによ!」
「いつまでそんなこと言ってんのよ!とっとと慣れなさい!」
「そんな簡単に行かないわよ!」
「人が多くてどうとかさぁ。どうせ、VRゴーグルつけるんだから、見えないでしょ!」
「そ、それは、そうだけど」
「声だって、ノイズキャンセリング機能付きなんだから、聞こえないでしょ?」
「だけど、入場する時、絶対に見えちゃうし!」
「じゃ、見なきゃいいじゃん!」
「え?」
「先輩の後ろに隠れてさぁ。そうだ、肩に手を置かせてもらって、先導してもらいなよ。それなら目をつむっててもいけるでしょ?」
里美の提案は実に単純だった。だが、やってみたところを想像してみると、なんだかいけそうな気がしてきた。
(そうか、客席を見ないで、ゴーグルをパッとつけちゃえば…?)
やってみる価値はありそうだと、華湖は思った。
「わかった。それやってみる」
「そうよ。客なんてアレよ。カボチャだと思えばいいのよ」
「うわっ古っ!昭和の考え方じゃん」
「え?そ、そんなことないでしょ?今でも言うでしょ?」
「まさか、手のひらに人って書いて飲めとか言わないでしょうね?」
「えー!?それもやるよね?」
「やらないわよ!」
華湖は思わず大口を開けて笑ってしまった。
つられて里美も笑い出す。
「そんなことより、背中ちょー痛いんですけど!」
「え?ああ、ちょと強かった?」
「まだ痛いもん。これ、絶対に手形ついてるよー」
「あはは。まぁそれはホラ、気合!ってことで。ね?」
いったい、どれだけの力で叩いたのか。いまだにジンジンと痛む。
しかし、華湖はその痛みがなぜか心地よいと感じていた。




