嵐の前の嵐
今日は講習の日だった。
講習を開くかどうかはギリギリまで審議されていたが、辛うじて中止にはならず、しっかり開催されることになったのだ。
朝食の前に厨房へと立ち寄ると、情けなく眉を下げた調理師さんと目が合った。
何故そんな顔をしているんだろう、と首を傾げると、調理師さんはおずおずと口を開き、
「なにやら大変そうですね…。」
と、言う。
咄嗟に、
「あー…」
なんて声を出したが、彼が何に対して大変そうだと言っているのか解らなかった。
いや、大変な事が山積みなもので。
何のことですか?と問い掛けようと思った矢先、
「フレーテ様が貴女の身を案じていらっしゃいましたよ。」
と、言われた。
次男様が今一番心配していることといえば、やはり見合いの件だろう。
まぁこの人に話した覚えは無いのだが、この人は次男様と繋がっているらしいしな。
「…そういえば、次男様に私の事色々と教えていたのって、調理師さんだったんですね。」
ふふ、と微笑みながらそう言ったつもりだったのだが、調理師さんはハッとして見る見るうちに青ざめていく。
「あはは、青ざめなくても大丈夫ですよ。厨房で話した内容が筒抜けだったりしたし、バレバレでしたよ。」
私は思わず笑ってしまった。
気付いてないと思ってたんだろうけど、普通に考えれば結構解りやすかったよ、君達の繋がりは。
「も、申し訳ありません!」
と、勢い良く頭を下げる調理師さん。
そんな彼に、私は止めてくださいと頭を上げさせる。
「悪意は無いんでしょう?」
そう問えば、
「もちろん悪意などありません!フレーテ様の為を思って、」
と、即答された。
それなら、別に謝る事はないだろう。
「それなら別に構いませんよ。調理師さんは次男様と仲良しなんですね。」
微笑ましい限りではないか。
「はい。フレーテ様は、とても良くしてくださいまして…。あぁ、貴女とお話出来ている事も楽しそうに教えてくださいました。」
…楽しそうなのか。それはちょっと嬉しい。なんて、ちょっぴり頬を緩めていると、調理師さんも怒られないことに安堵したのか、微笑み返してくれる。
「それと、自分も次男坊で、フレーテ様と自分を重ねてしまって、」
「なるほど、だから次男様に懐かれたんですね。」
そう言ってクスクスと笑えば、調理師さんも同じように笑った。
「…ですので、頼まれると断れなくて。」
だから、私と赤松の会話を盗み聞きしては報告していた、と。
アイツとは変な話ばっかりしてたから、恥ずかしいといえば恥ずかしいが、責めるほどではないだろう。
「次男様っておねだり上手なとこありますしね。」
私達は少しだけ、声を上げて笑った。
「そうだトリーナさん、お疲れのようですので講習終りにお菓子を差し入れたいのですが、」
「ホントですか!?良いんですか!?食べたいです!」
私があまりにも勢い良く食いついたため、調理師さんは若干引いていた。
「えぇえぇ、伯爵ほどの腕前ではありませんが、ご用意しておきますね。」
何故そこに伯爵が出てきたんだ…いや、そこは深く掘り下げるところではないだろう。多分。
「約束ですからね!楽しみにしてます!それじゃあ私は行きますね。」
やったー講習頑張ればお菓子だー!なんてウキウキしながら朝食を済ませた。
そして講習の時間。
護衛の青い騎士さんと共にご令嬢達のお出迎えをしている。
青い騎士さんとは謎の仲直り以来、軽度の余所余所しさはあるものの、避けられる事はなくなっていた。
ちなみに、ロゼに仲直りの件の一部始終を話すと「何それ甘酸っぱい!」と言われながら背中をバシバシ叩かれた。
あれは恥ずかしかったし痛かった。何よ甘酸っぱいって…!
そんな事を考えていると、廊下を物凄い勢いで歩いてくるご令嬢の姿が見える。
「あれは、公爵令嬢ですね。」
青い騎士さんがぽつりと呟く。
そうみたいですね、と返事をしようとしたのも束の間、煌びやか令嬢はその物凄い勢いのまま、私の方を一切見る事無く部屋の中へと消えて行ってしまった。
「…なんだろう、機嫌が悪いみたいでしたね?」
いつもは絶対に私に声を掛けて部屋に入るのに。
…私、何か怒らせるようなことしたっけ?なんて首を傾げていると、青い騎士さんに、
「そういえばキキョウ様、見合いの件は公爵令嬢に相談したのですか?」
そう問われた。
「あー…してないんですよね。あの話聞いてからこっち、会ってないってのもあるんですけど…。」
「彼女の手を借りれば、フランメ家との話など簡単に潰してしまえるのではないでしょうか?」
そんな青い騎士さんの言葉に、私はふと苦笑を漏らす。
「まぁ、私も似たような事考えたんですが、私はもう何度も彼女を利用していますからね…」
私のような身分の人間が公爵家のご令嬢を利用するなんて、本当なら絶対にあり得ないことなのだ。
それを、何度も利用しようなんて…
「キキョウ様だって彼女に散々な目に遭わされているのですから、別にそのくらい大したことでは、」
「散々な目に遭わされた事は否定しませんが、さすがにほいほい利用して良い立場の人じゃないと思いまして。」
否定はしないよ、もちろん。散々振り回されたからね。
「お人好しにも程があるでしょう、キキョウ様。」
と、青い騎士さんは眉間に皺を寄せるが、私はお人好しなんかじゃない。
「そんなことありませんよ。…私はいつだって、自分の事しか考えてない卑怯者です。」
顔を上げていられなくなって、私はジッと自分の爪先を見詰めていた。
「…あの、トリーナ様、」
可愛らしい女性の声がした。
誰だろう、と顔を上げると、そこには煌びやか令嬢付きの侍女さんが居るではないか。
「どうしました?」
と、首を傾げると、彼女は私に縋り付くようにして言う。
「それがその、お嬢様が、こちらにお土産として持ってくる予定だったお菓子をダメにしてしまいまして…その、お嬢様のご機嫌がかなり斜めに…!」
え、そんな可愛い理由で機嫌損ねてたの?なんて思ったが、彼女にとっては結構なショックだったのかもしれない。
「だから機嫌悪そうだったんですね。解りました。どうにかご機嫌を元通りに、」
「いえ、元通りには難しいかもしれませんので、地雷を踏まないようにお気をつけください…!」
あ、私の身を案じてくれてたのね。
彼女が言うには、機嫌を損ねた煌びやか令嬢は、何が地雷になるか解らないそうなので、出来るだけ気をつけて、とのことだった。
よし、今日は煌びやか令嬢の好きな歌に長めの時間を取ろう。
そんなこんなで講習も終了時間となった。
幸い講習中に煌びやか令嬢の地雷を踏むことは無かった。
心の片隅でホッとしつつ、私は声を掛けてきてくれたご令嬢達と軽い談笑をしていた。
この辺でも愛想良くしておかないと、リピーターの獲得が出来ないからね。
煌びやか令嬢の嫉妬という地雷が無い事を祈りつつになるけど。正直それが結構怖かったりする。
談笑していたご令嬢達を送り出して部屋に戻ると、そこにはぽつんと座ったままの煌びやか令嬢の姿がある。
彼女の表情は、解りやすい程ムスッとしている。
「クライスお嬢様?」
そう声を掛けると、
「トリーナ、今日の講習もとても良かったわ。」
と、どこか遠くを見たままの彼女に言われる。
「ありがとうございます。」
なんて頭を下げていると、煌びやか令嬢がゆっくりとこちらを見る。
どうしたものか、と考えていると、煌びやか令嬢はある一点を見て突然表情を変えた。
何を見ているのだろう、と彼女の視線を追えば、そこには青い騎士さんが立っていた。
ご丁寧に護衛を続けてくれているのだろう。
そんな青い騎士さんを見た煌びやか令嬢は、スッと立ち上がり、ずかずかと青い騎士さんに寄って行く。
それを見た青い騎士さんは、若干嫌そうな顔をしつつもその場に立っていた。
「あの、クライスお嬢様…?」
何をしているんですか、と問う直前、私は気付いた。
彼女の視線が、青い騎士さんの手元に集中している事に。
そしてその直後、キラキラした瞳で私を見た。
恐らく、青い騎士さんの手首にある物に気が付いたのだろう。
「トリーナ!やったのね!」
やったのね!って、私は猫の首に鈴を付けることに成功したネズミか!
などというちょっと意味の解らない例えツッコミを心の中で呟いていると、煌びやか令嬢は青い騎士さんに、
「あなたも良かったわね!」
なんて言っている。
煌びやか令嬢のリアクションで何の事かを把握したらしい青い騎士さんは、
「その節はどうも。」
なんて珍しく煌びやか令嬢に声を掛けている。
青い騎士さんも女の子にお礼なんて言えたんですね!
「その節?どういう意味?」
「あなたに背中を押された、とキキョウ様が言っていまして。」
あー、言いましたっけね、そんな事。
「そうね、ええ、トリーナがあのお店でそのブレスレットを見たままの姿で動かなかったから声を掛けたのだけど、そうよね、私が背中を押したようなものよね。うふふふ、」
怖い怖い!機嫌悪い煌びやか令嬢も怖かったけど今の煌びやか令嬢も別の意味で怖いよ。
「これであなたもライバルに一歩差をつけたわね!」
と、ノリノリの煌びやか令嬢と、それを見てきょとんとする青い騎士さん。
「ライバル?」
「あの伯爵よ!そのブレスレット、伯爵には見せたの?」
「見せていませんが、」
「見せびらかしたら良いわ!トリーナに貰ったものだ、とね!」
余計な入れ知恵しないでくださいよ煌びやか令嬢!
そんな事言ったら絶対私が居た堪れなくなるんですってば!
私が青い騎士さんにブレスレット渡したなんて知れたら絶対からかわれるんですってば!
「それじゃあトリーナ、私は帰るわね。あぁ…トリーナに渡そうと思っていたお菓子があったのだけど…ちょっと色々あって。今度また持ってくるわね。」
煌びやか令嬢はそれだけ言い残し、嵐のように帰って行った。
なんていうか…さっきまでの不機嫌どこ行ったんだよ。
「地雷踏まずに済みましたね、青い騎士さん。」
「そうですね、見せびらかしましょう。」
いや、話噛み合ってないし。
「やめてくださいよ。私と青い騎士さんとの秘密ってことにしといてください。」
恥ずかしいから、と言えば、青い騎士さんは目を丸くして固まった。
「キキョウ様と俺だけの秘密…それも良い…」
…単純だよな、青い騎士さんって。
「私この後次男様の部屋に行くので、」
「あぁ、俺も行きます。」
なにやら青い騎士さんは旦那様のお部屋に用があるらしい。
方向も同じなので、と私達は並んで歩き出した。
お屋敷の階段を上がっていると、人の話し声が聞こえてきた。
長男様と、この声は…
「ほな、俺にもしものことがあったら、後は頼むで。」
赤松だ。
もしものことがあったら、って、言った?
私は歩くスピードを速めて、声が聞こえた方へと進む。
すると案の定、そこには長男様と赤松、それと次男様の姿があった。
「何の話してたの…?」
そう赤松に問えば、
「なんでもあらへん。」
なんて目を逸らされる。
「もしものことがあったらって、何?」
「何でもあらへんて。聞き間違いちゃう?」
シラを切るつもりか。
「聞き間違いなんかじゃない、しっかり聞いた。ねぇ、どこ行くの?」
話の途中にも拘らず、歩き出そうとするので急いで赤松の袖を掴む。
すると赤松は、どこでもええやろと言いながら、やんわりと私の手を振り払う。
「そうだ、調理師さんがお菓子作ってくれるって言ってたから、一緒に食べようよ。」
「無理や。俺今から仕事やし。」
「仕事って、何?」
そう問えば、赤松はふと笑った。
「お前に言うてもわからへんやろ。」
そう言って。
まさか、まさかとは思うが、女好き公爵に近づくつもりなんじゃないだろうな…?
「ねぇ、もしかしてさ、もしかして…」
「お前は一切関係あらへん。」
「私のせいで妙な事に首突っ込もうとしてないでしょうね?」
ふと、顔を逸らされた。確実に怪しい。
「せやからお前は一切関係あらへんて。ほな俺行くわ。来週あたり、また来る。」
赤松はそう言って、歩き出した。
「待って、待てってば!」
行かせるわけにはいかない、と私は赤松の腕を掴む。
「しつこいで、葉鳥。」
赤松は私を一睨みして、そう吐き捨てた。
「ホントに仕事なの?私の…私が相談したせいで、」
「ちゃう!ええか、葉鳥。お前は絶対身勝手な行動したらあかんで。お前ホンマに猪突猛進タイプやから。」
釘を刺すように、そう言う赤松。
「待てよ…私のことならもう良いから、アンタが危ない目に遭うようだったら、もう見捨ててくれて良いから!」
私がそう言うと、赤松は薄く苦笑を零し、もう一度私の手を振り解く。
「聞こえへん聞こえへん。」
「しらばっくれてんじゃねえよ!」
私の言葉なんか、本当に聞こえていないと言わんばかりに顔を逸らされる。
「おいファルケ、フレーテ、そいつ縛ってでもええから外に出さんようにしとけ。」
少し強めの口調で、彼等にそう言った赤松。
すると、それに従うように、青い騎士さんも次男様も私の腕を掴んだ。
「待てよ…赤松!は、離せっ!」
赤松の背中は、すぐに見えなくなった。
「トリーナ!トリーナ!大丈夫だから…!」
そんな次男様の声も耳には入っていたが、私は暫く暴れていた。
しかし、男二人の力に勝てるわけも無く、私は次男様の部屋に軟禁された。




