秘密の計画
お屋敷二階の掃除にやってきた。
念入りに廊下の掃除に励み、旦那様の部屋や奥方様の部屋に声を掛ける。
二人に頼まれた場所を掃除して、次は兄弟の部屋だ。
以前長男様の部屋に乱入した時、次ここの掃除に来たら声掛けろって言われたんだよな。
全く気乗りしないのだけど、仕方が無い。
これも仕事だ。
思い切って長男様の部屋のドアをノックしようとしていた時、背後から焦ったような声が聞こえた。
「トリーナお嬢様!」
と。
何事かと思い声がした方向を見ると、先日初めて会ったばかりの執事さんが居た。
「はい?」
とりあえずノックを止めて執事さんの方へと向きなおす。
「そのお部屋の掃除はわたしが、」
「あぁ、でも以前この階の掃除をする時は声を掛けるようにと長男様が仰っていたので。」
声を掛けようとしていたのですが、と首を傾げると、執事さんにぐいぐいと引っ張られて廊下の突き当たりに辿り着く。
部屋の前で話したくなかったのだろう。
「しかしトリーナお嬢様、オルゲル様は…」
何かを言いかけて口を噤む執事さん。
きっと頭の引き出しから色々と言葉を引っ張り出している最中なのだろう。
当たり障りの無い言葉を。
「長男様は稀に凶暴化してしまわれるんですよね?」
執事さんが口を開く前に、私が口を開いた。
すると、執事さんは一瞬目を丸くするが、すぐにどこか悲しそうな顔をして頷いた。
「わたしが留守の間も、暴れていたそうですね。」
えぇ暴れていましたとも。
そしてそれを捻じ伏せましたとも。
「ロゼが被害に遭っているのは見ました。」
そう言うと、執事さんは大きな溜め息を一つ零す。
「ローゼお嬢様が…。」
「でも、暴れたとしても捻じ伏せれば大人しくしてくれるみたいですし、」
「は!?」
物凄く驚かれてしまった。
執事さんは私の言葉を遮って大きな声を上げた。
「実は長男様と初めて遭遇した時、既に暴れている状態だったんです。それで…確か初っ端から胸倉掴まれたので失礼ながら関節技を。」
執事さんはついに言葉を失ってしまったようだ。
そんな彼に追い討ちをかけるようにあの日あった事を細かく説明していく。
胸倉を掴まれて関節技をかけたことも、殴りかかってきたのでそれを弾いて右ストレート寸止めしたことも、長男様から弱音を引き出したことも。
「そう…そうですか…オルゲル様が…。」
俯いたままそう呟く執事さん。
表情が見えなかったので何を考えているのかは解らない。
「だから今日も声を掛けようと思ったのですが、止めた方が良いでしょうか?」
と、首を傾げて見せると、執事さんは不安そうな瞳で私を見ている。
「トリーナお嬢様が大丈夫だと仰るなら。」
「私は大丈夫ですよ。じゃあ行って来ますね。」
そう言って手を振って歩き出す。
「…やはり不安なのでわたしも付き添います。」
黙って送り出してくれそうだったのだが、不安が勝ったらしく、足早に付いてくる執事さん。
まぁ私としては彼が居ても居なくても構わないので何も言わなかった。
コンコン、とドアを叩き声を掛ける。
「長男様、トリーナです。何かご用はありませんか?」
すると中から、
「入れ。」
と、何となく不機嫌そうな長男様の声が返ってきた。
相変わらず不安な様子で私を見ている執事さんに、一度微笑みかけてからドアを開けた。
部屋に足を踏み入れると、執事さんの、
「あ!」
という声がした。
それと同時に、長男様の拳が襲い掛かってくる。
なんというか、学習能力は無いのだろうか?
襲い掛かってきた拳を避けると、長男様は勢い余ってバランスを崩す。
腕が目の前を通過していきそうだったので、その腕を掴んで軽めの関節技をかけて簡単には動けない体勢に持っていく。
「甘い!」
痛い痛いと文句を言っている長男様へ向けて怒鳴る。
関節技をかけていた腕を解放すると、長男様はドサリとソファに座り込む。
眉間に深い皺を刻んだその顔はとても不機嫌そうだった。
「どこのお掃除をしましょうか?」
にこりと微笑みながら問い掛けると、一層眉間の皺が深くなる。
「掃除は良い。座れ。」
長男様が座っているソファの向かい側にあるもう一つのソファを示してそう言った。
「私は掃除をしに来たんですけど。」
「良いから座れと言っているんだ!」
長男様って短気だよね。と思いつつ、では失礼します、とソファに座る。
「ライは席を外してくれ。」
ライというのは執事さんのことらしい。
確か彼の名前はカトライアさんだったっけ。
「執事さんはライと呼ばれているんですね。私もライさんと呼んで良いですか?」
くるりと執事さんの居る方を向いてそう尋ねると、執事さんは困ったように、だけどしっかり頷いてくれた。
ライさんと呼ばせてもらえるらしい。
「…席を外してくれ。」
「しかしオルゲル様、」
長男様と私を交互に見ながら困ったように眉を下げるライさん。
「席を外せと言っているんだ!」
どんどん苛立っているようだったので、
「そんなに私と二人きりになりたいんですか?」
と問い掛けてみる。
すると、怒りのボルテージが上がりきってしまったらしい長男様は立ち上がって私を見下ろしてきた。
挑発に乗りやすくてとても面白い。
「貴様!」
「もちろん冗談です。頭を冷やしてください。私もお話があるので。」
淡々と言うと、顔中に怒りの色を滲ませながらももう一度座る長男様。
「…それではわたしはお茶を淹れてまいります。」
諦めたらしいライさんは、一度不安そうにこちらを見てから部屋を出て行った。
「で、どうしたんですか?長男様。」
首を傾げながら尋ねる。
「…お前の話から聞く。」
ぷい、と顔を逸らし、こっちを見もせずにそう言った。
私の話を先にしていたら、長男様の話の途中でライさんが帰ってきそうな気もするのだが良いのだろうか?
しかし長男様は口を開こうとしないので、仕方なく私から話し始めた。
「先日の誕生会、次男様と仲良さそうにお話していましたね。」
と言うと、長男様はこちらを睨みつける。
「あれは上辺だけだ。他家に兄弟仲が悪いところなど見せられるか。」
青い騎士さんが言ってた通りだったんだな。
「兄弟仲が悪いわけではないでしょう?長男様がぴりぴりしているだけだと思います。」
「…なんだと?」
だって次男様は昔のようになりたいって言ってたし。
「…仲直りするきっかけが無いんですか?」
長男様ってプライド高そうだし、自分から声を掛けて謝るなんて芸当絶対に出来ないだろう。
次男様は次男様で完全に長男様を見て怯えているわけだから、どう考えても仲直りのきっかけなんて無いのだ。
間に人が入って、二人が徐々に歩み寄ることが出来れば…仲直り出来るだろうか?
「きっかけじゃなく…仲直りなどする気が無いんだ。」
「そんな寂しそうな顔して、嘘なんて吐かないでください。」
私がそう言うと、長男様はまた眉間に皺を寄せて黙り込んでしまう。
「それじゃあ計画を立ててみましょう長男様。」
声を潜めて話し始めた。
そういえば、前回ここで話していた内容が次男様に筒抜けだったのだ。
仲直り計画が聞こえてしまったら意味が無い。
「何だ急に、」
普通の声で喋ろうとしていた長男様の口元に人差し指を突き出す。
「あまり大きな声だと計画が次男様に聞こえてしまいます。」
「…わかった。」
長男様は素直に声のボリュームを落としてくれた。案外素直なんだよなぁ。
「我慢して仲直りすれば、いずれまた関係が崩れるかもしれませんし精神衛生上よろしくありません。だから長男様は次男様に言いたいことを全て言ってください。八つ当たりはそれが最後です。」
私が立てた計画は、最後の大喧嘩をすることだった。
その喧嘩は頃合を見て私が止めるので、蟠りを残す事無く喧嘩してほしい、と。
「…そんなことで本当に上手く行くだろうか?」
と、長男様は首を傾げる。
なんだかんだ計画を聞いてくれるあたり素直なんだってこの人。
自分じゃ気付いてないみたいだけど。
「しかし長男様、長男様は優しい声で次男様に声を掛けられますか?」
そう尋ねると、渋い顔をして黙ってしまう。
ほら、出来ないくせに。
「長男様が声を掛けない限り、次男様から声を掛けてくるなんてことはありえませんよね。」
「…そう、だな。」
長男様は自嘲気味に笑った。
私は兄弟なんて居ないから全然解らないけど、この二人ならきっかけさえあればまた仲の良い兄弟になれると思う。
というか、仲の良い兄弟になってほしいと思う。
仲直り計画についての話を終えると、私たちは暫し黙り込んだ。
掃除するとこは無いと言っていたし、そろそろ部屋から出たほうが良いのだろうか。
「…あ、そういえば長男様からのお話って何だったんですか?わざわざライさん外に出したんだから何かあったんですよね?」
思い出したように問い掛けると、あぁ、と声を漏らしたまま何も言わなくなってしまう長男様。
何だろう?眉間に若干の皺はあるが、不機嫌さは抜けているようだけど。
「…トリーナ。」
「はい?」
「…お前、フレーテの事は何と呼んでいる?」
また答えにくい質問を…。
「次男様と呼んでいますが。」
いや、フレーテお兄様と呼んでいるよ。呼んでいるさ。
ただそれは次男様と二人きりのとき限定であって、それを他の人に聞かれるのは恥ずかしいんだよ。
「お前、フレーテと一日一時間喋っているらしいじゃないか。」
おっと質問を変えてくるらしい。
「はい。何故かそれが仕事に入っているもので。」
「何故俺との時間は無いんだ?」
何故か訝しげに首を傾げられた。
いやしかし何故と言われても、次男様とお話する時間は勝手に決められていたので何とも言えない。
「それは私にも解りません。旦那様に聞いてください。」
私がそう言うと、長男様は、
「…ふーん。」
と数度頷いた。
「っていうか、話したいなら普通に話しかけてくれれば良いんじゃないでしょうか?殆ど同じお屋敷の中に居るんだから。」
わざわざ時間を取る必要がどこにあるというのだ。
「…うむ、それもそうだな。解った。」
そんな事を呟きながら、何度か頷く長男様。
正直何考えてるのか解んない。
「それじゃあ、私は掃除に戻りますね。」
私はそう言って立ち上がった。
すると、長男様も同じように立ち上がる。
その目に何か光るものを感じたので彼の動きを横目で追っていると、案の定彼の右手が動いた。
ぐっと拳が握られて、それが私の元へと飛んでくる。
パシン、と乾いた音を響かせて、私は長男様の拳を叩き落とした。
「くそ!何故何度やっても当らないんだ!」
何故か怒鳴られた。
「そんなに解りやすいんだから当るわけないでしょう。」
私は呆れた様子を隠す事無く溜め息を零す。
「そんなに解りやすいのか?」
「今にも殴ろうとしている顔してるし、飛んでくる拳は真っ直ぐだし、思いっ切り解りやすいです。」
きっぱりとそう言ってやると、長男様はぎりりと奥歯を噛み締めている。
「長男様、ちょっと拳を握り締めてください。そもそも角度が悪いんですよね。」
そんな言葉でプチパンチ講座が始まった。
「こうか?」
「脇の閉まりが悪いんですよ。こう…閉めて、肘も開きすぎなので、」
長男様の腕を弄りながらフォームを整えていく。
掌を出して、何度かゆっくり殴らせたりして。
「こうか!」
「悪くないですね。その調子です。」
そのタイミングで、ライさんが部屋に戻って来た。
彼は本当にお茶の準備をしてきたらしい。
まぁお茶の準備にしては時間が掛かりすぎだったし、空気を読んである程度待っていたのだろうが。
しかしタイミングの悪い事に、長男様がパシン、と私の掌を殴った瞬間を見てしまったライさん。
とても驚いたらしく、手に持っていた茶器類がガチャガチャと音を立てた。
「オルゲル様、何を!」
「あ、ライさん、これは単にパンチの特訓をしていただけですので…!」
そう弁明したのだが、自分でも正直何を言っているのか解らなかった。
何だパンチの特訓て。
「特訓など…!」
「ライさんライさん私は本当に大丈夫ですから!ね!じゃあ長男様、失礼します!あぁあの計画はご自分の好きなタイミングでお願いします。私が居る時ならいつでも良いので!」
息継ぎもせず早口でそう告げて、私は逃げ出すように長男様の部屋から飛び出した。




