転寝
その日は久々に穏やかな朝を過していた。
誕生会の数日前からずっとバタバタしていたし、それが終わってからも公爵様と対談したり…対談っつーか保護者面談みたいだったけど…、まぁそんな事だったり赤松達が襲撃されたり色々あったから落ち着かない日々が続いていた。
さらには青い騎士さんの暴走や赤い騎士さんの謎の行動に苦しめられて寝不足に陥ったり、精神的にも肉体的にも疲労が溜まっていたのだ。
ぼんやりと朝食を摂って今日の仕事を確認すると、朝一はピアノ練習時間だった。
ありがたいことに、誕生会以降受講希望者が増えたので近々講習を開けることになっている。
このまま講習が軌道に乗ってくれれば良いな、なんて思いながら練習部屋へと向かった。
次の講習では何を歌おうか、と書き溜めていた歌詞の束を手に取る。
そのまま吸い寄せられるようにソファへと身を沈めた。
すると、溜まりに溜まった疲労がじわじわと自分の身を襲い始める。
しっかりしなくては、と頭では解っているのに自分の体はずるずると滑り、最終的には歌詞の束を手に持ったままソファに横になってしまっていた。
クッションを枕にすると、なんとも心地良くて瞼も重くなってきた。
このままでは完全に眠ってしまいそうだ。
閉じようとする瞼と必死に戦い、私は歌詞を見詰める。
…見詰めたものの全然頭に入ってこない。
私はもぞもぞと身を捩り、横向きに寝転がったまま、ついには歌詞を持っていた手をソファから投げ出してしまった。
枕にしたクッションは柔らかいし、背もたれにぴったりと背中を預ければ包まれたような心地良さ。
しかし心のどこかにまだ睡魔と闘おうと言う気は残っているのか、投げ出してしまった手に持った歌詞だけは離していない。
完全に床に付いてるんだけど。
仕方無い、十分間だけ寝よう。仮眠だ仮眠。
…いや違う、仮眠ではない。イメージトレーニングだ。
次の講習で歌う曲の曲順を考えているのだ、目を閉じたまま。
それからどれくらい時間が経っただろう。
…完全に寝て…いや、イメージトレーニングに没頭していた。
そろそろさすがに起きなければ、と目を開けようとしたところ、ドア付近に人の気配を感じた。
「キキョウ…様、」
青い騎士さんだ。
何か用があってきたのだろうが、私が寝ていると思ったらしく私を呼ぶ声は尻すぼみになった。
しかし彼は迷う事無くこちらに近付いてくる。
足音を立てないように近付いてくるものだから、首を絞められたあの時を思い出して私の体はどんどん強張っていく。
寝たフリしてたら寝込みを襲われるんじゃないか、って。
どのタイミングで目を開けるかと考えていたら、青い騎士さんが目の前で膝を付いた。
…圧し掛かられなくて良かった。
ぱちりと目を開くと、青い騎士さんがふわりと微笑む。
「鍵も掛けずに眠るとは無防備ですね、キキョウ様。」
そう言って、青い騎士さんはスーっと私の輪郭をなぞった。
また首を絞められるのか、と全身を強張らせた私を見るなり微笑みを苦笑に返る青い騎士さん。
「先日はすみませんでした。…少し取り乱してしまいました。」
少し取り乱して首を絞めるとはどういうことなのだろうか。
もし大幅に取り乱してしまったら私は彼の持っている剣で真っ二つだったのだろうか。
なんとも恐ろしい男である。
「…ちょっと、怖かったです。」
ソファに転がったまま、ぽつりと零す。
すると、青い騎士さんは申し訳無さそうに眉を下げた。
「自分でも、自分が恐ろしかった。キキョウ様が他の男の手に渡るくらいなら、いっそ自分の手で…と、」
どうしてそうなった。
「…や、他の男の手に渡るって、」
「羨ましかったんですよ、あの伯爵が。」
私の言葉を遮った青い騎士さんは、嘲笑しながらそう言った。
その時ふと思い出したのは、あの夜青い騎士さんが言った言葉。
『何故あんな男に優しくするのですか?』
確かにあの夜、青い騎士さんはそう言った。
「ただ手当てしただけ…いや、むしろ傷口ぐりぐりして痛めつけただけですよ?」
それが羨ましいだなんて、青い騎士さんはドMなのだろうか。
「それでも…」
「っていうか、その手、手当てしようとしたのに拒否したのは青い騎士さんじゃないですか。」
私が力一杯引っ掻いてしまって出来た傷を指して言う。
青い騎士さんが手当てを拒否したため、未だに痛々しい瘡蓋が残ってしまっている。
「…それとこれとは別です。これはキキョウ様につけてもらったものですから。」
…青い騎士さんはドMなのだろうか。
「それに、私は伯爵の手当てより先日青い騎士さんにした看病の方が数段優しくしたつもりなんですけど。」
そう言うと、青い騎士さんは面食らったように目を瞠った。
「まぁ、青い騎士さんは拒絶してたし、無理矢理看病した身で優しくしたなんて言っても信じてもらえないかもしれませんけどね。」
ふふ、と笑いながら、私は起き上がろうと身体に力を入れる。
そんな様子を見た青い騎士さんは、私の肩を押さえつけてそれを邪魔している。
「あの時は…ありがとうございました。」
「いいえ。あ、お礼は要りませんからね。この前助けてもらったのでお相子です。」
そんな私の言葉に、どこか不服そうにむくれてしまった。
暫くそのまま無言だったのだが、肩に乗ったままだった青い騎士さんの手が動いた。
今度はどうやら首に残った痣をなぞっているらしい。
そう、青い騎士さんが付けた絞め跡を。
申し訳無さそうな顔でもするのかな、と思ったのだが、私の予想は完全に外れていた。
目の前に居る青い騎士さんの顔は、どこか満足気に微笑んでいたのだから。
やっぱ怖いわこの人。
「ところでキキョウ様、あの夜…あの後イービスと何があったんですか?」
あの夜とは首を絞められたあの夜でしょうかね。
「何がって…?」
すっとぼけてみると、青い騎士さんの眉間に皺が寄る。
「あからさまに腹を押さえながら、キキョウ様にやられたと言っていましたよ。」
やはり私が蹴った場所が痛かったんだな、あれ。
「いや…ちょっと良く解らないこと言われただけで…」
「部屋に入られたのですか?」
「いやいや違いますよ、誰かさんに首絞められたあと咳き込んで、喉が渇いたから食堂に行ったんですよ。」
ちょこっと毒を挟ませてもらった。
すると青い騎士さんは困ったように言葉を詰まらせて、一瞬私から目を逸らす。
「何を言われました?」
「ん?んーなんだったっけ…内容は忘れたんですが退路を絶たれたので蹴り飛ばしただけです。あの人が言いたいことはさっぱり解りません。」
絶望の涙がなんとか、って言ってたけど。解らない事に変わりない。
恐らく欲しかった回答とは違ったのだろう。青い騎士さんは低く呻りながら何かを考えている。
「…ねぇ青い騎士さん、赤い騎士さんって何者なんですか?」
私がそう問い掛けると、青い騎士さんはチラリと私を見た。
「何故そんな事が気になるのですか?」
「気になるっていうか…」
ざっくり言えば然程気になっているわけではない。
ただ単に謎が多くて気持ち悪いと思っているだけだった。
「誕生会の日、赤い騎士さんと仕事の話をしていたらどこぞのご令嬢に絡まれたんですよね。」
使用人ごときが、えーっと、イービスだっけ?イービス様に声を掛けるなんて、みたいな事を言われたあれだ。
それをざっと説明すると、青い騎士さんの表情が険しくなる。
「どこの令嬢でしょう?潰さなければ…」
ちょっと不穏不穏!そんな話してるわけじゃなくて!
「令嬢のことは覚えてません。私はただ、騎士さんにもあんなファンが付くのかなぁと思って不思議だったんです。」
「…イービスは元々貴族だったはずです。たまに社交界にも顔を出しているらしいので、そちらで知り合ったのかもしれません。」
青い騎士さんの言葉に、なるほど、と軽く返した。
あの令嬢達には貴族として来てる赤い騎士さんに使用人が声を掛けていたように見えたのかもしれないな。
いやでも騎士服着てただろう。
顔しか見えてなかったのかな…。
「…イービスが気になりますか?」
「いや、もし騎士さんにファンが付くとしたら、青い騎士さんにもファンが居るのかなって思ってただけです。」
「俺はそうやって男に群がって騒ぐ女がこの世で一番嫌いなので知ったことではありません。」
…ですよね!
青い騎士さんとそんな話をしていた時だった。
ガタン、と音を立ててドアが開いた。
その音にハッとした私は、急いでソファから起き上がる。
「トリーさん!…あ、あれ、僕邪魔でしたか?」
この声とこの呼び方は、王子様系男子だ。
青い騎士さんは完全に彼を睨みつけているようだったが、別にこれと言って邪魔というわけではないので、
「大丈夫です。どうかしました?」
そう応える。
すると王子様系男子は、恐る恐るだがこちらに近付いてくる。
「仕事でこちらに立ち寄ったので、トリーさんと少し話をしていこうかと思いまして。」
「あぁはい。どうぞ。」
と、自分が座っていたソファを勧めようとしたら、青い騎士さんに無言で止められた。
そして青い騎士さんはそのまま机のところにあった椅子を持ってきて、王子様系男子をそれに座らせる。
「今までキキョウ様が寝ていたソファに他の男を座らせるなど…」
と言いながら自分がソファに座っている。
王子様系男子はそれに対して何の不満もないらしく、微笑みながら口を開いた。
「あの誕生会での演奏からこっち、仕事が増えて増えてビックリしているんです。」
余程嬉しかったのだろう、声を掛けてきた相手をどんどん羅列していく王子様系男子。
最初こそなんだ自慢しに来たのか、と思っていたのだが、声を掛けてきた相手があまりにも多かったので途中からは空いた口が塞がらなかった。
「…まぁどれも『あわよくば噂の天使もセットで呼べるかもしれない』と考えて、声を掛けやすい僕に話を持ってきてるだけみたいなんですけど。」
王子様系男子は私のように『公爵家付きの楽師』だとか『子爵家の使用人兼講師』だとか、そんな肩書きが無いのでフリーなのだ。
だから、呼ばれれば行ける限りどこにでも行く、と本人から聞いたことがある。
「というか、天使の噂って消えなかったんですね…」
「はい、むしろ大きくなったくらいですよ。」
姿を現せば消えると思ってたんだけどな、その噂。とぼやく。
「そのお陰で僕の仕事も増えたわけですし、正直消えなくて良かったと思ってますよ、僕は。それで、今日はお礼を持って来たんです。」
と、王子様系男子。
お礼なんて別に、と言おうとしたら、すたすたとこちらに歩いてきた彼の手から、紙の束が手渡された。
「…楽譜、ですか?」
「はい!この部屋を見たところ、トリーさんは新しい楽譜をあまり持っていないようでしたから。」
確かに新しい楽譜はあまり持っていない。
自分が演奏しているものは全て耳コピだし、この部屋に元々あった楽譜は昔からある練習曲ばかりだったから。
「ありがとうございます。」
そう言って、楽譜から王子様系男子へと視線を移すと、彼はにっこりと笑う。
「王都から取り寄せたんです。最近の舞踏会なんかで流行っている楽曲だそうですよ。」
「そうなんですか!あの、本当に貰って良いんですか?」
「もちろんです!トリーさんがいつも演奏しているものとは多少毛色が異なりますが、気分を変えたいときにでも弾いてみてください。僕も弾けるので、いつか一緒に演奏しましょう。」
そんな王子様系男子の提案に、私は喜んで、と頷いた。
時間が無いという王子様系男子は、お邪魔しましたと一礼して部屋から出て行った。
半分くらい自慢していっただけじゃないか王子様系男子よ…。
楽譜はありがたいけど。
「…キキョウ様、嬉しいですか?」
「ん?王都から取り寄せたものらしいですし、自分じゃ買えないので嬉しいですね。」
ぺらぺらと貰った楽譜を捲りながら答える。
「俺からのお礼は要らないというのに、あの男からのお礼は受け取るんですね…」
という青い騎士さんの言葉で、楽譜から彼へと視線を移す。
すると不服そうな青い騎士さんと目が合った。
「だから青い騎士さんには誕生会の日に助けてもらったあれで充分なんですってば。」
「しかし…」
「物に拘らなくても良いじゃないですか。大事なのは気持ちですよ気持ち。あの時助けに来てくれて、とっても嬉しかったんですよ。それに、助けてもらってなかったら今頃人質になってたかもしれないんだし。」
ね?と首を傾げてみると、腑に落ちないといった面持ちではあったが頷いてくれた。
「…キキョウ様が焼いたという菓子の感想も言えずじまいだったのですが…」
そういやお礼はお菓子の感想で良いって言ったな。今思い出した。
「あぁ、食べられました?」
と、問い掛けると、青い騎士さんは残念そうに首を横に振る。
「私も食べられませんでしたよ…誕生会があんなに忙しいとは思いませんでした。」
と、愚痴っぽく零したところで練習時間が終りに差し掛かっている事に気付いた。
「そろそろ次の仕事の準備しなきゃ。…青い騎士さんは長々とここに居ましたが、仕事は?」
青い騎士さんは騎士服を着ているし、どう考えても休みではない。
しかし休憩時間にしては長いような。
「イービスが午後から休むというのでね、午前中の仕事は全部押し付けてきました。」
なるほどーと相槌を打ったのだが、午前中の仕事全て丸投げとは…。
青い騎士さんって仕事の事になるとたまに横暴になるよね。
被害が出るのは赤い騎士さんだけだから、私には関係ないんだけど。
私は貰った楽譜と、手に持っていた歌詞の束を片付けて、次の仕事場所へと足を進めた。




