VS煌びやか令嬢3
「キキョウ様!」
「葉鳥!」
そんな声がした気がした。でも、それはけたたましい轟音で掻き消されてしまった。
煌びやか令嬢が階段を踏み外す姿を見た。
その時瞬時に思った。
あぁ、彼女が怪我をすれば大変な事になるのだろうな、と。
華奢で貧弱そうな彼女が階段から落ちれば物凄い怪我をするだろうし、打ち所次第では命も危ない。
さらにはこの場に居る全員の立場が危うくなる事もあるかもしれない。
赤松も、青い騎士さんも、赤い騎士さんも。
単なる元孤児の現使用人である私がどうなろうと別に構わないけど、三人は伯爵だったり騎士だから。
と、そんな事を思ってしまえば、身体が動くまでに数秒と掛からなかった。
落ちていく彼女の肩を掴み、自分の方へ抱え込む。
頭を打たれては困るので、両手で彼女の頭を抱きしめる形になった。
咄嗟にピアノが弾けなくなる可能性を思い出し、自分の腕を死守するために、左肩を犠牲にする。
「……っ、いてぇ……」
痛い。すごく痛い。
肩を押さえて蹲っていると、煌びやか令嬢がむくりと起き上がる。
特に痛い場所があるような動きもないし、一応大きな怪我はなさそうだな、そう確認したところで意識が途切れた。
次に気付いた時、視界に入ったのは見知らぬ天井だった。
「ん……」
「おや、気が付かれましたか。もうすぐ迎えが来ますからね」
そう声を掛けてきたのは見知らぬ男性だ。立派な髭を蓄えた初老の男性で、彼は優し気な笑顔を浮かべながら私を見下ろしていた。
くるりと周囲を伺ってみると、白い壁と白いカーテンが見える。そしてそこに漂うのは消毒液の香り。
ふと男性のほうへと視線を戻すと、彼が白衣を着ていることに気が付いた。
その時やっとどうやらここは病院らしいと思い至った。
初老の男性、いやお医者様が言うには怪我の程度は少し酷い打撲だそうで、暫く安静にしていればいいとのことだった。
骨に異常は無いらしい。
我ながら頑丈である。
現在、私の左肩は冷やされている状態だった。凄く冷たい。
他は左足と腰に少し掠り傷があった程度だと説明を受けた。
……我ながら本当に頑丈である。
その後迎えに来てくれたのは旦那様で、私は馬車に乗せられた。
そういえば、馬車に乗ったのは初めてだ。
「トリーナ……、君は暫く自室で謹慎していなさい」
馬車の中、旦那様は開口一番にそう言った。
……謹慎、か。
「君が……君が、悪いわけではないのは解っている。だけど」
相手が相手だから、な。
「旦那様、申し訳ありません。……あの、今回の件で、私は旦那様に迷惑をかけていませんか?」
「なに、大丈夫。迷惑をかけられているとは思ってないよ。ただ、心配はしているけれど」
と、旦那様は笑って言ってくれる。
彼の優しさに、申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。
この一件で公爵家を敵に回してしまったかもしれないのに、笑顔を見せてくれるなんて。
お屋敷に着き、旦那様は来客があるとのことなので応接室へ向かうらしい。
その背中を見送ろうとその場に突っ立っていると、旦那様がくるりと振り返る。
「トリーナは絶対安静、自室で謹慎なのだからそれは出来るね。どうしても退屈なら練習部屋で謹慎していてもいい。練習部屋も君の"自室"だからね」
そう言われた。
甘いなぁ、旦那様は。
そんなことを思いながらぼんやりと旦那様の背中を見ていると、背後からロゼが声を掛けてきた。
「トリー! 大丈夫なの!? 謹慎だそうね、一人で階段上がれる?」
「……うん。一人で大丈夫」
ぽつりと言葉を返せば、ロゼにふわりと頭を撫でられた。
「よく頑張ったわね」
「……頑張った?」
何の事? と首を傾げる。
「なんでもない。私に出来る事があったら言ってね。後で様子を見に行くわ」
ロゼはそう言ってくれた。
その後すぐに、自室か練習部屋に居るのよね? と問われたので頷いておいた。
ゆっくりと階段を上がる。
自室でも良かったが、私は練習部屋を選んだ。
練習部屋なら書きかけの歌詞もあったし、やることもあるから。やることがあったほうが気が紛れるのだ。
……と、思っていたのだが、練習部屋に着いた途端痛みが蘇ってくる。
どうやら痛み止めが切れたのだろう。
この世界に日本ほど優秀な薬はないからな。
ズキズキと痛む肩を庇い、私はソファにうつ伏せで倒れこむ。
クッションに顔を埋めて、暫くそのままじっとしていた。
その時、練習部屋のドアが開く音がする。
様子を見に行くと言ってくれたし、ロゼだろうか。
私はあまりの気だるさに顔も上げられないし、目も開けられなかった。
完全に、飲まされた痛み止めの影響だろう。
鎮痛作用は大してないくせに気だるさだけ残るとは、残念な薬だこと。
「お前、よう階段から落ちるな」
……どうやらやってきたのは赤松だったらしい。
「よく落ちるって、今回が初め……いや、アンタの前では二回目でしょ……」
目も開けないまま答える。
そういえば、かつて、中学生三年生の頃に赤松の目の前で階段から落ちたことがあった。
あの頃クラスのリーダー格の女子と地味に揉めていて、クラスの大半の女子から故意にぶつかられるという悪質且つ陰湿な嫌がらせに遭っていた。
そして偶然階段でぶつかってきた女子が居て、私はバランスを崩してそこから転げ落ちたのだ。
確か、誰かがその場に水を零していたかなにかで床が濡れていて、私が勝手に足を滑らせたはずだった。
それなのに赤松は、私にぶつかってきた女子が私を突き落としたと言い張っていたのだ。
確かにきっかけはぶつかってきた女子だったが、落ちたのは私の不注意だったのに。
「っていうかアンタ……まだその事覚えてたの?」
「当然や。目の前で落ちたからな。今回は女を庇って落ちて、前回は女に突き落とされて、葉鳥女運悪いんとちゃう?」
この場合も「女運が悪い」というのだろうか……?
「前のは別に突き落とされたわけじゃないから……。私が勝手に足滑らせて……」
「いやあれは突き落とされとったやろ」
あの頃も、こんな感じだったな。
絶対に突き落とされたと言って一歩も引かない。
……あれ、そう言えばあの時、コイツは何をしたっけ?
私が階段から落ちて、それを見た赤松は何を……
あぁ、確か倒れてる私を完全に無視して教室に戻ったはずだ。
そしてその教室の中で、私とぶつかった女子の机を蹴り倒していたんだった……!
「思い出した……! まさかアンタ、あの令嬢になにかしたんじゃないでしょうね……っ」
上体を起こして言うが、痛みですぐにソファに逆戻りとなった。
しかしその時初めて目を開けて気が付いた。
「キキョウ様……」
……居たのね、青い騎士さん。
赤松と青い騎士さんは窓際に並んで立っていた。
何をしにきたのか、と尋ねようとしたけれど、二人の顔が痛々しいことに気が付いてそちらのほうが気になってしまった。
「……二人は何故顔が赤いのでしょう? しかも、二人とも左頬だけ。口元には若干血も滲んでますけど?」
私の問いには二人とも答えなかった。
それどころか視線まで逸らすほどだ。
「お前等二人も謹慎だ。まったく……」
ドアのほうから、そんな赤い騎士さんの声がする。
彼は今練習部屋にやってきたようだ。
「あの、赤い騎士さん、この二人は何を……」
二人も謹慎とは何故だろう。
やっぱ何かしたんじゃ……、と思っていると、赤い騎士さんが呆れたようにため息を零しながら言うのだ。
「コイツ等二人はあの令嬢に殴りかかろうとした」
と。
「なんてことしてんの!」
そう言って立ち上がろうとしていると、赤い騎士さんに制止された。
「大丈夫、あの令嬢は気付いていないし俺が殴って止めておいた」
あー、だから頬が赤いわけね。なるほどー。
……なるほどーじゃねぇわ。
「……殴ろうとするなんて、私の努力と傷を無駄にするようなこと……」
「それも俺が言っておいた」
もう赤い騎士さんグッジョブと言わせていただこう。
この人が居なかったら二人とも本当に大変な事になっていただろう。
「公爵令嬢は無傷だった。トリーナちゃん、痛いか?」
と、赤い騎士さんが言った。
「まぁ……人の下敷きになりながら落ちたんで痛いですね」
そう答えると、可哀想にと苦笑される。
しかし煌びやか令嬢は無傷か。あの子も案外頑丈なんだな。
「薬の影響で眠いんだろ? 少し眠ったほうがいい。コイツ等は俺が追い出しておくから」
と言った赤い騎士さんは、二人を連れて練習部屋から出て行った。
静かになった部屋で、私は少し今後の事を考えた。
煌びやか令嬢は怪我こそしていなかったが、階段から落ちたのは事実。
親である公爵様に何を言われるかは解らない。
ここに、居られなくなる可能性もある。
……もう、溜め息しか出ない。
翌日。私は自室のベッドで大人しく寝ていた。
痛み止めを飲まされたので、今日も相変わらず気だるい。
ぼんやりしていると、コンコンとノックの音が部屋に響く。
「はい」
と、小さく返事をすると、ロゼが部屋に入ってきた。
「少し、動けるかしら?」
とのこと。
「うん、少しくらいなら」
そう言って頷いてみせると、ロゼは少し複雑そうな表情をする。
何かあったのだろうか。まぁロゼがこんな表情をしているので何かあったことは明白なのだけれど。
「公爵家の使用人が来ているの。あなたと話がしたいと言っているわ」
公爵家の使用人が、私と話を?
何か文句を言われるのだろうか……ちょっと不安はあるが、おそらく断る事は出来ないはずだ。
「解った」
力強く頷いて、私は立ち上がる。
「騎士が二人とも付いてくれるそうだから、何かあれば二人を頼りなさいね」
「うん。……青い騎士さんも謹慎じゃなかったっけ?」
「あぁ、謹慎と言われたそうだけど、そうなると騎士がイービスだけになるから普通に働いてるわよ」
旦那様は使用人より騎士を増やしたほうが良かったのではないだろうか。
そんな事を考えていると、応接室に着いた。
公爵家の使用人とやらがここに居るのだろう。
少しの緊張をやり過ごそうと深呼吸をしていると、私の背後に二人の騎士さんが来た。
「キキョウ様、貴女は俺がお守りします」
青い騎士さんはいつも通りだった。
この人、緊張とかしないんだろうか。
応接室に入ると、初老の男性が目に入った。
その男性は、私を見るなり立ち上がって、何故だか私に頭を下げた。
私は彼の行動の意味が解らず、きょとんとしている。
「話は全て聞かせていただきました。クライスお嬢様が連れている騎士の事も、楽師に貴女が切りつけられた事も、今回の事も」
なんと煌びやか令嬢関連の出来事を全部知っていらっしゃるようだ。
「貴女には、悪い事をしたと思っています。しかし、どうか、この件は口外なさらぬよう、お願いしたく……」
あぁ、なるほど口止めをしに来たのか。しかもよく見たら口ではお願いしたいとか言っておきながら顔は完全に嫌悪感丸出しみたいな顔をしている。本来なら頭なんか下げたくもなかったんだろうなと、完全に呆れていると、青い騎士さんが動いた。
何か不穏なものを感じたので、私は青い騎士さんの腕を掴む。
そのまま彼の瞳を睨みつければ、動揺したのか動きを止めてくれた。
「わがままなお嬢様が居ると大変ですね。お願いされなくとも人に言い触らしたりはしませんのでご心配なく。ただ、一つだけ交換条件を出してもよろしいでしょうか?」
息継ぎをする事無くそう言うと、公爵家の使用人は弾かれたように頭を上げる。
「……なんでしょう?」
「じゃあ一つだけ。今すぐ帰ってください」
そう言って、笑顔を見せる。
彼等はこの件を揉み消したいようだし、今後旦那様に迷惑が掛かるような事はないだろう。ないと思いたい。
「この件は私と公爵令嬢、いえクライスさんという一人の女の子の問題です。彼女をわがままだといって追い出した公爵家の方々とは関係のない話……で、いいですよね?」
そう言うと、彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。
私は間違った事を言ったとは思わない。
これは私と彼女が起こした揉め事なのだから。
子供の喧嘩に親が出るもんじゃないのよ。
「口外はしない、それはお約束します。ですので今すぐお帰りください」
彼は文句を言いたそうな顔をしていたが、そのまま帰っていった。
「……トリーナちゃん、本当に大丈夫かい?」
部屋に残された私と騎士さん二人は、その場で立ち尽くしたまま。
「うーん、旦那様に迷惑が掛からないのなら大丈夫かな、と」
「キキョウ様、大丈夫ですよ。俺が付いています。もしも貴女が危機に瀕したとしても、ずっと俺が側に」
うん、心強い言葉ではあるけれども、危機に瀕したくはないので出来る限り円満に解決出来るよう頑張ろうと思います。




