3.いつものやり取り 【エリアス】
翌日になっても、ルナリアはまだ目を覚まさない。
時々、意識は戻るものの、夢現だった。
「ぁ、う……うう……!ぁ……?」
「ルナリア!!目が覚めたの!?」
意識が浮上したルナリアに、母上が呼びかける。
だけどルナリアは、首を横に振った。
「い、たい……!」
……ルナリアは、目を覚ましたわけではなかったのだ。
ただ、痛みに意識が虚ろになり、眠りの浅瀬に引き上げられるだけだった。
ルナリアが荒い呼吸を繰り返す度に、僕は彼女の手を握る。
既に、最大量の鎮痛剤を飲ませている。
これ以上は、過剰摂取になってしまう。
ひたすら、時間が経過するのを待つしかなかった。
朝になり、朝食の席に向かうと、そこには既に父上と母上の姿があった。
だけど、ふたりがいつものように談笑することはない。
エイリクが、チラチラとこちらを見る。
邸内の異様な様子に戸惑っているのだろう。
いつもは姿を見せるルナリアが、今日はいないことも、エイリクの不安に拍車をかけている。
食事は、静かに進んだ。
ナイフとフォークを動かす音だけが静かに響く。
一番最初に退室したのは母上で、食事はほとんど手をつけていない様子だった。
ルナリアが心配で、喉を通らなかったのだろう。
父上も食事を終えて、食後の紅茶が運ばれる。
僕が席を立つと、後を追うようにしてエイリクが駆け寄ってきた。
「あの……兄上。姉上はどうなさったのですか」
「ルナリアが怪我をしたんだ。……詳しいことは、後で話すから」
そう言うと、エイリクの顔から血の気が引いた。
ルナリアが怪我をした。
父上と母上の様子を見て、理解したのだろう。
ルナリアは、ひどい怪我を負った、と。
くちびるを震わせて、エイリクが言葉を失う。
エイリクには、言っておいた方がいいだろう。
エイリクは十四歳で、成人まであと二年あるが、分別のつかない子供ではない。
それにもし、僕がエイリクの立場なら、何も知らされないのは嫌だと思った。
後で説明すると話すと、エイリクは覚悟を決めたような顔で頷いた。
「待ってます。部屋で、兄上を待ってますから。……あの、これだけ聞かせてください。姉上は……無事なのですか?」
あれを無事と言っていいかは分からない。
だけど、命に別状はないはずだ。
医者も、そう言っていた。
「命に別状はないはずだよ。ただ……あまり、良くはない」
そう答えると、エイリクはさらに顔を青ざめさせた。
フラフラとしながら、エイリクは部屋に戻っていった。ショックだったのだろう。僕だって、未だに動揺している。
その足で、僕は父上の書斎へと向かった。
書斎に向かうと、執事長も一緒だ。
今朝方、執事が手紙を受け取った。
それは、グレンからだった。
宛名には、ルナリアの名が記されている。
ルナリアは目を覚まさない。
なので、代わりに僕が受け取ったのだ。
(昨日の今日で、何を考えているんだ?)
思わず、嘲笑う。
(昨日、ルナリアは大怪我を負ったんだぞ?)
しかも、メッセージカードに書かれていた内容は──。
僕は父上にメッセージカードを渡した。
父上はすぐにメッセージカードの文面に目を走らせて、反射的にそれを握り潰そうとした。
だけど、すんでのところで思いとどまったようだ。
強ばる手を、ゆっくりと開く。
グレンからのメッセージカード。
それはもう、ふざけているとしか思えない内容が記されていた。
『怪我の様子はどう?
今日の午後、時間ができたから顔を見に行くよ』
(ふざけるな……!!)
何がどう?だ。
こんな手紙、燃やしてやりたい。
ビリビリにちぎって、そのまま暖炉の火にくべてやりたかった。
グレンの顔に、叩きつけてやりたかった。
だけど、できない。
ひととして、最低限の常識が僕に訴えかけてくる。
これは、ルナリア宛の手紙だ。
僕が勝手に破棄することは、してはいけないことだと思った。
父も、同様に考えたのだろう。
深く、息を吐いてから言った。
「これは、私が預かろう」
「ルナリアに……渡すのですか?」
こんなもの、読む価値すらない。
これを読んで、ルナリアは何を思う?
『怪我の様子はどう?』
昨日今日で回復するような擦り傷にでも見えたか?
もし見えたのなら、お前の頭は相当なぼんくらだ。
時間できたから、見に行くだと?
お前は何様だ?
こちらにはこちらの、ルナリアにはルナリアの都合がある。
それを全部無視して、要件だけ告げる。
こちらの返答も、聞くことなく。
文面を読んで、推測した。察してしまった。
今までの、ルナリアとグレンの関係を。
きっとこれは、今回が初めてではないのだろう。
今までも、同じように向こうから指定されて、ルナリアが合わせていた。
このメッセージカードからは、慣れが見て取れた。
こちらの都合なんて構わない、聞く気もない。
そんな意思表示が、透けて見えるようだ。
「渡さない。読む価値がないからね。しばらく、僕が預かっておく」
父上が吐き捨てるように言ったので、僕は心底安心した。
しばらく、というのも方便だ。ルナリアに渡す気はサラサラないのだろう。
「では、グレンが訪ねてきたらどうなさいます」
きっと、来るだろう。
彼は、拒否されたことがないのだろうから。
「エリアス。お前ならどうする?」
ここで、父上が僕に尋ねた。
そんなの、決まっている。
僕は即答した。
「追い返します。邸に入れるはずがない。どの面下げて……どんな顔をして、ルナリアに会うって言うんですか?僕は反対です。あんな野郎に、妹が寝込んでいる姿は見せたくありません……!!」
力強く言うと、父上はゆっくりと頷いた。
「そうだな。僕も同じ意見だ。これは、受け取っていないことにしよう。ルナリアは、起き上がることすらままならない。だからもし、彼が邸を訪れたら──僕は、そんな手紙は受け取っていないし、会わせることもできないから、お引き取り願うしかないね」
父上が、そばに侍る執事長に目配せする。
意図を理解した執事長が頷いた。
いつものように冷静に見えるが、その眼差しは鋭かった。
この邸の使用人のほとんどが、僕が幼い時から働いている。
この、執事長のケヴィンもそうだ。
彼は、ルナリアが生まれた時を知っている。
侍女も、執事も、ルナリアをとても可愛がっていた。それだけに彼らの失意もまた、深いだろう。
父上との話が終わり、エイリクの部屋を訪ねる。エイリクは変わらず青い顔をしていたが、黙って僕の話を聞いていた。
「教えてくれて……ありがとう、ございます、兄上」
絞り出すように、エイリクが言う。
悔しげに、エイリクは自分の手を見つめた。
「……僕が、傍にいれば」
エイリクは、未成年だから蛍涼祭の夜会に参加できなかった。それを、悔やんでいるのだろう。
それを言うなら、僕だって。
父上も、そうだ。
「お前のせいじゃないよ。これは僕の、そして父上の責任でもある。だから、自分を責めるのはやめなさい」
そう言っても、エイリクは思い悩むような顔をしていた。
家族みんなが傷つき、苦しんでいた。
午後になって、メッセージカードに書いてあった通り、グレンが訪問した。
本当に、どの面下げてやってきたんだか。
僕はそれを、ルナリアの部屋の窓から眺めていた。
すぐに執事長が玄関の扉を開けて、グレンの対応をする。
グレンは、当然のように中に入ろうとした。
それを、執事長に止められる。
何か話しているようだが、途中でグレンがカッとなったように大声を出した。
しかし、執事長もだてに何年もこのローウェル公爵家で務めていない。冷静に対応し、にべもなくグレンを追い返した。
納得がいってなさそうなグレンが踵を帰し、馬車へと向かう。
その途中で、グレンが顔を上げた。
視線の先は、この部屋だ。
(あいつ……ルナリアの部屋の位置を知っているのか?)
愕然とした。
しかし、彼と目が合うのはルナリアではない。
僕だ。
グレンは、僕と目が合ったことに、驚いたようだった。
それを冷たく見下ろし、蔑むように一瞥する。
すぐに僕は、グレンの視線を遮るように、カーテンをひいた。さながら、扉を閉めるように。
途端、部屋が薄暗くなり、グレンの姿が視界から消えた。
「…………っ」
思わず、暴言が口をついて出てしまいそうだった。
苛立ちと、悔しさと、悲しみと、怒りで、頭がどうにかなりそうだ。
横を見れば、今も苦しんでいるルナリアがいる。まだ発熱は続いている。痛みもあるのだろう。
やりきれない苛立ちに、どうしようもない悲しみに、頭をかきむしる。
そのまま、僕はベッド横の椅子にふたたび腰を下ろした。
投げ出されたルナリアの手を取る。
……冷たい。
僕は、青ざめた顔の妹を見て、尋ねる。
「ルナリア。お前は目が覚めたら、何がしたい?」
ルナリアは眠っている。
だから、聞こえているはずがない。
それでも、言葉を続ける。
きっと、ルナリアは深く傷ついた。
グレンの仕打ちに。
自分が、怪我を負ったことに。
だから、せめて。
楽しいことや、幸せなことに、目を向けてほしかった。
僕はゆっくりと話し出した。
ルナリアに、届くように。
「そういえば、お前が好きだったパティスリー。王都に二号店が出来たんだって。回復したら、快気祝いに一緒に行こう?……ああ、でも、お前はジェニファーも一緒の方が、嬉しいかな?」
ルナリアは、ジェニファーによく懐いている。
ジェニファーもまた、弟がふたりいる姉ということも関係しているのか、ルナリアを妹のように可愛がってくれていた。
「ラ・エレメールに、期間限定のアフターヌーンティーが出たそうだよ?お前、好きだろう?そういうの。確か味は……ええと、何だったかな。あ、そうだ。桃だ、桃」
記憶をたどって、朧気な情報を引き出す。
ルナリアが知ったら、きっと喜ぶだろうと思って、紳士クラブで聞いた時に記憶に留めておいたのだ。
「もうじき、本格的な夏が来るよ、ルナリア。避暑地で観光でもするかい?湖を見るのもいいね。それとも、オペラ?お前は何でも楽しそうにするからね。 昔はよく、一緒に出かけたものだけど……」
出血が激しかったために、ルナリアの顔は白い。化粧なんて、しなくてもいいほどに。
いつか見た、薔薇色の頬で笑う彼女を思い出す。
「今度は、久しぶりにお兄様と出かけよう?」
まるで、幼い頃よくそうしたように。
絵本の読み聞かせでもするように、僕はルナリアに話しかけた。
夕食の時間だと、従僕が呼びに来るまで。
長いことそうしていた。




