1.兄妹の想い【エリアス】
「お兄様!私ね、好きなひとができたの。聞いてくれる……?」
妹が、薔薇色の頬で告白してきた。
それは、彼女が十六歳になってすぐの頃。
妹は、先日社交界デビューを果たしたばかり。
社交界で、いい相手でも見つけたのだろうか。
それとも──。
楽しげに駆け寄ってくる彼女を抱きとめる。
それにルナリアは、ちょっと不満そうになった。
「もう。お兄様ったら。私はもう十六歳になったのよ?」
そうやって頬を膨らませるところがまだ子供っぽいのだけど、本人には言わない。
代わりにクスクスと笑って、僕は彼女の頭についたイチョウの葉を取ってやる。
時期は秋。
今日、彼女は友人のウィンザー公爵家の息子であるグレンと紅葉狩りに行っていた。
何でも、ルナリアにとって、秋はとても思い入れのある季節らしい。
彼と出会ってからほぼ毎年、この時期にふたりは出かけに行く。
そうして、ルナリアは頭に葉っぱを乗せて帰ってくるのだ。
「そうか。それは良かったね。相手は?僕が聞いてもいいのかい?」
「聞いてくれるの?」
ぱあ、と顔を輝かせてルナリアが僕を見る。
懐っこいその顔に笑みを浮かべて返す。
可愛い妹は、少し照れながらも答えた。
「あの……あのね?驚かないでね?」
「うーん。どうかな。もし、ルナリアの好きだという男がだよ?よく分からない男とか、素性のしれない男なら。僕は調べなければならない。……でも、その顔は違うんだね?」
水を向けると、ルナリアはこくりとちいさく頷いた。
薔薇色の頬で、はちみつ色の瞳を緩めて、妹が幸せそうに笑う。
「グレンなの……!その相手って!」
言っちゃった、と言わんばかりにルナリアは照れたように笑う。
甘酸っぱい、少女の恋だ。
恋する乙女の顔で、ルナリアは笑った。
グレン・ソルシエ・ウィンザー。
ウィンザー公爵家の嫡男だ。
ルナリアが彼と交流を持つようになってすぐ、
父が彼について調べた。
結果、グレンの身辺に問題はなかった。
むしろ、綺麗すぎる程だ。彼は過去に付き合った女性もいない。眉をしかめるような遊びをする友人だっていない。
ドがつくほどの真面目。
父に命じられ、調べた部下の調査報告書にはそう書いてあった。
ウィンザー公爵家は代々近衛騎士を輩出する家柄だ。
その嫡男であるグレンも出世街道まっしぐらといったところだろう。
たしかに結婚相手として、文句のつけどころはない。
だけど、ローウェル公爵家は、嫡男の僕はともかく、妹のルナリアと弟のエイリクに政略結婚を強制する家ではなかった。
だから、ルナリアの結婚相手も、何か条件が付けられていたわけではない。
もちろん最低限、犯罪者ではないとか。
ルナリアを娶っても生活が破綻しない程度の貯蓄か稼ぎがあるとか。
そういったものは条件に入れられるが。
だけどそれも、人柄次第だ。
ルナリアが惚れ込んで、父が許せばある程度の資金援助は父がするだろう。
好きなひとが出来てから、ルナリアの優先順位は変わった。昔は何をしてもお兄様、お兄様、と後ろをついて回ったのに。
今ではグレンのことばかり。
その変化が嬉しくないわけではない。ルナリアに好きなひとが出来て、毎日楽しそうで、幸せそうな様子は見ている僕も嬉しくなった。
だけど兄としてはやはり、複雑なのもまた事実。
少し寂しいと思うのも、また事実だった。
ルナリアが十七歳の、秋。
恒例のピクニック帰り、彼女は弾けんばかりの笑顔を僕に向けた。
「グレンとピクニックに行ったの……!ねえお兄様。お父様は今いらっしゃる?グレンがね、婚約を申し込んでくれるって……!!」
ルナリアが十八歳の、春。
婚約者となったグレンとデートに行くと浮き足立って家を出ていった妹は、なぜか昼前には帰ってきた。
しかもずぶ濡れだ。傘を指さなかったのだろうか?
侍女を見ると、首を横に振っていた。
ルナリアと目が合い、彼女は寂しげに笑った。
「あ、お兄様……。今日はね、グレンが……その、予定が入ってしまったみたい……」
あとから聞くと、グレンはルナリアとのデート中に席を外したまま、帰ってこなかったという。ルナリアはずっとグレンを待っていて、しかもそれがテラス席だったもので、途中から雨に降られてしまった。
今朝は、今にも雨が降りそうな曇天だったのに。
妹の濡れた髪を拭く。
ルナリアは、パッと顔を上げて、取り繕うように言った。
「あ、でもね?お仕事がお忙しいのですって。それに、贈り物もくれたわ。ほら、見て?綺麗でしょ?これ」
グレンの印象を悪くしないように、という配慮が見て取れた。
ルナリアの痛々しいその様子に、正直僕はグレンに腹が立ったし、そんな男はやめておけ、と喉まででかかった。
だけど、言わない。……言えない。
そう言えば、傷つくのはルナリアだ。
そして、決めるのもまた、ルナリアだから。
今の僕にできることはただ、妹を見守ることだけ。
何も気付いていない振りをして、妹の自慢話を聞く。
ルナリアが差し出した手の中指には、指輪が嵌められていた。
ゴールドリングに、翠の石が嵌められている。
(これは……魔石か?)
ほんのりと、魔力を感じる。
だけどそれはちっぽけで、正直に言えばちゃっちかった。
(露天で買ったな)
すぐに見て分かった。
だいたい、我がローウェル公爵家は、魔石を国に卸すことが家業だ。
この魔石造りは、とある理由からローウェル公爵家でしか行えない。国から委託を受けて、ローウェル公爵家は規定量を城に収めていた。
ローウェル公爵家以外で作られる魔石はそのほとんどがガラクタだ。
今のルナリアの指に嵌っているものもそうだ。
品質がまともなものがあっても、それはとんでもない高値がつけられる。
魔石造りが家業の、ローウェル公爵家に。
よりにもよってこんなガラクタを贈るとは。
挑発行為と取られてもおかしくない。
だけど、ルナリアは弾んだ声で続ける。
「これはね。グレンと色違いなの。彼は、シルバーリングで、翠の石を嵌めた指輪をつけているのよ?ふふ、良いでしょう?」
僕に自慢するように、ルナリアは手をかざした。
僕は微笑んで、妹の指を見る。
粗悪品か、模造品──見るものが見れば、すぐに分かる品質の悪さだ。
だけど、ルナリアは嬉しそうだ。
確かに、値段で気持ちが決まるわけではない。
安くたっていいのだ。
そこに、気持ちさえ篭っていれば。
「……そうだね。似合ってるよ」
微笑んで言うと、ルナリアははにかんで答えた。
……だけど後日。
僕は知ってしまう。
グレンは、ルナリアに贈った指輪とは色違いの、シルバーリングに翠の石が嵌められた指輪を嵌めている。
そして、王女には、ゴールドリングの指輪を。
つまり、ルナリアとお揃いの指輪を贈っていたのだ。
それを知った時、ルナリアは相当なショックを受けていた。
僕は抗議すべきだと思ったし、ルナリアにも、それがおかしいことだと話した。
ルナリアも頷いて、グレンと話し合ってくると言って出ていったのだけど。
その後、ルナリアはしょんぼりとして帰ってきた。
伏し目がちに床に視線を落として、ぽつりぽつりと話していく。
「言い合いに……なってしまって。三人でお揃いの指輪を持っていて、なにがいけないのかって言われて……。王女殿下を仲間外れにするのは不敬だって。今から取り上げるのは失礼だって……。だから、グレンも、私も、つけないことで話が纏まったの」
纏まった、というけれど、ルナリアの顔は浮かない。
そりゃあそうだろう。
僕だって、ルナリアの立場だったら嫌だ。
だいたい、自分の安易な行動が原因だというのに、無神経な行いに謝罪もない。しかも反論してきた。
果たして、妹はグレンと結婚して幸せになれるのか……?
今はまだ、ルナリアはローウェル公爵家にいる。
だけど、結婚してしまえば、彼女はウィンザー公爵家の一員になるのだ。
そうなったらもう、僕も父も、母も、口を挟むことは難しい。
ウィンザー公爵家の方針だから、と言われたらそれでおしまいだ。
「……ルナリアは、それで納得したのかい?」
優しく聞くと、少し思い悩んだ末にルナリアは苦笑した。
「分からないの。……もうずっと、グレンがなにを考えているのか……」
ぽつりと話すルナリアに、薔薇色に微笑んでいた頃の姿は、影も形もない。
婚約解消すべきなんじゃないかと思ったけど、こういった話はどこまで介入すべきか難しい。
感情のままに別れさせることが正解なのか。
それとも、見守ってやるべきなのか。
僕も、弟のエイリクも、男だ。
姉なり、妹なりいたらそういった繊細な気遣いもできたのだろうか。
何も出来ない自分が、歯がゆくて仕方なかった。
☆
侍女に手伝われながらルナリアはドレスから寝衣に着替えた。
その後ベッドに運ぶ。運んだのは僕だ。
ベッドに寝かせた時、常にルナリアが首から提げている祝石のネックレスが、するりと零れ落ちた。
ルナリアの祝石は、雪が舞うような、水銀の中に銀箔がたえず流れているような。
一目見て祝石と分かる特別なものだった。
その祝石が、淡く光っている。
まさか、と思った。
(ルナリアの祝石はまだ、覚醒していなかったはず……)
祝石の覚醒には条件があるという。
だけどその条件は明らかになっていない。
僕はもちろん、エイリクも、父も、母も、祝石を持たずに生まれてきた。
だから、どうすればそれが覚醒するかなんて分からなかった。
だけどひとつ知っていることがある。
それは、覚醒した祝石は光を帯びるということ。
キラキラと、淡い白色の光が仄かに灯っている。
ルナリアはその変化にまだ気がついていない。
「銃弾は貫通していますが、出血が酷い。熱が出るでしょう」
医師の言葉に頷いた。
父も遅れて部屋にやってくる。母は父に支えられていた。邸を出た時には想像もできなかったルナリアの酷い姿に、ふたりとも言葉をなくしている。
「う、ぁ、ああっ……あああ……!!」
度々、ルナリアは魘された。
今は鎮痛剤、解熱剤を処方されて、疲れもあったのだろう。眠りについているが、薬でも抑えられない痛みに、ルナリアが度々悶える。
見ていられないほどに、辛そうだった。
母上は目を潤ませたが、気丈にもすぐに立ち直り、ルナリアのベッド傍に寄った。
母上は、ルナリアの手を取った。そして、もう片方の手で彼女の額を落ち着かせるように撫でている。
父上は、そんなルナリアを痛ましそうに見ていた。
「エリアス。何があったのか既に部下から報告は受けている。だけどお前からも聞きたい。ヴィオラ、ルナリアを任せてもいいか?」
尋ねられた母上は、強く頷いた。
「私が診ていますわ」
ルナリアの息は荒い。
苦しそうに魘されては、呻いている。
その度に、母上が彼女の手を握り、励ましていた。
ふたりの姿を目に焼きつける。
グレンが許せなかった。
あの時、グレンは唯一ルナリアを守れる立場にあった。
ルナリアは、グレンの婚約者のはずだ。
それなのに、なぜ。
なぜ……妹を見捨てた!?
感情を押し殺すことに失敗して、僕はあの時。
グレンが寄ってきた時に、彼にそう詰問してしまった。
だけど、見捨てた、という言葉に誰より過敏に反応したのはルナリアで。僕はその時、失言を悟った。
冷静になれと散々自分に言い聞かせていたが、全く冷静になれていなかった。
ルナリアに、心配をかけてしまうほどに。
この手の傷は、未熟者の証だ。
僕が、もっと早くに答えを出して、ふたりの婚約を解消させていたら。
無理にでも婚約を解消するよう父上に進言していたら。
ルナリアを説得していたら。
もしも、を考えても仕方ない。
今更言っても仕方ない。
僕はグレンを恨んでいる。
憎んでいると同時に、僕は僕自身のことも、嫌悪していた。
今更、なんだ。
今言ったところで、ルナリアの傷は消えやしない。




