4.逃げろ
(…………いつも、こう)
周囲は動揺に包まれていて、喧騒は変わらず聞こえてくる。
だけど私はどこか、酷く冷静な自分がいることに気がついた。
時間の流れが遅く感じる。
私だけ、外側にいるみたい。
まるで、オペラ観劇に来ているかのように、現実味がなかった。
だけどそれも、誰かの悲鳴で打ち破られる。
「きゃあああ!!」
「誰だ!?お前は!うぐっ……!」
キン、と高い音。金属音。
誰かが、交戦しているのだ。
ザァッと、血の気が引いた。
先程の、予想が当たった。
当たってしまった。
爆発は、陽動。
本当の目的は、襲撃。
足が震えて、立てない。
模擬戦は、見たことがある。
お兄様が打ち合いをする姿も。
だけどこんな近くで、誰かが戦闘するところを、私は初めて見た。
情けないことに、震えてしまった。
剣戟音は、近くから聞こえてくる。
悲鳴も。
「いやああああ!!誰か!!」
「クソッ……この野郎!!私を誰だと思っている!?ハアッ……!!」
「きゃあ!!!!やめてちょうだい、わたくしに当たりますわ!!」
「それなら離れ……グゥッ!?」
果敢にも立ち向かおうとしていた男性は、どこかを殴打されたのか、鈍い音が響く。
その後、ガシャーーン!!と音がして、また女性の悲鳴。テーブルかなにかに、ぶつかったらしい。
歯がガチガチとなる。
暗闇の中、音しか聞こえない。
それもまた、恐怖を煽る。
バルコニーの方も騒ぎになっているようで、警備にあたっていた騎士や近衛が応戦しているのが遠目に見えた。
だけどこの暗闇の中、苦戦しているのは火を見るより明らか。
(立っ……て、逃げない、と)
浅い呼吸で、何とか冷静さを取り戻そうと努める。
お兄様は?
お兄様とジェニファーは無事?
ローサは?
お母様は、お父様は……。
家族や友人を思うと、少し勇気が出た。
胸に手を当てて、深く深呼吸をする。
それから、テーブルに縋ってようやく立ち上がる。剣戟音と、悲鳴。ガラスが割れる音。
もう、何が何だか分からなかった。
その時。背後から声が聞こえた。
「ルナリア・エヴァ・ローウェルとお見受けする。一緒に来てもらおう」
「──ッ……!!」
いつの間に。
誰?
瞬間的に沸いた驚きを、噛み殺す。
首筋に冷たい感触が当たっていたから。
「ど、して……」
どうして、私のフルネームを知っているの。
なぜ、一緒に来いと言っているの。
理解したくなくて、頭がガンガンと音を立てる。
吐き気がして、目眩がする。
このまま、倒れてしまいそうだった。
緊張と恐怖で、吐き気がして胃が痛い。
私の言葉は文にはなっていなかったが、それでも私の疑問を読み取ったらしい。
背後の男が笑う。
「はっ、どうして?そんなの、決まってる。こちらは、あなたの【祝石】が欲しい。今宵の襲撃は、あなたを攫うためのものなのだから」
「──!?」
反射的に、振り払っていた。
その時、ピリリと首に痛みが走った。
きっと、切られたんだわ。
(私、を?)
そして、このひとは今、【祝石】と言った。
私の持っている、この石。
祝石は常に、身につけている。
幼い頃から肌身離さず、首飾りとして身につけているのだ。今もある。
だけどこれに何の効果があるのか、何の力があるのか、私には分からない。
襲撃者は私が無理に振り払うとは思わなかったのだろう。
男はタタラを踏んだが、すぐに体勢を立て直したようだった。
「ふぅん。顔に似合わず、じゃじゃ馬だな。貴族の娘なのだからもっと淑やかなものかと思ったが」
ここで質問をしても、時間が過ぎれば過ぎるほど、私の不利になってしまう。
敵の数が増えたら、私に勝ち目はない。
今も勝ち目はないけど、逃げることすらままならなくなってしまう。
周りは逃げるひとと応戦するひとで入り乱れていた。
今なら、私も混乱に乗じて逃げられる。
ゆっくりと後退して、そのまま逃げるタイミングを伺っていれば。
薄明かりの中、男が腰に手をやった。
月が、雲で隠れてしまう。
男が何を取りだしたか分からない。
だけど、次の瞬間。
見なくても、その答えがわかった。
──パンッ!!
「……っ!?」
「きゃあああああああ!?!?」
鋭い銃声に、女性の悲鳴が聞こえてくる。
(今のは……!)
魔法銃。隣国が軍事開発に成功して、まだ市場にはあまり出回っていない。
それを持っているということは──。
今のは威嚇射撃だったのだろう。
近くで音がしたけど、私はもちろん、近くにいるひとも、怪我をした様子はなかった。
ただ、ますます混乱に拍車がかかった。
「きゃああああ!今の音は!?今の音は何!!」
「まさか、これは……」
「おい、今のは魔法銃じゃないか!?」
「そんなまさか……」
「早く逃げろ!!」
「魔法はまだ無効化されてるのか!?無効化してる術式はなんだ!?術者を探せ!!」
招待客は我先にと出口を目指す。
私は、動けない。
銃口が、私に向けられていると知っているから。
雲にさえぎられていた月が、ふたたび顔を出す。
月明かりで、襲撃者の顔が見えた。
黒のローブを羽織り、フードを深く被っているけど、この距離だ。男より私の方が背が小さいのもあって、男の顔が見えた。
銀髪に薄青の瞳。
暗闇なので、瞳の色は確証が持てないけど……それでも、その顔に見覚えはない。
隣国の関係者かとも思ったけど、知らない顔だった。
その瞳は刃物を思わせるほどに冷たい。
私を獲物としか見ていない瞳だった。
そして、私の予想通り、男の手には魔法銃が握られている。
その照準の先は、私だ。
「大人しくついてくるなら、悪いようにはしない。ルナリア・エヴァ・ローウェル。痛い思いはしたくないよな?」
脅しだ。でも、ただの脅しではない。
彼は本気で言っている。
私は引きつった声で、答えた。
「そ……れで、ついていくひとがいたら見てみたいものですわ……」
「ふぅん。まだそんなに気丈な受け答えができるか」
男はつまらなそうにも、面白そうにも感じさせる声で言った。
足に、力を入れる。
膝から崩れてしまいそうだったけど、気力だけで堪えた。
呼吸が、浅い。
緊張で、手の感覚が薄い。
「あんたはついてくるしかない。分かってるだろう?それに、このミレヴァール国では大切にされていないみたいじゃないか。なら、捨てちまえばいい。俺と一緒に来い」
「嫌……」
「何?」
「嫌、と言いました。私は嫌、です。あなたには、ついていきません……!」
首を横に振る。
必死に、言葉を紡いだ。
「あ、そ」
男はつまらなそうにそう言うと、引き金に指をかけた。
撃たれる……!
きっと、殺されはしない。
急所を外されるだろう。
でも撃たれることには変わりない。
衝撃に目を瞑り、体を強ばらせたその時、だった。
──ふわ……
「っ……!?」
体が、暖かななにかで包まれたと同時、銃声が鳴り響いた。
──バンッ!!
銃声に、穿たれる。
撃たれる、と思っていたのに。
その弾は、私に当たらなくて──と、緊張を弛めた直後。
ドンッ!!とも、ガンッ!!とも言えない音ともに、脹脛を、何かが貫いた。
「──!!」
一瞬、銃弾が弾かれたように、見えたのに。
今のは……?
考える余裕は、なかった。
痛みと衝撃で、思考が塗りつぶされてしまったから。
「うっ……ぐ、あ、あああ!!」
思わず、その場に崩れ落ちた。
それ程の衝撃だった。
痛い、熱い、痛い。
痛い、痛い!!!!
歯を食いしばる。
それでも、呻き声は抑えられない。
「ぐっ、う、うう……ううう……!」
呻き声を零して、必死に拳を握る。
脂汗が滲んで、呼吸が浅い。
視界が、狭まる。
痛みのせいか、恐怖のせいか、涙が滲んだ。
銃声に驚いた、誰かの悲鳴が聞こえてくる。
「きゃああ!!」
「うわあっ!!」
だけどそれは遠い。
皆、もう出口の方に移動している。
視界の中に、靴先が見える。
茶色い皮の、綺麗に磨かれた靴だった。
クラクラとする視界で、それを見た。
「へえ。今のが【祝石】の力か?今も持ってるんだな?見せてみろ」
なにか思うより早く、ぐいっと腕を掴んで引っ張りあげられる。
脹脛が、痛い。撃たれた足が、痛い。
ガンガンと頭が音を立てる。
「ひゅっ……は、ぁ……は……」
この喘鳴は、私のもの?
腕を引っ張られて、持ち上げられる。
その拍子に、指先がテーブルクロスに触れた。
男と目が合う。
男はニヤリと笑って言った。
「なるほど。これは本物だ。これなら……」
「──っ……!!」
男が、何か言いかけた、その時。
私は男の言葉を遮るようにして、めいっぱいに、テーブルクロスを引いた。
テーブルにはたくさんのグラスと、料理の乗った皿が置かれていた。
男は、完全に油断していたのだろう。
──ガシャアアアン!!
テーブルクロスが引っ張られて、その勢いで皿やグラスが床に落ちる。
音に驚いたのだろう。男が飛び退った。
「……っ!!」
(今、だわ……!!)
その隙をついて、私は脇目も振らずに駆け出した。




