3.残されたのは、私ひとり
「王女殿下が無理を言ってグレンを傍に置いていたわけではないのでしょう?それなら、殿下に非はありません」
「……あなた、優しいのね」
王女殿下はぽかんとしたように私を見た。
(……はい?)
ぽかんとしたいのは私の方。
優しいって、何?
彼女は祈るように胸の前で指を重ねる。
うっとりするように、照れたように言葉を続けた。
「ローウェル公爵が可愛がるのもよく分かるわ。グレンったら、こんなに可愛い婚約者がいるのに……彼女を困らせてはダメよ?」
注意するように、王女殿下がグレンを見る。
「困らせては……」
「困らせているでしょう。ほら、こんなに可愛いほっぺが膨らんでるわ?彼女は嫉妬してるのよ。分かってあげなきゃ」
善意でしかないというように彼女はグレンの背を押す。
距離が近い。
そんなに、触る必要って、あるの?
(彼は、私の婚約者だって、王女殿下はご存知のはずなのに、どうして)
私のこの気持ちは嫉妬なの?
そんなに簡単に、片付けられてしまうもの?
もしそうなら、それがわかっていてなぜ、王女殿下はグレンにベタベタと触るの?
それを許すグレンも分からない。
「嫉妬では、ありませんわ」
辛うじて声が出た。
王女殿下は、きょとんと首を傾げる。
グレンの背に抱きつくような体勢で。
これでは、もはやどちらが婚約者なのかも分からない。
私は笑みを浮かべた。
笑え。笑うのよ。
口角に力を上げて、目を細める。
大丈夫。きっと私は、笑えている。
「王女殿下が謝られることではないと申し上げたのですわ。……私の方こそ、謝罪申し上げなければなりませんのに。私の婚約者が、申し訳ございません」
ゆっくりと、頭を下げた。
周りからどう見られようと、グレンの第一が私ではなかろうと。
グレンの婚約者は私のはず。そのはずだ。
だから、彼の失態を私は侘びなければならない。
私が謝ると、王女殿下はきょとんとしていたけど、弾けたように笑い飛ばした。
まるで、思い悩む私が馬鹿のようだ。
「それこそ、いいのよ!グレンがこうなのはもうずっと前からだし!気にしてもしょうがないし?ああほら、そろそろ蛍涼蛍本番よ?ふたりとも、楽しんでちょうだいね!」
「アルセリアッ……!」
王女殿下は最後にグレンの背をポンッと押すと、足取り軽くその場を去ってしまった。
「…………ああいうお方なんだ」
気まずい空気を破ったのは、グレンの方。
「まんざらでもなさそうだったわね」
「またその話をするの?やめてくれる?うんざりする」
私の話を、あなたは聞かない。
私の【嫌】も、あなたは取り合わない。
それなら私のこの気持ちは、どこにいくのだろう。
聞いてもらえない。
取り合ってもらえない話し合いなんて、するだけ無意味。
(……それでも、伝えなければ始まらないから)
私が嫌だと思っていること。
なぜ、嫌だと感じているかを、言語化しなければ。
諍うのは、私だって嫌。
今夜の蛍涼祭のために着てきたドレス。
数ヶ月前にデザイナーに依頼して作らせた、私のお気に入りの一着。
黄色の花は、金木犀をイメージして作らせたの。
柔らかな黄色のドレス。
あなたの髪の色でもある。
(でも、グレンは全く気付かなかったわね)
あなたの髪の色であることも、金木犀の色であることも。
とても大好きな、お気に入りの一着だったのに。
今は、色褪せて見える。
ちっぽけで、安く見えてしまう。
私のせいだ。
ドレスを、綺麗に着てあげられない。
こんな気持ちで着たくなかった。
「……ここは夜会の会場よ?あなたたちふたりしか、いないわけではないのよ」
「こんなの、いつものことだよ」
ため息混じりに、グレンは答えた。
伝わらない。
もどかしさに、歯噛みしそうになる。
「いつもこうなの?常識に欠けているわ。まず、距離が近すぎる。男女の距離感ではないわ。王女殿下は、あなたの主人である前に、ひとりの女性なの。周りが見たらどう思うかくらい、考えてほしいわ」
「そういう言い争いをするためにここに来たんじゃない」
話を逸らさないで、と言いたかったけどこの場で言い争うのは確かに悪手だ。人目もある。
口を噤むと、途端沈黙が広がった。
沈黙は重くて、苦しい。
私が、全て呑み込むべきかのだろうか。
理解あるふりをして、分かったわ、と笑顔で頷くべきなのだろうか。
でも。
(もし、何かあったら。何か起きたら。その時はきっと……グレンは王女殿下を優先するわ)
仮に、私と王女殿下が同じタイミングで、崖から落ちそうになっていたら。
彼は迷わず王女殿下を選ぶ。
近衛騎士としては百点満点かもしれない。
だけど夫としては……。
受け止めきれない私が、悪いのだろうか。
やがて、ふっと灯りが消された。
暗闇の中を、淡い薄青の光が泳ぎ出す。
蛍涼祭が始まったのだ。
「……少し、見て回ろうか」
グレンが私の手を取る。
蛍は、バルコニーから続く中庭にも放たれている。中庭を散策しようと言われて、私は黙って彼の手を取った、その時だった。
──ドーーンッ……!!
遠くで重低音がして、足元が揺れる。
思わずバランスを崩して転びそうになった私を、グレンが支えた。
「きゃあっ……!?」
「ルナリア!」
咄嗟に、グレンの腕にすがった。
揺れは一瞬だったけど、動揺は収まらない。心臓が、バクバクと言っていた。
「何、今の……!」
慌てて周りを見るも、真っ暗で何も分からない。
周囲のひとたちも私と同じように動揺しているようだ。
「なんだ!?今のは!」
「閣下、落ち着いてください!動かないで!」
「きゃああああ!!何!?今の!怖いわ!!誰か助けて!!」
「お母様!!お母様、どこ!?」
「エミリー!エミリー!どこにいる!?」
会場はもはやパニック状態だった。
私を支える腕に、力が篭もる。
グレンが周囲を鋭く警戒している。のがわかった。
だけど暗闇の中、誰も身動きが取れない。
誰か──恐らく、城の使用人だろう。
「皆様、動かないでください!今のは爆発です!!どこかで、爆発が起こりました!!」
「爆発……!?」
もしこれがただの事故ではなく、故意によるものなら。
誰かが、意図的に爆発を起こしたのなら──それは。
襲撃。
その単語が、頭を駆け巡る。
ざっと血の気が引いたのは、私だけではなかったようだ。
「いやあああ!!」
「クソッ……!こんなところにいられるか!俺はもう帰る!!」
「お待ちください!走らないで──」
動揺は伝播し、誰かが駆け出す。
すぐに、ひととひとがぶつかる音が聞こえてきた。
「きゃあっ!」
「痛い!どなたですの!?やめてくださる!?」
「ええい、そこに立っている方が悪い!!出口はどっちだ!?」
「おやめください、走らないでください!!」
使用人が悲鳴のような声を上げる。
だけどパニック状態の会場では、全く声が届かない。
(爆発は、なんのために?)
もし、この襲撃が誰かを狙ったものなら──。
きっと、これだけでは終わらない。
「いつまで真っ暗なんだ!?早く灯りを灯せ!!」
「ダメです、ことごとく魔法が無効化されていて……!!誰か火を!!松明を持ってくるんだ!!」
警備に当たっていた近衛騎士や、魔術師たちも動揺しているようで、なかなか会場に灯りは戻らない。
その時、仄かな灯りが会場を照らした。
顔を上げると、窓のカーテンが全て取り外されている。
そこに立っているのは、王太子殿下だった。
灯りがないので、カーテンを外し、月明かりで代用したのだろう。
「みな、よく聞け!!爆発は、二回目があるかもしれない!ゆっくりバルコニーに移動してほしい!父上と母上は既に避難された!」
その言葉に反応したのは、グレンだった。
「アルセリア……!」
微かな声。
だけど、聞き逃すはずがない。
まさか、ね?
流石に、グレンだって。
この場で、私を置いていったりは、しないわよね……?
「グ、グレン……」
思わず、彼の服の袖を掴んでしまう。
仄かな月明かりの中、グレンの瞳と目が合う。暗闇だからか、いつもは薄い色合いの彼の瞳が、今は色濃く見えた。
私がなにか言おうと口を開いた時。
二回目の爆発は起きた。
「きゃあっ!?」
バランスを崩して、今度こそ転んでしまう。
両手を床について倒れた私の前に、グレンが膝をつく。顔を合わせて、彼は言った。
「きみは、兄君のところにいるんだ。いいね?」
「待っ……待って。どこに、行くの?」
尋ねる声が、震えた。
こんな暗闇で、お兄様がどこにいるのかなんて分からない。
分かるのは、月明かりに照らされるバルコニーくらい。
でも、バルコニーまで遠いわ。障害物となるテーブルも多いし、また爆発が起こるかもしれない。誰かとぶつかるかもしれない。
ひとりで辿り着ける自信はなかった。
……ううん、不安だったのだ。
この場で、ひとりにされることに。
「俺は、アルセリアを見てくる。敵の狙いはアルセリアかもしれない。急いでるんだ」
「待って……!!」
手を伸ばしたけど、それは空を切った。
グレンは私の言葉に待つことはなく、振り返ることもせず、駆け出してしまった。
残されたのは、私ひとり。




