2.話し合いに意味はない
「王女?……アルセリアのこと?」
驚いたような、グレンの声。
ここまで来たら言わないわけにはいかない。
顔をあげてグレンを見る。
木漏れ日のような、小麦色の髪。
春の空のような、薄青の瞳。
(あなたが本当に好きなのは、誰なの?)
「あなたと王女殿下がご親戚なのは、あなたに言われて初めて知ったわ。……だけど、あなたはいつだって王女殿下を優先するでしょう?それはお仕事だし、仕方のないことだってわかってる。あなたにとって、王女殿下をお守りして、お仕えすることは誇りだって知っ」
「仕方のないことって、何?」
険のある声で、遮られる。
グレンは見たことがないほどに、剣呑な顔をしていた。
眉を寄せ、睨むように私を見ている。
「仕方のないこと。仕方のないこと、ね」
繰り返されて、私は自分が失言してしまったような感覚になった。
「嫌なの」
でも、嫌なものは嫌だった。
「新聞では、あなたと王女殿下の関係を面白おかしく書いているわ。お友達にも言われたのよ。注意した方がいいって。そう言われる私の立場を、あなたは考えてくれたことがあるの?」
堰を切ったように本音が零れる。
今まで口にできなかった分も、まとめて。
「何それ?察してほしかったってわけ?」
面倒そうな声。
(そう、なのかしら)
私は察してほしかったのだろうか。
「あのさ、ハッキリ言っておくけど。きみは僕の婚約者なんだよね?それなら毅然と構えてくれないか?噂が、何?そんな、取るに足らないものに左右されるのやめてほしい。僕の方こそうんざりだよ」
吐き捨てるように言われ、言葉が続かない。
「きみは分かってくれてると思ったんだけど、僕の勘違いだったってわけだ」
「わ、私がいけないっていうの?」
「ほら、そうやってすぐ、責任探しだ。違うよね?きみはいかにも傷つきましたって顔してるけどさ。もう十九歳なんだから大人になってよ。僕にも立場がある。それはきみもそうだよね?」
グレンと話していると、何が何だか分からなくなってくる。
(ええと……?私は何を、言おうとしていたのだっけ……)
「それなら僕からも言わせてもらうけど。きみの【祝石】。一体何の役に立つの?アルセリアは今も体が弱く、病弱だ。特別な石だというのに、彼女の体質ひとつ治せない。役立たずな婚約者を持ったと言われる僕のことも考えてほしいものだけど」
「役立たず?そんなふうに思っていたの?」
祝石の効果は、わからない。
何せ、それを持って生まれたひとの数が少なすぎる。そのために、文献も不足している。
効果もまちまちで、決定的なことは何ひとつ不明だ。
期待、されていたの?
「そういわれる僕の立場にもなってほしいって話だよ」
見下すように言われて、喉の奥が凍る。
優しかった春の空のような色合いの瞳は、凍り付いていた。
「……私の、この石にそんな期待がかけられているなんて知らなかったわ」
震える声で答えるも、返答はなかった。
それから、王城に着くまで会話は途切れた。
空気は最悪で、重くて、私はすぐにでも帰りたくなった。
グレンとこのまま結婚してもうまくやっていける自信は、もうなくなっていた。
「あなたは、まだ、私のことが好きなの?」
私には、信じられない。
ぽつりとつぶやいた言葉は、車輪の音にさえぎられた。
☆
ホールに入って、いつもはグレンから王女殿下に挨拶に行くと私から離れるけど。
今日は私の方から離れた。
今、一緒にいるのは苦しかった。
ひとりになってすぐ、友人のローサが話しかけにくる。
ローサは、シルヴェール伯爵家の一人娘だ。
柔らかな黒髪に、桃色の瞳をしている。
耳に飾った花を模したイヤリングが彼女にとても似合っている。
「久しぶり!ルナリア、今日もとっても可愛いわね!ほら見て、周りの紳士はあなたに釘付けよ」
きっと、ローサは私の様子がおかしいことに気づいてそう声をかけてくれている。
目元が熱くなる。鼻がツンとした。
どうして、悲しい時より、ひとの優しさに触れた時のほうが、涙は出やすいの。
「ちょ、ちょっとどうしたの?」
「……久しぶりにローサに会えたのが、嬉しいのよ」
そっと彼女に寄り添うと、ローサは困ったように笑う。
私の言い訳に納得したわけではないと思うけど、今はそういうことにしておいてあげると、そういうことなのだろう。
その優しさがまた、有難かった。
ローサは気を取り直したように話を再開させる。
「そうそう!先日、ラ・エレメールに行ったのでしょ?どう?苺のクッキー、すごく美味しかったでしょ?」
「──」
ラ・エレメール。
楽しみにしていたアフタヌーンティー。苦い記憶だけが残っている。
「ルナリア?」
ふたたび呼びかけられて、ハッとする。
これ以上、ローサに心配をかけたくなかった。
取り繕うように、私は微笑んだ。
「美味しかったわ。とても、オシャレで」
味なんて、正直覚えていない。
グレンが席を立って、ひとり残されたテーブルで。食べ進めようという気にはならなかったのだから。
何とか他の感想を捻り出そうにも、内装やインテリアに凝っていたことしか覚えていない。
だけどローサは気にならなかったようで、パッと花が咲いたように微笑んだ。
「そうそう!内装もそうだけど、変わった味付けだったでしょう?ココナッツを使っているらしいの。食感も不思議だったでしょ?あれに魅了される令嬢が多いのよ!かくいう私もそのひとりで、お土産用にひと箱買って帰ったの」
「それなら今度、一緒に行きましょう?」
グレンとの記憶を上書きしたくてローサを誘うと、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。
「もちろんよ!」
それから、流行りのブティックやカフェの話をしていると、演奏が流れ始めてきた。
ダンスの時間だ。いつもはこころが踊るこの時間も、今日に限っては気が重い。
ローサを探しに来た、彼女の婚約者のシエンに挨拶をする。
ふたりを見送ってから、私は周囲を見渡した。
まだグレンの姿は見つからない。
ファーストダンスは婚約者と踊るものだけど……。
(……踊りたくない)
さっきの今で、どんな顔をしてダンスを踊ればいいというの?
(お兄様を探しましょう。お兄様なら一緒に踊ってくれるわ)
それと、相談もしてみよう。
ローウェル公爵家は、私の婚約は私の意思に任せてくれている。
それなのにこんなことになってしまったのは、ひとえに私の力不足のせいだろう。
『何それ?察してほしかったってわけ?』
グレンの言葉を思い出す。
その時その時で言えば、きっと、さっきみたいに口論になったり関係が悪くなるから、言えなかった。
言いたくなかった。でも私はきっと、もっと早くに話し合うべきだったんだわ。
傷つくことを恐れていたから、こうなってしまった。
お兄様を探そうと周囲を見渡していると、急に手を取られた。
「きゃっ……!?」
振り返ると、そこには不機嫌そうなグレンがいた。
白の詰襟シャツに、紺のジャケット。腰には剣。
近衛騎士の制服だ。
「……踊ろう?」
言葉だけはいつも通りに、だけどその声は驚くほどに感情がない。
そのまま、ダンスホールに引っ張られそうになる。
……嫌。その感情だけで、踏みとどまった。
怪訝な視線を向けられて、答えた。
「私、足を痛めてしまったの。お兄様のところにいるわ」
「足を痛めた?見せて。……いや、場所が悪いな。ここを出よう」
そう言って、彼が屈もうとする。
まさか抱き上げる気だろうか。
驚いて、思わず彼の手を振り払ってしまう。
これ以上触られたくないと、そう思ってしまった。
驚きにグレンが目を見開く。
取り繕うように、私は微笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、でも私は大丈夫だから。王女殿下のところに行って?」
言ってからしまった、と感じる。
今の言い方は、よくなかった。
さっきの今で、王女殿下の名を出すのは当てつけのように感じてしまう。
顔を上げれば、やはりグレンの表情は曇っていた。
「きみはさ……。いや、何でもない。それじゃあ、お言葉に甘えて時間外労働をしてくるよ」
それだけ言うと、グレンは踵を返した。
いつもは、時間外労働なんて言い方はしない。
馬車での会話が尾を引いている。
これはあくまで仕事なのに、気分を害する私が悪いと、そう言いたいのだろう。
☆
「お兄様は、仕事と婚約者どっちが大事?」
私はお兄様を見つけて、ダンスに誘った。
本来ダンスは紳士が淑女を誘うものだけど、兄妹なのだから構わないでしょう。
私の質問に、お兄様は目を瞬かせる。
お兄様は、私と同じブラウンの髪に、蜂蜜色の瞳をしている。
優し気な顔立ちは令嬢がたから人気みたい。
『優美な貴公子って人気なのよ』とローサから教えてもらった。
私の自慢のお兄様。お兄様はダンスのリードの仕方も優しい。
安心して踊ることができる。
「そうだね。どちらかしか選べないなら、仕事かな。僕は、家が一番大事だ。領民も含めてね」
お兄様らしい回答だった。
「それじゃあ……お兄様が、近衛騎士なら?」
それは、私の悩みを告白しているも同然だった。
「近衛騎士?うーん。それは、グレンのことだよね?」
ここまで来て、誤魔化す必要もない。
もともと私はお兄様に相談するつもりこの話をした。
頷いて答えると、お兄様は苦く笑った。
「僕はね、大事なひとと、そうではないひと、結構ちゃんと分けるタイプなんだ。使用人も、領民も、友人も、みんな大事だけど全員は守れない。たくさん大事なものを増やしたところで、守れなければ意味がない。いざとなった時、僕が守れるひとはきっと、この腕の数だけ」
「お兄様が守りたいのは、ジェニファー?」
「腕は二本あるでしょう?ジェニファーとお前だよ。だけど、ひとりしか選べないというのなら、僕はジェニファーを選ぶ。僕が守らなければならないひとだから」
お兄様はハッキリと答えた。それが、眩しい。
私はきっとグレンの【守らなければならないひと】には選ばれない。だから、ジェニファーが羨ましい。
お兄様とのダンスが終わり、いよいよ本日の主役。蛍涼祭の時間だ。
壁の花になって時間を過ごすつもりだったのだけど、声をかけられた。
「良かった!ここにいたのね」
「……王女殿下。ごきげんよう」
振り返ると、そこにはこのミレヴァール王国唯一の王女。
アルセリア王女殿下と、彼女に連れられてきたのだろうグレンの姿があった。
グレンは王女殿下に腕を掴まれていて、ほぼ腕を組んでいるような格好だった。
距離が近い。
これは、周囲の誤解を招いてもおかしくない、そういう距離感だった。
どうして、その距離を彼女に許しているの?
護衛対象の範疇を超えているのではない?
王女殿下は薄青の髪に、同色の瞳をしている。
長い髪を、白のリボンで編み込んでいて、それがとてもよく似合っていた。
「ごめんなさい、グレンがわがままを言ったみたい」
(ごめんなさい……?)
どうして、王女殿下が謝られるの?
どこまで、何を知っているの?
グレンは、何を話したの?
王女殿下が苦笑すると、グレンが呆れたように答えた。
「わがままって、何ですか。何も聞いていないのに決めつけないでください」
そう言うも、グレンの声には棘がない。
気安いやり取りだった。
(私とは、絶対にしないフランクなやり取り……)
「違うの?どうせ、あなたが無茶なことを言ったのでしょ?あなたはそういうところがあるもの」
「そういうところって何です?だいたい、あなたが部屋を抜け出すからこうなるんです。今日は休むように言われていたでしょう」
「今日はせっかくの蛍涼祭なのよ?寝てなんかいられないわ」
ぽんぽんと交わされる会話。
このひとたちは、ここに私がいることを忘れているみたい。
この場において、私は空気だった。
私はどうして、ここにいるのだろう?
顔を上げて、王女殿下を見る。
甘えたようにグレンに寄り添う王女殿下の姿は、とても姫と騎士の姿には見えなかった。
まるで、恋人同士みたい。
「王女殿下。お気遣いいただきありがとうございます。ですがなぜ、王女殿下が謝られるのです?」
笑みを浮かべて、彼女に問う。
気がつけば、口をついて言葉が出ていた。




