1.星夜祭の約束
建国祭は10月末。
だけど私は──いえ、私たちは。
それを予期しない形で迎えることになった。
王都に戻った、翌週。
日程を調整し、私とお兄様、そしてエイリクはオスカーさんと会うことになった。
待ち合わせ場所は、王都の巨大庭園。
10月ともなると、途端、風は冷たくなる。
邸を出る際、クラリスに渡された上掛けを羽織りながら、私は馬車から窓の外を眺めた。
「もうすっかり秋ね……」
風の冷たさも。
香りだって、夏から秋に移り変わっている。
私の独り言答えたのは、隣に座るエイリクだった。
「あっという間に冬になって、それで今年ももう終わりですよ!」
「毎年のことながら本当に早いね……」
お兄様の言葉に、私は相槌を打った。そこで、エイリクがハッとしたように顔を上げる。
「そうだ。姉上、今年の星夜祭はどうするんですか?」
「……星夜祭?」
星夜祭は12月半ばの催しで──
「あっ……!本当ね。もうそんな時期なのね……。エイリクは、どうするの?今年から、あなたも出席できるのでしょ?」
エイリクは夏に十五歳を迎えたので、今年から夜会に出席することが出来る。
私が尋ねると、エイリクが胸を張って得意げに答えた。
「はい!姉上。今年は、僕が姉上をエスコートしますよ!」
「え?でも、いいのかしら?あなたにお誘いしたいお相手はいないの?」
「いないです」
キッパリと断言するエイリクに、私は目を瞬いた。それに、エイリクがしたり顔で続ける。
「ふふ。僕の目的は、食事ですから!」
「期待してるところ水をさすようだけど……残念なことにユジュの食事の方が美味しいと思うよ。パーティーメニューはほとんど冷製料理だからね」
「ええ?そうなんですか?」
「そうね。……確かに冷菜が多いかも」
「冬ですし、スープとか、ないですか?僕、気付いたんですけど、こってり系のスープが好きです」
「うーん……。パーティーでこってり系のスープは見かけたことがないわ」
私の返答に、エイリクは打って変わって悲しげになった。
そんなに楽しみにしてたのね……。
こうなったら、星夜祭の前日かその翌日は、エイリクを街に連れ出した方がいいかもしれない。
屋台料理の方が、きっとエイリクは喜ぶと思う。
沈鬱に黙り込んでしまったエイリクだけど、気を取り直したように顔を上げた。
「それじゃあ姉上!……僕と一曲、踊りませんか?」
「え?」
「……激しくなければ大丈夫って聞きました。だめ、でしょうか……」
エイリクは不安そうに尋ねてきた。
誘われて、私は少し考える。
社交ダンス……メジャーはワルツだけど、ワルツは難しい。
ワルツは、激しさこそないものの、美しさを求められるので、一挙手一投足に注意を払わなければならないからだ。
一番難しいのが、恐らくチャチャチャ。
今の私では足がついていかない。
代足杖をつけていても、炎症を起こしてしまいかねなかった。
「チャチャチャとか、ワルツは難しいと思うわ。でも、マンボとか、ジャイブなら出来ると思う」
答えると、エイリクはパァッと顔を輝かせた。
そう言えば、エイリクとは、今までパーティーで踊ったことは無かった。
そう思えば、俄然、やる気が出るというもので。
私は、頷いてからエイリクと向き合う。
「せっかくだもの。エイリク、練習に付き合ってくれる?一曲、踊れるようになるまで頑張ってみる」
一曲は、長い。
そこまで激しくないジャイブでも、一曲を踊りきるのは、体力を消耗する。今の私には厳しい挑戦になるだろうけど──星夜祭まで、あと二ヶ月。
代足杖をつけて頑張れば、無謀ではない。
元々、ステップは完璧に覚えているし、ダンスカードを確認して、リズムを取りやすい曲なら、きっと大丈夫。あとは私の頑張り次第だ。
私が答えると、エイリクは嬉しそうに笑った。
「はい!……あの、でも、姉上。無理だったら言ってください。僕は姉上に、無理をして欲しいわけでは無いんです」
エイリクはそう言ったけれど。
既に、私の心は決まっていた。
「多少の無理はするつもり。だって、私があなたと踊りたいの。大丈夫。序盤は社交界デビューしたばかりのご令嬢のために、易しい曲が選曲されるから。……練習に付き合ってね?」
エイリクのエスコートで踊ったことはない。
昔、私がダンスを習い始めた頃。エイリクには練習相手になってもらうこともあったけど。
その時はエイリクがステップを覚えていなかったので、本当にただ付き合ってもらっただけ。
腕を組んで、エイリクが私の動きに合わせて歩いてついてくるという単純なものだった。
(エイリクのエスコートは、どんなものかしら)
お兄様のエスコートはとても優しくて、だけど同じくらい、力強い。だから、安心して身を任せることが出来る。
「それなら、僕も練習には付き合おうか。……懐かしいね。幼い頃はよく、お前のダンスのレッスンに付き合ったものだけど」
「ふふ。お兄様のエスコートは安心できるの。先生も、練習相手にはお兄様は最適だって仰っていたのよ」
そうやって昔話に花を咲かせているうちに、あっという間に馬車は庭園の入口へと到着した。
この庭園に来るのは、初めてだった。
厳密には、行こうとして、行けなかった場所だ。
まだ、グレンと婚約者だった頃。
ラ・エレメールのアフターヌーンティーを楽しんだ後、彼を誘おうと思っていたのだ。
……それは、残念なことに失敗に終わったのだけど。
だけど、今こうやってこれたのだから、あの時、グレンと来れなくて良かったのかもしれない。
それは、きっと、思い出したくない、悲しい記憶になっていただろうから。
巨大庭園と言われるだけあって、庭園の奥は、ちょっとした迷路になっている。
謎解きも楽しめる仕様になっていて、植物を見て楽しむも良し、謎解きを楽しむも良し。お昼時には、中央の噴水広場で楽団が演奏を披露するので、それを見に足を運ぶひともいるのだとか。
待ち合わせ場所にむかと、そこにはふたりの男性の姿があった。
(ふたり?)
首を傾げていると、先に彼らが私たちに気がついた。
男性はふたりいて、ひとりが長い銀髪を背中で編んでいる方。もうひとりが、黒髪の方だった。
私たちに気がついて、すぐに銀髪の男性が手を上げる。
どちらが、オスカーさんなのだろう。
「やあ!ルナリア嬢、エリアス、エイリクくん。ご機嫌麗しく?」
「お初にお目にかかります。ルナリア・エヴァ・ローウェルです」
「初めまして。エイリク・ノア・ウィンザーです」
私とエイリクがそれぞれ挨拶をしたあと、お兄様が苦笑して彼に話しかけた。
「久しぶり。フレディ。元気そうで何よりだよ」
銀髪の男性はお兄様のお知り合いでもあるらしい。
(でも、なぜ……ここに?)
今日は、オスカーさんと私たち三人だけではなかったのだろうか。
困惑しているのは私だけではなく、エイリクも説明を求めるようにお兄様を見ている。
そこで、パチリと黒髪の男性──恐らく、この方がオスカーさん。ぱちりと視線が交わった。
驚いて僅かに目を見開くと、オスカーさんも同様に驚いたらしい。それから、困ったように笑って、彼が口を開いた。
「……お会いするのは初めてですね。初めまして、ルナリア嬢。私が、オスカー・オブシディアンです。……どうぞ、よろしく」
初めて聞いたオスカーさんの声はとても落ち着いていて、耳触りが良かった。
私も、ふたたびワンピースの裾をつまんで、礼をとる。
「ご紹介いただき、ありがとうございます。私がルナリア・エヴァ・ローウェルです。お手紙をありがとうございました。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
オスカーさんは、前髪が少し長く、目元にかかる程度の長さ。そして、肩までつくか、つかないか、という長さの髪を、後ろでひとつに束ねていた。
その隣で、銀髪の男性が私に笑いかける。
「僕はフレデリック・ヴェルキス・フェルゼイン。……ミドルネームにキスが入っているんだ。ロマンチックだと思わない?麗しきご令嬢?」
「え──」
返答に困っていると、すぐにお兄様が間に入った。
「妹をからかうのはやめてくれるかい?というか何でこの男がいるの」
「悪い。さっき、偶然鉢合わせた」
オスカーさんが疲れたように答えて、その隣でフレデリックさんが肩を竦めた。
「ええ?そんな邪険にしないでよ。これでも僕、傷心なんだよ」
「そう」
「ちょうど女性に振られてしまったばかりなんだよ?可哀想だろう?」
哀愁漂うフレデリックさんだけど、お兄様はそれを綺麗に流して、私たちに微笑みかけた。
「チケットカウンターは向こうだね。イザーク、頼めるかい?」
「承知しました。他にご入用のものはございますか?」
イザーク──執事長ケヴィンの息子で、お兄様付きの執事だ。イザークが尋ねて、お兄様は少し考えこむように黙った後、私たちに視線を向けた。
「ない……と思うけど。エイリク、ルナリア。何か頼みたものでもあるかい?」
「僕は──特には……あっ。ちょっと待ってください。あそこに書いてあるスペシャルドリンク?っていうのが気になります!姉上も、ほら!ああいうの好きでしょう?」
「えっ?えっ?」
突然エイリクに手首を掴まれて、視線を誘導される。エイリクが指で示した先には、期間限定のスペシャルドリンクが販売されている文言が記されていた。
「ホット……ショコラ……」
続く文面に、思わず視線を奪われていると、ふふ、と笑ってお兄さまが私に言った。
「それじゃあ、ホットショコラをひとつ。エイリクもいるかい?」
「僕は隣の、スパークリングジュースが気になります!赤スグリのやつがいい!」
「じゃあそれも。僕はダージリンをもらおうかな。ついでだ。オスカーは何かいるかい?」
「それなら、私も彼と一緒に買ってくるよ。ひとりでこの量は大変だろうから」
オスカーさんが買い出しを進んで請け負ってくれて、イザークとふたりでチケットカウンターに向かい、歩いていく。
そこで、私はハッとして、ここまで完全に存在を忘れられていたフレデリックさんに視線を向けた。
フレデリックさんはお兄様に抱きつ──いいえ。あれは、すがりついている……?
「今!僕の心はすきま風だらけなんだ!このまま僕を見捨てるなんてあんまりじゃないか、エリアス!?幼馴染じゃないか~~~~」
「見苦しい。離してくれる?」
バッサリと切り捨てるように言われて、フレデリックさんはそろそろとお兄様から手を離した。
「10月。しかも今日は一段と冷える。そんな中、ひとりで帰宅なんて、虚しくてたまらない。そんな時に僕は偶然オスカー君を見つけた。このままひとり虚しく、帰路につくより断然有意義な時間を過ごせると踏んで、無駄になりそうだったチケットを手に、僕はオスカーくんを誘ったというわけさ」
そこで、フレデリックさんは、ふ、と悲しげに微笑んだ。
「その結果、だよ?オスカーくんは完全に拒否。可哀想な僕がさらに可哀想になっていたところに 、エリアスたちが来たんだ。これは運命だよ」
「ルナリア、寒くない?」
「え?……ええ、大丈夫。ありがとう、お兄様」
お兄様はフレデリックさんの言葉を、慣れたように無視している。
おふたりは幼馴染らしいけれど、私がフレデリックさんに会ったのはこれが初めてだった。
お兄様は、取り付く島もない。
そんなお兄様に、フレデリックさんは途方に暮れた様子だったけれど、やがて思い直したようにエイリクに声をかけた。
「ねえ。エイリクくん」
「はい」
「きみ、魔術に興味があるんだよね?一応、僕も魔術師なんだ。よければ質疑応答に応えるよ」
「え?……そうなんですか?」
エイリクの顔にははっきりと、
『このひとが魔術師?本当に?胡散臭いんだけど……』
……と書かれていた。
エイリクがお兄様を見ると、お兄様は困ったようにため息を吐く。
「……こう見えてフレデリックは第二魔術師団所属だ。ふざけているように見えるけど、腕は確かだよ」
「ええ!?フレデリックさんって、フェルゼイン侯爵家の方ですよね?それがどうして第二魔術師団に……って。あ!じゃあせっかくなので、僕はフレデリックさんと回ります!」
と、エイリクはそそくさとフレデリックさんの隣に行った。
そうして、オスカーさんとイザークが戻ってきて、自然と私とオスカーさん。
お兄様、エイリク、フレデリックさんの組み合わせで庭園を回ることになる。
オスカーさんからホットショコラを受け取り、それを両手で持って、暖を取る。
「オスカーさんは、何を?」
「私はハニージンジャーティーです。今日は冷えますから」
「甘いの、お好きなんですか?」
「これが、意外と甘くないんですよ。甘いものは、普通です。特別好きでも嫌いでもありません」
そんな話をしながら、私はふと、もらった絵葉書のことを思い出した。
「湖の絵葉書をありがとうございました。とても素敵でした。……あれは、オスカーさんが選んでくださったのですか?」
猫舌ではないのかしら。
既にハニージンジャーティーに口をつけていたオスカーさんが私を見て微笑んだ。
「ええ。ルナリア嬢の好みがわからなかったものですから。私セレクトです。……お気に召していただけましたでしょうか」
「はい!とても!」
「とても。それは良かった」
そろそろと、私もホットショコラに口をつける。
外気に冷やされて、ホットショコラは既に飲める温度になっていた。温かさと甘みが、緊張をゆるゆると解いてくれる。
「色使いがすごく素敵でした。画家のマルセル=アドリアン・ロシュフォールを彷彿とさせて……。私、ロシュフォールの絵が好きなのです。オスカーさんは、いかがですか?」
マルセル=アドリアン・ロシュフォール。
彼は、世界で有名な画家のひとりだ。
私は彼の使う色使いに魅せられて、画廊を何度か訪れている。
私が尋ねると、オスカーさんは少し驚いたように目を丸くした。一瞬、彼の足が止まる。
「……ロシュフォールですか?すごいな。あの絵葉書は、ロシュフォールの弟子が描いたものなんです。よく気付かれましたね」
「えっ!?そうなのですか?やだ。恥ずかしい。気付きませんでしたわ……」
ロシュフォールの絵が好きだと言った割に、私は彼の弟子が描いたという絵に気づかなかった。
なんて間抜けなの……。
羞恥に頬が熱を持つ。
思わず頬に手を添えて俯くと、オスカーさんがくすくすと笑った。
「マルセル=アドリアン・ロシュフォールを彷彿とさせる、と仰ったのですから、正しく審美眼が働かれた、ということですよ」
「ありがとうございます……」
オスカーさんの気遣いに感謝して、私は胸元に手を当てた。
(……あら?)
その時、前を歩くお兄様たちと少し距離が空いてしまっていることに気が付いた。
「──」
あ……。
その理由に気が付いて、私は視線を彷徨わせた。
オスカーさんが歩幅を合わせてくれているからだわ……。
「……ありがとうございます」
もう一度お礼を言うと、オスカーさんは不思議そうな顔をした。
それに、私は理由を説明する。
「歩幅を、合わせてくださってるのですね。ごめんなさい、お兄様たちとずいぶん離れてしまいましたわ……」
「え?ああ。いや、気にしないでください。ご令嬢をエスコートする機会なんて滅多にないので、これで合ってるのかいまいち自信が無いのですが……。ひとまず、これで正解……なのでしょうか。失礼があったら申し訳ありません。一通り、マナー本の類は読み込んだのですが」
「そこまでしてくださったのですか?こちらこそ、申し訳ありません。お忙しいでしょうに、お手を煩わせてしまいましたわ」
「高貴なご令嬢をエスコートするのですから、それくらい当然ですよ」
オスカーさんは自然な様子でそう言うと、それから私の方を見て笑った。
「ほら。向こうは、向こうでなにやら、楽し気ですよ」
「…………本当」
オスカーさんの言葉に、私は耳をすませてから、笑ってしまう。
前を歩くお兄様たちからは楽し気な声が絶えず聞こえてくる。
どうやらエイリクが矢継ぎ早に、フレデリックさんに質問をしているみたい。
時折ディベートもしているようで、お兄様やフレデリックさんがああでもない、こうでもないと話ているのが風に乗って聞こえてくる。
ずいぶん、楽しそう。
「ルナリア嬢は、お手紙で──夜空のもとを歩いてみたい、と書かれてましたよね?」
「はい。私はオスカーさんのように夜空の下を歩いたことがありませんから」
「ご令嬢ならそれが普通です。……でもそうですね。少し、それは残念かもしれません」
オスカーさんとの会話は、ぽつりぽつりとしていて、弾むことはないけれど、穏やかで、心地がいい。
正直、驚いていた。
……そして、驚いたことに、驚いている。
グレンと歩いていた時は、いつも少し早歩きだったことに、今、気がついたから。
歩きやすいようにヒールの低いトゥシューズを履いて。
足早に歩くことが癖になっていた。
だから、こうやって、歩幅を合わせることがさも当然だというようなオスカーさんの態度に、驚いてしまった。
そして、驚いたことに、私自身が驚いた。
今、気がついた。
私は──きっと、私が思う以上に。
グレンに、大切にされていなかった。
無下にされていた、というのもまた違う。
気を遣うほどの相手でではない、と。
無意識にか、それとも意識的にか、グレンにはそう思われていた。そう、認定されていたのだ。
その事実に、今、気がついた。




