2.星空の約束
その時、オスカーさんの話が聞こえてきて、我に返る。
「私は西の出身なんですが、とんでもないド田舎なんです。夜は火を落とせば真っ暗なんですよ」
「それは……夜は、不便ですね……?」
「あはは。でも、物心ついた時にはそうだったので、当時は思いませんでした。今、あの生活に戻ったら、窮屈に思うかもしれないな。だけど今の私には、魔法がありますから。火魔法で凌ぎます」
冗談っぽく笑ってから、オスカーさんは話を続ける。
「夜はとんでもなく真っ暗でしたけど……月が出ている日は、すごく明るかった。満面の星空が綺麗で……圧巻でした。いつか、ルナリア嬢にもお見せしてさしあげたい。……マルセル=アドリアン・ロシュフォールの絵に勝るとも劣りませんよ?」
そう言ってオスカーさんが笑うので、私も思わず笑ってしまう。
「ありがとうございます。それはすごく気になりますわ。いつか、見てみたいものです。……きっとさぞ、綺麗なのでしょうね」
「ええ。感動しますよ。世界はとても広くて、自分はなんてちっぽけなんだろう……と思いますし、思わされます。悩みがある時なんかには、うってつけでした。外でそのまま眠るのも最高でしたね」
聞けば聞くほど、彼の生まれ故郷の話は素敵だと思った。満面の星空の下、眠りにつけたらどんな気持ちだろう。きっとそれは、とても素敵な夢を見られるに違いない。
その時、一際強く風が吹いた。
すっかり、ホットショコラは温くなってしまっている。前を見れば、曲がり角を曲がったのだろう。三人の姿はない。
だけど、クラリスやイザークたちは足取りを知っているだろうから、使用人の彼らが先で待ってくれているだろう。
その時、オスカーさんに声をかけられた。
「……寒いですか?」
「え?」
「風が冷たくなってきましたので……。良ければ、これ、羽織りますか?重いですかね」
オスカーさんがジャケットを脱ぎながら尋ねてくる。先程私が腕を摩ったことに気がついてのことのようだった。
後ろを歩くカティアたちもきっと気がついているだろうけど、公爵家の使用人として教育を受けている彼らは、主の会話に割って入ることはしない。
「ありがとうございます。ですが、それでは、オスカーさんが冷えてしまいますわ」
「元々私は体温が高いんです。これくらいなら、半袖でも大丈夫です」
「……本当に?」
「すみません、少し大袈裟に言いました」
「ふふっ……。ありがとうございます。それでは、ありがたくお借りしますわ」
冗談っぽく言ってくれるのは、きっとオスカーさんの気遣いだ。
それが分かったからこそ、私は有難くオスカーさんの好意を受け取ることにした。
「ありがとうございます」
オスカーさんがジャケットを脱いだので、私がそれを羽織る。
「あ……」
「あ。すみません、かなり大きい……ですね」
私がジャケットを羽織って、すぐに私とオスカーさんの声が重なった。
なぜなら、大きい。
とても……大きい。
サイズがあっていない。
腕を伸ばしても指すら出なくて、オーバーサイズもいいところだ。
子供が、大人のものを誤って着てしまったら、きっとこんな感じになるのだろう、といった様子で──。
その時。
ふと、思い出すものがあって、私は思わず笑みがこぼれてしまった。
「ふ…………ふふっ。ふふふふふっ」
「……ルナリア嬢?」
ひとしきり笑ってから、私は口元を抑えた。
思い出し笑い、なんて、はしたないことをしてしまった。
「失礼しました。幼い頃の記憶を思い出したのですわ。……お母様のドレスに憧れて、こっそり着ようとしたことがあったんです。お恥ずかしいことですが」
「……可愛らしい思い出ですね?」
「そう、でしょうか。……着ようにも、ドレスはひとりで着られるように造られていませんから。酷いことになってしまって。……結局、お母様の侍女に見つかって、とても怒られてしまいましたわ」
ひとりでは着られないと悟った私は、エイリクに手伝いを頼んだのだけど、もちろんエイリクだって、ひとにドレスを着せた経験なんてない。
ふたりでアタフタしているうちに私がドレスの裾を踏んで、そのまま顔から転んでしまって──。
お母様にも、侍女にも、教師にも。
こってり怒られたのだ。
その話をすると、オスカーさんは目を細めて微笑んだ。
「優しい思い出ですね」
「……はい」
頷いてから、私は胸元をかき合わせる。
「ありがとうございます。上着、屋内に入るまでの間、お借りしますね」
改めてそう言うと、私は少しだけ重いジャケットを羽織って歩く。
私の足取りはさらに遅くなってしまうのだけど、オスカーさんはそれに何も言わない。
ここまで、付き合わせてしまうのは少し申し訳ない。
そう思って、足を早めようとした、その時。
オスカーさんに尋ねられた。
「建国祭。ルナリア嬢は参加されますか?」
「…………えっ?」
足元に意識を向けていたので、ハッとして顔を上げると、オスカーさんが足を止めていた。それに合わせて、私も止まる。
「建国祭──参加予定、ですわ」
「……それなら」
す、とオスカーさんが手を差し出して、私に言った。
「エスコートさせていただく権利を、私にくださいませんか?」
「……私で、よろしいのでしょうか」
「あなたがいいんです」
ハッキリと答えて、それからオスカーさんが困ったように──ううん。これは……照れてる?
少し照れたように笑いながら、彼が言った。
「正直、お会いするまで決めかねていました。兄君に頼まれたら受けよう、とそれくらいで。……ですが、実際に話して、思ったんです。……ルナリア嬢。あなたはすごく、穏やかなひとですね」
「…………穏やか?」
今まで、紳士にそう言われたことはなくて、私は目を瞬いた。
紳士が淑女を褒める時には、そういう定型文があって、それに則った文句を相手に贈るものだ……という、暗黙の了解がある。
たとえばそれは、相手の髪や瞳を、宝石や花に喩えたり。太陽や月、湖や四季に喩えたり。
だから、穏やか、と褒められ──褒められた、のよね、これは?
目を瞬いていると、オスカーさんがハッとしたように口元を手で──私に差し出していない方の手で、覆った。
「申し訳ありません、失礼な表現だったかもしれません。あなたは──そう。陽だまりのような方だな、と思いまして。ああ、ええと。……太陽のようで、胸が騒ぐのです」
社交界のルールを思い出したのだろう。
最後に形ばかりの文句を口にして、オスカーさんはちら、と視線をさ迷わせる。
それに私もまた、自分の口元に手を添えて、笑みをこぼした。
「ふふ。気にしませんわ。社交界のルールよりも、私は、正直な言葉でお聞きしたいです。……穏やか。陽だまり。そのどちらのお言葉も、とても、嬉しいです」
それから、私は彼をどう思っているか。
会って、話して。感じたことを口にした。
「私は、オスカーさんとこうしてお話して、とても静かで──落ち着いた方だな、と思いました。喩えるなら、月が出ている夜、というような。……空が荒れていると、月は見られないでしょう?」
雲がかかって、月は隠れてしまう。
だから、月が出ている夜。
それは穏やかで静かな夜なはずだから。
私が言うと、オスカーさんも、ホッとしたようち微笑んだ。
「波長があっているのかもしれませんね、私たちは」
「だとしたら、嬉しいです。……お返事ですが、私で良ければ、どうぞよろしくお願いします」
そっと、私はオスカーさんの手に、自分の手を重ねた。
それから、顔を上げてオスカーさんに伺う。
「……ですが」
「どうかしましたか?」
「…………建国祭では、私は恐らく、踊れないと思います」
ようやく、代足杖をつければ歩行が可能になった程度で、ステップを踏むことは到底難しい。星夜祭までに練習を重ねれば、一曲くらいは……と思っているけれど、再来週の建国祭には、今から頑張ってもきっと、厳しい。
途中で転倒したり、ステップを踏み間違える醜態を見せるくらいなら、最初からやめておいた方がいい。
そう思って断ると、オスカーさんは目を瞬いた。
「踊れない、というのは……」
「怪我が」
「ダンスのこと……でしょうか」
私と、オスカーさんの声が重なった。
虚をつかれて顔を上げた私に、オスカーさんは難しい顔をしながら、言葉を続ける。
「……それでしたら。恥を忍んで申し上げますと、私はあまりダンスが得意ではありません。習得したのも、第二魔術師団に正式に配属され、必要に迫られて、というものです。ご令嬢をエスコートするには、今の私では、おそらく実力不足です。……ですから」
オスカーさんは、とても言葉を選んでくれているようだった。困ったように、規則正しく植えられた植木に視線を向けてから、ふたたび私を見る。
「建国祭では、軽食をいただいたあと、タイミングを見て、会場を出てしまいましょう。それで、庭園を見てから帰るのは、いかがですか?パーティーが始まってすぐの庭園は、意外と穴場なんです。……喧騒を離れて静かな夜空を見上げるのも、結構楽しいものですよ」
「──はい!」
さっきのやり取りを思い出して言っているのだろう。
私が夜空の下を歩いたことがない、と言ったことを。
それが分かったから、私もまた、笑みを浮かべて答えた。
そうして、曲がり角の先では予想通りクラリスとイザーク、護衛の騎士が控えていて、この先の画廊に併設されたカフェにお兄様達は入ったとのことだった。
私たちもそれに続いて、私はようやくオスカーさんにジャケットを返したのだった。
帰りの馬車はフレデリックさんの話で持ち切りだった。
エイリクはフレデリックさんと意気投合したみたい。
今後の魔術の発展について、熱く語っている。
お兄様はさんざん、エイリクとディベートを交わしたようで、今は相槌を打つに留めている。
エイリクの話が一段落したあたりで、お兄様に尋ねられた。
「ルナリアは、今日どうだった?楽しかったかい?」
あの後──オスカーさんと、画廊に併設されたカフェに入ったあと。
お兄様達と合流したあとは、私は今のお兄様のように、聞き手に回っていた。
話題に上がるのはどれも、耳に馴染みがない単語ばかりだったけど、興奮しているエイリクに、真剣に話すお兄様の様子が物珍しくて、つい聞き入ってしまった。
そして、お兄様がお友達と、フランクに話すのを私は初めて聞いたような気がする。
お兄様の知らない一面を、垣間見た気がした。
オスカーさんとお兄様が、砕けた会話を交わすのも、どこか新鮮だった。
そして──
(カフェでいただいたスイーツも美味しかったわ……)
砂糖漬けのチェリーが添えられた、フランボワーズのムースケーキ。
濃いアールグレイの紅茶がとても合っていた。
それに。
『喧騒を離れて静かな夜空を見上げるのも、結構楽しいものですよ』
オスカーさんとの会話を思い出して、私はまつ毛を伏せた。
それから、膝の上で揃えた手に、きゅっと力を込める。
「楽しかったわ。……とても!」
にっこりと笑うと、エイリクも楽しげに笑って、お兄様も静かに微笑んだ。
「オリーブの塩漬けが美味しかったですよね!あのオリーブ、肉厚で癖になります。テイクアウトできたらなぁ」
エイリクは、カフェでいただいたオリーブの塩漬けが気に入ったみたい。
あのカフェは、夜はバーとして営業しているようで、お酒のメニューも置いてある。
「また来ようか」
お兄様の言葉に、一番にエイリクが頷いた。
「そうしましょう!次、いつ行きます?」
「そうだね。建国祭が終わってからかな?」
「じゃあ来月ですね!姉上もそれで大丈夫ですか?」
エイリクの言葉に、私も笑みを浮かべて頷く。
「そうね。……その時は、お父様とお母様もお誘いするのはどうかしら?」
ケーキは美味しかったし、お酒も置いてあるから、ふたりとも喜んでくれるはず。
私が提案すると、エイリクもお兄様もそれに賛成してくれた。
そうして、あっという間に10月も下旬。
建国祭が近づいてきた。




