10.秋、ふたたび
お兄様にそう尋ねられて、私はハッと我に返った。
「とても……優しい方だと思う」
あれから、オスカーさんとは何通かお手紙のやり取りを交わしていた。そのどれもが、礼儀正しく、思いやりを感じられるものだった。
だから、気になったのだ。
会ってみたい、と思った。
私は顔を上げて、お兄様を見る。
「お兄様。王都に戻ったら、オスカーさんとお会いしてみたいわ」
「もちろん。エイリクも会いたがっていたね。場を設けようか」
「え?僕、お邪魔虫じゃないですか?」
エイリクの言葉に、私は目を瞬く。
確かにお兄様は──オスカーさんを、私の婚約者候補、として紹介してくれた。
だけどまだ、私にその気持ちはない。
まだ、次の婚約という気にはなれなかった。
婚約も、結婚も、どこか遠くにあって、すぐに考えられるものではなかった。
私は慌てて首を横に振る。
エイリクは胡乱げに私を見た。
「そんなことないわ!それに、私も初めて会う方とは緊張してしまうの。エイリクがきてくれると、嬉しいわ」
「えええ?うーん。どう思います?兄上」
それでも、エイリクは目を細めたままだ。
納得していなさそう。話を振られたお兄様は、しかしお兄様が言い出したこともあって、微笑んで私に同意した。
「いいんじゃないかな。オスカーも口が上手い方じゃないし、下手に事故が起きるよりは」
「事故」
エイリクが静かに繰り返す。
事故……。
私は話上手な方ではない。
だけど、お兄様が言うには、オスカーさんもそうみたい。
それに少し親近感が湧いた。
お兄様が、首を傾げて私たちに尋ねる。
「植物園なんかどう?今はコスモスが見頃じゃないかな」
「兄上って、モテますよね」
「えっ」
エイリクの突然の発言にびっくりしたのは、私だけではなかったみたい。お兄様も、コップを手に持ったまま、動きが止まった。
上品な所作でコップをソーサーに戻して、お兄様がエイリクに聞く。
「急にどうしたの?そんなことはないと思うけれど」
「行き過ぎた謙遜は傲慢にあたるんですよ、兄上。僕の友人が聞いたらひっくり返ります」
エイリクの言葉に、お兄様は答えなかった。
ただ、苦笑している。
「兄上に片思いしている令嬢は多いんですよ。僕、知ってるんですからね!夜会に出る度にそういうお誘いをかけられているのを!」
「えっ…………えええ!?」
私の悲鳴のような驚きの声に、エイリクが首を傾げる。
「えっ。姉上は知らなかったんですか」
「し、知らなかったわ」
ジェニファーは知ってるのだろうか。
知ってたら、きっといい気はしないだろう。
戸惑う私に、お兄様が困ったように笑っている。
ほ、本当なのね……。
エイリクは、ズバリ、探偵は見た!と言いたげに親指を顎に、人差し指を頬に沿うようなポーズを取った。
お兄様がご令嬢の注目を集めているのは知っていた。だけど、夜会で声をかけられているのは知らなかったわ……。
目を瞬いていると、お兄様が困ったようにエイリクに言った。
「エイリクがこの手の話をするのは珍しいね。何かあったの?」
「いいえ。ただ、何となく、兄上が女性陣にキャーキャー言われる理由がわかった気がします。花言葉にも詩にも詳しいし、細かい気遣いとかもさりげなくできますもんね……。姉上もそう思いますよね?というか、姉上は兄上みたいな男を探すべきですよ」
話を振られた私は、慌てて頷いた。
「えっ?え、ええ。確かに……そうね。お兄様はスマートだと思うわ。でもお兄様のような方って……あまり、見たことがないわ……」
お兄様みたいな男性。
考えたこともなかったけど、よくよく思えば、あまり見かけない。お兄様は一見、優男、という見た目で、軟派に見える。だけどその実、誰より誠実だし、優しいし、気遣いに長けている。
そういった男性は、ことの他少ないのかもしれない。
「ふたりに褒められると少し気恥ずかしいな。でも、これも慣れだよ。僕はローウェル公爵家の長男だからね。そう教育を受けたっていう話なだけ」
お兄様は「それで」と話を戻した。
「日程は僕がオスカーに確認しておくから、エイリクもルナリアも、それでいいね?」
「はい、お願いします」
「ええ。ありがとう、お兄様」
エイリクと私が頷くと、お兄様が微笑んだ。
エイリクは、残っていたサンドイッチを手に取ると、思い出したように話し出す。
「そうそう。僕も色々、彼に聞きたいことがあるんですよ!オスカーさんって、平民出身ですよね?平民が魔術師試験に合格するって相当難しいって聞きます」
「そうだね。エイリクが興味を持ってることも伝えておいたから、オスカーから聞いておいで」
お兄様が穏やかにエイリクに答える。それに、エイリクはサンドイッチを頬張りながら頷いて答えた。
その時、ひときわ強い風が吹いた。
私は髪を抑え、エイリクが「わぷっ」と声を出して、目を瞑る。お兄様がすぐに侍女に目配せをして、カティアとローラが、ブランケットの追加は必要か私とエイリクに尋ねてきた。
私は既にある分だけでじゅうぶんだと答え、エイリクは有難くブランケットを受け取っていた。
「……あ。姉上、髪に葉っぱがついてますよ」
「え?」
「ああ、本当だ。取るから、動かないで」
お兄様に言われて、私はお兄様の方に頭を下げた。すぐにお兄様が葉っぱを取ってくれる。それは、イチョウの葉だった。
「ふふ。ルナリアは昔からよく、葉っぱやら花やらを頭にくっつけて帰ってくることが多いよね」
「そ、そうかしら……?」
不注意を指摘されているようでいたたまれずに視線を彷徨わせていると、お兄様がくすっと笑って言った。
「……覚えてる?昔、まだエイリクがこのくらいの時」
お兄様が懐かしむように昔の話をする。
昔──十年以上前。
初夏に、家族みんなでピクニックに行った時、私とエイリクは庭園に入っていって、戻ってくる時。私はかすみ草の花をいくつも頭に乗せていたらしい。
「覚えてないわ」
記憶を探るけれど、そんなことがあったような、ないような、という具合だった。
そんな私に、お兄様が懐かしむように言う。
「エイリクと遊んでいるうちにつけられたそうだよ。髪に絡まってなかなか取れなかったんだ。母上と侍女がとても困ってた」
「ええ?僕、そんなことしたんですか。ごめんなさい、姉上」
エイリクに謝られて、私は戸惑った。
だってもう、私も覚えていないくらい昔の話だもの。私が覚えていないのだから、エイリクだって覚えていないだろう。
「ええ?そんな前のこと、覚えていないもの。構わないわ。でも、ふふっ」
私は答えながら、思わず笑ってしまった。
「残念。覚えていたかったわ。きっと、楽しい思い出だったはずなのに」
「思い出はこれからも作れるでしょう?それに、こうやって今、ユジュで食事をしているのだってひとつの思い出だよ、ねえ?エイリク?」
お兄様に同意を求められて、エイリクが笑顔で答えた。
「そうですよ!帰ったらルドルフのスープをいただきましょう!それで完璧です」
ちゃっかり海老のビスクスープを所望しているエイリクに、私もお兄様も揃って笑ってしまった。
ふたりとも、この時期──私が毎年、グレンとピクニックに行っていたことは知っているのに、その話を一切しないのが、有難かった。
その気遣いに感謝すると同時に、申し訳なく思う。
もっと、もっと時間が経てば。
ふたりとも思い出さないくらいになるだろうか。
私はそっと、顔を上げる。
どこからか、紅葉がハラハラと舞い落ちてきた。視線を巡らせれば、近くに木があった。
風に吹かれる度に、紅葉が攫われるように落ちていく。
私は髪を押さえながら、思った。
(来年、またユジュに来ようかしら)
トロテさんにまた会いたいし、ユジュの食事は美味しいもの。
今度は、クラリスも連れてきたい。
そのまま、話題はいつの間にか過去の思い出話へと移り代わっていた。
エイリクが生まれた時。私が生まれた時。
そこまで遡るものだから、私もエイリクも苦笑してしまう。
流石に、生まれた時のことは覚えていないもの。
だけど、私もエイリクも覚えていない話を、お兄様は懐かしむように、そして大切そうに話してくれる。それがとても嬉しくて、何だかくすぐったかった。
風が冷えてきたので、私たちは別邸に戻ることにした。
席を立った拍子に、ふと思い出す。
以前──オスカーさんから絵葉書をいただいたことを。
それは、湖を描いた絵葉書。
王都外れの湖畔まで行ったから、そのお土産に、と彼が同封してくれたものだった。
(……そうだわ)
お返しに、私もユジュの絵葉書を買っていこう。
クラリスにお土産も買いたい。思い出した私は、お兄様に公爵邸の皆にお土産を買っていきたい旨を申し出た。
「それはいい案だね。まだ時間はあるし、絵葉書を見に行こうか」
元々、お母様とジェニファー、クラリスにはユジュで有名なパティスリーのクッキーを。
お父様には、ユジュの特産品のひとつでもあるガラスペンを。
執事長のケヴィンと、その息子のイザークには、紅茶のセットを用意していた。
オスカーさんに贈る絵葉書は、何がいいかしら。ワクワクしながら、私はお兄様とエイリクと共に、お店に向かったのだった。
そして、トロテさんにお別れの挨拶をして、ユジュを出立して──一ヶ月ぶりに、私は王都へと戻ってきた。
王都は秋を迎えており、ユジュに向かう前は緑だった葉がすっかり色づいてた。
王都の公爵邸に戻ってすぐ、お父様とお母様が出迎えにてきてくれた。次に、クラリスが再会を喜んでくれる。
「お嬢様。ユジュでの生活はいかがでしたか?」
ニコニコしながら聞いてくる彼女に、私も笑みを返す。
「とても楽しかったわ……!食事がすごく美味しかったの。次にユジュに行くことがあれば、絶対にあなたも連れていくわ!」
私が言うと、クラリスは嬉しそうに微笑んだ。
「はい!その時はぜひ、お供させてくださいませ」
「クラリスは、本当に怪我はないのよね?」
「ええ。お気遣いいただきありがとうございます。ですがこの通り、無傷ですわ」
クラリスの笑顔に、ホッとした。無事だと聞いてはいたけれど、実際会ってみるまで不安だったのだ。
その後、「戻ってきたばかりで疲れているでしょう?」というお母様の気遣いで、家族揃っての晩餐会は明日行うことになった。
私とエイリクは自室に戻り、休みを取ることになったのだけど──その前に、お父様に呼び止められた。
自室に向かう途中の廊下で、私は足を止める。
「ルナリア。少しいいかい」
「どうかなさったの?」
「お前に報告がある」
お父様に連れられて、私は書斎に向かった。
「疲れているのにすまないね。一刻も早くお前に知らせたかったんだ。エリアスとエイリクにも伝えたかったのだが、エイリクはもう寝ているし、エリアスは用事があって不在だ」
「お兄様……お忙しいのね」
私が答えると、お父様が苦笑する。
「エリアスは、最近少し頑張りすぎているね。ルナリア。次にエリアスに会ったら、少しは休むように伝えてくれるかい?」
お父様の言葉に、私は頷いた。
「それで、報告なんだが。騎士殿……いや、元騎士殿だったな。彼について、エリアスから話は聞いたかい?」
「ええ。その……追い出された、と」
「そう。ウィンザー公爵家は、トカゲの尻尾切りよろしく元騎士殿を追い出しにかかったんだけどね。王太子殿下がそれは無責任だと仰って、ご自身の近衛に元騎士殿の身柄を拘束させたんだ」
「ええ……!?」
目を見開く私に、お父様が鷹揚に頷いた。
「こちらでも、あれの居場所は追っていたが、やはり身柄を抑えているのと抑えていないのては雲泥の差だ。何しろ、あの男は何をしでかすかわからんからね」
お父様は、執務机の上で手を組むと、穏やかに微笑んだ。
「そういうわけだから、安心しなさい。ここから元騎士殿の扱いがどうなるかはわからんが、ひとまずあの男の身柄は、王家の方で押さえてもらっている。同僚に拘束されるなど、元騎士殿も屈辱だろうね。ま、自業自得だ」
「お父様……」
「どうした?ルナリア」
「彼は……グレンは、私との婚約をふたたび望んでいると聞いたわ。それは……本当ですか?」
意を決して尋ねると、お父様は一瞬黙り込んだものの、すぐに頷いた。
「ああ」
「絶対に……嫌……!」
口をついて、言葉が滑り落ちた。
ハッとした時には、お父様が頷いていた。
「分かっている。たとえお前が望んだとしても、天と地がひっくり返っても、そんなことはしない。もう、あの男のことは忘れていい。お前は、お前のことだけを考えなさい」
お父様に言われて、私はゆっくりと頷いた。
知らずのうちに、体に力が入っていた。
「それから──ノイルさん、についてだが」
「…………!」
「彼から受け取ったという代足杖だが、あれに問題はなかった。安全性も確認できている」
「そ、う……」
その言葉に、私は胸を撫で下ろした。
何も仕掛けられていなかったことに、ホッとした。
だけどお父様は、言いにくそうに口火を切った。
「……むしろ、上位互換と言っても差し支えないほどだったよ」
「え……?」
「魔力の消費は、現行品のおよそ1/3。とんでもないことだよ、これは」
1/3──現行品の。
それは、確かにとんでもないことだと思った。
以前、ノイルさんは魔法銃の開発に携わったと話していた。
それなら、代足杖の改良もまた、可能なのかもしれない。
息を呑む私に、お父様が苦く笑う。
「確認した魔術師がこれを作った人物と会わせてくれとうるさくて仕方なかったよ。……まあ、その話はいい。ルナリア。僕はね、ユジュで報告を受けてから、部下に命じて【ノイルさん】のことを探らせていた」
そこまで言うと、お父様は真剣な眼差しで私を見た。
「……結果は何も掴めなかった。何も、分からなかったんだ。分かるかい?これが、どれほど異常なことかを」
「…………はい」
公爵が調べさせても、素性が知れなかったひと──。
それはつまり、お父様ですら介入が難しい相手、ということだ。
私が頷くと、お父様は深いため息を吐いた。
「エリアスにも言われたね?次ノイルさんを見かけても、もう関わってはならない」
「……はい」
彼は、危険だ。
ただの平民なら、構わなかった。
だけど、恐らく──そうではない。
お兄様も、お父様も、同じように考えている。
お父様はさらに言葉を続けた。
「用意された代足杖といい、何も情報が掴めなかったことと言い──確定だ。彼は間違いなく、ベルフォール国の中枢にいる人間だ。それも、限りなく、王に近い」
私はお父様の言葉に頷いた。
私は祝石を持つ人間で、つい最近、ベルフォール国の人間の襲撃を受けたばかり。
(ノイルさんのことは、もう忘れた方がいい)
もう、彼に会うこともないのだから。




