8.責任の在り処 【エヴァルト】
体調崩して更新途絶えてました。
34話、よろしくお願いします。
グレンは、さらに宣言するように胸を張った。
「私だけではありません!王女殿下もまた、この婚約には合意しておりません!彼女には長く想う相手がいるのです!私は……ッ、私は、そんな彼女をずっと近くで見守ってきました!ですから、このような形で彼女の本懐が叶わないなど、あまりにもいたたまれないのです!どうか……どうか陛下、王女殿下のためにもご一考を……!!」
グレンは、父上がいる方を見て声高らかに叫んだ。
が──父上がこの場に来る前に。
グレンが吹っ飛んだ。
目を瞬いていると、グレンが先ほどまでいた場所にひとりの男がやってきた。
ウィンザー公爵──グレンの父親だ。
なるほど。グレンが吹っ飛んだ理由は、ウィンザー公爵に殴り飛ばされたかららしい。
全く手加減されなかったのだろう。
グレンは盛大に壁にぶつかり、壁につるしていたランタンが揺れる。
おまけに、ついでと言わんばかりに、飾っていた小物までグレンの頭に降ってきた。
グレンの頭に、有名な絵画が落ち、次に花と星を象った木彫りの飾り細工が当たった。
とても間抜けな光景ではあったが、もはやウィンザー公爵はそれどころではないらしい。
ウィンザー公爵が、場を忘れたように息子を怒鳴りつけた。
「この……ッッ大バカ者めが!!!!」
ウィンザー公爵の拳は震えていた。
すぐに、ウィンザー公爵が僕に頭を下げる。
「王太子殿下。此度の非礼……大変、大変申し訳ございません……!招待客の皆様にも深くお詫び申し上げます」
プライドの高いこの公爵が、弁明もなく平謝りである。
彼は口早に言葉を重ねた。
「愚息はどうにも、正気ではない様子。本日はこのあたりで──」
と、ウィンザー公爵が言い終えるより先に。
女性の高く細い声が響いた。
「謝罪は不要よ……!ウィンザー公爵。私も、グレンと同じ思いだもの!」
一言口にするのが精一杯だとでもいうような、息の上がった声。
聞き覚えがありすぎる声に、僕は嫌な予感がした。
(まさか)
そして、得てして、嫌な予感というものは的中するものなのである。
視線を向ければ、そこには、侍女に支えられて立つアルセリアがいた。
(はあ!?何でいるんだよ!?)
上気した頬。
荒い呼吸。
潤んだ瞳。
激しく上下する肩。
……見るからに高熱である。
(何で出てきた??)
お前、寝てるんじゃなかったのかよ。
眩暈がした。頭痛も。
胃が痛いどころか、もはや吐きそうだ。
このまま、見なかったふりをしても構わないだろうか。
いや、だめだろうな。
いつの間にか、僕とグレン、アルセリア、ウィンザー公爵を囲うように、人垣ができている。
モーセの海割のようにその人垣が割れる。現れたのは父上だ。
父上は流石に、この騒ぎに顔を引きつらせ、母上は今にも卒倒しそうだった。
アルセリアは懸命に訴えた。
「お父様……ッ。どうか、グレンとの婚約は破談にしてくださいませ!私は、隣国ベルフォールの王侯貴族に嫁ぎます!!!!」
お目当ては隣国の王じゃなかったのか。
貴族でも良くなったのかよ。
アルセリアの宣言にまたしても、場がざわめく。
僕は、ちら、と侍女に視線を向ける。アルセリアを支える侍女は、仕える主の突拍子もない発言に目を剥いていた。
どうやら、アルセリアがこのような行動に出るとは知らなかったようだ。
僕が侍女に視線を向けると、意図を汲み取った侍女がアルセリアに促す。
「王女殿下……!落ち着かれてください」
「私は正気よ!!黙っていて!」
一蹴された侍女は、それでも暴走する主を宥めようとするが、アルセリアは止まらない。
そのまま、父上を力強く見つめ、アルセリアは胸元に手を当てて叫ぶように言った。
「グレンが言ったように!私には長年の想い人がいます!どうか……どうか、この気持ちをお許しください」
ついにはその場にずるずると座り込んでしまった。
アルセリアは、言葉に熱が入ったのか、やがてすすり泣きを始める。
場の空気は最悪。
もはや、婚約を祝うどころでない。
周囲の招待客の半分は下世話な好奇心を向け、残り半分は失望したようにさっさと退室を始めてしまう始末だ。
ローウェル公爵もそうだ。
その息子のエリアスもまた、婚約者を連れて、中座しているのが視界の端に見えた。
この後始末は僕がするのかと思うと、既に疲労感を覚える。
アルセリアは悲劇のヒロインごっこに酔いしれているし、グレンはそんな彼女を固唾を飲んで見つめている。
ちなみに、グレンは殴り飛ばされた姿のまま──つまり、壁に背を預ける形で座り込んだままだ。
さめざめと泣くアルセリアを前に、父上の出方を窺っていれば──父上がアルセリアを呼んだ。
「アルセリア」
「ハッ……はい……!」
アルセリアの声は細い。
(分かっているのか?お前)
人前で泣きじゃくる姿は、みっともないの一言以外にない。
これのどこが、一国の姫だっていうんだ。
王家のメンツなど丸潰れである。
恐らくこの醜聞は近日中に新聞に書かれ、面白おかしく噂されることだろう。とんだ災難だ。
「お前は今、自分が何をしているかわかっているのか」
低い声で、父上が詰問する。
アルセリアは答えない。うつむいて、黙り込んでいる。
父上は、苦虫を嚙み潰したような顔で言葉を続けた。
しかし話すうちに、怒りが沸々と湧いてきたのだろう。
怒鳴りつけようとしているのを堪えるように父上は言った。
「それが、ミルヴァール国の姫の姿か……!何とも情けない。私は情けなくて仕方ない!見よ、みながお前に失望している。お前は王家の品格を著しく貶めた!この失態を、どう弁明するという……!!」
低い怒声は、びりびりと響いた。
今まで、そんな風に怒鳴られたことなどなかったのだろう。
「ッ──」
アルセリアの肩が激しく跳ねる。また、ぽろぽろと彼女の瞳から涙が零れた。
一緒に怒声を浴びる形の侍女の顔など、もはや皿のように白い。彼女もとんだ災難である。
しかし、父上の怒りはまだ収まらない。
ついには、祝いの場だというのにアルセリアを怒鳴りつけ始めた。
「もはやお前は、我がミルヴァールの姫ではない!そんなに我欲を優先させたいというのなら、よい。好きなだけそうするがいい。平民になり、何にも縛られぬ自由を得るといい!」
「お父様……!?」
アルセリアは唖然として父上を呼ぶ。
流石の僕も、驚きに目を瞬いた。
アルセリアを除籍?本気か?
いや、本気だろう。父上は、一度口にしたことはなかなか覆さない。
「今宵限りで、お前を王族籍から除名する!この婚約披露パーティーは中止だ!せっかくの皆の気遣いを……お前は、お前たちは……!よくもぶち壊してくれたな!はるばる足を運んだ招待客の顔を見よ!」
アルセリアとグレンは、揃って言葉を失っている。
まさか、アルセリアが除籍処分になるとまでは思っていなかったのだろう。
慌てたように母上が取りすがるも、完全に頭に血が上っている父上に、その声は届かない。
(とはいえ……)
これ以上、騒ぎを大きくしてどうする!
アルセリアの除籍処分は後で長考することとして。
この場でぱっと思いついたからと言って、決めていい話ではないだろう。
父上は、完全に頭に血が上って周りが見えなくなっている。
こういうところはアルセリアと似ている、など口にした日には、僕もまた殴り飛ばされそうだ。
仕方なく、僕はこの場を穏便に収めるために声を出した。
「父上。まずは、招待客のみなに声をかけてください。アルセリアはこちらに来なさい。ウィンザー小公爵は……ウィンザー公爵。お任せしてもよろしいか」
声をかけると、同様に驚きに言葉を失っていたウィンザー公爵は、ハッとしたように、息子を乱暴に立たせる。
グレンの顔を見て、内心僕は声を出した。
うわ。
本当に手加減なく殴られたのだろう。グレンの頬はまだそんなに時間経過していないというのに腫れあがっていた。
現時点でこの有様なのだから、明日にはもっとひどいことになるだろう。
せめて痣が良くなるまでは大人しくしていてくれ。
「アルセリア、来なさい。……父上、お願いします」
私は最後に父上に声をかけると、アルセリアの侍女に視線をよこしてアルセリアを連れて来るよう命じ、ホールを後にする。
侍女に連れられて、ふらふらとしながらアルセリアがついてくる。
背後では、ようやく我に返ったらしい父上が、招待客に声をかけていた。
そして、ようやく中断していた音楽が再開される。
しかし──もはや婚約披露パーティーどころではないだろう。
この埋め合わせと、今後の対応を考えると頭が痛い。
早急に手を打たなければ。
詫びの品を用意する必要がある。それはリストにまとめるとして……。
側近に丸投げしようにも、カードは僕が用意すべきだろう。
こういう時、母上が動いてくれると助かるのだが、他でもないアルセリアが引き起こしたトラブルだ。
母上は父上と口論をするのに忙しいだろう。
今までアルセリアが放置されてきたのは、甘やかされていたからではない。
ただ、父上に忘れられていたからに他ならない。
もっと言えば、重要視されていなかったのである。
だからこそ、アルセリアの決定権は、母上が持つ形になっていた。
僕はチラ、と背後のアルセリアを見る。
アルセリアを庇うわけではないが、衆目の前で怒鳴りつけられ、姫の身分を取り上げられるのは、流石に気の毒だった。まあ、十中八九アルセリアに非があるのだが。
アルセリアが姫の身分を取り上げられて、その後は?
療養目的でどこぞに軟禁でもするつもりか、ちょうどいい男に押し付けるつもりか。
前者なら、もうその方がいいだろう。下手に城に置いておくからこうなる。
アルセリアはしばらく静かについてきていたが、王族専用区域に入るとようやく口を開いた。
「どうして……?どうして、こんなことに……」
呆然とした様子のアルセリアに、僕は深いため息を吐きたくなった。
(どうしてだって!?どう考えてもひとつしかないだろーが!)
まだわかんないのか。
僕は足を止めて、振り返った。
呆然としたように、アルセリアが僕を見上げる。
「お前はミルヴァールの姫だよね、アルセリア?」
「……」
こくん、とアルセリアは頷いた。
「姫の身分で、自由結婚が許されると思っている?」
「でも、ベルフォール国の王侯貴族に嫁げば……じゅうぶん、意味のある結婚になるわ」
誰がお前を貰うんだよ。しかも他国?
いらねートラブル招くだけだろうが。
……とは思ったが、その前に気になることがあった。
「それ、自分で考えたこと?」
「え?」
その時になって、アルセリアは困惑したように顔を上げた。
「まあいいや。話はあとで聞くよ。お前、そうとう体調が悪いだろ。なんで無理を押してまで出てきた?」
「最初は、寝ているつもりだったわ。でも……グレンにすべて任せるのも悪い気がして」
その言葉に、引っかかる。
「……任せるのも、悪い気がして?」
なんだ、それは。
まるでアルセリアは、グレンがあんな振る舞いをすることを知っていたかのようじゃないか。
怪訝に思って尋ねると、アルセリアはきょとんとした様子で首を傾げた。せき込みながら。
「ゲホッ……。だって、グレンだけでは、ないもの。この婚約を……嫌だと思っているのは」
微妙に、嚙み合わない。
僕は丁寧に、言葉を紐解くようにしながら、アルセリアに尋ねた。
「お前は、グレンが騒ぎを起こすことを知っていたの?」
「?……ええ、知っていたわ」
は──……僕は言葉を失った。
アルセリアの、救いようのない愚かさに。
だけど、僕がそう思う前にアルセリアは言葉を続けた。
「だって、グレンが持ち掛けたのだもの。今回の……ことについて」
(今回の、ことについて?)
それはつまり。
今回の騒ぎを、グレンはアルセリアに共有していた。
グレンは、アルセリアには寝て待っているように伝えていた?
だけど、アルセリアも出席予定だったのだ。
寝ていられるはずがない。
実際、発熱していなければ僕は何が何でもアルセリアを出席させる予定だった。
──なぜ、グレンはアルセリアの欠席を、想定していた?
まるで、織り込み済みかのように。
まさか。
嫌な推測程、当たるものだ。
僕は強張るくちびるを動かしてアルセリアに尋ねた。
「……アルセリア。グレンはお前に何を言ったんだ?」
「え?」
状況に気が付いた侍女の顔は血の気が引いている。
それはそうだろう。
もしそうなら、それは侍女の責任問題にも発展する。
「あいつは、お前に何をさせようとした」
僕はアルセリアの肩に触れて尋ねた。その肩は熱い。
アルセリアは困惑しながらも、答えた。
恐らくは素直に。嘘、ひとつ吐かずに、
「グレンは……大人しく寝ていればいいと、言ったわ。パーティーは欠席してしまえばいいと。私が、欠席は無理だって、お兄様は私に首に縄をつけてでも引っ張り出すわ、って言ったら。言ったの。……発熱、してしまえばいい、って」
「──」
それは、決定的だった。
僕は唖然とした。グレンのあまりの短絡さに。
そして、それに頷いてしまったアルセリアの迂闊さに。
なぜそれを了承した?だとか。
本当にお前は自分の立場を理解しているのか?とか。
聞きたいことは山ほどあったけど、まずはグレンだ。
王族を、故意に病気にさせる。
病気は傷害と同等の認識で、まず傷害教唆罪に値する。
それで、アルセリアはもともと病弱で、風邪をこじらせることもよくある。
命を落とす可能性だって、十二分にあるのだ。
もし、これでアルセリアが命を落としていたら──それは、王族殺害教唆になる。
王族殺しは重い。
たとえ、同じ王族間での出来事だとしても、一律で死罪だ。
そこら辺は隣国の王国法とは大きく異なるものだが。
「……分かった」
僕は一言、口にした。
おかしいと思っていた。
いくら常識が欠如していると言っても、アルセリアにはあんな大胆なことはできない。
……ひとりでは。
グレンにそそのかされたのだ。
「お前の処分は、ひとまず、ぼ──私が、父上に掛け合う」
様々な感情で、胸の内は奔流を起こしていた。
そのせいで、本来の一人称が口をついて出そうになる。
(よくも王族を言いように使ってくれたな)
それは、矜持を貶められた怒りに近い。
「……──」
そして、今になって自覚する。
父と、母と、そして僕の罪を。
権利も、影響力だって持っているというのに、アルセリアに教育を施さなかったのは、罪だ。
最低限──いいや、勉強机に座らせることが体力的に難しいというのなら、そもそも最初から城に置くべきではなかったのだ。権力が集中する城に置いていたからこそ、こうなった。
遅かれ早かれ、アルセリアは利用されていただろう。
今回、相手がグレンのような小物であったことは、不幸中の幸いかもしれなかった。
今になって、自覚する。
アルセリアは不遇な娘だ。
判断力がない。知識がないから、不文律を知らない。
僕は、それを知って放置していた。咎人だ。
アルセリアを嘲う権利など、僕にはなかった。
僕もまた、ともに嘲られる側だったのだ。
(……とんだ茶番だな)
内心、自嘲した。
僕は、アルセリアの過失は、僕には関係がないと切り捨てていた。
僕が、僕たちが、アルセリアをこのように仕立てたというのに。
無責任にもほどがある。
今更かもしれない。
だけど、自覚した以上、気付いた以上、放っておきたくはない。
(本当に、今さらかもしれないが……)
僕は、ゆっくりと口を開く。
「……アルセリア。お前は、どうしたい?今からでも、王女として生きたいかい?」
尋ねると、アルセリアは困惑したように瞳を揺らした。
「私は……王女よ?」
立場としてはそうだろう。
だけど中身が伴っていない。
僕は緩く首を横に振った。
「本当にそうなりたいと、正しく王女の責務を果たすことを望むなら、今からでも遅くはない」
遅くはない……はずだ、きっと。
そう願う気持ちを知りながら、僕は言葉を続けた。
「教師を手配しよう。だけどその間、お前は城から出す。同時に、お前の婚約者探しも行う。それで誰が選ばれたとしても、文句は言わないように。……できるか?」
「え……?わ、私は……ベルフォール国の……」
「いい加減、現実を見なさい。お前が今、ベルフォール国に行って何ができる?社交?ミルヴァール国の利になる情報を我々によこせるかい?ベルフォール国で、情勢を見極め、ミルヴァール国の利になる相手と縁を持てるかい?それに是と答えたところで、本当にそれができると国花に誓えるか」
立て板に水のごとく話されて、アルセリアは目を瞬いた。
戸惑いが色濃く表れたその顔に、僕はふたたび尋ねた。
「返答期限は建国祭までだ。冷静に考えなさい。もし、学ぶのが嫌だというなら、お前はこのまま王女の身分を捨て、どこか療養に出させる。そちらの方が心穏やかには過ごせるかもしれない。お前の好きにしなさい」
アルセリアは何も答えなかった。
言うだけ言って、僕は踵を返す。
突然選択を迫られても、アルセリアは困惑するだけだろう。
後で、王女として生きた場合の史実と、除籍した場合のケースもそれぞれ用意すべきだ。
王女が除籍処分──過去に例がないわけではない。
それこそ、戦時中は王族と言えど裏切りには厳しい罰が与えられた。
王女が身分を取り上げられた末、軟禁されたケースもあったはずだ。
身分を取り上げられたといえど、監視という名目の使用人はつく。責任がないので、義務もない暮らしだ。
それを窮屈と思うか、自由と取るかはひとによるのだろう。
自身の執務室に向かいながら、僕は考える。
屈辱と、怒り──そして、どうしようもない自身の愚かさを否応なく自覚させられ、気分は最悪だ。
ガンガンと、頭が痛む。
酒など口にしていないというのに、二日酔いを思わせる頭痛だ。
こんなに激しい怒りは、自己嫌悪は、人生で初めてのものだった。
「クソ……吐きそうだ」
舌打ちをして、僕は口元を覆った。
窓を見れば、一面真っ暗な外の景色に愚劣な男がガラスに映っていた。
ますます気分は悪くなる。
最初から間違っていたんだ。
ルナリア嬢の扱いも、アルセリアの扱いも。
……二十年あまりの過ちを、果たして今更是正できるのだろうか?
自信はない。が、やるしかない。
今後の予定を脳裏に書き出していく。
詫び文に、贈り物。そしてその手配。
だけどまずは──ウィンザー公爵家。
かの家に、責任を取らせる必要がある。




