7.自覚には至らず 【エヴァルト】
僕のルナリア・エヴァ・ローウェル公爵令嬢──彼女への評価、といえば。
純粋、といえば、聞こえがいいかもしれない。
悪くいえば、というか。
正直に言うなら。
(幼すぎる。他人の悪意を、知らなすぎる)
僕は、実際、彼女と顔を合わせて驚いたことがあった。それは、彼女があまりにふわふわしていたことである。
あの娘は、恐らくローウェル公爵と、夫人。
そして長男に大事に大事に守られて育ったのだろう。
彼女は、ひとの悪意に晒されることに、慣れていない。
だからこそ、あんな男に引っかかったのだ。
僕は、馬車の中でも書類仕事を進めるヴェルディに質問を投げかけた。
「きみはさ、妻に何を求める?」
僕の突然の質問にも、ヴェルディは慣れている。
書類仕事を進める手を止めて、クイッと眉を寄せる。
「妻、ですか?」
ヴェルディには、同い年の婚約者がいる。
政略で結ばれたもので、傍目から見てもドライな関係であることが見て取れる。ふたりのことは、ふたりにしか分からないものだけど、僕からは、ヴェルディとその婚約者の間には、愛だの恋だのと言った感情は見られなかった。
だから、気になった。
彼は、妻には何を求めるのだろうか。
恐らくは──。
そしてヴェルディは、僕の予想と同じく返答を口にした。
「賢さ、でしょうか」
「やっぱり、そうなるよね」
「ですがそれは、最低限で構いません。口を開いて馬鹿が露呈しない程度なら、それで」
つまりそれは、慎ましさも求めているということなのだろう。なるほど、ヴェルディの婚約者が彼女なわけだ。ヴェルディの婚約者とは、何度か顔を合わせたことがあるが、実に彼によく似ていた。笑みを浮かべているものの、言葉少なで、腹の中を見せない。貴族の娘としては、完璧に近い。
(ルナリア嬢は、その逆だな……)
大人しいし、馬鹿だとは思わない。
だけど、腹の内の探り合いなどは苦手そうだ。
ひとには向き不向き、というものがある。ルナリア嬢は、元からそれを苦手とするタイプなのだろう。
口を開けばボロを出すような馬鹿ではない。
が、話し方がおっとりしているので、意見は封じられやすい。
特に、まくし立てて話すタイプの相手の相性は最悪だ。一言も話せずに終わることだって有り得る。彼女は、会話の主導権を握ることに慣れていない。
そこまで考えて、僕は彼女の、元々の性格だったとしてもそれを助長させた理由を悟ってため息を吐いた。
「はあー……」
「殿下?」
「いや……」
あれなら、最初からローウェル公爵が婚約者を選定した方が絶対良かっただろうに。
グレンとの付き合い……六年だったか?
最初から、ああいう性格だった、というのもあるのだろうが。
グレンの存在が大きいだろう。
彼女は、何か意見を口にしようと思っても、それを飲み込むことに慣れてしまっている。
あまりに見ていられなかったので──いや、心配になった、というのだろうか?この場合。
なんか、こう……大丈夫か?この子、という感情が先行した。
『だけど、ルナリア嬢?私が言うのもなんだけど、たとえ私相手といえど、恐らくこれは、そう易々と他人に見せていいものではない』
あれは、言うべきではなかった。絶対に。
「今、あなたが思い浮かべたひとたちは、本当に信用がおける?これから出会う人間を、迂闊に信じてはならない』
これもそうだ。なんで他人の僕が、教育係みたいなことを言わなきゃならない。
『きみの祝石の加護は、大地に力をもたらすものではないかな』
これも言うべきではなかった。
まだ不確定な情報だし、王家の目の届く王都ならともかく、彼女がユジュにいる今、伝えることではなかった。
この不確定情報はまだ父上には報告をあげていない。父が知れば、ローウェル公爵を呼び出し、さらにルナリア嬢の登城を命じ、二家の溝はさらに深まる。
王太子にとって、祝石の所有者は、動かしやすく、扱いやすいに越したことはない。
それなのに、警戒心や疑心を抱かせるように仕向けたのは、間違いなく得策ではなかっただろう。
意味の無いことをしてしまった自分の行動の一貫性のなさに頭が痛くなってくる。
(なぜ、あんな……彼女を慮ったようなことを言ってしまったかな)
恐らくは、あまりにもふわふわしているからだ。
危なっかしい。……そう、危なっかしいのである。彼女は。
見ていて、不安になる。目を離した次の瞬間に、不幸の坂道を転がり落ちていそうな。そんな、恐れに駆られる。
そして恐らく、僕の長年の経験からして、この手の勘は、外れない。
だから、余計な助言もどきをしてしまったのである。
アルセリアの想い人について口にしてしまったのも、そうだ。
『祝福しろとは言わない。あなたがアルセリアを恨むのも当然だと思うし、グレンを許せないと思うのも、当然の感情だよ』
それに、彼女は立場上頷くとは思わなかったが、否定もしないだろうと思った。だけどルナリア嬢は、ハッキリと口にした。
『王女殿下を……恨んでなど、いませんわ』
あまりにもハッキリと言い切るので、内心何を企んでいるのか、怪訝に思ったほどだ。
信じられるか?僕なら、状況は置いておくとしても、彼女の立場に立たされたのなら、アルセリアとグレンは丸ごと呪う。ふたり揃って丸っと不幸になってしまえばいいと思うだろうし、実際僕はそうなったら手段を選ばない。
僕は、僕のために、ふたりを破滅させようと画策するだろう。
だけど彼女には、そう願う気持ちがない、だって?本気か?
驚きと同時に抱いたのは、気味悪さ、だった。
もしや、僕がアルセリアの兄だから遠慮しているのか、とか。王太子に媚びを売っておこうという算段だろうか、など考えたが、彼女の表情はそのどちらでもないようだった。困惑の色を強く残しながらも、彼女は考え込んでいた。まるで今になって、アルセリアに思いが至った、とでというような。
この時僕は、かなり唖然とした。
言っては悪いが、彼女はとても間抜けだと思った。ここまでコケにされて、アルセリアに思いが及ばなかった?正気か??
狼狽えた僕が、次に抱いた感情が、納得。
なるほど、これが彼女なのか、と。
彼女は、無垢なのだ。
何色にも染められる、白、のような。
悪意を抱くことも、向けられることにも慣れていない。
なるほど、これはローウェル公爵や、エリアスが過保護になるわけだ、とも。
ローウェル公爵家に守られて育ったからこそなのか、それとも元々の性格なのかは知らないが。これでは損をしやすい。社交界に出て食い物にされずに済んだのは、ひとえにローウェル公爵の加護があったからだろう。目を光らせる長兄の存在も大きかったはずだ。
いろいろなことに納得がいって、エリアスの気持ちがわかった気がした。
だから余計な事ばかり言ってしまったのだろう、と僕は結論づけた。
祝石の効果は未だに半信半疑だが、もし、本当に百年都市に関係していて、その力が豊穣だとするのなら──ルナリア嬢の存在はミルヴァール国にとって大きなものとなる。
本来なら、もっと慎重に相対すべきだった。
失態を悟り、ますます言葉を失う。
言葉もなく額に手を当てる僕を訝しげにヴェルディが見てくるが、構わない。構っている余裕がなかった。
「……………」
本来、僕は、扱いやすいであろうルナリア嬢を丸め込んで、婚約披露パーティーの参加が無理なら、それならいつ頃なら出席可能かという言質を得る予定だった。
それなのに、その計画は水泡に帰した。
わざわざユジュにまで足を運んだというのに、徒労に終わった。このために諸々の予定を調整し、時間を確保し、仕事を前倒しで終わらせてきたというのに……。あれらが全て無駄に終わったことを悟り、僕はまた、違う意味で頭が痛くなった。
とにかく、済んだことは仕方ない。
過去のミスにいつまでもグチグチと囚われてる暇など、僕にはないのだから。
まずは、そう。ルナリア嬢のことだ。
彼女には──
(早いところ、婚約者を決めてもらわないとな……)
ルナリア嬢の祝石の効果が本物だと、周囲に知らでもしてみろ。
厄介さはピカイチだ。
考えるだけで頭痛が酷くなる。
必ず、僕の妻に、と推す人間が現れるはずだ。
だけど社交は苦手、そもそも足が不自由、という令嬢を僕の妻に迎えることは厳しい。
迎えたとして、あることないこと言われるのは彼女の方だ。
しかし、連中にはそんなの関係ないのだ。
そうなってしまえば、ローウェル公爵も決断を迫られるだろう。まあ、あの公爵の考えからしてルナリア嬢を王家に差し出すはずがない。
しかし、あちこち奔走して、相当疲弊するはずだ。
それに、ルナリア嬢はどう考えるだろう?
少し話して、分かったことがある。
彼女は妙なところで責任感が強い。
貴族の娘として育てられたため、なのだろうか。
王妃といえば、ミルヴァール国の淑女の頂点である。
未来の王妃というのは名誉なことであり、辞退など許されない……という考えから、彼女は首を縦に振りかねない。
(……いや、王家からしたら、祝石の所有者が次期王妃というのは、都合がいいのか)
だとしても、だ。
僕はアルセリアの兄で、あれの暴走を放っておいた過去がある。
そういう面もあって、僕がルナリア嬢の夫になるのは好ましくない。というか、彼女はもう、政争には関わらない方がいい。絶望的に向いていないからだ。
(とはいえ、彼女の婚約者探しは難航するだろうな……)
同世代のめぼしい男はだいたいが売約済みだ。
空きがあるとすれば、ひと回り以上年上か、年下の男。あるいは後妻となってしまう。
同世代で限定してしまうと、自国では難しい。
だけど、ルナリア嬢が他国に出るのは、王家として望ましくない。
(直系筋ではなく、分家ならどうだ?)
たとえば、高位貴族の親戚。ルナリア嬢はまだ十九だし、二十代で探せば、未婚の男だっているだろう。
だけど、やはり早い方がいい。ルナリア嬢が歳を重ねれば重ねるほど、釣り合う男の未婚率も下がっていく。
……………そこまで考えて、どうして僕がここまで頭を悩ませる必要があるんだ?と気がついた。
ルナリア嬢の婚約については保護者であるローウェル公爵が頭を悩ませることであって、そこまでは僕が関与することではない。
思考を切り替える。
まずは、直近の婚約披露パーティーだ。
そこで、グレンとアルセリアの婚約を確定させる。
アルセリアはともかく、グレンがどう出るかは分からないが、最終的に結婚させてしまえば良いだけの話だ。
あーだこーだ屁理屈をこねようが、既成事実ができてしまえば関係ない。
あんまりうるさいようなら、どこぞの部屋にある程度の時間ふたりを軟禁して、文字通り既成事実を作ってしまえばいいだけの話だ。
そうすれば、グレンはアルセリアの名誉のためにも、彼女をめとる他なくなる。
もはやその時点で王家も、ウィンザー公爵家もたいへんな醜聞だろうが、もう手段を選んでいられない。
できるだけ穏便に、ふたりを纏めなければならないのだから。
(婚約披露パーティーでもうひとつ懸念しているのが……)
やはり、ベルフォール国の介入である。
魔法銃は、ベルフォール国で開発された。だから、あの襲撃にベルフォール国が関与しているのはまず間違いない。
魔法銃は、十五年前。当時第三王子だった、現国王の考案で実現化に至ったと聞いている。
僕は正直、その話に半信半疑だった。
十五年前っていえば、当時の王は十歳だろ?流石に無理がある。恐らくは、箔付けによる虚構だろう。そもそもあの王は、嘘だとしか思えない噂話がありすぎる。
ちら、と僕は窓の外に視線を向けた。
窓の外は、一面黄金世界だ。
こんなに小麦の収穫量が多いのは、王都でも滅多にないことだ。夏は灼熱の暑さ、と言われるユジュでは、どうしたって毎年、小さくない被害が出る。
やはり、ルナリア嬢が関係しているのだろうか。
目下一番の悩みは、彼女の扱い方だった。
僕は、短く息を吐いて、目を閉じる。
そのまま窓枠にもたれて、仮眠を取ることにした。
そして、迎えた婚約披露パーティー。
アルセリアは当日になって発熱し、喉が痛くて声が出ないと訴えた。仮病かと疑ったが、主治医も同じことを言う。見るからにアルセリアの顔は好調していて、歩くことすらままならない状況だった。
この状況で彼女を出席させるのは、得策ではない。途中で倒れられても困る。
本人が出席できないのでは仕方ないので、父上と相談の末、日程を改めることに決めた。
そして、招待客には、僕とグレンがフォローに入る……という予定だった。予定だったのだが。
パーティーが始まるや否や、グレンが会場に響き渡る声で、宣言したのである。
「──皆様!!お聞きください!この婚約は、破談です!!」
ギョッとしたのは僕だけではない。周囲の招待客がこぞってグレンに視線を向ける。
(おい、何を言う気だ……!?)
咄嗟にグレンの腕を引いたものの、グレンは僕の手を払った。
信じられるか?
とんでもない不敬である。
一瞬、この場で殴り飛ばしてやろうかと迷ったが、ここは祝いの席だ。今は、まだ。
ひとまず、先程の不敬は後に回すとして──僕は注意深くグレンの言動を窺った。
「私には想い人がいます!そしてアルセリア王女殿下にも!ですから、この婚約は」
そこまで言った時、僕は招待客の死角から、彼の足首を盛大に払った。
気を抜いていたのもあるのだろうが、グレンは呻き声を上げると、つんのめった。
「はは。まだ酒も口にしていないというのに……空気に酔ってしまったのかな?グレン・ソルシエ・ウィンザー?以前にも聞いたけれど、お前は、私の妹では不満?」
グレンは、すっ転びそうになったものの、そこは腐っても騎士。
すんでのところで態勢を立て直すと、僕に向き直る。
なぜ僕に蹴り飛ばされたか分からないはずがないのに、グレンは真っ直ぐに僕を見つめ返した。
まるで、自身に咎はないのだと言うように。
後ろめたいことはひとつもないと宣言するかのように、グレンは言い切った。
「──はい。不満です」
こいつ、牢にぶち込んでやろうか。
もはや、この時点で婚約披露パーティーはめちゃくちゃだった。




