6.十五歳
十月の初め。
私とエイリクが、王都に戻る日が決まった。
そして今日は、エイリクの十五歳の誕生日だ。
毎年、王都の公爵邸でお祝いしているけれど、今年は私とエイリクのふたりだけ。
まだ代足杖の換えが届いていないので、私はエイリクとカティア、ローラの手伝いを得て、着席していた。
テープルには、すぐ、エイリクの好きな食事が運ばれてくる。
エイリクは、海老が大好物なので、今日の昼食は海老づくしだ。次から次に、海老を使った料理が運ばれきて、エイリクがソワソワとしている。
それを微笑ましく見ながら、私はグラスを手に持った。
飲み物は、お互いにソフトドリンク。
ミルヴァールでは、男性は十五歳、女性は十六歳を迎えると、社交界の一員と見なされる。
つまり、成人だ。
エイリクは今日で成人なので、もちろんお酒も飲むことが出来る。だけど、私は、足がこの通りなので、お酒はお医者様から避けるように言われた。そういう理由もあって、今日、私とエイリクは互いにノン・アルコールなのだった。
エイリクの成人のお祝いを、私とふたりだけで迎えることになってしまったのも、王都の公爵邸ではなく、ユジュの別邸で祝うことになってしまったのも。
とても、心苦しかった。
本来なら、エイリクの成人祝いは、王都で、盛大に祝うべきだ。
(だから……その前に王都に戻ろうとは思ったのだけど)
それを断ったのが、エイリクだった。
『僕、ユジュ好きですし、誕生日はユジュで迎えるのがいいです』
……と、エイリクは言っていたけど。
それがエイリクの優しさだと私は知って──
「姉上、早く食べましょう!?見てください、この海老のビスクスープ!いつもと少し違いますよね!?コックの新作らしいです!もう、彼を王都に連れて帰ってはダメですか!?!?」
目を輝かせて、エイリクが言う。
(…………気遣いが、全てではないかもしれないわ)
エイリクの言っているスープとは、海老のビスクスープだ。
これは、エイリクの一番の好物だった。
『王都でこれは、食べられません!!』とは、エイリクの言葉だ。
確かにこれは、ユジュでしか食べられないだろう。
近くに海があるからこそ、新鮮な海鮮が手に入る。
海老や貝をふんだんに使用した料理は濃厚で、たちまち私も、エイリクも、虜になった。
ユジュの海老のビスクスープは、海老で出汁を取り、トマトとスパイス、玉ねぎと白ワイン、オリーブオイルで煮込まれている。
スープは濃厚で、一口、口に含むと、とろりととろけるのだ。
そして今日は、エイリクのお祝いだからか、貝類や、珍しい魚介も入っているようだった。
僅かに、風変わりな香りがする。
ツンとした香り。
香水などでは、たまに嗅ぐ香りだけど……と思っていると、コックが頭を下げて食堂に入室した。
「お嬢様、坊ちゃま。ご挨拶にまいりました」
「ルドルフ!いつもありがとう。このスープ、今日のために考えてくれたんでしょう?」
すぐにエイリクがコックを見る。
ひとの良さげな、髪を短く刈ったルドルフは一見、コックには見えない。立派な体躯と、高い背も相まって、軍人に見られることの方が多かった。エプロンを身につけていることが多いルドルフだけど、邸を一歩出るも、未だに二度見されるのだという。
以前『そんなに似合ってないかなぁ……』とカティアにボヤいているところを見たことがある。その時のことを思い出してクスクスと笑っていると、ルドルフもまた、笑みを浮かべて私を見た。
「今回の海老のビスクスープには、少しアレンジを加えているのですよ。……秘密はスパイスです」
イタズラっぽくルドルフが笑う。
それに、納得した。
なるほど……どおりで、ほんのりとエキゾチックな香りがするわけだわ。
きっと、いつもの、ナツメやセージ、パセリと言ったもの以外の香辛料を混ぜているのだろう。
頷いていると、ルドルフがにこりと笑って言った。
「お嬢様のお好きな、野菜のキッシュもご用意しています」
「えっ?本当……!?ありがとう。とても嬉しいわ」
ユジュで食べる野菜のキッシュはとても冷えていて、そして野菜のペーストが滑らかで美味しいのだ。薄くスライスされたキノコ類の出汁……というのかしら。
味が染み込んでいて、少し苦い野菜がアクセントになっており、私の好物のひとつだった。
正直、料理は王都よりもユジュの方がずっと美味しい。きっと、仕入先の違いだろう。
どうしても、王都で調達する野菜やお魚、お肉なんかは、あちこちを経由して回ってくるからか、鮮度が落ちてしまう。
料理人の腕前が劣っている訳では無い、決して。
エイリクとお互いにグラスを掲げて乾杯し、私は果実水、エイリクは檸檬水を口にする。ミントを浮かべた檸檬水は、エイリクのお気に入りだった。
「はあああ、美味しい!僕、一生ユジュに住みます!!」
そして、来た当初と同じことを口にしている。それにくすくすと笑みを零しながら、私もまた、スープをスプーンですくう。
本当に、美味しい。
用意された白パンもふわふわでほんのりと甘い。そばには、薄くスライスされたガーリックトーストもあって、私はそれを手に取って、口に含んだ。
私たちの出立は、来週の予定だ。
来週、代足杖が届く。それを着用次第、私とエイリクは王都に戻る。王都に戻ったら、まずはエイリクの誕生日パーティーだ。
建国祭と日程が被るのは、良くないから、その前に。
お父様とお母様は既に準備に取り掛かっているとのことで、エイリクは実質二回催される食事会に、ワクワクしている様子だった。
私も、豪勢な食事を二回も楽しめることに胸が踊っていた。
互いに食事を食べ進め、メインディッシュである魚の包み焼きが運ばれてくる。
パイの包み焼きに悪戦苦闘しているエイリクを見ながら、私はそっと笑いかけた。
「エイリク、お誕生日おめでとう……!」
声をかけると、エイリクが顔を上げた。
そして、にこにこと笑いながら答えた。
「ありがとうございます。姉上の誕生日も、そろそろですね?」
「そういえば……そうね」
次の誕生日で、私は二十歳を迎える。
年齢のことを考えると、どうしても気落ちしてしまう。
早く、婚約を整えなければと思うから。
思わず、お魚を切り分けていた手が止まる。お皿を眺めて考え込んでいると、エイリクの声が聞こえてきた。
「僕は、無理に婚約なんてしなくてもいいと思いますよ」
「……そう、かしら」
エイリクを見ると、エイリクは、包み焼きを綺麗に切り分けることは諦めたのか、崩れたパイをスプーンですくって食べていた。
「そうです。正直、僕も結婚はしなくていいかなって思ってますし」
「それは……ええっ?どうして?」
そういえば、エイリクとこの手の話をするのは初めてだ。驚いて腰を浮き上がらせた私を見て、エイリクは眉を寄せた。
そして、言葉に悩むようにしながら、答える。
「うーん……しなくていいものなら、しなくていいかなって」
「でも……お話は、来ているのではなくて?」
「ああ、そうですね。父上から打診を受けたことはあります。でも、僕、きっと向いてないんですよね、結婚」
「向いてない」
結婚に向きとか不向きとか、あるのだろうか。
エイリクの言葉は、目からウロコだった。
「別に、ローウェル公爵家は……というより父上は、結婚を強制する方針じゃないじゃないですか。政略結婚だってしなくていい。それなら僕は、好きにしたいです」
「確かに……お父様はそう仰るけど」
でも、私は貴族の娘だし、いつまでもローウェル公爵家にいるわけにはいかない。
時期、お兄様とジェニファーは結婚する。
いつまでも小姑がいるのでは、ジェニファーだってやりにくいはずだわ。
ふたりに子供が生まれたら、さらに難しくなるだろう。
ジェニファーとは、幼い頃からの知り合いだ。
私は、ジェニファーのことを姉のように思っている。
だけど、彼女に子供が生まれたら、やっぱりお互いに気を使うだろう、と思う。
ジェニファーは嫁いできた側の人間で、私はローウェル公爵家の娘なのだから。そこは、どうしたって仕方ない。
ふと、エイリクが言った。
「僕、留学したいと思っているんです」
「留学?」
「はい。魔術の勉強がしたくて。それで、魔術師試験に合格したら、家を出ようかなーって」
「え、ええっ?エイリク、あなた魔術師になるの?」
「なれたらいいな、っていう話です。父上には少し、話はしてるんですけど。まあ、ずっと先の話ですよ。まだ、学院に願書すら出してませんし。願書は十六歳からしか受け付けてないので、あと一年はどうしたってかかります。それで聞きたいんですけど……姉上はどうしたいですか?」
ついに、パイの包み焼きをぺろりと平らげたエイに尋ねられる。
(どう……したい?)
「婚約しなければ、って姉上は思ってるみたいですけど……祝石、使えるようになったんですよね?」
エイリクの質問に、私は頷いた。
「それなら、姉上は自由です。どこにでも、行けるんですよ。無理に婚約する必要だってないんじゃないですか?」
「……いつまでも、ローウェル公爵家にいるわけにはいかないわ」
「じゃあ、僕と一緒に行きます?留学」
「留学……!?」
エイリクの突拍子もない発言は、今始まったことでは無いけど、毎回驚く。
(私が……留学!?)
どこに?というより、何をしに?が先に出た。
困惑する私に、エイリクは「例え話のひとつです」と前置きをした。
「それか、将来、僕と住んでもいいじゃないですか。姉上と今みたいに過ごすのも、僕は好きです」
「……うん。ありがとう」
私が笑いかけると、エイリクがホッとしたように笑った。でも、エイリクはこれから誰かと出会うかもしれないし、それこそ留学先で、好きな女性ができるかもしれない。
エイリクは私の五つ下だ。
留学は、数年と見繕っても、エイリクが帰国する頃には、私は二十五、エイリクは二十歳……今の私の年齢くらいだろう。
(手に職を持つ……か)
考えてもみなかった。
生まれた時から、私はローウェル公爵家の娘だった。
私の責務は、ローウェル公爵家と釣り合う家柄のひとと結婚することだと思って……この歳まで生きてきたのだから。
突然、ほかに道がある、と言われても、困惑が強い。
王太子殿下は、私の祝石は、大地に影響を与えている可能性がある、と言った。
それが本当なら……私はそっと、胸元の祝石に触れた。
私は、祝石の力をどれほど引き出せているのだろう?
食事の手を止めていると、それに気がついたらエイリクが私を見る。私は、エイリクを見て言った。
「エイリク。私……決めたわ」
「?何をですか?あ、今後のこと……?」
それに、頷いた。
私は、祝石に触れながら、エイリクに言った。
「私は……もっと、知ろうと思う。祝石のこと。この力が、何をもたらすものなのか……。何ができるのか。もし、無意識に祝石の力を使っているなら、それを制御できるようになりたい」
私の言葉に、エイリクは首を傾げた。
「姉上は、もう制御できているのでは?」
「ううん。もしかしたら……他にも、加護があるのかもしれない。可能性の話、なのだけど」
王太子殿下から聞いた話をエイリクにすると、エイリクは驚いたように目を見開いた。
だけどすぐに、納得したように頷く。
「どうりで、最近、ユジュの収穫量の話になるわけです。僕は納得しました」
「そうだったの?」
「そうですよ。いつもは暑さでやられる野菜が、今年は豊作らしいですから。魚介も、暑さで死んでしまうことが多いらしいんですけど、幸い今年の夏はそこまで暑くないから──あっ、だからこんなに海老が食べられるんですね!?ありがとうございます、僕が毎日ビスクスープを飲めるのも、姉上のおかげですね!!」
話しながらエイリクは、毎日海老が食べられる理由を悟ったようで、私に頭を下げた。……とはいえ、毎日海老が食卓に出るのは私のおかげとハッキリ決まったわけではない。
「そうだと決まったわけではないけど……そうだったらいいな、とは思うの」
「そうです。そうに決まってます。その調子で、海老をもっと増やしてください。主に、ユジュの海で繁殖するようにお願いします」
我欲を隠さずに正直に願い出るエイリクに、私は思わず吹き出してしまった。
「ど、どうかしら……?とりあえず、できるように頑張るわね?」
笑いが収まらないままに答えると、エイリクは至極真面目に頷いた。
「お願いします。できれば、王都の湖でもこの海老が取れるようにしてください」
範囲が広がってしまった。
エイリクの海老愛は留まることがない。
私は悩みながら、答えた。
「この海老を、湖で養殖するのは難しいのではない?」
恐らく品種が違う。
この大きな赤エビを、王都で見かけたことはなかった。
「姉上のお力で何とかなりませんか……!?」
「ううーん……ここまでいくともう、専門家の出番だと思うわ」
「そこを……何とか……!」
本当に、エイリクはユジュの食事が気に入ったみたい。
必死に言い縋るエイリクに、私は困ったように笑った。
「祝石は、大地に力を及ぼすみたい。海や湖は適用範囲外だと思うの。でも……その、頑張ってみるわね?」
やれるだけのことはやってみよう。
だけど、間違いなく徒労に終わる可能性が高い。
確約ではないけど心情的に頑張ろうと思って答えると、エイリクの顔がパァ……!!と輝いた。
もしエイリクが犬だったら、きっとその耳と尻尾は激しく動いていただろう。そう思うくらい。
「それでも無理だったら、その時はまたユジュに来ましょう?」
そう提案すると、エイリクは元気よく答えた。
「はい!」
「……エイリク。スープのお代わり、いる?」
用意された小鍋には、まだ一杯分くらいのスープが残っている。きっと私に遠慮して、残してくれているのだろう。
だけど私はそこまで海老のスープが大好物というわけではないので譲ると、エイリクの顔がまた、輝いた。




