5.秋の訪れ
後日、お父様からお手紙をいただいたとおり、王太子殿下がいらっしゃった。
私は、代足杖が故障してしまったため、応対することはできない。
代わりにエイリクが対応して、応接室で話すこと、三十分。
寝室の扉が叩かれる。
顔を覗かせたのはエイリクで、エイリクは困った顔をしていた。
「王太子殿下が、どうしても姉上とお話がしたいとのことです。姉上はそのままで構わないと仰っていますが……どうなさいますか?」
「王太子殿下が?」
──そういえば、お父様からのお手紙には、祝石の効果を王太子は殿下に尋ねられても、答えなくて構わない、と書かれていた。それに関連することかしら……。
ベッドに座ったままなのはいくらなんでも失礼なので、カティアとエイリクの手を借りて、ソファにまで移動する。
準備が整ったところで、王太子殿下が寝室に通された。
流石に、未婚の淑女の寝室だからか、王太子殿下の姿しかなかった。
エイリクは、王太子殿下の護衛の方たちを、別室に案内している。
「休んでいるところすまない。体調はどうかな?」
王太子殿下は美しい笑みを浮かべて、私の対面のソファに座った。
王太子殿下も、第二王子殿下も、そして第三王子殿下も、みな金髪だ。だけど、王女殿下だけが、水色の髪をしている。
だから、かしら。あまり私は、彼が王女殿下のお兄様という実感がなかった。
カティアが茶器を配膳して、ローラが、ワゴンを押して入室する。
すぐに、室内は紅茶の香りに満たされた。
ティーセットの配膳が終わってから、私は王太子殿下に頭を下げた。
「体調面ですが……お気遣いいただきありがとうございます。ご心配には及びません」
「そう。それなら、良かった。足の怪我は……どうかな。あまり、良くないと聞くけれど」
足を緩く組んで、王太子殿下が気遣うように言った。
私の足の具合が悪化してしまったことは、エイリクから聞いたのだろう。
私はそっと、自身の足首に手を当てた。
「……はい。思いがけないアクシデントがあって、ふたたび足首を痛めてしまいました」
「そうか。それは辛いね。最近は、快方に向かっていたんだろう?」
リハビリは、頑張っていた。
頷いて答えると、王太子殿下は何か考えるように沈黙した後、顔を上げた。
「祝石の方はどうかな?あれ以降、なにか変化はあった?」
──これだわ、と思った。
お父様が何を思って、王太子殿下への報告を控えるよう命じたのかは分からない。私はそれに従うまでだ。
「特には……。申し訳ありません」
「いや、こちらこそまだ回復もしてないのに押しかけてしまってすまない。どうしても急ぎで確認する必要があったんだ。ルナリア嬢。私はね、祝石の情報が流出したのは──ローウェル公爵家側からでは、と考えているんだ」
「え……?」
予想外の内容に、息を呑んだ。
王太子殿下は苦笑して「可能性のひとつだけどね」と続ける。
「あなたが祝石を持っていることを知るのは、ごく一部の人間だけど……さらに、その効果を知っているものは、さらに限られる。私でさえ、その祝石にどういった効果を持つのか分からない。だけど、ローウェル公爵家なら、それも知っているものなのではないかな」
祝石の持つ効果、なんて、ローウェル公爵家でもわかっていない。少なくとも、私はお父様から聞いた覚えはなかった。
探られている、と思った。私は注意深く言葉を選んで、返答した。
「私には、分かりかねます。私は、お父様から聞いておりません」
「そうだろうね。知っているとしたら、きみの対応は──……いや。これは私の推測に過ぎないんだけど、きみの祝石の加護は、大地に力をもたらすものではないかな」
そしてまた、話が変わる。
突然の話題転換に面食らう暇もなく、私は王太子殿下の言った内容に、目を見開いた。
「……大地に?」
私の祝石の力は、身を守るものだけではないの?
困惑する私に、王太子殿下が静かに頷いた。
「今回の襲撃。襲撃犯は、あなたの祝石の効果を知っているようだった。豊穣の力を狙っての、襲撃だった……と考えるのはどうかな?」
確かに、襲撃犯は祝石を知っていた。
祝石の覚醒に一番最初に気がついたのは襲撃犯の男だった。
思わず、胸元のネックレス──祝石を握りしめる。それを見た王太子殿下が、私に問いかけた。
「ルナリア嬢。祝石を見せてほしい」
「……はい」
首の後ろに手を回して、ネックレスを外す。
祝石を手のひらにおいて、王太子殿下にお見せした。一目見た王太子殿下が、息を呑む。
恐らくは、ほかの石とは全く異なるからだろう。
この祝石は──まるで、生きている。
ほかの石……例えば、宝石とかが静なら、祝石は動、だ。常に、動きがある。今も銀粉が石の中央を流れては、溶けていく。
王太子殿下は一瞬、その美しさに息を呑んだ様子だったけど、ちいさく息を吐いた。
「……なるほど、これはすごいね。大切なものを見せてくれてありがとう。だけど、ルナリア嬢?私が言うのもなんだけど、たとえ私相手といえど、恐らくこれは、そう易々と他人に見せていいものではない」
「……………はい」
ええ……?あなたが、見せろと言ったのに?
それを断れるのは、このミルヴァールには、少なくとも令嬢には難しいのではないだろうか。この場に、お父様が同席していたのならともかく。
王太子殿下の申し出を断るということは、見られてはやましいものがあると言っているも同義だ。困惑しながらも、意見をしまうことには慣れている。
控えめに頷くと、王太子殿下が言いにくそうに口を開いた。
「いや、私相手ではそれも難しかったね。すまない。ええと……そうだな、たとえば……」
王太子殿下は何か考えるように沈黙し、膝に人差し指を打ち付けた。
ふと、その指がピタリと止まる。
「嘘をつくんだ」
「嘘、ですか?」
私は今、王太子殿下から一体なんの指南を受けているのだろう。
困惑が輪をかける。私の戸惑いを察しているだろうに、王太子殿下は真剣な表情を崩さない。
「そう。たとえば、だよ?祝石を血縁者以外が見ると、その目が潰れる、とか。祝石は普段、体内に格納しているから、簡単には取り出せない、とか。祝石は普段実体化していない霧のようなもので、具現化するには、相当な力が必要になる、とか。何でもいいんだ」
「は……はぁ」
私は今何を聞かされているのかしら……?
祝石を見せろと言われた時の流し方?
生返事を返す私に、王太子殿下が困ったように苦笑した。
「これから先、その祝石は間違いなく重要な扱いとなる。ベルフォール国がそれを狙ってきたんだ。ほかの国も狙わないとは限らない。……あまり、怖がらせるようなことは言いたくないんだけどね。ベルフォール国に情報が漏れているということは、他国も同様かもしれない。あなたは今や、全世界──誰があなたを狙っていてもおかしくない状況なんだ」
「──それは……」
思わず、胸元の祝石を握りしめる。
祝石は、扱えるようになった。
不意の襲撃でなければ、きっと私は対応できる。
だけど──誰が私を狙っているか分からない、という状況は、想像以上に私に不安をもたらした。黙り込む私に、王太子殿下はふたたび真剣な表情になった。
「信頼する人間は、選ばなければならない。あなたにとって、信頼をおける人間は誰?」
王太子殿下の質問の答えを、私は考える。
信用出来るひと……お父様に、お母様。
そして、エイリクにお兄様。
ジェニファー。アルモンド伯爵に、伯爵夫人。ジェニファーの弟たち。
友人のローサ。
頭に思い描いていると、王太子殿下が静かに言った。
「あなたの祝石は、そのひとたちを否応なく巻き込む可能性がある」
「…………!」
「今、あなたが思い浮かべたひとたちは、本当に信用が持てる?これから出会う人間を、迂闊に信じてはならない。本当は、すぐにでも婚約者をきめてもらって、その相手の庇護を受けるのが一番なんだけど、それは、今のあなたには過酷だろうから、強制はしない。ああ、この話はローウェル公爵にもしていることだよ」
襲撃が起きて──体を起こせるようになってから、すぐ。私はユジュに移った。
だから今、私を取り巻く状況がどういったものであるのかを、恐らく、今になって初めて、私は知った。
驚きに息を呑む私に、王太子殿下がまつ毛を伏せた。
「今の私が、あなたに言えることは、じゅうぶんに身の回りに気をつけること……それと、あなたが祝石をまだ扱えないのであれば、それはどこぞにでも封印するか、あるいは、必ずあなたを守ってくれる護衛でも用立てるべきだ」
「……はい」
王太子殿下の忠告を、静かに聞く。
頷くと、王太子殿下は、詰めていた息を吐いた。
「本当は、アルセリアとグレンの婚約披露パーティーに出席してもらえないか、打診するつもりだったんだけど。その足では厳しいね」
「王女殿下と……」
グレンの。
まだ、彼の名を口にするのは難しかった。
様々な思い出が、記憶が、同時に蘇ってしまうから。
「……ユジュから、おふたりの幸福を願っております」
婚約披露パーティーへは、出席できない。
私は──出席して、社交界への復帰の一歩にしたいと、そう思っていたけど。
出席を、王女殿下の兄君である王太子殿下に求められるとは思っていなかった。
なにか、思うことはないのだろうか。
筆舌に尽くし難い感情に苛まれていると、王太子殿下が首を横に振った。
「祝福しろとは言わない。あれらは、あれらで適当に纏まるだろうから。あなたがアルセリアを恨むのも当然だと思うし、グレンを許せないと思うのも、当然の感情だよ」
「……………」
それに、はい、そうですか、とは答えられない。
ただ、ひとつ言えることは。
「王女殿下を……恨んでなど、いませんわ」
恨むとか、恨まないとか、それ以前に、あまり王女殿下のことを考えていなかった。彼女が何を思っていたか、まで、考える余裕がなかった。
ただ──やはり、ふたりのことを考えると、行き着く感情は。
もう関わりたくない、という一点に収束する。
私の言葉に、王太子殿下は驚いたようだった。
「そうなの?それは意外だったな。どちらにせよ、アルセリアには、他に好きな男がいる。ああ、グレンではないよ?初恋破れて好きでもない男と結婚するのも、まあ、ひとつの罰にはなるんじゃないかな。それで溜飲を下げて欲しいとは、やっぱり言えないけどね」
(王女殿下に……好きな男性?)
怪訝に思って首を傾げると、王太子殿下は苦く笑って「内緒だよ」と言った。
「あなたには、敵を誘き出す協力をしてもらいたかったんだ。それでなければ、婚約披露パーティーだろうが、結婚式だろうが、欠席してもらって構わない」
王太子殿下の、歯に衣着せぬ発言に私は目を瞬いた。王太子殿下は静かに、淡々と話を進める。
「襲撃犯はまた、あなたに接触を図るだろう。それがいつかは分からない。明日かもしれないし、明後日かもしれない。半年後かもしれない。いつか分からない襲撃を警戒するより、こちらで機会を用意してしまった方が、話が早い」
確かに、そうかもしれない。
だけど、今、私は王都にいることになっている。
ローウェル公爵邸では、クラリスが私の身代わりをつとめていて、襲撃に備えているはずだ。
王太子殿下が知らないということは、お父様は報告していないのだろう。
お父様が言っていないことを私が口にするはずがなくて、私は王太子殿下の言葉に曖昧に頷いた。王太子殿下は、じっと私を見つめて、眉尻を下げた。
「……だけどまずは、治療に専念すべきだね。今後のことは、ローウェル公爵と話すことにするよ」
「ご配慮いただき……ありがとうございます」
今の私は、患部が熱を持っていて、リハビリも一度取りやめになっていた。
先日──海辺で、代足杖が故障した。その時、足首に負担がかかったのだ。
結果、足首の傷が悪化して、お父様が手配してくれた代足杖の替えが届くまで、私は歩くことができない。
それに今、代足杖が手元にあってもこの足の状態では、着用も難しい。
ふと、王太子殿下がふたたび、ふたりに話を戻した。
「このままだと、あのふたり……アルセリアとグレンに幸福はないよ」
「ずいぶんハッキリ仰るのですね」
少し、驚いた。
王女殿下と、王太子殿下の関係は、私が思う以上に希薄なのだろうか。
それとも、お兄様が……エリアスお兄様が特殊なのだろうか。
少なくとも、お兄様は妹に冷たい物言いをすることはない。
私の言葉に、王太子殿下は困ったように苦笑した。
「まあ、色々と見てきたからね」
含みを持たせて王太子殿下は言うと、それから話を変えた。深掘りされたくないのだろう。
「とにかく、あなたは早く婚約者を持った方がいい。できればあの……いや、権力と財力を持ち合わせた、包容力のある男がいいかな」
婚約、という言葉はどうしたって胸が重たくなる。
それに、王太子殿下の言葉通りなら、権力と財力を併せ持つ男性は、社交界でも中枢にいる人間になるだろう。
裏切られるのは、怖い。
信じていた気持ちを、裏切られるのは。
あの時の──私を置いて、走っていってしまったグレンの後ろ姿。あれを忘れることは、きっと、一生、ない。
あの時の、私の喪失感……ショックも、また同様に。
沈黙する私に、王太子殿下が気遣わしげに私を見た。
「今すぐに、という話ではないよ。だけど、考えておいて欲しい」
「…………婚約は、必ずしも、しなければならないもの、ですか?」
気がついたら、言葉がこぼれていた。
考えるより先に、言葉が滑り落ちていた。
「──」
王太子殿下が、返す言葉を失ったのが、気配でわかった。
それにハッとして、顔を上げる。
私は、王太子殿下が何か言うより先に、取り繕うように言葉を重ねた。
「いいえ、婚約も、貴族の義務だとわかっています。……ただ、今すぐに、というのは難しくて」
辛うじて、取り繕う言葉を口にすると、王太子殿下がようやく苦笑した。
「……そうだね。それは、貴族に生まれたものとして、祝石の所有者として、避けられない運命だ。たとえ、そうではない生き方があったとして……流石に王太子からは言えないかな」
困ったように言う王太子殿下に、その通りだと思った。
その後、王太子殿下はお見舞いの言葉を口にして、邸を後にした。
そして──月末に迎えたグレンと王女殿下の婚約披露パーティーでは、思わぬトラブルが起こったという。
それは、お父様が参加する必要はなかった、とお手紙で言い切るほど。
お兄様とジェニファーも早々に退室したらしい。
王家はその対応に追われ、そうしている内に九月が終わる。
そして十月。
秋の訪れを知らせる季節になった。




