3.百年都市 【エヴァルト】
おかしい、と思ったのは、財務総監部からの報告書を確認していた時だった。
それは、妙な違和感とか、長年のカン、とか、そういった些細なものではなく。
明らかな異変だった。
「ホークウィンド領ユジュ地方の豊作に、王都近郊の不作……?」
それぞれの報告書を揃えて見つめながら、数字をひとつひとつ確認していく。
「ユジュの方は、八月まで変化はなし。これは王都も同じか」
ユジュで、なにか新たな施策でも始めたのか?
だけどそんな報告は、ホークウィンド伯爵からは上がっていない。
隠蔽している可能性もあるが、こんなに大きく数字に影響が出ているのだ。
効果のほどが分からなかったのかもしれないが、もしバレたら罰は免れない。
そんなリスクを、あのホークウィンド伯爵が犯すとは思えない。
それに、ホークウィンド伯爵は、海を挟んだ向こう、ベルフォール国を長く警戒している。
土壌改善にまで手は回らないはずだ。
現に過去、日照りや蝗害の発生時に、王家がホークウィンド領を援助したことが何件かある。
……今になって、土壌改善に手を伸ばしたとしたら、その理由は何だ?
(ベルフォール国との睨み合いに、なにか変化があった?)
まさか、ベルフォール国と通じている、という可能性はないだろうが……。
どちらにせよ、確認が必要だ。
それに気になるのは、何もユジュだけではない。
僕は、側近のヴェルディに意見を募ることにした。
「どう思う?」
「これは……関連性があるのでしょうか?」
ヴェルディは、黒縁の眼鏡のブリッジを押して、素早く書類に目を走らせる。
「ユジュの方は、百年都市の数字の動きに似ている、ような」
「──それだ!!」
僕は思わず、大きな声を上げ、席を立った。
そしてすぐに、補佐官に声をかける。
「百年都市について纏めた書類をもってくるように!今すぐだ!!」
百年都市。
それは、このミルヴァールで時々発生する、一部地域での豊作期間を示す。その地域の黄金期とも呼ばれ、巨万の富を生み出す。
そのため、百年都市、と呼ばれているのだ。
なぜ、百年かというと──
「長くて七十年から八十年。短ければ十年にも満たないケースもありますが……ユジュでの豊作は続くかもしれませんね」
主に、豊作期は七十年から八十年ほど継続するからだ。
だけどそう頻繁に発生するものでは無い。
この長い王国歴で、はも、僅か三回だけだ。
一回目と二回目は八十年ほど継続し、三回目は十年程だった。
最後に百年都市が現れたのは、およそ今から三百年ほど前だ。
その時はユジュではなく、別の地方だった。
補佐官が持ってきた書類を片っ端から確認するが、やはり有用性のあるものはなかった。
分かっていたら、既に公になっているだろう。
たとえば、百年都市の発生度。条件。法則性。それらがわかっていれば、人間だって、それに合わせた動きが取れる。
有効活用すれば、ミルヴァールの繁栄に繋がるだろう。
「まずは、ユジュへの調査部隊を編成するか……」
ため息を吐いて、申請書類を取り出した。
専門家、学者、魔術師団、騎士団からそれぞれ人員を選抜する。
騎士団から選抜するメンバーを考えていた時、ふと、もうひとつの悩みの種を思い出した。
(そうだ……)
グレンだ。あいつへの処遇も、考えなければならない。近衛騎士という立場上、みな、何も言わないが、ほとんどの人間が今回の騒ぎに眉を寄せている。
客観的に見て、グレンは婚約者を見捨てた。
そのせいで、婚約者は酷い怪我を負った。
婚約者は未だ寝込んでいて、表舞台に戻ることができず……。
その事実は社交界だけに留まらず、国中に広まって、今や近衛騎士……どころか、騎士全体への悪評に繋がっている。
実際、恋人や伴侶から、その手の質問を受けたという旨の話も聞いている。
この状態が長く続けば、騎士を辞す人間も出てくるだろう。
『己が定めた騎士道とは異なる』という理由で辞表を提出しそうな人間は、僕が考えただけでも、両手の数で収まらないほどいる。
(グレンは、自宅謹慎でも命じるか……)
いや、この際王都から離すか。
左遷か?
アルセリアはどうしようかな。
もういっそ、婚約期間もすっ飛ばして、結婚させてしまえばいいのではないか?
そうしたら、恋に浮かれたふたりの暴走ということで、収められる。
騎士全体への疑惑の目を逸らすことだってできるだろう。
「──……」
ふう、と短く息を吐く。
とりあえずこの件も、陛下の耳に入れておこう。
だけどあのひとは、極力、アルセリアとの関わりを持ちたがはない。
結局、この話は僕が主体となって動くことになるだろう。
あとは……ルナリア嬢。
彼女についてだ。
襲撃は、彼女が持つ祝石が狙いだと聞いている。
(……少しでも話せないものかな)
彼女が持っているという祝石が気になる。
ローウェル公爵家には、稀に祝石を抱いて生まれる子供がいる。
その祝石は、特別な効果を持っているらしいが──ハッキリとしたところは分からない。
公爵なら、なにか知っているかもしれない。
ミルヴァール国内で起きたことだ。
襲撃に関する情報は、僅かなものであったとしても手に入れておきたい。
何が、襲撃犯に繋がる糸口か分からない。
ローウェル公爵家に予定を取り、その約束に会わせて城を出る。
ローウェル公爵邸に到着すると、予想外の人物が、窓に向かって叫んでいた。
……頭が痛くなった。
「……………あの不審者を、縛り上げて牢にでも入れておけ」
短く命じれば、不審者──グレンの近衛仲間である男が「ハ」と恭しく頭を下げた。
そして、喚く男を手早く回収し、そのまま馬車に。頭が冷えるまで、しばらく城で預かろう。
グレンはもう、冷静じゃない。
何がそこまで彼を掻き立てるのかは分からないが……。
そこまで考えて、いや、と思い直す。
(失ってしまったから、かな)
人間、当たり前ように持っているものを、突然失う可能性など、考えて生きてはいない。
たとえば、当たり前のように持っているアクセサリーとか、身の回りの品。
それをある日いきなり、突然取り上げられでもすれば、だいたいの人間は反抗するだろう。
そして、その中には、失ってしまった物に対して、酷く執着するものもいるはずだ。
グレンの執着は、それだ。
自分のものだと思っていたからこそ。思い込んでいたからこそ。
それが失われたことに、強い抵抗を感じている。
(アレを、ルナリア嬢に会わせるのは危険じゃないか……?)
彼女の身柄を、ここではなく別の場所に移した方がいいのでは?と思いながら、僕は玄関扉のノッカーを叩いた。
「既に三回ほど、王都の留置所に騎士殿を送り込んでいます」
は?という言葉を、すんでのところで呑み込んだ。
目の前には、嘲るような笑みを浮かべるローウェル公爵。
運ばれてきた紅茶は一級品だ。
茶請けに、と用意された紅茶のダックワーズも品のいい味だった。
だけど僕は、正直それどころではなかった。
「騎士殿……つまり、グレン・ソルシエ・ウィンザーは、既に三回、憲兵の手によって拘束され、王都の留置所に入れられた、と?」
「ハハ。その通りです。ですが、全くめげない。なんですかね?あの化け物は」
まったく面白そうではないのに、愉快そうに笑ったローウェル公爵は、「して」と本題に入った。
「本日は、ご多忙のところ、ご足労いただきまして感謝申し上げます。御用があるのであれば、私が登城いたしましたが」
「いや、それには及ばない。今日は、ルナリア嬢に一目会えないだろうか、かという相談があって足を運んだんだ。……彼女の体調はどうかな?怪我の具合は」
「ルナリアはまだ、寝込んでおります。とても、王太子殿下に見せられる姿ではございません」
険しい顔で答えるローウェル公爵に、僕は気遣わしげな表情を浮かべた。
「そうか。それは痛ましいことだ……」
それから、切り込む。
「だけど、すまない。正直に言うと、私はルナリア嬢が持っている祝石を確認したいんだ」
「…………」
ローウェル公爵の顔から、表情が消える。
真っ直ぐにこちらを見つめてくるその瞳を見つめ返して、僕は言葉を続けた。
「ベルフォール国が、彼女の持つ祝石を狙っているというのなら、王家としては祝石のことを知っておきたい。我々は、祝石について知らなすぎる」
ローウェル公爵は、答えない。
恐らく、僕の言葉は予想通りだったのだろう。
微動だにしない公爵に、僕はさらに言葉を続けた。
「……とは言っても、公爵は私を信用できないだろう?だから、公爵同席のもと、五分で構わない。ルナリア嬢と話をさせてくれないだろうか」
「…………ルナリアは、あれ以降、酷く異性を拒絶するようになってしまいました。お会いすれば、王太子殿下へ無礼な振る舞いをするやもしれません」
「構わない。全て許す」
「殿下がよろしくとも、私が許せません。娘がそんな、王太子殿下へ無礼を働くなど。どうか、もう少しお待ちいただきたい」
「……待っている間に、二度目の襲撃が起きないとも限らない。もし、万が一、の話。ルナリア嬢が攫われて、隣国に利用されるようなことにでもなったら。我が国が危機に晒されることになる。そのリスクを考えて、私はルナリア嬢と話がしたいんだ。時間が欲しいというのなら、期間を設けてくれ」
「こればかりは、娘の体調にもよりますので……」
ローウェル公爵は返答を濁した。
僕と会わせる気など、サラサラないのだろう。
頑なな公爵の反応に内心ため息を吐きながら、ふと、この邸のどこにルナリア嬢がいるのだろう、と考えた。
忍び込むつもりはもちろんない、が──
(……忍び込む?)
それこそ、グレンは、いずれ人目を忍んで邸内に忍び込みそうだ。
いくら、警備を徹底していると言えど、腐ってもあの男は近衛騎士。
近衛に取り立てられたのは、ほぼウィンザーの名と、アルセリアの希望によるものだが、その腕は確かだ。
騎士団の試験は、コネの有無など関係ないのだから。
グレンが、ルナリア嬢の部屋の位置を知っていたら、危険なんじゃないか?
そう忠告しようとして──はたして、このローウェル公爵が、その危険性を考えずにいるか、と疑問を抱いた。
「…………?」
何だ。
何かが、おかしい。
何かが、妙に引っかかる。
──たとえば、そう。
ベルフォール国に狙われ、さらにはグレンからも深い執着を向けられている、ルナリア嬢。
しかも彼女は酷い怪我を負って、伏せっているらしい。
そんな危険な身の上の彼女を、いつまでもここに置いておくだろうか……?
「…………」
まさか……!
そうか……!
同時に、そんな感想を抱いた。
驚きと、納得。
(ついさっき、僕はこう考えたじゃないか……!!)
彼女の身柄を、タウンハウスではなく別の場所に移した方がいいのでは?──と。
(既に、彼女の身柄を動かした後、なのか)
それなら、公爵のこの対応も納得がいく。
グレンの頻繁な訪れを許しているのも、理解がいく。グレンがこの邸を訪ねるということは、彼はルナリア嬢の本来の居場所を知っていないことの証明になるのだから。
僕は細く息を吐いた。
どうやら、上手く踊らされてしまったようだ。
グレンはともかく、僕までも。
「そう。ルナリア嬢は、ユジュにいるんだね?」
「──」
ローウェル公爵が、息を呑む。
これは、賭けに近かった。
ユジュの豊作、王都の不作。
そして、ルナリア嬢の不在。
このふたつが、関連性を持っているのなら。
隣国ベルフォールが狙う、祝石。
これらを引っ括めて、推測した。
もし、万が一。
【百年都市】に祝石が関連しているのなら──。
僕の推測交じりの発言に、ほんの僅か。
ローウェル公爵の目が見開かれた。
しかし、それは、予想外の言葉だったからこその反応だとでも言うように、公爵は笑い飛ばした。
その取り繕い方は、さすがだ。
「……まさか!ユジュなど、どこから出たのですか?」
「そんなに突拍子もない発想かな?ユジュ地方は、ホークウィンド領だ。そして、そのホークウィンド領の現領主は、あなたの弟のヴォムフラム・ダリル・ホークウィンド。なぜユジュなのか、は説明が難しい。だけど、可能性のひとつとして推測を立てられるくらいの根拠は、こちらにもあるよ」
ローウェル公爵の先程の反応が決め手になった。
間違いなく、ルナリア嬢はこの邸にはいない。そして、今彼女が療養しているのは、ユジュだ。
「どちらにせよ、私はユジュに視察に行かなければならない。少し、気になることがあるからね」
「…………」
「もしそこで、あなたのご息女と会ったとなれば──貴殿は、私に嘘を吐いたことになる。いかがかな?」
これで、虚偽の申告をしていたという理由で、ローウェル公爵に罰を与える気は無い。
だけど、王族に偽りを口にした。
それは事実となる。
ローウェル公爵は、貴族としてそれは避けたいだろう。どうせバレるなら、この場で正直に言ってしまった方がいい。
ローウェル公爵は深いため息の後、答えた。
「……確かに、ルナリアはユジュにいます。ですが、療養中です。どうか、あの子のことは放っておいていただけませんか」
「……それはできない。ルナリア嬢が祝石の持ち主で、それを隣国が狙っているというのなら、ミルヴァールを守るものとして、王家はそれを解決せねばならない。公爵。こう、考えてはくれないか?」
僕はさらに言葉を続けた。
確かに、ルナリア嬢のことは気の毒だ。
だけど、ルナリア嬢が一方的な被害者で、彼女に非はないかと聞かれたら、それは違うだろう。
グレンとルナリア嬢の婚約は政略ではない。
互いの自由意志に基づいて、恋愛感情によって結ばれたものだ。
つまり、ルナリア嬢がグレンを選んだ。
それは間違いない。
彼女の見る目がなかった……と言い切るのは、あまりに非道だろうか。
だけど、グレンを選んだ彼女にだって、責任はある。
もちろん、アルセリアにも責任はある。
僕はアルセリアの兄だが、あの子を庇うつもりはない。
だがやっぱり、どう見ても今回の件はグレンにもっとも軍配が上がるだろう。
もちろん、悪い意味で。
あの男にとって、アルセリアは道具に過ぎない。いわば、舞台装置だ。
それにのめり込みすぎたためにルナリア嬢の扱いが軽くなり、優先順位が狂った。
そのせいで全て失おうとも、自業自得だ。
今更どうにかしようと足掻こうとも、全てが遅すぎる。取り返しはつかないのだから。
(そもそもの話、だけど)
ローウェル公爵は、やはり、我が娘可愛さにルナリア嬢を庇うが。
(現状、ルナリア嬢は我が国に災いを呼んだだけになるのだけど?)
祝石だがなんだか知らないが、現状それは災いしか呼んでいない。祝石のせいで、ミルヴァール国はベルフォール国から襲撃を受けたのだから。
祝石の情報を流した人間も、平行で調べているものの、こちらも芳しい結果ではなかった。どこから情報が流出したのかも不明だ。
ひとまず、出回ってしまった情報はもうどうしようもない。一度流出した情報を、無かったことにはできない。
今はどうにもならないことより、今後のことだ。
今後、祝石狙いの襲撃が頻発しては困る。
【百年都市】も、祝石が関与している可能性があるというだけで、まだ確定ではない。
ルナリア嬢は、祝石を扱えきれないというのなら、祝石はどこかへ封印すべきだろう。
扱えるなら、その力は王家に報告すべきだし、扱えきれないなら、手放すべきだ。
もはや、祝石はローウェル公爵家だけで収まる話ではなくなっているのだから。
……とはいえ、まさか、僕の本心を全てそのまま口にするわけにはいかない。
言葉を選んで、僕はローウェル公爵に言った。
「ルナリア嬢の心身のためにも、一刻も早く襲撃事件を解決したい。それに、協力してはくれないだろうか」
もし、祝石に何かしら特別な力があり、それをルナリア嬢が扱えるのであれば──。
話は一気に変わってくる。
それは、ベルフォール国への有効な一手になるかもしれない。
彼女の身の安全さえ確保できれば、彼女を公に出すことで敵を釣ることが出来るかもしれない。
危険は付き物だが、もしこれが成功すれば、襲撃事件は一気にカタがつく。
そうして、ベルフォール国の関与を示す、決定的な証拠さえ揃えば、それは我が国の有利に繋がる。
近年、ミルヴァール国を脅かすベルフォール国相手に、有利な形で条約を結ぶことだって不可能ではない。
戦火の芽を詰むことができるのだ。
この提案。
ローウェル公爵は、間違いなく首を縦に振らないだろう。
だけど──ルナリア嬢は、どうだろうか?
王太子は、夫の不貞とか素行に悩む夫人に「ご夫君も酷いことをなさる」と気の毒そうに言いながら内心(気の毒だけど、あなたにも夫がそうなった原因があるのでは?不幸を嘆いてないでまずはできることからやれば?)とか思うタイプ。




