2.恋の自覚 【グレン】
グレンがひたすらあーだこーだ言ってるだけなので読み飛ばしても支障はないかと思います。
陛下は、一度俺をちらりと見ると、ちいさく零した。
「……グレン・ソルシエ・ウィンザー。余を突然呼び止めるなど、いかほどの不敬か、理解してのことか?」
「とんでもない非礼であることは重々承知です。陛下が望まれるならこの首をも、差し出す所存でございます!」
声を張り上げると、陛下が息を呑んだのが分かった。
「……冷静ではないようだな。誰か、この男をどこぞの部屋にでも閉じ込めよ」
「ハッ」
近衛のひとりが、俺を捉えようと動いてくる。
俺はそいつの手を振り払って、膝をつきながら陛下に嘆願した。
「陛下!お聞きください。どうか……ルナリア・エヴァ・ローウェルと私の再婚約を、なにとぞお許しください!!!!」
「……何?」
去ろうとしていた陛下が、足を止める。
ごくり、と生唾を呑み込んだ。
ここまで言ってしまったのだ、もう後戻りはできない。
自分が今何をしているのか自覚すると、足が震えてくる。
手が震える。呼吸が乱れる。
俺は今、とんでもないことをしている。
何かしら、処分が下るだろう。
この行動は、ウィンザー公爵家にも泥を塗る行為だ。
父上に知られたら、最悪廃嫡され、家を追い出されかねない。
それほどのことだ。
だけど、それでも構わない。
なぜなら、これが俺の【覚悟】だ。
ルナリアに、ローウェル公爵に示せる、覚悟だった。
彼女は俺のせいで、怪我をしたんだ。
だから、俺が責任を取る。彼女の一生に寄り添うんだ。
(分かってる)
冷静に考えるなら、アルセリアとの結婚を受け入れた方がいい。
そちらの方が体裁だっていいし、利権を考えたって、そちらに軍配が上がる。
一介の騎士が、突然王に嘆願するなど、本来は許されないことだ。
連帯責任で、本家分家ひっくるめて、年単位の謹慎が命じられてもおかしくない。
だけど、俺の父は、陛下の従兄弟にあたる。
ある程度は、目を瞑ってもらえるだろうという打算があった。
父のとりなしも見込めるだろう。
(しまったな)
今更、失策を悟る。
どうせなら、アルセリアも連れてくるのだった。
アルセリアに言わせて、その後ろに控えておけば俺への風当たりもそこまで強くはなかっただろう。
内心、舌打ちした。
しくじったな。
焦るあまり、悪手を選んでしまった。
「──……」
その時、俺は直感のようなものを感じた。
(そう、か……これが)
目が覚めたような思いだった。
(恋……なのか)
思えば、打算ではなく、感情で動いたのは、これが初めてだった。
(なるほど、これが──)
これが、恋、なのか。
驚きに、言葉をなくす。頭が真っ白になった。
今まで、ルナリアのことを好きだと思っていた。
だけど、感情を優先して動けるかと聞かれたらそれには甚だ疑問があった。
即答できなかったのだ。
だけど、今は。
今なら、答えられる。
俺は何より、ルナリアを優先できると。
その時、陛下の質問が降ってきた。
「……お前は、アルセリアを娶るのではなかったのか?」
その言葉に、ハッと我に返った。
アルセリアを愛している?
とんでもない。
「私はルナリアを愛しています……!!」
恋心を抱いて、自覚して、初めての宣言は、僅かに声が震えた。
周囲が、ざわめく。
「──……」
「……れは……」
「……とうですの?」
その時、気が付いた。
謁見の扉はまだ開いたままだった。
王より先に退室するわけにはいかないので、室内に客人がまだ残っているのだ。
今の声は、彼らのものだった。
俺はさらに声を張り上げた。
観客がいるなら、都合が良い。
それを利用するまでだ……!
覚悟を、見せつけるように声高に宣言した。
「王女殿下につきましても、想う相手がいると聞き及んでおります!」
「──!」
謁見の間には、どうやら複数人が詰め寄せているらしい。
ざわざわと、ひとの話し声が聞こえてくる。好奇、興味。
面白い余興が始まったともでいいたげな嘲りを隠し切れない視線──。
「ふざけたことを抜かすな!!」
怒りか、屈辱か、陛下の声は震えていた。
だけど、撤回はしない。
「どうやら相当、頭がおかしくなっているようだな。お前は自分が何を言っているのかわかっておるのか……!?」
「存じ上げております!どうか陛下。お願い申し上げます……!」
俺がさらに言い募ると、陛下は深く息を吐いた。
謁見の間の扉が閉じられると、静寂が戻った。
「お前には心底、がっかりだ、グレン。お前はもう少し、賢いかと思っていたのだがな」
「……申し訳ございません」
「これがミルヴァ―ルに仕える騎士の姿かと思うと、情けなさのあまり涙が出る。キリアン、お前はどう思う」
陛下が、後方の男に声をかけたのが分かった。
キリアンとは、同じ近衛仲間の騎士だ。
だけど俺とは関係が薄く、飄々としたところが妙にいけ好かない。
つまり、俺とは仲が悪い。
キリアンがどう答えるかなど、考えずともわかる。
キリアンは、俺の予想以上に、こちらを貶める答えを口にした。
「近衛の恥かと存じます。お目汚しを、申し訳ございません」
(ッのやろう……!!!!)
澄ました顔をしているのだろうキリアンをぶん殴ってやりたくなったが、カーペットを睨みつけることで、耐え凌ぐ。
(近衛の恥だと?)
完全に、頭に血が上っていた。
だいたい、騎士だのなんだの、栄誉ばかりに囚われるからこうなったんだ。
それなら──。
それなら、いっそのこと。
「──ッ……」
俺は、胸につけた勲章を無理やり引きちぎった。
ぶちぶち、と音を立てて、近衛騎士を示す、国花と国章を象ったピンバッジが外れる。
「な……」
誰かが息を呑んだ。
それに構わず、ずい、と差し出した。
俺が長年大切に思っていた、俺の矜持そのもの。
初めて、近衛のピンバッジを授与された時。
感動と興奮に打ち震えた。
これを与えられた意味を考え、ウィンザー公爵家のため、王家のため、尽くそうと忠義を誓った。
あの時の想いは消えていない。
だけど今は、それ以上に大切なことがあった。
ルナリアだ。
穏やかで、つまらない日々で構わない。
あの日々をもう一度、取り戻したいと思った。ただそれだけだった。
「許されないのであればッ……私は、近衛の職を辞す覚悟です!」
ようやく、理解した。
俺は、栄誉より想い人が大切なのだ。
気が付くのに、ずいぶん時間がかかってしまった。
今更かもしれない。
今更、もう遅いのかもしれない。
だけど、もう一度。
彼女にそばにいてやりたいと思った。
励ましてあげたい。
不安に思っているのなら、その手を握ってやりたい。
ルナリアは強いから、きっと、持ちこたえるだろう。
だけどその間、そばにいてあげたいんだ。
俺が決死の覚悟で、勲章を突き出すと、靴音が響いた。
顔を上げると、そこには王太子殿下が、ひどく残念なものを見る目をしていた。
「これは、何の余興?」
「は──」
「本当に、頭がおかしくなっちゃったのかい?ウィンザー小公爵?こんなところでそんなことされても迷惑なだけなんだけど。お前、周り見えてる?」
「そ、れは……。確かに、私の行動がとても常識外れであることは理解しております。ですがそれでも」
「言い訳は結構。非常識であることは理解しているんだ。ふうん。……その上での行動、ね」
王太子殿下は何か考え込んでいたようだったが、ツイ、と俺に視線をよこした。
「騎士を辞めたいなら好きにすればいいんじゃないかな?誰もお前にそれを強制していない。だけどね、グレン・ソルシエ・ウィンザー?その場合は、正式に辞表を出すように。お前だけ例外、なんて許されないからね」
にっこりと、王太子殿下は微笑んで言った。
「分かってるとは思うけど、私たちは事務員ではないんだよ?」
「も……うし訳、ございません」
辛うじて謝罪の言葉を零すと、王太子殿下はあからさまにため息を吐いた。
「今回の不敬については、目を瞑ってやろう。お前は、アルセリアの夫になるのだしね。ただし、二度目はない。その時は、相応の罰をお前にも、ウィンザー公爵にも与えるからそのつもりで。それでよろしいでしょうか?陛下」
王太子殿下が陛下に伺いを立てると、陛下はゆっくりと頷いた。
「ここは私が預かります」
王太子殿下がさらに言葉を続けると、陛下は何も言わずにその場を後にした。
唖然と、その後姿を見送った。
王太子殿下が不問に処すと言ったのは、王家も大ごとにしたくないからだろう。
俺とアルセリアに互いに想い人がいて、互いに婚約を否定しているなど──世間に知られたら外聞が悪いどころの話ではない。
頭の中は、今後の算段でいっぱいだった。
(騎士を辞して、その上騒ぎまで起こしたのなら)
俺は、アルセリアの降嫁先としてふさわしくなくなるはずだ。
もはや、狙うならそれしかない。
そう考えていると、まさか俺の思考まで読んだわけではないだろうが、王太子殿下が厳かに言った。
「お前は、ルナリア嬢だけでなく、私の妹まで不幸にするつもりなのかい?」
「……!?」
何を言い出したんだ、と唖然とする。
思わず顔を上げると、王太子殿下は、薄く笑った。
「お前は、既にひとりを不幸にしている。その上、我が妹まで不幸にするのかと思ってね」
「そ、んなことは……」
「そう?だけど今のお前の行動は、誰が見ても、アルセリアを貶めるものだよ?冷静になって、考えなさい。謹慎命令でも出してあげようか」
アルセリアを貶めるもの?
そんな馬鹿な。
俺の行動は、アルセリアのためでもある。
俺と結婚しても、アルセリアは幸せにはなれない。
それはもはや、決定事項だ。
互いに想い人のいる結婚生活なんて、うまくいくはずがない。
失敗例が、すぐそこにいるじゃないか、とは流石に口が裂けても言えない。
だけど、俺の表情から何かを読み取った王太子殿下が、つまらなそうに俺を見た。
「お前が今できる最善の手段は、アルセリアと結婚すること。それ以外にはないよ」
「…………」
「納得がいってなさそうだね。アルセリアでは不満?まあ、あの子は病弱で教育も満足に受けていない。だけど、お前の仕える主でしょ?面倒をみてやってくれないかな」
「……王女殿下に、不足は」
「不足があるから、直談判に来たんじゃないの?アルセリアでは、不満なんでしょう?」
至極不思議そうに、王太子殿下が尋ねてくる。
だけど、考えてみても欲しい。
ここで、「はいそうです」と言える馬鹿がどこにいる。
社交界に身を置く貴族として、そんな回答できるはずがなかった。
俺は思考を巡らせた末、ちょうどよく、こちらを今にも射殺しそうなほど睨んでくる男と目が合った。
キリアンである。
「アル……王女殿下にも、意思がございます」
「あれは王女だよ?王女の結婚に、本人の意思が関与すると思う?」
「私では、王女殿下を幸せにすることはできません」
言い切った。
きっぱりと発言すれば、王太子殿下は呆気にとられた顔をしていた。
「私より、そこの騎士の方がよほど、王女殿下を大切になさるかと」
──と、俺はキリアンを巻き込む。
ぎょっとした顔をするキリアンに、王太子殿下が頭痛を覚えたような顔になった。
いつも綺麗な笑みを保っているというのに、僅かにその笑みが崩れている。
「……聞く価値もない」
そう言って、王太子殿下は踵を返した。
「お待ちください!!」
「くだらない戯言を口にする前に、現実を見ろ」
それだけ言って、王太子殿下はその場を後にしてしまった。
王太子殿下に続いて、近衛騎士たちもぞろぞろとそれについていく。
廊下には、俺ひとりしか残らなかった。
「──ックソ!!!!」
思わず、カーペットを拳で打ち付ける。
だけど、高価な布は、衝撃を柔らかく受け止め、音が鳴ることも、俺が手を痛めることもなかった。
「クソッ……クソックソッ!!」
何度も何度も、拳を打ち付ける。
去り際、キリアンが、侮蔑する目を向けてきたのも、腹が立つ。
近衛のプライドを刺激でもされたのだろう。
俺も、以前もああだったから気持ちは分かる。
だけど今はそれが、酷く癪に障った。
キリアンとアルセリアの結婚など、本気で口にしたことではなかった。
切羽詰まっていたのだ、俺も。
焦っていた。どうする。
このままでは、本当にアルセリアと結婚させられてしまう。冗談じゃない。
ウィンザー公爵邸に戻って、俺はすぐに辞表を用意し、その足で提出に向かった。
だけど帰宅した父親に殴り飛ばされ、辞表も握り潰されてしまった。
何もかも、うまくいかない。
それにまた、焦燥感が募っていく。




