1.夢を見る 【グレン】
アルセリアとの婚約披露パーティーまで、あと一か月を切った。
その日、俺は彼女の自室を訪ねていた。
もう、婚約が本決まりだからだろう。
扉は閉められ、付き添いの侍女すらいない。
もし、ここで何かが起きても構わない。
そんなメッセージを感じた。
だけど、いつも通り、俺は彼女の対面のソファに座る。
婚約者なら隣同士も許されるのだろうが、俺はアルセリアと結婚する気はなかった。
俺の提案を聞いたアルセリアが、砂糖菓子に向けて動かしていた手を止めた。
彼女は、眉を寄せて俺に尋ねた。
「本気?」
それに、頷く。
俺は、出されたものに手を付けてなかった。
警戒しているわけではなく、食欲がなかった。
今日も、ローウェル公爵家を訪ねては、こっぴどく追い返された。
(確かに、以前は言い合いになってしまった)
俺も、冷静になれていなかった。
だけど、ルナリアだってそうだ。
感情的になって、建設的な話し合いができない。
エリアスが激昂したのは予想外だったが、やはりルナリアの兄。
感情的なところは血なのだろう。
俺は目を瞑って、ローウェル公爵邸でのことを思い出していたが、すぐに、今日の目的を思い出す。
アルセリアに頭を下げた。
「すまない。こんなことになって」
「別にそれは……あなたのせいではないわ。でも、今さらどうにもならない。ねえ、グレン」
「なに?」
「私、それでもいいと思うの」
アルセリアの言葉には主語がない。
何を言いたいんだ?
何が、それでもいいんだ?
眉を寄せると、星型の砂糖菓子を手に取ったアルセリアが、それを指先でもてあそびながら言った。
「だから、あなたと結婚するのも、それでいいと思うの」
「はあ?」
本気か?
アルセリアは、俺の反応に少し気圧されたようだった。
だけど、気を取り直して話し出す。
「お母様と話したのよ。私がベルフォール国に行っても、何の役にも立たない。むしろ、嫌がらせを受ける可能性だってある、って言われたの」
「まあ、そうだろうな」
王と王妃は仲が悪い。
王妃は、自国から気に入りの騎士を連れてきて、アルセリアは、彼との子だと言われている。
幼い時から、悪意に晒されて育ったアルセリア。
その彼女を守りたいと思うのは、ごく自然なことだった。
だけど、そんな彼女を長く支えたのが、隣国の王だった。
彼女は、侍女が買ってきた隣国の王の肖像画に夢を見た。
猛々しく、雄々しく、逞しい隣国の王。
身長は2メートル近くあり、その肩には大の大人が座れるほど広いという。
たったひとりで百人あまりを素手でなぎ倒した実績があり、密林にこもって、狩りを好む。
熊を素手で伸し、虎を魔法銃で一発で仕留め、その首をねじ折ったのだとか。
どこまで真実かはわからないが、筋骨隆々の男であることは間違いないのだろう。
ほかの、熊だとか虎だとか、肩幅の話は脚色に違いない。
(……アルセリアの首もねじ折られるんじゃないか?)
目の前の貧弱な幼馴染を見る。
アルセリアは、隣国の王の暴力性が自分に向けられる可能性はないと過信しているのか、目を瞬くだけだ。
「──秋に、建国記念祭がある。そのパーティーに隣国の王も参加するんじゃないか?」
「え?」
そう言われた途端、アルセリアがそわそわしだす。
「でも、去年も、その前だって、参加されなかったわ。名代を立てて……」
「今年は、襲撃があった。しかも、ベルフォール国の関与が疑われる状況だ。これで参加しなければ、疑いは深まるばかりだろ。今年こそは参加すると思うけどね」
そう言われると、その可能性を捨てきれなくなったのだろう。
アルセリアの目に期待が宿る。
「アルセリア。本当にいいのか?俺と結婚して」
「でも、もうそれしかないっていわれたわ」
「誰に?」
「お兄様に。お父様も、そうよ。責任を取るように言われたの。私は王女だからって」
「都合のいい時だけ、役割を求めるの?」
今まで捨て置いていたくせに、急に役割を求めるのか。
散々、アルセリアのことは放置していたくせに。
それに従うアルセリアにも、嫌気がさした。
「……今まで、自由にされてきた。それがどんなにありがたいことか、私は知っていたの。病弱だから……お父様の本当の子ではないかもしれないから、って私はずっと政から遠ざけられて育った。今回、初めてお父様は私に言ったわ。責務を果たせ、って。そんなこと言われたの、初めてなの」
アルセリアは、王から直々に【王女の責務】という言葉を贈られて、浮かれているようだった。
今まで放置されていただけに、期待されてうれしいのだろう。
「俺と結婚しても、メリットはない。マイナスがゼロになるだけだ」
「じゃあ、どうすればいいというの?」
「だから、言っただろ。建国記念パーティー。そこで、ベルフォール国の人間に接触するんだ。別に、王じゃなくたっていい。高位貴族か、それに縁づく文官でも、最悪構わない。王女が、隣国の人間に嫁ぐ。そのことに意味があるんだから」
「……グレンは?」
「俺は、ルナリアが好きだ」
端的に答えると、アルセリアはびっくりしたように黙り込んでしまった。
「そう……」
それから、少しして彼女はそう言った。
アルセリアは、少し寂しそうな顔をした。
別に俺が好きというわけではない。
ただ、結婚するなら夫からの愛がほしいという、ただそれだけの理由だ。
「父上は、今回の婚約解消に異議申し立てをしている。俺も、もう一度ルナリアと話し合う予定だ」
「諦めないのね」
「大事なことに気が付いたんだ」
騎士として、アルセリアを優先するのが誉れだと思っていた。
だけど、あの夜会以降──俺への評価は微妙なものだった。
同僚からは腫れ物に触れるような扱いだ。それか、あからさまに媚びを売ってくるか。
そうだ、魔術師団のやつらなんかは顕著に「うわっ」みたいな顔をしてくる。
先日、すごい顔でこちらを見ていた男──確か、第二魔術師団のやつだ。
信じられないものを見るような目を向けられて気分を害したので声をかければ
「流石、騎士様だと思ったまでです」と何が【流石】なのか分からない遠回しな嫌味を口にした。
それこそ、流石魔術師団だ。陰険さのレベルが違う。
アルセリアは、しばらく黙っていたが、やがてなにか決心したように力強く頷いた。
「……分かったわ。私も諦めない」
「そうしよう。お互い、頑張ろうな」
「そうしたら私も、あなたとルナリアの仲を取り持てばいいのね?協力するということ?」
「ああ。婚約披露パーティーを、お前は欠席すればいい。体調不良だといえば、周りも疑わない」
「お兄様はきっと、首に縄をつけてでも私を引っ張り出すわ」
「お前は、貧弱なんだろ?前日か、前々日にバルコニーにでも出るか、部屋の水魔法の仕掛けを切ってしまえば、簡単に発熱するだろ」
アルセリアの部屋には、常に適切な湿度が保たれるように水魔法の仕掛けが施されている。
それがなければ、まずアルセリアは喉を痛め、そこから風邪を引く。
炎症が起きやすいのだろう。
「そ、それって自発的に風邪を引けと言ってるの?」
アルセリアが、顔をひきつらせて聞いてくる。
流石に、自ら体調を崩す真似をするのは嫌なのだろう。
「仮病よりはましだろ」
「それは……そうかもしれないけど」
アルセリアの顔は浮かない。だけど、手段はそれしかない。
もしこれが誰かに知られたら俺は立場を失うだろう。
アルセリアは王族だ。王族の体調不良を故意に引き起こさせるなど、最悪極刑になってもおかしくはない。
だけど、既に俺は決めていた。
腹は決めたんだ。
アルセリアが、おずおずとたずねてくる。
「あなたはどうするの?」
「婚約はしないと宣言する。俺が好きなのはルナリアで、きみにも想う相手がいると告白する」
「ええっ!?」
「会場で宣言すれば、忍び込んでる記者が好き勝手書くだろ。そうなれば、こっちのものだ」
「そんな……うまくいくかしら?」
アルセリアは困惑しているようだったけど、結局頷いた。
なにせ、当日の彼女の役割と言えば、ベッドで寝ているだけなのだ。
行動するのは俺だし、責任は俺だけに向く。
だから、低リスクだと踏んだのだろう。
そういうところが小賢しくて、同時に、そこが彼女の良さでもあると思う。
甘やかされて育ったアルセリアは、自分の利を追及することにためらいがない。
それで、誰かが損をしても、自分さえよければ、の典型だ。
だけど、そんなアルセリアだからこそ、俺は何も考えずに済んでいる。
彼女の発言の意図とか、考えずに済んでいるのだ。
アルセリアと一緒にいるのは、気が楽だった。
なにせ、アルセリアを優先するそぶりを見せるだけで周りは勤勉だと口を揃えて言う。
アルセリアも、俺が常に側にいることに疑問を抱かないようだった。
「……お前は、襲撃犯について何も知らないんだよな?」
尋ねると、アルセリアは顔を青ざめさせて何度も頷いた。
「そうよ!何度もそう言ってるわ……!」
「いや、悪い。だけど、じゃあ、どうして……」
あの夜から、すべてが変わった。
何もかもが一変して、俺とルナリアの仲は引き裂かれた。
あれさえなければ、間違いなく俺はルナリアと結婚していただろう。
多少、諍いはあったものの、そんなの今だけだ。
十年もすれば、あんなこともあったね、と笑い話になる程度の。
「お嬢様は、まだ回復されていらっしゃいません」
固い表情ながらも、執事長がうんざりしたように言う。
「何度も申し上げますが、ウィンザー小公爵。まずは、旦那様の許可を取り付けてから、お訪ねいただけませんか。私ども使用人も、暇ではないのですよ」
「ずいぶんな言い方だな?使用人の分際で、取次もしないと言うのか?」
「それが、旦那様のご命令です」
にべもなく切り捨てる執事長に、思わず舌打ちをする。
だけど、それにも執事長は顔色を変えない。
「じゃあ、いつルナリアに会えるって言うんだよ!?」
「お嬢様が回復されたら、と旦那様のお言葉です」
「いつ回復するんだ!?」
イライラしながらまくしたてれば、ちょうどその時、公爵邸に馬車が止まった。
エリアスか、公爵本人か。それならちょうどいい。
話す機会に恵まれた、と思って振り返れば、そこにいたのはチョコレート色の髪をした女だった。
ダークブランの髪、桃色の瞳。サイドを編んで、紫のリボンで結んでいる彼女は──
「……ごきげんよう、ウィンザー小公爵様」
固い声で、俺に挨拶をした。
アルモンド伯爵家の長女、ジェニファーだ。
俺とはあまり話したことがない。が、この際それは関係なかった。
最近、ローウェル公爵家を訪ねても、エリアスどころか、ローウェル公爵にすらも会えずにいたのだ。
ジェニファー経由で、伝えてもらえばいい。
「ちょうどいいところに。ジェニファー嬢、話があるんだ」
「私はありませんわ。失礼します。……ケヴィンさん、いれてくださる?」
にべもなくジェニファーが答える。
格下の家の分際で、偉そうに口答えする女に腹が立ったものの、ここには執事長がいる。
苛立ちは飲み込んで、変わりに、今にも玄関扉を開けて中に足を踏み入れようとしていたジェニファーの腕を掴んだ。
「きゃっ!?何するのよ!?」
「少しくらいいいだろう!?俺は、ルナリアの婚約者なんだから……!」
俺が言うと、ジェニファーは目を見開いた。
気圧されているのではない。虚を突かれた様子だった。
「エリアス……いや、ローウェル公爵と話がしたい。取り次いでくれ」
「冗談でしょう?」
俺の願いは、ジェニファーに一刀両断された。
彼女はおかしそうにクスクス笑って、俺に腕を掴まれたままおかしげに言った。
「ルナリアの婚約者?何を仰っているのかしら。ルナリアとあなたの婚約は正式に解消された。にも関わらず、未練がましくルナリアを訪ねるあなたは立派なストーカーよ?次期公爵様?これが世に知られたら、皆さんなんていうかしらね」
「ストーカー?俺が?それこそ笑わせる。問答無用でルナリアに会わせないのはどっちだ?」
「ルナリアは酷い怪我を負ったの。その彼女を労わらず、心配もしないで、自分の都合を優先させる殿方と、誰が会わせると思って?聞いていてよ?あなた、重傷を負って、ようやく目覚めたルナリアを酷く追い詰めたのですってね。それこそ、紳士の振る舞いとは、とうてい思えませんわね」
ジェニファーは目を細めて、挑発的に俺を見てきた。
「よく、何度もローウェル公爵邸に足を運べるものですわね。その厚顔無恥さは、お父様譲りなのかしら。お顔の皮が厚くて羨ましいわ」
「な──」
格下の、伯爵家ごときの娘に、ここまでコケにされるいわれはないはずだ。
「それを言うなら、」
反論しようとしたところで、第三者の声が聞こえてきた。
「ジェニファー!」
「エリアス!」
ローウェル公爵家の長男、エリアスだ。
内心、舌打ちする。エリアスは、一見穏やかに見えて、その実かなり激情型だ。
相手をするのはわりに合わない。
ジェニファーは、姿を見せた婚約者に駆け寄ると「ごめんなさい、待たせてしまった?」と話し始めた。
「いや、それは構わないよ。それより──お前、いつまでここに来る気なの?あまりにしつこいと、私たちはこの邸を捨てざるを得なくなってしまう」
ジェニファーを背に庇って、エリアスが冷たく吐き捨てた。
その目は爛々としていて、思わず足を止めた。
「お前がいくら足を運ぼうと、ルナリアには会わせない。前回、妹に何を言ったのか、覚えてないのか」
「あれはッ……いや、そもそもの話だ。ルナリアは」
名を呼びかけた途端、エリアスが吠えるように言った。
「妹の名を……軽々しく呼ぶな!お前はもう、妹の婚約者でも何でもない。……いい加減にしてくれ。私は、お前を見ると切り殺してしまいたくなるんだ。命が大事なら二度とここに来るな。いつか、私はお前を切り殺す。私を殺人犯にしてくれるな」
それだけ言い捨てて、エリアスはジェニファーを伴ったまま、玄関ホールへと入ってしまった。
「待っ……!」
呼び止めようとしたものの、無情にも扉は締まる。
最後に、執事長が慇懃に頭を下げるのが、妙にゆっくりと見えた。
イライラしながら、俺は王城へと戻った。
顔を合わせたアルセリアが、俺の不機嫌を感じ取って、不安そうにしていた。
「陛下に会ってくる」
「お父様に?どうして?」
「直訴するんだ」
もうこうなったら、陛下に頼み込んで──王命で、婚約解消を取り消してもらうほかない。
アルセリアと結婚?
冗談じゃない。アルセリアのことは、嫌いではない。
だけど、女として愛せるか、と聞かれたらそれは否だ。
甘やかされて育った女の機嫌を一生取る日々など、ごめんだった。
今は、主従としてそばにいるから、アルセリアには気を使わずに済んでいる。
だけど、結婚となったら、話は変わってくる。
どうせ、あのひとがああ言っただとか、夫としてどうにかしてくれ、とか。
あれがいいこれが嫌、あなたは夫なのになんちゃらかんちゃら、とうるさくなるのは目に見えている。
だいたい、アルセリアが好きなのは俺ではない。
ほかの男に夢中な女を妻にするなど、何の酔狂だ。
ルナリアといる時は、落ち着けた。気が楽だったんだ。
肩ひじ張って、周りを気にする必要もなかった。
ルナリアはいつもキラキラした目を向けてくれるから、自尊心も満たされた。
瞳が、声が、俺を好きだと言っていた。
柔らかな声は聞いていて安心したし、時々、そのゆったりとした話し方は癇に障ることもあったが。
だいたいは、彼女に癒されていた。
のんびりした彼女の声は、平和ボケしているように聞こえる。仕事に追いたてられていたり、余裕が無い時なんかは、苛立ちを覚えるのだ。
だけど、彼女の声にはいつだって、嫌味がない。
だからこそ、いつも、許されているように感じるのだ。
彼女といると、自分はとても立派なのだと言われているようで、安心した。
アルセリアと別れて、俺は王の居住区に向かった。
近衛騎士なので、許可証は不要だった。
この時間なら、王は謁見を終えた頃合いだろう。
そう思って部屋の外で待っていると、にわかに騒がしくなる。
王が退室するのだ。
扉が開かれ、陛下の顔が見えた。
「おい……!」
陛下付きの、同僚の誰かが俺を呼んだ気がするが、構わない。
俺は声を張り上げるようにして、宣言した。
「陛下!突然申し訳ございません……!ですが、どうしても!どうしても、お耳に入れていただきたいことがございます!!」




