10.あなたは誰 【後】
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「きゃっ……!ごめんなさい!」
慌てて離れようにも、じくじくと痛みだした足は、思うように動かない。
(どうして?だって、今は──)
代足杖をつけている。
それなのに、どうして。
困惑した私に、ノイルさんが声をかける。
「どうしました?大丈夫ですか?」
「ええ、と……」
何を言えばいいのか、どこまで言っていいのか分からず混乱していると、すぐに私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「お嬢様!!!!」
「カティア、ローラ……」
振り向くと、侍女ふたりと、騎士たちがこちらに向かっていた。
彼らは、ノイルさんと話している時、ここまで近づくことはない。
彼ら自身、ノイルさんと関わりあいになることを避けていたようだった。
「どうなさいました?」
「足が、痛いのですか?……失礼しますね」
ローラが私の足に、服越しに触れる。
「痛っ……!!」
それは、強い痛みとなって私を襲った。
「…………ッ……!」
少し、触れられただけで呼吸が止まりそうなほど痛い。
じんじんとした痛みは、酷い鳥肌と冷や汗を連れてきた。
がんがんと、頭が痛む。
詰めている息をそのままにしていれば、少しだけ痛みが和らいだ気がして、私は何も答えられずにカティアとローラに首を横に振った。
「代足杖は、今もつけられているのですよね……!?」
必死な形相のカティアに、ぶんぶんと何度も頷いて答える。
「代足杖……?」
そこで、ぽつりと声が聞こえてくる。
ノイルさんだ。
その声に、カティアたちも、ノイルさんがいることを思い出したのだろう。
「失礼します!お嬢様は私たちがお連れします」
カティアが鋭くノイルさんに言う声が聞こえてくる。
(いた……い)
ぼんやりとした視界の中、音が遠かった。
今までの、リハビリの痛みとはまた違った。
撃たれた時を彷彿とさせるような──強烈な、痛み。
痛いと口にすることも難しく、心臓の音が激しく聞こえて。
視界が暗がかり、鳥肌に襲われる。
「──……っ」
脹脛の痛みが引き連れてくる頭痛と、眩暈。
吐き気。
堪えていると、ノイルさんとカティアたちが何か話しているのが聞こえた。
視界に入るのは、白い砂浜だけ。
だけどそれもやがて、霞がかり──目の前が、ブラックアウトした。
「……一度……か、ありません」
誰かの声で、意識が浮上する。
(ここ、は……?)
瞼を開けるのが億劫で、ゆっくり私は息を吐いた。
(確か……そうだわ)
海辺で、ノイルさんと話をした。
お花の話をして、次までに彼が好きなお花を見つけると宣言して──それで、お話は終わった、はずだった。
帰ろうとする彼を呼び止めて、名を名乗るつもりだったのだ。
だけど、足の向きを変えて、一歩踏み出したとき。
猛烈な痛みが私を襲った。
悲鳴を上げることすらできずに、崩れ落ちた。
それを支えてくれたのはノイルさんで、途中からカティアとローラにそれぞれ支えてもらった。
ゆっくりと、意識を失う前のことを思い出す。
同時に、室内にいる誰かの話し声が聞こえてきた。
「そう、ですか……。承知しました。旦那様にご相談いたします」
ひとりは、カティア。
そしてもうひとりは。
「ですが──私なら、直せるかもしれません」
ここにいるはずの、ないひとのものだった。
(どうして、ノイルさんが……?)
ゆっくりと、瞼を開ける。
酷い痛みは落ち着いていたけど、変わらず鈍痛はあった。
意識が覚醒すると、朧気だった会話がしっかりと耳に飛び込んできた。
「ノイルさんが……ですか?」
訝し気なカティアの声。
室内を見渡すと、白の壁紙にピンクのカーテン。
プルメリアとハイビスカスの花束が、サイドテーブルの花瓶に生けてある。
ここは、私の寝室だ。間違いない。
だけど……どうして、ここにノイルさんが?
困惑していると、ノイルさんの落ち着いた声が聞こえてきた。
「私は手先が器用で、故郷でもこういった仕事をしていました。一晩で、というのは難しいですが……一週間もいただければ、直せるかと思います。少なくとも、しばらくの間、代用品にはなるでしょう」
「ですが」
「ご安心ください。このことは誰にも言いません。契約書を結んでも構いません。もし、私の腕前に不安があるようでしたら、監視を立てていただいても構いません」
「それは、有難い提案ではありますが……」
カティアの返答は色よくない。
困惑した様子の彼女が気になって、私はゆっくりと起き上がった。
体を起こすと、私に背を向ける形でソファに座っているカティア。
その対面に、ノイルさんが腰を下ろしていた。
ノイルさんは私と向き合う形なので、体を起こすとすぐに彼と目が合った。
「お嬢さん!気付かれましたか」
ノイルさんが急いで立ち上がり、続いてカティアが弾かれたようにソファから腰を上げた。
「お嬢様!!!!」
壁際に控えていたローラと、ほかにも侍女が全員集合していた。
とても、心配させてしまったようだった。
「具合はいかがですか?今、旦那様と坊ちゃまにも、早馬を出したところです。先生をお呼びして先に診ていただこうとしたのですが」
怒涛のように話し始めるローラに目を瞬いていると、カティアが割って入った。
「お嬢様は今お目覚めになったばかりでしょう!混乱されているはず。……お嬢様、ご気分はいかがですか?」
ゆったりとした声で、尋ねられる。
それにホッとして、私は苦く笑った。
「大丈夫。……でも、一体何があったの?代足杖は変わらず着けていたわ」
尋ねると、カティアが困ったように首を横に振った。
「どうやら、代足杖の故障……のようです」
「故障……!?」
「はい。再び起動を試みたのですが、うんともすんとも言いません。これは……一度、王都でのメンテナンスが必要になるかと」
「王都……」
戻る、予定ではあった。
戻ろうとしていた。
だけど、それは、代足杖が壊れたから戻る、という理由からではなかった。
代足杖は私の右足の代わりだ。
もし、これを失ってしまったら──それを考えただけで、ゾッとする。
私は既に、この代足杖に依存している。
……これがなければ、私は歩くことができない。
「……ですが、お嬢様の知人の男性が、こちらの修理が可能だと仰っておりまして」
「えっ!?」
知人──それは、ノイルさんのことだろう。
驚いて顔を上げると、ソファから立ち上がった格好のまま、ノイルさんが会釈した。
しかし、それを返すことができないほど、私は動揺していた。
(どうして……)
代足杖は、とても複雑なシステムで、魔術師団所属の技術者にしか、扱えない。
メンテナンスだって、そうだ。
代足杖は、ひとつ作るのに、最短で半年、遅くて三年ほどかかる代物。
お父様が……ローウェル公爵家が、すぐに用意できたのは、ひとえに我が家が公爵家だから。
魔石を潤沢に使えて、資金にも余裕があったからだ。
本来は、手元にくるまでとても時間がかかる。
もともと、代足杖は隣国ベルフォールで開発された。
技術者の大半が、ベルフォール人だ。
ミレヴァール国の技術者も学びには行っているけど、本国の技術には適わない。
(ノイルさんが、修理できるのは、彼がベルフォール人だから……?)
でも、ベルフォール人なら誰でも可能、というわけではないだろう。
「──……」
心臓が、嫌な音を立てた。
(あなたは、誰なの?)
その言葉が、口をついて出そうになる。
「お嬢様、それと……」
カティアがちら、と私に視線を向ける。
「お召し物を変えましょう。砂浜で膝をつかれたので、裾に砂がついたままなのですわ……」
砂が付いたまま、ということに驚いて目を瞬く。
それに、カティアは申し訳なさそうな顔になった。
「まずは入浴もなさって、清潔にいたしましょう?お話は、その後で。よろしいでしょうか?」
カティアに尋ねられ、私は頷いて答えた。
話が落ち着いたところで、ローラがノイルさんに声をかけた。
「では、お嬢様は一度身支度をなさいますので。ご退室願えますでしょうか?」
「はい。……無理を言ってすみませんでした。何かあったら、私なら対処可能かと思っての判断です」
「……応接室にご案内いたします」
ローラは、ノイルさんの言葉には答えずに、扉に向かって歩いていった。
そこで、気が付く。室内に侍る、侍女と、騎士。
彼らの目が──ノイルさんに向ける眼差しが、とても冷たいことに。
その理由に思い至り、私はノイルさんに罪悪感を抱いた。
(彼に、申し訳ないことを……してしまったわ)
ノイルさんはきっと、とても居心地が悪かったに違いない。
ローラやカティアたち侍女。そして騎士たちが警戒するのは理由がある。
だけどノイルさんはその理由を知らない。
ノイルさんとローラが退室してから、カティアがそっと私に耳打ちした。
「お嬢様……祝石をご確認ください」
「え……?」
困惑すると、カティアが眉を下げて言った。
「本当は、ベッドにで休んでいただく際、お召し物を変えて、靴も脱がせる予定だったのです。ですが、それはできず……」
「……?」
カティアの言葉を不思議に思いながら、私はするりと首元からチェーンネックレスを取り出した。
そして、目を見開いた。
(どうして……?)
祝石は、依然として煌めきを帯びている。
だけどそれは、以前の比ではなくて──
手の隙間から零れ落ちるほどの、光量だった。
驚きに息を呑む私に、カティアが言った。
「お嬢様。お分かりになられませんか……?今、お嬢様は祝石の力を、使われているのです」
カティアに言われて、言葉を失った。
(祝石を、私が、今……?)
この一ヶ月、何度となく手に持っては、祝石の力を引き出そうとした。
その度に失敗して、どうしたらこれを使うことができるのか分からず、途方に暮れた。
その、祝石が──
祝石は変わらず、水銀が煌めくように、その中に銀粉がちらちらと舞っている。
さながら、聖夜を連想させるような、幻想的な光景だ。
だけど今は──さらに、トォン……トォン……と、まるで雨粒が水面に触れて、波紋が生まれるような。そんな揺らめきがある。
石は光を帯びていて、それは指の隙間からこぼれる程だった。
(これが……祝石の力を使っている、ということ?)
意識すれば、確かに、体が温かなものに包まれているようだった。
それは、秋の木漏れ日、とか。
小春日和を想起させるような……仄かなぬくもり。
冬の日の、暖炉のそばのような、温かさ。
(まさか、これが……?)
顔を上げると、カティアが頷いた。
「お嬢様は、恐らく……祝石に守られておりました。そのため、我々が触れることはできなかったのです。お嬢様、そちら、解除できますか?」
「解……除?」
どうやれば。
どうしたら。
手に持った祝石に力を込めても、波紋が広がるだけで、力が解除されることはない。
戸惑った私の耳に、次に飛び込んできたのは──勢いよく扉の開く音だった。
バンッッ!!と礼儀も何もない、荒々しい物音に、室内の使用人たちがみな警戒態勢に入る。
騎士は剣を抜き、魔術に長けた侍女が詠唱の準備に入る。
だけど、飛び込んできた人物の顔を見て、みな、警戒態勢を説いた。
なぜなら──
「姉上ッッ!!!!倒れられたって聞きました!!大丈夫なんですか!?!?」
入ってきたのが、弟のエイリクだったからだ。
考えてみれば、客人であるノイルさんがそんな乱暴な真似をするはずがない。
私は、海辺で見た彼のことしか知らないけれど、彼は強引な真似はしないだろう……と思っていた。
エイリクは一目散に、ベッドに座っている私のもとに走ってきた。
「姉上!!!!」
「エイリク……。ありがとう。急いで戻ってきてくれたの?」
「当然ですよ!!姉上が倒れられたって聞いて、僕、僕は……!大丈夫なんですか?起き上がって。け、怪我は!?患部に触れてもいいですか!?あっ、冷やしたほうがいいんでしたっけ!?ええと、まずは氷……いや、水?」
混乱するエイリクに割り込むように、カティアが言った。
「落ち着いてくださいませ、坊ちゃま。お嬢様は今、目を覚ましたばかりです。まずは入浴とお召替えが先です。旦那様と、エリアス坊ちゃまには早馬を出しております。エイリク坊ちゃまには、お客様の相手をお願いしたく存じます」
てきぱきと振る舞うカティアに、エイリクが一瞬虚を突かれる。
それから少しして
「客人?」
と首を傾げた。
それに、カティアが頷いた。
「お嬢様の知人の方です。壊れた代足杖を修理できると仰られて、今、応接室でお待ちいただいております」
「知人?姉上の?それってまさか」
エイリクの視線が私に向くので、頷いて答えた。
「そう、ノイルさんよ。……ごめんなさい、エイリク。私も、支度が済んだら向かうから、お客様のお相手をお願いできるかしら」
お願いすると、エイリクは驚いたように目を見開いたが、少しして強く頷いた。
「分かりました。僕も、一度、話してみたいと思っていたんです。でも、姉上はだめです。この後、医者の診察があるんでしょう?客人の相手は僕に任せて、姉上は休んでいてください」
そういえば、さっき、ローラは
『先生をお呼びして先に診ていただこうとしたのですが……』と言っていた。
恐らく、お医者様を呼んだはいいものの、私が祝石で守られていたから、診療できなかったのだろう。
エイリクの言葉に、私は頷いた。
「後は、父上の判断を仰ぎます。……ひとつ、聞きたいんですけど。姉上が倒れた時、そのひとも一緒だったんですか?」
それに頷くと、エイリクは「そうですか……」となにか考え込みながら答えた。
エイリクが退室すると、カティアがぽつりと言った。
「祝石の力、収まっておりますわ」
「えっ……!」
驚いて手元を見れば、確かに眩いほどの光は収束している。
ほのかに光を帯びていて、私の知る祝石に戻っていた。
エイリクの訪れに、驚いたから……?
そういえば、あの時。
襲撃があったあの夜も、そうだった。
撃たれる直前、祝石の力が発動して、それに驚いた直後にそれは解除された。
驚くと、祝石の力が途絶えてしまうのかもしれない。
私はじっと、祝石を見つめた。
試しに、もう一度、祝石に力を込めてみる。
先程の温もりを思い出して、もう一度。
すると──
ふわ、と温かなものに、包まれた。
祝石は先程のように不思議な揺らぎを見せている。
「これ……」
思わず、目を見開いた。
私の反応に、すぐにカティアが気がつく。
「お嬢様……!祝石を……扱えるようになったのですね……!?」
カティアの声は、今にも泣きそうだった。
ふ、と意識して力を抜けば、祝石の力も消えた。祝石の波紋も無くなり、仄かな光を放つだけになる。
(祝石を……)
扱える、ようになった。
「っ……」
私は、意識して微笑んだ。
そうでもしないと、泣いてしまいそうだったから。
「ねえ、カティア」
「はい」
「祝石を扱えるようになったわ。これも怪我の功名……というやつなのかしら?」
茶化すように言うと、カティアも笑ってくれた。
「お嬢様。まずは入浴をいたしましょう?私どもが、介添えいたしますわ」
カティアの言葉に、私は頷いた。
考えることは、考えなければならないことはたくさんある。
祝石のこと。
故障してしまった代足杖のこと。
そして、それを修理できるという、ノイルさんのこと──。
(お父様にも、報告しないと……)
だけどまずは。
私は手に持った祝石をじっと見つめた。
もし、また同じように襲撃を受けたとしても、今度こそ、私は自分で、自分の身を守ることが出来る。
ずっと立ち止まっていたところから、ようやく一歩。踏み出せた気がした。




